ケビン・コスナー主演 フィル・アルデン・ロビンソン監督作品。
マイナーリーグの選手だった父ジョン・キンセラとその妻の間に生まれたレイ。野球好きだったが、母は3歳の時に他界し、父との仲が険悪になり、家から遠く離れた西海岸の大学に進学。しかしデモの時代で野球選手の進路が見いだせず、そしてアニーと知り合い、結婚。カレンを授かり、アニーの意向で農場を買って、農民となり、過ごしてきた。
だがある日、彼はトウモロコシ畑で「造れば彼がやってくる」という不思議な声を耳にする。
その声が聞こえるのは自分だけで、そもそも何を造ればいいのかもわからないレイ。仲間にも相談したが見当つかず、だがまた聞こえた時、野球場の幻影と他界した名選手シューレス・ジョーが目に浮かんだ。
父のように無意味に歳を取りたくないレイは決意し、アニーも許可を出し、トウモロコシ畑を潰して、野球場を作り始める。
カレンとアニーにシューレス・ジョーの由来、事件、晩年を聞かせ、野球場は町の人たちに呆れられつつも完成を迎えた。
だがクリスマスになっても何も起きない。野球場建設に貯金を遣い、畑が減ってしまったため家計がピンチに。
するとカレンが野球場に誰かを見つける。そこには一人の選手が。レイがノックをしてみると、彼はジョー・ジャクソン、シューレス・ジョーだった。
攻守交代し語り合うが、ジョーは野球場からは出られなかった。ジョーは自分と同じように野球界から追放された仲間を連れて来ると言って、畑へ消えた。
後日、アニーの弟で、近くで農場を経営するマークに叱られていると、ジョー達が現れる。しかし、マーク達にはそれが見えないらしい。
夕方、帰宅したレイに今度は「彼の痛みを癒せ」と声が。彼とは誰なのか悩むレイ。
名作を有害図書と断ずる主婦の集会に、反対派として出席したレイとアニー。アニーが自由の大切さを激昂する中、レイは隣で、痛みの主が小説家テレンス・マンだと直感する。テレンスの足跡を辿ったレイは、テレンスが父ジョンを主人公に本を書くほど野球好きと知り、テレンスを野球場に招待しようと、家計に苦しむ妻を説得し、口論。だがアニーも同じ夢を見た為、後援に回り、レイをボストンへと行かせる。
テレンスの家を探し当て、訪ねるレイ。だがいきなり襲われる。彼は心を閉ざしていた。レイは引き下がる事なく、テレンスをレッド・ソックス戦へ連れて行くと球場で、「最後までやれ、ムーンライト・グラハム。チザム」という声と掲示板に表示が。
テレンスを家へ送り、別れかけると、テレンスも声を聞き、表示を見たと2人でグラハムを探しにミネソタへ向かう。
一方、アニーの元にマークが背広姿で現れた。
地方紙でアーチー・グラハムは医者になり、16年前に亡くなったという記事を見つけ、その足跡を辿るレイは72年の街に辿り着く。そこで老人グラハムに会い、メジャー選手とのプレーが望みだと聞くが、グラハムは街を離れる気はなかった。
だがテレンスに話し、アニーに連絡すると、マークから立ち退きを迫られていると知り、テレンスと共に農場へ車を走らせると、ヒッチハイクをする若者を乗せる事に。その若者は野球選手のアーチー・グラハムと名乗り、野球をしに行くと言う。
レイは道中、野球を捨てて、父とケンカしたまま死別した事を語り出す。
帰宅したレイは野球場へ行くと、ジョーが選手たちを集め、試合を始めようとしていた。グラハムもジョーに誘われ、選手として参加。レイ達は観戦する。グラハムは犠打で役に立つ。
翌日も観戦していると、マークに激しく迫られ、カレンやテレンスは入場料を取れると言うが、訳がわからないマークはカレンを掴み、それを咎めるレイと揉み合い、カレンがベンチから落ちて気絶してしまう。
皆が慌てる中、グラハムが気付き、球場から飛び出し、老医に戻る。そしてカレンの喉に詰まったソーセージを吐き出させ、回復させた。
だが、グラハムは若い選手に戻れなくなり、しかし笑顔で球場を去った。
それを機にマークも選手たちの姿が見え始め、農場を売るなと言いだした。
いつものように選手たちがトウモロコシ畑の中に帰っていく中、ジョーはテレンスだけを誘い、レイは怒る。テレンスは選手になりたくないといった事を嘘だと詫び、取材して本にしてみせると中へ入っていった。
一方、レイはキャッチャーをしていた父と再会。若き父ジョンは、レイを息子とは気付かないが、夕方まで語り合い、レイがキャッチボールを求めると、ジョンは応じ、夜になった。
すると球場から町までの道が車のヘッドライトで埋め尽くされていた。
1989年、アメリカの作品です。
原作者:W・P・キンセラ
共演:バート・ランカスター(グラハム) アミー・マディガン レイ・リオッタ
フジテレビ系「ホンマでっか!!TV」をご覧の方はご存知かと思われますが、この作品は明石家さんまさんのお気に入りの作品の一つであり(映画館で涙したそうな)、心理学的に女性が最も理解できない映画の第1位だそうです。
さんまさんもまた、幼くして母親と死に別れ、自分の好きな事を仕事にしようと、芸人という仕事が他人には理解されない時代に選ばれました。当時の上方落語は四天王により盛り返してはいましたが、まだまだ地位の確立は先でした。さんまさんも大阪出身ではないので、周囲に芸人を目指すような人もいなかったと考えます。
また、さんまさんはサッカー好きでもあり、「Jリーグがあればサッカー選手になろうと頑張っていた」と言うほどですから、そっちの意味でもこの映画と通じるところがあるのでしょう。
そして現在、猫の鳴き声や排水溝など幻聴が聞こえるという漫談は、まさしくこの作品のファンタジックな一面とマッチしていると言えます。
男の不思議な妄想力というのは女性には理解しがたいと思います。ですが、決して女性蔑視ではありませんが、自動車も電車も飛行機も、男がいなかったらこの世に生れなかったのではないかと私は思います。
女性の力というのは「ある物を良い物にする力」であり、男性の力というのは「ない物をある物にする力」だと思います。最近は女性でもそういう力を持った方の台頭は目につきます。
この作品は女性には到底理解しがたいと、学者でない私ですら感じます。妄想に突き進む夫を後押しする妻の事も当然理解できないでしょう。ですがおそらくさんまさんにとっては理想の妻でしょう。女性の皆さんも置き換えてください。あなたの愛する夫には挑戦したい事業があって、それをどうしてもやりたい。これで少しは理解しやすくなったとは思いますが、感動は映画館では生まれないでしょう。芸人さんと付き合うとか、そうした時に初めてわかるかもしれません。
幼い頃、父親に見せられた娘さんは、結婚して、人から見るとちょっと不幸かもしれないけど、自分は幸せだ、と思ってくれるんじゃないかな。という一本です。