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拝啓天皇陛下様

渥美清主演 長門裕之共演 野村芳太郎監督作品。
昭和6年1月10日、岡山の陸軍に山田正助(山ダ・ショウスケ)は入隊した。
漢字も読めず、訓練もドンくさいショウスケだが、両親に先立たれて、辛い暮らしを強いられてきた幼少から今までを思えば、しっかりした食事や風呂や布団、整った生活環境。更に勉強も教えてもらえる事を考えれば、何も苦ではなかった。
しかし他の初年兵は農村出身者ばかりで、軍隊独特の風習に困ってばかり。だが、故郷もひどい惨状で、帰る事も出来なかった。
昭和7年、秋季大演習が行われ、それを天皇陛下が天覧。ショウスケは初めて見た天皇陛下の優しそうなお顔に心を打たれた。
やがてショウスケ達も満期除隊となり、ショウスケは中隊長に職を世話してもらい、後輩の垣内から手紙で連絡をと言われ、自分が手紙を書ける事に気が付き、やってみる。
月日は流れ、ショウスケの同僚棟本は結婚し、昭和12年、招集がかかった。
岡山の練隊で事務仕事を担当する棟本はショウスケと再会、更に結婚して4人の子供を抱える鶴菱と再会した。
また時が過ぎ、戦争が終わると知ったショウスケは、天皇陛下に宛てて、手紙を書きだすのだった。

結末 ネタバレ注意

それを見つけた棟本は、慌てて止め、厳しく畏れ多い行為だと叱責。理由を問い質すと、「自分を軍隊に残してほしい」という事だった。
しかし戦争は終わらず、野戦行きが決まる。
昭和13年、ショウスケは編入替えで棟本とは別れる事になった。
昭和16年、生き延びた棟本は「軍隊長日記」という経験を本にし、小説家になるという夢を叶え、講演会を行い、打ち上げの場所でショウスケと再会し、別のところで飲み直す。ショウスケは戦争の続投、招集を望んでいた。
大東亜戦争が行われ、棟本は従軍作家として、ショウスケは兵隊として大陸へ渡る。
終戦を迎えた昭和22年、棟本夫婦は作家としての仕事が無く、貧乏生活に戻る。そこにショウスケが訪れ、同居する事に。食糧探しに邁進するが、ショウスケが戦時中の感覚で鶏を盗んで来たので、ケンカ別れになる。
また仕事が出来た棟本は、取材先の奥日光でショウスケと再会。昭和23年には旧交を温め、月1で会うようになる。
ケンカ別れした後のショウスケは、農場で働いていた。
ショウスケは、棟本の近所に住む手島未亡人に恋をし、結婚のために安定した立派な職に就こうと、農場を辞めて、滝壺の死体拾いという公務員の仕事に就き、手島未亡人の元へ向かうが、手島には再婚も交際もする気はなかった。ショウスケはまた姿を消した。
昭和25年冬、棟本を久しぶりに呼び寄せたショウスケは、東京で仕事に就き、自分の結婚式を控えていた。
だが、ショウスケは式を控えたある夜、酔っぱらって交通事故に遭い死亡。棟本夫婦は動転し、深い哀しみに暮れた。
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管理人の批評

1963年、昭和38年、日本の作品です。
渥美清さんの「男はつらいよ」以外の貴重な出演作品であり、「男はつらいよ」が始まる以前の作品です。
天皇陛下に直接話しかけ、手紙を渡す事が不敬行為である事が忘れ去られ、集団的自衛権を論ずるほど戦争における苦労、苦しみを忘れ去った現代に敢えて、いや、だからこそ観て欲しい作品です。
この映画は長門裕之氏演じる棟本の視点で描かれるショウスケという奇妙な男の一代記ですが、考えるという事が人間の生きる上での重要な意味であると同時に、受け容れるという事もまた、人間、市民の生きる上での重要な意味であるのではないでしょうか?だからこそ、結末はあまりにも悲しい。
この映画の位置付けは喜劇であり、ショウスケは常識を知らないからこそ、外れた行動が面白いのですが、少し考えさせられるからこその映画です。
ロビン・ウィリアムズもそうですが、喜劇人というのは愛されているからこそ、死んでしまうとあまりにも悲しい。だからこそ生き続けていてほしい。この後、テレビドラマ版「男はつらいよ」の最終回でまた渥美氏の役が死んだからこそ、国民の生き続けてという願いが届いたのではないでしょうか?