メル・ギブソン主演 ジョージ・ミラー監督作品。
近未来、暴走車両が轢き逃げをし、交通課の警官達は追跡をするも全滅。だが連絡を受けた優秀な警官マックスが出動し待ち構えると、暴走車両を運転する男は怯え、マックスの追跡を振り切ろうと立ち入り禁止区へと進入し、事故死した。
後日、マックスは妻ジェシーとの団欒を潰されて警察署へ。だが愛車バリーの新型エンジンを見せられると喜び、また仕事で功績をあげた。
しかし、フィフ隊長から、暴走車両の男の仲間が、マックスへの復讐を考えている事を聞かされるのだった。
田舎町ウィー・エルサレムの駅。暴走族の一団が現れ、列車に乗って運ばれてきた男の棺を引き取るや、街で暴れ、騒ぎ、車で逃げるカップルを執拗に追いかけ、2人を車ごとボロボロにした。
連絡を受けたマックスは相棒グースと町へ。逃げるカップルの男を見つけ、次にボロボロの車のシートに綱で結ばれた女、そして族の仲間でありながら、ラリって残ったジョニーを連行する。だが引き取りの族仲間も、証人となる町の者も報復を恐れ現れず、ジョニーは釈放。グースは憤るのだった。
一方、族のリーダーも、戻ってきたジョニーを反省させるため、海へと放り込まれた。
ケガが完治したグースはバイクに跨り飛ばすが、うっかり事故ってしまう。運よく無傷だったものの、バイクは壊れ、通りかかった知り合いのトラックを借り、それに乗せ運んでいると、暴走族のジョニーとリーダーが現れる。クラッシュさせられ、逆さになり身動きの取れないグース。それを見たリーダーは、嫌がるジョニーに無理矢理、火を点けさせた。
連絡を受けたマックスは病院へ行き、グースの死体と対面。ショックを受けたマックスは翌日、隊長に辞職願を提出。だがマックスほどの優秀な警官は他にはおらず、隊長はマックスを引きとめ、代わりに休暇を与え、マックスは妻ジェシーと赤ん坊を連れ、旅行に出かける事にした。
マックスが通りがかった小さな自動車整備工場でスペアタイヤを直している間、ジェシーはアイスを買いに車で海岸へ。だが時を同じくして、海岸にはあの暴走族がいた。その美貌に目を付けられたジェシーは絡まれ、リーダーに一撃食らわせ、その隙に車に乗り込みひた走る。追いかける暴走族を振り切るため、ジェシーは整備工場でマックスをピックアップし、逃げ切る事に成功。だが落ち着いた頃、車に絡んだ鎖には男の片手が付いていた。
宿泊先である知り合いの農場に着き、老夫婦ジギーとメイに迎えられ、世話になるマックス達。ジェシーは近くの森を抜け、海で遊ぶ。だが、撒いたはずの暴走族が現れ、急いで森へと引き返し、怯えるジェシーを老婆メイに任せて、マックスは森へと突入する。
家に入ったジェシーは、外で遊んでいるはずの息子スプロッグが見当たらず、外へ。すると暴走族がスプロッグを抱えて現れた。
膠着状態を破ったのは、ショットガンを構えたメイだった。メイはショットガンを鳴らし、ジェシーとスプロッグを救出。マックスもその音で引き返す。
メイ達は暴走族を納屋へと閉じ込め、車で逃げる。だがエンジンが止まり、ジェシーはスプロッグを抱えて一直線の道路へと飛び出す。
一方、扉を壊した暴走族は、バイクに乗って車を追いかけ、ジェシーを見かけるや猛スピードで突っ込み、ジェシーとスプロッグを吹き飛ばした。
ジェシーは重体。スプロッグが死に、帰宅したマックスは海を眺めた後、隊員服に身を包み、署から新型パトカーを持ち出し、暴走族と関わりのある、スペアタイヤを直しに立ち寄った整備工場の整備士を締め上げ、走行中のタンクローリーからガソリンを盗んでいた暴走族を発見し、マックスは一人、また一人と始末していく。
残ったリーダー・トーカッターと側近ババ・サネディを進入禁止区域に追いかけて、見失ったマックスは車の外へ。だがその瞬間を狙い、マックスは脚を撃たれ、道路に倒れ、離れた銃を拾おうとして伸ばした右腕を轢かれてしまう。
始末しに戻ってきたババ。マックスは左手で銃を取り、撃ち殺す。そして足を引きずりながら車に乗り込み、逃げたトーカッターとジョニーを追跡。
激しく追いかけられたトーカッターは、対向のトラックと正面衝突し死亡。マックスはあたりを探し、ジョニーを見つけると、彼は事故死した男のブーツを盗もうとしていた。マックスはジョニーの足首と傍らの今にも爆発しそうな事故車を結び付け、金鋸を放り投げ、「手錠は10分、足首なら5分」と言い渡し、車で去った。その背後で爆発が起きた。
1979年、オーストラリアの作品です。
この作品が元は低予算のビデオ映画である事、そしてこの作品に火が付き、大ヒット。主演のオーストラリア人俳優メル・ギブソンは大スターとなり、マッドマックスもシリーズ化、現在も新作を制作する可能性がある事はあまりにも有名です。
この作品を見ていて感じるのは、アメリカ文化とオーストラリアの風景の融合でしょうか。まあ、オーストラリア自体アメリカ文化を大きく受けておりますし、アメリカ映画のほとんどが内陸の荒野か、港湾の近くで撮られている事、そして都市として発展している事による都市感に対し、オーストラリアらしい、緑生い茂る原野(草地)と水平線、発展途上の感じを見る事が出来る作品です。(他にオーストラリアの有名な作品を知りませんが…)。
スーパーカーが出るわけでも、スーパーテクニックが見られるわけでもない、娯楽作のように作ってるかと思いきや、割と交通社会への警鐘を鳴らす様な社会派作品のようにも感じ取れるドラマ作品。マンガのようだとタカをくくっている方はぜひ一度ご覧になられてはいかがでしょう。
ただ、2作目からはガラッと変わってしまう更なる近未来に、ちょっと付いていけなくなるかもしれません。ですが、それも「進化」と受け取りましょう。