コント55号(萩本欽一・坂上二郎) 水前寺清子主演 野村芳太郎監督作品。この物語はとある寄席・松竹亭の水前寺亭清奴によって語られる。
江戸っ子で板前の金ちゃんは喧嘩っ早く、気が早く、皿を割ったのを叱られて、勢いで仕事を辞めてしまう。
一方、鹿児島の田舎者・二郎さんは、自立して百万円を貯め、母親が死んで、生命保険の五百万円を手にして東京へ上京する。
だがスリに出くわし、二郎さんは駅で金ちゃんに助けられ、図らずも2人は同行する事に。すると、二郎が頼るはずの母の友人というのが金一の母と知る。
上京祝いに料理屋に連れて行き、金ちゃんは板前に復帰。
そして、ツケの効くおでん屋で2人は呑みながら、二郎は六百万を元手に何かをしたいという漠然とした野望を打ち明け、金ちゃんは、自分を花板に小料理屋をやろうと提案し、合意。さらに、そこにファンである水前寺清子似の隣人・鶴田清子が現れ、二郎は一目惚れ。
翌朝、アパートの住人たちである大津や夏ちゃん達に既に六百万円の事が知れ渡ったが、アパートの住人は立ち退きを迫られる事になった。
金ちゃんと次郎さんは物件探しに行くも相場が高く手が出ず、元手を増やそうと金ちゃんは競輪に行き、二郎さんの三百万円をスッてしまう。
さすがにケンカになり、金ちゃんは自分の母親を担保に、月一万円ずつの返済を約束して飛び出る。
だが責任を感じる金ちゃんは、料理屋の女将に相談。女将は建て替えと引き換えに金ちゃんを間男にしようとするが、旦那が戻ってバレ、2人とも追い出されてしまうのだった。
金ちゃんは新しい勤め先を見つけ、二郎さんは清子の勤務するデパートで働き、1ヶ月が経った。
金ちゃんは返済がてら食事へ。そこで昔の出入り業者と再会し、女将のみどりを追い出そうとしていた池田の旦那の策略に金ちゃんは利用されたと知る。
金ちゃんと二郎さんは一芝居打ち、財産20万円を回収した。
キャバレー勤めをするみどりを訪ねた金ちゃんは、困窮している彼女に20万円全てを渡し、去る。だが、会計の際に二郎にたかり、またケンカする。
団子を買って詫びる金ちゃんと、自分のケチを反省する二郎の元に、夏ちゃんがアパート取り壊しに、オーナーであるデパートの社長が動くと伝える。
清子は社長の息子・順吉に頼むが、順吉の願いは父に聞き入れてもらえず、清子は悩む。
アパートに工事夫達が現れるが、キックボクサー沢村に変装した金ちゃんに脅され逃げていく。だが、生中継の試合があり、偽物とバレてしまう。
住人達は順吉と相談するが、大津が買収され、供託家賃を持ち逃げしてしまう。
社長行きつけの料亭に潜入し、大津の居場所を知って、捕まえる。
社長たちはアパートの住人達を熱海旅行へ招待。金ちゃんは二郎さんの思いを清子に伝えようとして、順吉と清子の仲を知る。
期待していた二郎に真実を話し、2人は酒を飲む。
翌朝、二郎がいなくなり、心配した金ちゃんは飛び出すが、のんきにひょっこり次郎が顔を出したため、海に落とす。
やがて、東南荘には金ちゃんと清子の家族だけに。
大阪に行く清子は、仲の悪い自分の父と金ちゃんの母を和解させる。
金ちゃんは残った300万円で小さな店でもやろうと提案し、夏子も協力。するとそこに池田の旦那が現れ、50万円ずつ出すが、金ちゃんは追い返す。
だが清子達に立ち退かない理由が無い事を言われ反省。そこに池田が戻り、100万円ずつに増額。その金で店を買い、開店を明日に控えてドンチャン騒ぎした。
「金二郎」は大繁盛。1ヵ月後、谷口が立ち退かされそうだと知り、その抵抗を観に行く。
残った二郎さんは、ウナギの注文に手を焼き、戻った金ちゃんが逃げたウナギを捕まえようとして、どんどん前に行ってしまうというオチで、落語が落ちた。
1969年、昭和44年、日本の作品です。
共演 藤岡弘 財津一郎 他
コント55号はまぎれもなく、当時のテレビの大スターです。故にこういった、タレントグループをそのままタイトルに使った映画が作られたわけです。同様に、クレージーキャッツ、ドリフターズも映画を撮っており、大いに沸かせました。
コント55号のメンバー、坂上二郎さんは惜しくも鬼籍に入られましたが、晩年は栃木県の那須の自然に囲まれながら、お笑いの指導などをしておられました。ですが元々は歌手志望であり、のど自慢の出演経験もありました。
一方、萩本欽一さんは貧乏を脱却するため、芸能界を志しますが、鏡を見てカッコいい映画スターにはなれないと、コメディアンを目指します。元々下町育ちなため、浅草周辺はなじみ深い場所でした。
先に上京し、コメディアン修業をしていた先輩の坂上二郎さんと、時には共演者、時にはライバルとして芸を磨いて来た萩本欽一さん。ですが萩本さんはテレビで大失敗をし、干されてしまいます。
その時、東京に戻りたいという他の先輩と入れ替わる形で熱海へ巡業に行き、海を見て癒され、再起を誓った所に、二郎さんから電話が掛かり、考えていたコントの草案を話したところ、2人でやろう、コンビ結成に至るわけです。
そして演芸番組に出演し、観衆を大爆笑の渦に包み、テレビのルールを無視して暴れた2人は、主流であった営業回りでなく、テレビ中心の活動を選択します。そして二人はスターの仲間入りをするわけです。
そして土曜夜8時、「コント55号の世界は笑う」で、裏番組であるTBS「8時だョ!全員集合」と戦い、ドリフターズとライバル扱いされる訳ですが、実は萩本さんはドリフの加藤茶さんとは仲良し。
そして「世界は笑う」は先に終了してしまいますが、その理由を萩本さん自身、垣間見たドリフターズの番組への熱の入れようで感じ取っていました。その後は30分早め、「欽ちゃんのどこまでやるの?」という偶然の笑いを中心にしたお笑い番組をヒットさせました。
歌手・水前寺清子さんの「三百六十五歩のマーチ」という曲は、言わずと知れた大ヒット曲で、近年でもCMなどでたまに耳にすることもあり、水前寺さんの独特の声と歌唱法もまた人気を得ています。
近年では、『人志松本のすべらない話』の会場などでお見かけする事もあります。
この映画のオチ「前へ前へ 一体どこに行くんだい? ウナギに聞いてくれ」というメッセージの意味は、戦争を経験した世代が、『とにかく前を向いて生きてゆく』という合言葉を持って、平和になった日本で、自分のやりたい事の為に頑張ろうという夢を持つ者たちの気概を現しています。
一般に、戦時中(第2次世界大戦)に、その前に生まれ、国内にいた人たちを、戦前派。戦争に行った若者たちを戦中派、行かずに済んだ子供達を戦後派と呼びます。芸能界では、鶴田浩二さんなど、死んだ友人知人に対して自分はどうやって生きていくか考えた人たちが戦中派。高倉健さんなど、子供の時に終戦を迎え、ガラッと価値観の変わった教育を受け、戸惑いながら自分の信じる物を見つけて生きようと考えた人たちが戦後派です。
ちなみに萩本欽一さんは戦争の辛さ、悲惨さを覚えていないと、一つ年上の鳥越俊太郎さんが訊ねた時に答えられたそうです。
戦中派が少数で悲しみを背負う一方で、戦後派は夢を持って自分の道を歩み始めました。その映画の代表が、加山雄三さんの『若大将』シリーズにあげられるでしょう。
今は前向きには生きにくい時代ですが、せめて夢を持って生きる事が、あなたが今笑ったり泣いたりする一瞬の意味を、大きく変えてくれると思います。