トップページ

紹介映画リスト

管理人コラムへ

シザーハンズ

ジョニー・デップ主演 ウィノナ・ライダー共演 ティム・バートン監督作品。
子供をベッドに入れ、昔話をする老婆。窓の外に見える山には、手が刃物の怪人エドワードが棲んでいるという話だった。老婆はその怪人の事を話し始めた。彼は発明家によって作られた人造人間なのだが、人間の手を取り付けられる前に、発明家が死に、一人ぼっちなのだった…。
山の麓には色とりどりの閑静な住宅街が広がっていた。そこの一軒の住人であり、そこの住人の奥様方に、日夜化粧品のセールスをする奥様、ペグ。彼女はしかし化粧品が売れず、誰も近づかない山の上の旧家へと車を進めた。
植木は綺麗に手入れがされているものの、家の中に入るとボロボロ。そこにシザーハンズと呼ばれるエドワードが現れる。最初は驚いたペグだったが、怯えた様子のエドワードに、ペグは彼を車に乗せ、自宅に招き入れ、世話をし始める。
エドワードがペグの家に住み始めた事は、すぐに街中の噂になった。ペグの夫ビルや、息子ケヴィンも了承し、そんな街の人々を鬱陶しく思う。
ある夜、娘のキムが友達とのキャンプから、中座して帰宅すると、自分の部屋のベッドにエドワードが寝ていて大騒ぎ。ペグは事情を説明するが、キムの警戒心は解けない。しかしエドワードは植木や犬、更には婦人達の髪のカットを天才的にこなし、人気者となる。
テレビ出演させられたエドワードは、ひょんな事から美容院を開く夢を持つ事になるが、社会保障番号の無いエドワードに銀行の審査は下りない。
そんな時、キムの彼氏であり、不良のジムは遊ぶ金欲しさに自宅に泥棒に入ろうと、エドワードを利用するが、警報が鳴りジム達は逃げ、取り残されたエドワードは逮捕され、住民たちからの人気が下がってしまうのだった…続く。

結末 ネタバレ注意

釈放されたエドワードに、置いて行ったキムは謝罪するが、エドワードが黙秘を貫いていたのは、自分に好意があるから庇っていたのだと知り、困惑してしまう。
一方、エドワードも思い通りにならない自分の感情に、荒れ始めるのだった。
クリスマスの準備で、庭で氷の彫刻を作っていたエドワードは、近づいて来たキムを誤って刃で傷つけてしまう。偶然それを見ていたジムは庭に入り、エドワードを突き飛ばし追い出す。エドワードは外に飛び出すが、キムはジムを追い出す。
外に飛び出したエドワードを心配したジムとペグは捜しに出かけ、キム一人になった家にエドワードは帰ってきた。キムはエドワードに抱きしめてほしいとせがむが、エドワードはできないと言うと、キムがエドワードを抱きしめた。
エドワードが窓の外に目を向けると、道を歩くケヴィンと別の道路を暴走する車が。このままでは事故になると判じたエドワードはケヴィンを助けるため、外に出てケヴィンに飛びかかった。
だがケヴィンのケガを心配するあまり、触ってケヴィンを血だらけに。更に近寄ってきた住民たちの事をも傷つけてしまい、警察を呼ばれ、キムの願いもあり、エドワードは逃げる。呼ばれた警官もだいたいの事情を察し、エドワードを逃がした。
エドワードは山の上の屋敷に隠れ、心配するキムは訪ね、安心する。
だが、怒りが収まらないジムがエドワードを殺しに現れ、キムは勢い余って、エドワードの替え刃の手でジムを刺し殺してしまう。エドワードは優しく、キムの罪を引き受けた。
追ってきた街の人々に、キムはスペアの刃の手を見せ、エドワードがジムを殺して逃げたのだと安心させる。
老婆の話はそこまでだ。その老婆こそ、年老いたキムであった。老婆は更に続ける。この街に雪が降るようになったのは、エドワードが街に下りてきてからだ。だからキムは、エドワードが街に雪を降らせているのだと思うのだ。エドワードは氷の彫刻を作る下で、削り氷と共に舞うキムの美しさが忘れられないのだ。だからエドワードは、今も冬になると、氷の彫刻を作るのだ。
DVD通販 DVD/CDレンタル

管理人の批評

1990年、アメリカの作品です。
ビッグ・フィッシュなどに見られる、この美しい小説風の終わり方こそ、ティム・バートン作品らしさなのかもしれません。
当たり前の事ですが、実際に書いてみて、やはりこの作品の美しさは文章だけでは描ききれませんでした。
この作品のファンだという方は多いですよね。特に女性が。それはうなずけると思います。やはり華美で華やかな色合いと、薄幸な主人公。そして不良少年と主人公の両方に惹かれるというヒロイン。そしてヒロインの年齢設定。女性の食い付きがとても良かったのだと考えます。
この前道路を歩いていたら、家の近くで、通行人も少ないという事もあってか、ご婦人が大型犬をリードを離して向かわせていました。ドーベルマンやテンと違い、高貴そうな犬でしたが、それでも犬には牙や爪が付いています。剥き出しです。高知で土佐犬の放し飼いによる死亡事件がありましたが、もしかしたらこの映画はそういう事を言いたかったのかもしれません。