トップページ

紹介映画リスト

管理人コラムへ

男はつらいよ 寅次郎純情詩集(18)

渥美清主演 山田洋次監督作品。
北アフリカの港町の居酒屋で、アラビアのトランスの元に、日本から車寅次郎の妹・さくらが兄を探しにやってくる。だがトランスは寅次郎は死んだと告げる。
しかし、追手の刑事の銃撃を受け、トランスはさくらに兄の寅次郎と気付かれてしまうが、それを突っぱねて、去って行った。
床屋で蒸しタオルの熱さに飛び起きた寅次郎は夢から覚め、床屋の幼い娘が兄を呼び叫ぶ声を聞いた。
江戸川で映画の撮影を邪魔して追い出された寅次郎は、満男の家庭訪問にやってくる産休代理の雅子先生を待つとらやに帰宅。そして現れた雅子の美貌に見とれ、会話に参加。主導権を奪い、雅子を見送る。
その夜、夕食の席で寅次郎は気まずさを感じながら着席、邪魔されて怒る博やみんなの集中砲火を浴び、出て行ってしまった。
雅子の母・綾が病気が治ったと退院。綾は生まれ育った屋敷へと戻り、小間使いのばあやと泣いた。
寅次郎は旅先で、昔出逢った旅一座と再会。観劇中に寅次郎は紹介され、その夜は一座と宴会で大盛り上がり。
翌朝、再会を誓って別れた寅次郎は、昨夜の宴会代と宿代を請求され、主人を呼んだ。
警察から寅次郎が無銭飲食で捕まったと連絡され、さくらは長野県の別所へ。兄の宿代や宴会代だけでなく、寅次郎が警察署で頼んだ寿司と鰻、署員に振る舞った喫茶店のコーヒー代まで支払わされた。
文化の日で、たこ社長が博物館でも行こうとめかしていると、寅次郎が帰宅。さすがに寅次郎も反省し、雅子先生の話になり、さくらは親子ほどの年齢差を理由にやめさせ、雅子の母なら良いと口にすると、雅子が母・綾を連れて現れ、とらやは綾を近所の富豪・柳生家のお嬢様と思いだした。
綾は柴又を懐かしみ、今は独身だと告げ、寅次郎はお見送り。さくらは発言を後悔し、見かけた御前様はその組み合わせに驚いた。

結末 ネタバレ注意

綾は破産寸前の柳生家の為に、戦争成金と政略結婚させられ、雅子を産んだが、病気を患ったため、離婚させられたのだった。
8時過ぎに帰宅した寅次郎はフランスのワインや食事をごちそうになり、明日も訪問するため就寝。
翌日、帝釈天では御前様が源公を捜すも見当たらない。源公は柳生家の庭掃除を行い、寅次郎は綾と会話。そこに源公の代わりに御前様のお遣いを頼まれたさくらが現れ、寅次郎を捕まえたが、綾は寅次郎の冗談に笑い通しだった。その夜の帝釈天の鐘は、御前様が撞いた。
翌日も寅次郎は源公を連れて柳生家へ。ばあやに恋人と言われ照れる寅次郎は綾とピクニックへ。
一方、さくらはPTA会の後で、雅子に寅次郎の事を謝り、絵を貼るのを手伝うと、満男の絵のモデルが寅次郎だという事に驚く。
さくらが寅次郎の嘘を訂正すると、雅子も、あの屋敷は人手に渡っており、今は借りて使わせてもらっていると明かし、その理由は綾が余命幾ばくもないため、好きにさせる為だと明かす。
その夜、綾と雅子はとらやで夕食。2人が食前のお祈りをしていると、たこ社長が念仏を唱え始め、笑いに包まれる。
その後のおしゃべりで、世間知らずを笑われた綾は働きたいと考え、みんなも案を出し、さくらは涙を浮かべた。
綾が体調を崩し、学校にいる雅子の連絡を受け、さくらは寅次郎に綾を病院に連れていくよう頼み、後日、寅次郎は見舞いに行き、人はなぜ死ぬかと問われる。
その夜、さくらは綾の熱が引かないと知った。
鯨尺を売って来た寅次郎は、綾の見舞いに行き、綾の希望する芋煮を用意しに急ぎ、受けたさくらも急いで作るが、源公が屋敷の慌ただしさを伝えに現れ、2人は屋敷へ。
2人を出迎えた雅子は、綾の死を告げた。
教会での葬儀に参列し、満男の担任も産休から復帰し、屋敷を片付ける雅子を訪ねた寅次郎は、新潟へ行く雅子に、事情を知り、軽口を反省した。
そして雅子は、綾は寅次郎を愛していたと思い、泣いた。
駅のホームで、寅次郎は綾と花屋をやろうと考えていた事を明かし、電車へ。
正月、柳生家のばあやが息子を連れてとらやへ。年賀状を出した雅子は、子供達とスキー教室をしていると、寅次郎が現れ、歓迎した。
DVD通販 DVD/CDレンタル

管理人の批評

1976年、日本松竹の作品です。
共演:京マチ子 檀ふみ 赤塚真人 永六輔
オープニングの映画パロディーのモチーフは、『アラビアのロレンス』ですが、ロレンスらしさは全く出ておりません。実際がどういう作品なのかはぜひご覧いただきたいのですが、けっこう長いのでご了承ください。
放送タレントの永六輔さんが出演されておりますが、これは鯨尺撤廃運動に反対するため、出演されたそうです。尺貫法を廃止し、全てをメートル法で表記せよというお上のお達しに、日本文化の存続を賭けて、断固反対しておられましたが、今作では喜劇という事で、逆に取り締まる側を演じるという皮肉さでもってアピールしておられます。
この作品を観た後、私は「車寅次郎の恋」という『男はつらいよ』の一つのテーマが終わったと感じました。失恋のパターンの最終形はこれしかないからです。それが証拠に次回作からはやや趣が変わっていきます。
そしてそれだけやり尽くしても尚、この物語が終わらなかったのは、それでは終わらせてくれないくらい、車寅次郎、そしてこの作品が愛されたからでしょう。どんな形であっても、いつまでも姿を見せて欲しい。それがオープニングのパロディーに現れているのだと思います。