会津若松市
旧会津若松市 - 旧北会津郡一箕村(〜S29) |
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飯盛山城 |
飯盛山城跡遠望。 |
【所在地】 |
会津若松市一箕町大字八幡大和山乙
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【別称】 |
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【築城年】 |
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【築城者】 |
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【城主変遷】 |
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【廃城年】 |
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【現状】 |
山林、白虎隊士墓所 |
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会津若松市で若松城に並ぶ観光スポット、飯盛山は、古代には古墳が造られ、中世には城郭として利用されたそうです。頂部には平場があり、堀も残っている様ですが、残念ながらそこまで登った事がありません。仕事柄何度か白虎隊士たちの墓を訪れてはいるんですけどねー。
以前はどこから登って良いものかさっぱり判らなかったので登ってませんでしたが、ある程度判っている現在でも“いつでも行かれるし〜”な感じで登ってません(笑)
一番ダメなパターンですな。
余談ですが、以前飯盛山徒歩5分の所に住んでいたので、チャリンコで飯盛山南西の慶山という所からキコキコ宅地の間を登って行ってみました。すると門の所に“飯盛山城城代家老〜”と書いてあるご立派なお宅があったんですが、そちらはどういった方だったのかな…? |
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大塚山城 |
大塚山城跡遠望。 |
【所在地】 |
会津若松市一箕町大字八幡北滝沢
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【別称】 |
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【築城年】 |
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【築城者】 |
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【城主変遷】 |
蘆名氏[大塚氏]… |
【廃城年】 |
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【現状】 |
会津大塚山古墳群、大塚山墓園 |
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東北地方最古の古墳とされ、東北で唯一(だったか?)三角縁神獣鏡が発掘された、国指定史跡会津大塚山古墳に築かれた中世の山城です。堀や土塁、虎口などが残っているとされますが、不勉強はわたしはどこがどうやら??当然古墳の地形を利用しているでしょうが、城郭としての遺構なのか単に古墳のカタチなのかが…。
ちなみに山からその麓にかけては現在墓地公園となっております。古代から現代を通じてお墓になっている…ある意味スゴイ(^-^; |
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北柳原館 |
北柳原館跡付近。 |
【所在地】 |
会津若松市一箕町大字亀賀川西
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【別称】 |
柳原館 |
【築城年】 |
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【築城者】 |
安倍氏か |
【城主変遷】 |
安倍氏… |
【廃城年】 |
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【現状】 |
宅地、耕作地 |
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『新編会津風土記』に、北柳原にあり安倍某が住むとあり、館主として安倍外記の名が伝わるが、現在は畑、民家となり面影なしとしている。
まず、“まほろん”の文化財データベースで紹介されている場所、49号国道北柳原交差点の南東部へ行ってみたところ、現在は運送会社敷地となっている様子。国道沿いだし仕方ないよな〜と思いつつ、会津若松市の郷土史家で非常にお世話になっている石田明夫氏の著述を見てみると…現在は畑と民家?
ウムムと思い「会津若松市埋蔵文化財調査報告書」でさらに位置を調べると、国道を挟んで反対側の集落に所在していたことが判りました。
画像左側、木が立っている辺りが館跡北東端の様で、土塁状の若干の高まりが確認出来、その上には屋敷神の小祠が鎮座ましましておりました。道路及びU字溝で囲まれた範囲が館跡と見られ、北側が畑地、南側がお屋敷となっています。さすがに南側へ廻るのは憚られました(^-^; |
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【参考文献】「日本城郭大系3 山形・宮城・福島」(新人物往来社1981)、「福島県文化財調査報告書第197集
福島県の中世城館跡」(福島県教育委員会1988)、「会津若松市文化財調査報告書第62号
会津若松市埋蔵文化財分布調査報告書」(会津若松市教育委員会1999) |
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