会津若松市
旧会津若松市 - 旧北会津郡高野村(〜S29)トップ>さくらとおしろ>福島県>会津若松市>界沢館
界沢館 蘆名直盛家臣金屋尾張某が居住したとされることから、構築年代は直盛が会津へ下向したとされる天授五年(康暦元・1379)、東黒川館に移った元中元年(至徳元・1384)頃であろうか。
界沢館跡(耕真寺)。
【所在地】 会津若松市高野町柳川字界沢 【別称】 堺沢館、境沢館 【築城年】 天授(康暦)〜元中(至徳)年間(1379-87)頃か 【築城者】 金屋氏か 【城主変遷】 蘆名氏[金屋氏]… 【廃城年】 【現状】 耕真寺、宅地
なお会津古城研究会会長石田明夫氏の著述によれば、金屋氏の子孫である境沢氏は上杉景勝が若松城から米沢城へ移封となった際に同行したとされ、文書も現存するという。
界沢集落内の耕真寺境内地を西端とし、東側の宅地一帯が館跡と比定されている様です。東面して建つ耕真寺裏、墓地と水田の間に土盛りがありますが、これが遺構かどうかを見極める眼力をわたしに求めるのは酷というものでしょう。集落内の鉤形の道路、用排水路は館跡の名残なのでしょうかねー?トップ>さくらとおしろ>福島県>会津若松市>界沢西館
界沢西館 『会津古塁記』によると、松本土佐によって構築され、その後金屋尾張が居住していたという。金屋氏は界沢館主としても名前が見えるため、その一族が居住した支館であったものか。
界沢西館跡付近。
【所在地】 会津若松市高野町界沢字村西 【別称】 【築城年】 【築城者】 松本土佐 【城主変遷】 松本氏…蘆名氏[金屋氏]… 【廃城年】 【現状】 耕作地
現在は界沢集落西側の耕作地となっており、「会津若松市埋蔵文化財分布調査報告書」に記載のある堀跡がどこに当たるのか全く見当がつきません(^-^; 字限図でもあれば大体の位置くらいは掴めるかと思いますけど、現状を見る限りは単なる水田地です〜。トップ>さくらとおしろ>福島県>会津若松市>下高野館
下高野館 築城年代、築城者、館主とも不明。土塁が遺る。
下高野館跡付近。
【所在地】 会津若松市高野町柳川字下高野 【別称】 【築城年】 【築城者】 【城主変遷】 【廃城年】 【現状】 寺社境内地、宅地、耕作地
まほろん“文化財データベース”をもとに訪問。神社社地がその場所のだったので行って見ると、その北東に隣接して立派なお屋敷を発見。その周囲は水堀に囲まれ、北西隅に画像左側の土塁が見られました。また神社、お屋敷の北側水田地も周囲より一段低くなっており、往時はその水田や画像の道路も堀だったのかもしれません。
そのお屋敷はいわゆる“おやがっつぁま”(御屋形、親方様?)のお宅かと思いましたが、その時は直接のお宅訪問は遠慮させて頂きました。会津古城研究会会長石田さんに詳細を訊いてみようと思いつつ、その後何度も会っていながら時だけが流れて行きます(^-^;トップ>さくらとおしろ>福島県>会津若松市>中前田柵
中前田柵 『会津古塁記』によると、沼木柵主菊地氏一族菊地右近頼景が居住したという。
中前田柵跡付近。
【所在地】 会津若松市高野町中沼字中前田 【別称】 中前田館 【築城年】 室町、戦国時代 【築城者】 菊地氏か 【城主変遷】 蘆名氏[穴澤氏(菊地氏)] 【廃城年】 【現状】 耕作地
まほろん“文化財データベース”の位置情報だと菅原神社南側の耕作地一帯。しかし「会津若松市埋蔵文化財分布調査報告書」によると、ほぼ同位置ですがその東半分ほど。さらに会津古城研究会会長石田明夫氏の著述によると民家となり面影なし…と、場所はなんともはっきりしません。
なお画像は神社東側の低地と南側耕作地との段差なんですが、丁度「埋蔵文化財〜」で示された辺りになるはずです。特徴的な地形とすればこの辺りくらいでしょうか。トップ>さくらとおしろ>福島県>会津若松市>沼木柵
沼木柵 室町、戦国時代に菊地弥三冶頼春が居住したとされる。
沼木柵跡付近。
【所在地】 会津若松市高野町中沼字沼木 【別称】 沼木館 【築城年】 室町、戦国時代 【築城者】 菊地氏か 【城主変遷】 蘆名氏[穴澤氏(菊地氏)] 【廃城年】 【現状】 耕作地、宅地
菊地氏は黒川城主蘆名氏配下の桧原地頭、穴澤氏の家臣であり、沼木柵は穴澤氏の居館木流館の支館であった。桧原は寒冷地のため米が生育しないため、この地より桧原守備の拠点戸山城へと米を運んだという。
なお菊地氏は蘆名氏滅亡後も江戸時代を通じて沼木に住し、現在も子孫が居住するが館の面影は残っていない。往時は南北56m、東西52mの規模であったという。
「福島県の中世城館跡」の“菊地弥(与)三治(次)頼清が住む”という記載だけを見て沼木集落を訪問、やっぱり現在は水田となっています(笑) 菊地氏についても誰だそりゃ?という感じでしたが、その後会津古城研究会会長の石田さんにお話しを伺うと穴澤氏家臣とのこと、木流が穴澤氏の所領だったとは知りませんでしたねー。トップ>さくらとおしろ>福島県>会津若松市>平塚館
平塚館 以前の職場が河東町だったのですが、出先から職場に戻る際に毎回色々な道を通っていました。その際に偶然土塁に囲まれたお宅を発見し、休みの日に改めて訪問しました。
平塚館跡土塁。
【所在地】 会津若松市高野町平塚 【別称】 【築城年】 【築城者】 平塚氏か 【城主変遷】 蘆名氏[平塚氏]… 【廃城年】 【現状】 個人宅
春日部様というお宅で、土塁の様子を見ていたら丁度奥様が出て来られたのでお話を伺うことが出来、やっぱり館跡であるとのこと。いわゆる“おやがっつぁま”だそうですが、その際には館の由来については詳しくお伺い出来ませんでした。しかしながら埼玉県春日部市の方も調査に訪れた、などとおっしゃっていましたので、彼の地に何やら関係がある様です。
突然の訪問にもかかわらず、お宅の周囲の土塁や堀跡を撮影させていただきました。
※この後、仕事の関係で会津古城研究会会長の石田明夫氏と知り合う機会を得たんですが、氏のお住まいがこの平塚集落でした。石田さんにはその後公私共に非常にお世話になっているので、この平塚館のことも色々教えて頂きましたが、一通り追加作業が終わってから更新したいと思っております〜(^-^;
【参考文献】「日本城郭大系3 山形・宮城・福島」(新人物往来社1981)、「福島県文化財調査報告書第197集 福島県の中世城館跡」(福島県教育委員会1988)、「会津若松市文化財調査報告書第62号 会津若松市埋蔵文化財分布調査報告書」(会津若松市教育委員会1999)
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