会津若松市
旧会津若松市 - 旧北会津郡湊村(〜S29) |
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鵜ノ浦城 |
鵜ノ浦城跡遠望。 |
【所在地】 |
会津若松市湊町静潟字鵜ノ浦 |
【別称】 |
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【築城年】 |
弘安年間(1278-88) |
【築城者】 |
山口重義 |
【城主変遷】 |
山口氏…蘆名氏[鵜ノ浦氏] |
【廃城年】 |
天正十七年(1589) |
【現状】 |
神社、山林 |
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弘安年間(1278-88)山口三郎重義が築城したとされる。
天正年間(1573-92)初頭には黒川城主蘆名氏家臣鵜ノ浦甲斐守が1万石を以て居城し、黒川城の出城の一つとして、白河街道を押さえる任に当たった。
天正十七年(1589)伊達政宗は白河街道より会津侵攻を図り、鵜ノ浦城へと軍勢を差し向けた。そこで戦上手な甲斐守は、木の樋から大量に白米を流し滝のように見せ、これを見た伊達勢はこれほど豊富な水源を持つ山城を攻め落とすのは容易ではないとして、猪苗代の湖上を渡って鵜ノ浦城の背後から奇襲、攻め落としたとされる。
東を猪苗代湖、西を湿原(現在は田地)に囲まれた、比高100m、東西約70m、南北約50mの舘山が城跡であり、周囲には土塁や空堀が巡らされていた。
白河街道(294号国道)沿いの“鵜ノ浦→”表示を曲がり東へ進むと鵜ノ浦トンネルを通ります。そのトンネルの上が城跡となります。
舘山山頂の主郭部は神社が祀られる平場となっており、トンネル脇から直線の参道が続いています。平場の周囲には数段の帯郭が巡らされています。ちょっと天候が不安だった時に登ったのですが、主郭部を見ている途中に案の定雨が降って来たため参道を駆け下りた記憶があります…その後酷い雷雨になったんだよなー(>_<;
ところで…“白米を流して滝に見せる”“白米で馬を洗う”などといった、いわゆる白米伝説は各地の城跡で目にしますが、ほとんどの場合寄せ手に見破られて敢えなく落城って流れですよねー(すずめが群れて来て〜なんて)。上記の伝承が本当なら、見事に欺かれている伊達勢の何とトンマなことか…。 |
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【参考文献】「日本城郭大系3 山形・宮城・福島」(新人物往来社1981)、「福島県文化財調査報告書第197集
福島県の中世城館跡」(福島県教育委員会1988)、「会津若松市文化財調査報告書第62号
会津若松市埋蔵文化財分布調査報告書」(会津若松市教育委員会1999) |
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