磐梯町
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慧日寺 |
徳一廟。 |
【所在地】 | 磐梯町磐梯数万堂
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【別称】 |
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【築城年】 |
大同二年(807) |
【築城者】 |
徳一 |
【城主変遷】 |
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【廃城年】 |
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【現状】 |
恵日寺 |
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平安時代初期の大同二年(807)、法相宗の高僧徳一(得一、徳溢)によって草創された寺院である。徳一の跡を継いだ金耀(今与)の頃には寺領18万石を有して隆盛を誇り、会津四郡の事実上の支配権を握っていたという。なお徳一は藤原仲麻呂(恵美押勝)の十一男と伝えられ、東国へ下り慧日寺のほか勝常寺、円蔵寺など、陸奥国から常陸国にかけて多くの寺院を建立した伝説がいる。また東国にあって、当時の新興仏教であった天台宗の最澄、真言宗の空海らと大論争を繰り広げたことで有名である。
平安時代後期には、越後国鳥坂城を本拠に越後、出羽国に勢力を拡大した城氏と姻戚関係を結び、奥州藤原氏と対抗する強固な勢力を持った。慧日寺の衆徒頭乗丹坊は、承安二年(1172)城永家の女竹姫(城資国の女とも?)を妻に迎え、永家の孫助永(資職、資永)に化粧料として越後国小川荘七十五ヶ村の寄進を受けている。また城丹坊とも記載された資料もあることから城氏一族でという説もあり、城氏家臣相津勝運の子で、父と共に慧日寺に入り衆徒頭となったともいわれる。この様ないきさつから、治承四年(1180)城氏が平宗盛より木曽谷の源義仲追討の命を受けると、乗丹坊は会津四郡の兵を率いて城資職(長茂)に協力した。しかし寿永元年(1182)信濃国横田河原合戦で大敗を喫し、乗丹坊は討死、以後慧日寺の勢力は衰退した。
その後は会津領主蘆名氏の庇護を受け、伽藍の復興も進んだが、天正十七年(1589)伊達政宗の侵攻による兵火でそのほとんどが焼き尽くされた。さらに兵火を免れた金堂も寛永三年(1626)焼失し、以後再建されたもののかつての姿とは程遠いものであった。
そして明治二年(1869)には廃仏毀釈で廃寺となったが、復興運動によって明治三十七年(1904)恵日寺の寺号で復興され現在に至っている。
もちろん城館でもなく城郭寺院でもありませんが、僧兵を抱えて実質的に会津を統治した勢力なので取り上げています。
数年前に金堂が復元されていますが、発掘調査現地説明会などには参加したものの復元後は訪問してません(^-^;
以前は資料館以外は無料で見学出来たんですが、金堂を復元して以降は入場料を取るようになったんだもーん(-_-# |
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大寺城 |
大寺城跡解説板。 |
【所在地】 |
磐梯町磐梯取上石
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【別称】 |
大寺古砦、日橋古砦、大寺古塁、大寺村柵 |
【築城年】 |
天正十七年(1589) |
【築城者】 |
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【城主変遷】 |
慧日寺[乗丹坊、佐瀬氏]…蘆名氏[佐瀬氏]… |
【廃城年】 |
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【現状】 |
山林 |
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築城年代、築城者は不明で、平安時代末期に慧日寺の衆徒頭乗丹坊が居住していたとされる。寿永元年(1182)信濃国横田河原合戦で乗丹坊が討死した後は、同寺の寺侍佐瀬宮内が居住したとされる。
天正年間(1573-92)には黒川城主蘆名家臣となった佐瀬河内守が住し、次いで佐瀬平八郎種常、常雄父子が居住したとされる。なお佐瀬種常は蘆名氏四天宿老といわれ、領内の民政に手腕を発揮した人物である。天正十七年(1589)摺上原合戦では、金上遠江守盛備、子の常雄と共に主君蘆名義広の危急を救い討死した。その忠誠心を後世に伝えるべく、嘉永三年(1850)会津藩主松平容敬によって古戦場跡に三忠碑が建てられている。 |
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陣の山館 |
陣の山館跡解説板。 |
【所在地】 |
磐梯町大谷地理山
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【別称】 |
一夜城 |
【築城年】 |
天正十七年(1589) |
【築城者】 |
伊達政宗 |
【城主変遷】 |
伊達氏(1589) |
【廃城年】 |
天正十七年(1589) |
【現状】 |
耕作地 |
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平安時代城四郎平長茂(資職)が居城した、また城氏と縁戚関係を結んでいた慧日寺の衆徒頭乗丹坊が築いたともされているが確証はない。むしろ天正十七年(1589)摺上原合戦で蘆名氏を敗走させた伊達政宗が築いたが、その後すぐ黒川城へと侵攻したため未完のまま放棄されたとするのが通説である。
東西二十間(36m)、南北二十五間(45m)の本丸と、二の丸、三の丸を持つ館であるとされる。
現在は畑地となっており、解説板にあった頂上部の堀跡は雑草が生い茂っていて確認できませんでした。土塁、石積なども遺っている様ですが、その後訪問の機会が得られていません。 |
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【参考文献】「日本城郭大系3 山形・宮城・福島」(新人物往来社1981)、「福島県文化財調査報告書第197集
福島県の中世城館跡」(福島県教育委員会1988) |
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