駒犬城跡碑。 |
【所在地】 |
塩竈市旭町
|
【別称】 |
塩竈古城、駒崎城、佐藤館、信高館 |
【築城年】 |
室町時代か |
【築城者】 |
留守氏、佐藤氏か |
【城主変遷】 |
留守氏[佐藤氏]… |
【廃城年】 |
元亀年間(1570-73)か |
【現状】 |
東園寺墓地 |
|
築城年代は明確でないが、南北朝時代には既に存在していたと推定される。築城者は留守氏、もしくはその重臣であった佐藤氏であろう。城主として佐藤左近、佐藤信高の名が伝わっている。
記録では駒崎城の名で多く見られ、留守遠江守家助が在城したことや、観応擾乱、南北朝争乱で足利尊氏に与した奥州管領吉良貞家が拠り、同郡館ヶ崎館にあった同じく奥州管領畠山国氏を攻める拠点としたことが判る。なお佐藤氏が城主になったのはその後とみられている。
佐藤氏は岩切城主留守氏の重臣であったが、佐藤太郎左衛門の代の永禄十年(1567)、伊達晴宗三男政景の留守氏入嗣に反対して謀叛を起こした。しかし逆に政景によって居城駒犬城を攻め落とされ何処かへと落ち、城もこの合戦ののち廃城になったものと考えられている。
塩竈市街地の中心に浮かぶ標高約30mの丘陵が城跡であり、往時は塩竈湾に突き出た岬の一つであったとされ、寺ヶ崎と呼ばれたという。頂部は東西約130m、南北約40mの規模を持つが、現在は北側に所在する東園寺の墓地として利用されており、往時の面影は失われている。
…正直なところ、“お墓だったな〜”というイメージしか記憶に残っていない(^-^;
立派な石碑が建てられていますが、むしろれを探すのが大変だったと思い出があります。訪問したのがだいぶ前なもので〜。 |