①戦前の活動 大町山岳会の発足年度についてははっきりした記録はないのですが、昭和の初めの頃とも言われ、戦前にはすでに百瀬慎太郎さんを中心にした会が存在したようです。昭和22年(1947)6月、慎太郎さんは日本山岳会信濃支部創設のために松本へ出向いています。この時に大町周辺から同行した賛同者の中に平林武夫さんら大町山岳会の会員が名を連ねています。当時この一団に正式な名称があったのかどうかは定かではありませんが、彼等が大町山岳会を形成していたという推測もできます。 ②戦後、平林武夫さんの中興 昭和25年(1950)、松川村出身で百瀬慎太郎さんと親交のあった平林武夫さんは、大町山岳会を再建されました。その頃から平林武夫さんは慎太郎さんのレリーフ建立に尽力され、昭和28年8月同会によって大沢小屋前に銅製レリーフを建立。 昭和32年、平林武夫さんが会長となっていた大町山岳会では、親族と関係者を招き、慎太郎さんを偲ぶささやかな催しを大沢小屋前で行われました。翌年からは「慎太郎祭」として恒例行事となり、現在も実行委員会により毎年6月に開催させていただいてます。 ③慎太郎祭秘話 針ノ木岳慎太郎祭では、一斗樽が夏山安全祈願の祭場である針ノ木雪渓上へ運ばれ、祭壇の中央にすえられます。これを担ぎ上げるのが大町山岳会の新入会員に課せられた役目です。(現在はそのようなことはございません) そして祭壇には「平武漬け」「山姥揚げ」という一風変わったお供え物が奉げられます。前者は平林武夫さんが考案された「塩らっきょうの浅漬け」、後者はライチョウに思いをはせられた「鶏のから揚げ」です。さらに参加者の喉を潤すのが湧水「針ノ木正宗」。(平林武夫さん命名) かつてはこの水で「流しソーメン」も行われていて、今も再開を願う声が沢山聞かれます。下山後は「おしるこ」のサービスが待っています。 ④法被由来 大町山岳会には独自の意匠で染め抜かれた法被があります。現在でも総会や慎太郎祭などで会員の証としてまとう印半纏であり、木綿製で藍色の法被は、その色落ち具合いで古参か新参会員なのかを見分けることができます。 法被が作られたのは昭和31年(1956))頃といわれ、法被の背にある「ロゴマーク」の意匠は前会長の山本携挙さんが当時考案され、襟の「大町登山口」「大町山岳会」という文字は、大町登山案内者組合の法被の字体も携挙さんが模されたものです。 |