日本橋、銀座。
中央通りでレトロビル巡り。

2023年6月






 
JR神田駅東口前と中央通り
 JR神田駅東口と中央通り

 JR神田駅の東口はガード下にあって、頭上には山手線や京浜東北線、中央線などが走っています。そして駅前を走る通りが今日の主役、中央通り。その名の通り東京のど真ん中、港区新橋から台東区上野間のおよそ5.5kmの距離を南北に走る大通りなんですが、今日はこの道をここ神田駅前から銀座まで、ゆっくり歩いて行こうと思っています。先ずは神田駅東口前に出て、目の前の中央通りを右方向へ。

 さて、今日はなぜ中央通りの散歩なんでしょうか・・・





神田駅をあとにして中央通りを進む
 神田駅をあとにして中央通りを歩く

 日本橋や銀座辺りを歩いていると、中央通り沿いやその近辺で、昭和初期頃あるいはそれ以前に建てられたと思しきレトロなビルディングを、たくさん見つける事が出来るんです。

 ご存知の通りここ東京は、関東大震災や東京大空襲など2度の災禍で市街が壊滅状態となり、その都度復興を果たして来たとは言え、多くの貴重な文化財を失ってしまいました。だけどそんな中でも、今日見て廻る10棟のビルディングは、特に先の大戦での戦災に耐えて奇跡的に残った、貴重で逞しい建物たちなんです。





山梨中央銀行東京支店
 山梨中央銀行東京支店

 まず最初はこの建物。神田駅東口からおよそ200mほどの場所、中央通り沿いの右手にある山梨中央銀行東京支店のビルディング。この銀行の前身は第十国立銀行で、その後普通銀行へと変更されました。そして昭和4年竣工のこの建物は、私立の第十銀行時代のものです。





丸石ビルディング
 丸石ビルディング(登録有形文化財)

 今度は中央通りの左側、山梨中央銀行ビルの向いにも古めかしいビルディングを確認できます。中央通り沿いからほんの一・二歩奥に入った場所にあるこの建物は、昭和6年竣工の丸石ビルディング。設計は日本最初の超高層ビル、霞ヶ関ビルの設計者としても知られる山下寿郎(1888-1983)で、複数のテナントが入居するオフィスビルです。





丸石ビルディング エントランス
 丸石ビルディング エントランス

 デザインは中世ヨーロッパの教会建築を思わせる、ロマネスク様式。エントランスには2頭の獅子像や、様々な動物のレリーフが施されています。

 ところでこの場所は千代田区鍛冶町。千代田区と中央区のほぼ区境に位置していて、ここまでの2棟は千代田区に所在する物件です。そして今日のレトロビル巡りで、ここから先のビルディングは全て、中央区の日本橋から銀座に所在する物件という事になります。





三井本館(重文・国)
 三井本館(重文・国)

 千代田区の2棟のレトロビルをあとにして中央区の日本橋に入り、中央通りを進む事およそ400m。通りの右手に見えて来たのは、三井住友銀行・三井信託銀行の各支店や、三井記念美術館などが入る三井本館です。当初は旧三井財閥の言わば本丸として、昭和4年に三井発祥の地であるこの日本橋に建設(再建)されたもので、「壮麗・品位・簡素」のデザインコンセプトのもと、設計・施工とも米国に委託された建物なんです。

 しかしながらこのビルディング、竣工の3年後に有ろう事か殺人事件の現場となってしまいます。それは、昭和7年に起きた連続要人テロ事件の、血盟団事件。そのターゲットの一人とされた旧三井財閥の総帥、三井合名会社理事長の團琢磨(だんたくま 1858-1932)が、三井本館への出勤時を狙われて、この場所でテロリストに射殺されてしまうのでした。





日本橋三越本店(重文・国)
 日本橋三越本店(重文・国)

 中央通り沿い、三井本館の一つ先にあるビルディングは、老舗百貨店の日本橋三越本店。大正3年竣工の最初の建物が関東大震災で火災の被害に遭ったため、現在の建物は昭和10年に増改築されたものです。





三越本店 エントランス
 三越本店 エントランス

 三越の始まりは、1673年に三井高利(1622-1694)がこの日本橋で開業した三井越後屋呉服店。これが後に三井合名会社へと発展を遂げたという訳でありまして、という事は旧三井財閥や三井グループの源流はこの三越だったんです。

 だから三井本館と三越本店のビルディングは、こうして並んで建っているんですね。





三越のライオン像
 エントランスのライオン像

 三越のシンボルとしても有名な、エントランスに鎮座するこのライオン像。歴史は古く大正3年生まれ。当時の支配人の日比翁助という人が、欧米視察時に英国で注文をして、出来上がるまでに3年も掛かったんだとか。実はこの支配人さん、プライベートでも大のライオン好きだったらしく、なんと自分の息子にまでらいおん(雷音)と名付けちゃったらしい。

 そう言えばこのライオン像、必勝祈願の像とされていて、誰にも見られずに背中にまたがると願いが叶うってことで、受験生なんかがこの像の上に乗っかっていたなんて話を、昔はよく耳にしました。だけど今そんなコトしたら、危険だしとっても怒られます。良い子は絶対にやめましょう。





三越と三井本館に挟まれた通りへ入る
 江戸桜通りへ入る

 今日の散歩の目的は中央通りを歩きながら、通り沿いに建つレトロなビルディングを眺めて歩く事なのではありますが、中央通り沿いではないんだけど、しかしながら必見の建物が通りから少しだけ外れた場所にあるので、これから見に行く事にしようと思います。

 という事で、広い大きな中央通りから一旦外れて、三越本店(画像左)と三井本館(画像右)に挟まれた、一方通行で車両の往来が少ない静かな通り、江戸桜通りへと入って行きましょう。この通りは名前の様に、ソメイヨシノの並木道。今はシーズンではないので桜の花を見る事は出来ないけれど、開花時の夜などは周辺がライトアップされてとっても綺麗なんです。





日本銀行本店旧館
 日本銀行本店旧館

 100m程歩いた先にある、ほんの小さな交差点。その前方右側の一角にある建物は日本の中央銀行、日本銀行本店旧館のビルディングです。そしてこの小さな十字路に立つと、3カ所の角にはそれぞれ三越本店、三井本館、日銀本店本館の建物があって、この3つは全て国の重要文化財に指定されているので、つまりこの交差点は国の重文3つを一遍に眺める事が出来る場所ってワケなんです。

 日銀旧館の建物は、現存する本館(明治29年竣工・重要文化財)、2号館(昭和10年竣工)、3号館(昭和13年竣工)の3つで構成されていて、1号館は既に取り壊され、替わって現在は新館の建物が建っています。ここに掲載した旧館の画像は、外観上は一つの建物に見えるけど、右手前が2号館で左手奥は3号館です。





お江戸日本橋
 お江戸日本橋が見えて来た

 既述の様にこの日本橋や銀座の界隈では、貴重なレトロビルをたくさん見つける事が出来そうなんだけど、隈なく探していてもキリがないので、当初のプラン通り中央通りへと戻って、再び通り沿いを歩いて行く事にします。

 と、言う訳で中央通りをそのまま進んで行くと、間もなく前方に見えて来たのは、この場所の地名にもなったお江戸日本橋





日本橋川と日本橋
日本橋(重文・国)と、日本橋川

 日本橋が徳川家康の命により、最初に架橋されたのは1603年。そして現在のルネッサンス様式のこの橋は、明治44年に架け替えられた石造りの二連アーチ橋で、国の重要文化財とされています。

 橋の下を流れる川は、神田川と隅田川を結ぶ運河の日本橋川
 ・・・が、しかし、景観上とても残念ではありますが、その真上を首都高速道路が被さる様に走っているんです。これは東京オリンピック開催に合わせて、その前年の昭和38年に開通したものなんですが、老朽化に伴ったリニューアル工事を進める中で、将来的には高速道路の高架橋は地下トンネルとなって、日本橋の上空には青空が戻って来る計画になっています。





東京市道路元標
 東京市道路元標(重文・国)

 さて、ここで問題です。高速道路や幹線道路などでよく見かける、「東京(まで)〇〇km」っていうあの標識。東京と言われてもかなり広いんだけど、あれはいったい東京都の何処までの距離なんでしょうか?

 答えは、実はここ日本橋までの距離なんです。

 つまり日本橋が東京の、延いては日本の道路網の中心であるという事でして、画像の装飾柱はその証である東京市道路元標です。これは昭和3年に造られたものなんですが、当時は橋の中心の位置に建てられていました。そしてその後の昭和47年、道路が整備されたと同時に撤去され、この様にモニュメントとして橋の北西の袂へと移設されたのでした。





日本国道路元標
 日本国道路元標

 東京市道路元標が元々あった橋の中心の位置には、撤去と同時にプレート状の日本国道路元標が替わって埋め込まれました。現物を是非見に行きたかったんですが、何せ国道のど真ん中でありまして、ご覧の様に車両が次々に行き交う状況。死を覚悟して命懸けで見に行くしかありません・・・





日本国道路元標・複製
 日本国道路元標・複製

 でも大丈夫。複製がもう1枚作成されていて、皆が見られる様に東京市道路元標と並んで橋の袂に展示されていたんです。プレートに記されている文字は、昭和47年の設置当時に内閣総理大臣だった、佐藤栄作(1901-1975)の筆によるもの。





徳川慶喜の筆による橋名板
 徳川慶喜の筆による橋名板

 一方、橋の橋名板に刻まれた「にほんばし」の文字は、この橋を最初に架けた徳川家康の子孫、徳川慶喜(1837-1913)の筆によるもので、平仮名のものと漢字のものとが掲げられています。





獅子ブロンズ像
 獅子ブロンズ像

 橋名板から目を上方に移すと、獅子のブロンズ像を発見。日本橋ではこの他にも、様々な芸術作品や貴重な装飾が施されているのを見付ける事が出来ます。ところでこの獅子、どこかで見たような物を抱えているんだけど・・・

 これは当時の東京市章、東京の紋章なんですが、この意匠は現在の東京都でも変わらず使用され続けているんです。そしてこれは6方向へ光を放つ太陽を表していて、東京の発展を願いつつ、日本の中心としての東京を表現しているんだって。





高島屋日本橋店
 高島屋日本橋店(重文・国)

 日本橋を渡って300mほど進んだ先、中央通りの左側に又また老舗百貨店のレトロビルがドンと構えていました。これは高島屋日本橋店。なんと昭和8年の竣工当時から、館内は全館冷暖房完備だったんです。

 因みにさっき見て来た日本橋三越本店もそうなんですが、外観だけでなく店内・館内の至る所で、貴重な装飾などの価値ある文化財を数多く見る事が出来るんです。だけど今日は少々早い時間に散歩を始めたので、まだ開店前。店内に入るのは次の機会にって事で、先へと進みましょう。





スターツ日本橋ビル
 スターツ日本橋ビル

 次なる物件は、高島屋日本橋店から中央通りを挟んで斜向かいにあるこのスターツ日本橋ビル

 「えっ? これのどこがレトロなの? ふつーの今風のビルじゃん。」って言わないでください。これにはチョット訳があるんです。





エントランスに注目
 エントランスに注目

 このビル自体は平成元年に建てられた、オフィスや店舗などが入居する複合ビルなんですが、実はこの建物のエントランス部分に注目してもらいたいんです。

 元々この場所には、昭和2年竣工になる旧日本信託銀行本店の、ルネッサンス様式のビルディングが建っていたんですが、これを解体して建て替えたのがこのスターツ日本橋ビル。そして、当時の建物から玄関の装飾部分と柱を残して新しいビルに利用し、旧意匠を再現したって訳なんです。





明治屋京橋ビル
 明治屋京橋ビル(中央区指定有形文化財)

 通りを400m程進んで来ました。右手には昭和8年竣工の明治屋京橋ビルが見えています。明治屋は食料品の製造販売や輸出入などを手掛ける、その名前の通り明治18年創業の歴史ある会社。そしてここに、その本社や小売店舗が入っています。

 尚、このビルディングには大きな特徴があります。それは、中央通りから見て正面と左右の側面の3面が、ほぼ同じデザインで造られている事なんです。





京橋跡
 京橋跡

 明治屋京橋ビルのすぐ先にある大きな京橋交差点を過ぎると、間もなく前方に東京高速道路の高架が見えて来ます。その昔は、ちょうどこの場所に京橋川が流れていて、川には京橋が架かっていたのですが、川は昭和の中頃に埋め立てられて橋も無くなり、現在では町の名前に残るのみです。





銀座のガス燈(左)と京橋の親柱(右)
 銀座のガス燈(左)と京橋の親柱(右)

 しかしです。京橋や京橋川があった当時へと想いをめぐらす事の出来るある物が、ここに残されていたんです。それがこの京橋の親柱。上部にガス燈を組み込んだ石造りの大きなガッシリした親柱で、大正11年に造られたもの。更にその隣には、銀座の街路照明として明治7年に造られた、ガス燈の燈柱も展示されていました。





築地警察署 銀座1丁目交番
 築地警察署 銀座1丁目交番

 中央通りを隔てた向こう側に目をやると、レンガ造りの交番が見えるんですが、何かどこかで見た事がある様な・・・

 なーんだ。交番の屋根が、たった今眺めていた京橋の親柱のデザインを真似たものだったんです。
 警察だけに、パクったってワケでした。

   お後がよろしいようで・・・





午前中の銀座を歩く
 午前中の銀座を歩く

 京橋跡を過ぎるといよいよ銀座に入って来ました。そして中央通りもここからは、銀座通りという風にも呼ばれます。

 今日は貴重なレトロビルを、ゆっくりじっくりと写真に収めようと考え、人や車両の往来がまだ少ない平日朝の時間帯から散歩開始。だから、たくさんの商業施設が集まる銀座とは言え、今はまだ殆どが開店前。街の風景もまだこんな風に静まり返っています。





教文館ビル
 教文館ビル

 銀座1丁目交差点、銀座2丁目交差点と過ぎて来て、銀座通りを歩く事450mほど。銀座3丁目交差点の角、通りの右側に教文館ビルがありました。

 教文館は明治時代に創業された老舗の書店であり、出版社でもあります。その社屋兼店舗として昭和8年に建てられたこのビルディングの設計者は、日本女子大学のチャペルや横浜のエリスマン邸などを始め、日本国内でも数多くの建築物を手掛けたチェコ出身の建築家、アントニン・レーモンド(1888-1976)





和光本店
 和光本店

 教文館ビルのある3丁目交差点を過ぎると、次は銀座の中心地4丁目交差点。そして、銀座と言えば絶対外せないランドマークがここにはあります。銀座の顏と言っても良いその建物は、高級装身具などを中心に扱う百貨店和光本店の、昭和7年竣工になるビルディングとその時計塔。

 元々この建物は、明治の中頃からこの場所で時計販売業を営んでいた服部時計店がルーツで、今ではセイコーグループに発展し、和光もそのグループ企業の一つとなっています。だから屋上に時計塔があるんですね。





銀座ライオンビル
 銀座ライオンビル(登録有形文化財)

 銀座4丁目交差点を通過しておよそ250m。今日最後の、10棟目になるレトロビルに到着です。それは銀座ライオンビル。建物内にはこのワタクシもちょくちょく利用させて頂いている、現存する日本最古のビアホール、ライオン銀座7丁目店が入っています。この建物の始まりは、サッポロビールやアサヒビールの前身である旧大日本麦酒の本社ビルで、昭和9年に竣工しました。そしてその当時からビルディングの1階フロアでは、ビアホールが営業していたんです。

 現在時刻は午前11時30分。まるで時間調整したみたいに(いや、したんデス。)、ちょうど良いタイミングで開店時間になりました。梅雨時のムシムシ陽気で汗もかいたしお腹も減ってきたので、お待ちかね生ビールで昼飲みしながら、そろそろランチにしようかなと思います。
 と、いう訳で中へ。





店内には大壁画が
 店内には大壁画が

 実はこのビルディング、キリスト教の礼拝堂の様な、竣工当時のままのこの建物の内部が、これがまた素晴らしいんです。注文を聞きに来てくれたスタッフの方から、快くご了解を頂いて撮影したのがこの画像。

 バーのキッチンの後方壁面に掲げられているのは縦2.75m、横5.75mものガラスモザイク大壁画。「豊穣と収穫」という内装テーマに基づいて描かれているこの壁画には、ビール大麦を収穫する婦人たちの背景に、東京の恵比寿にその昔あったエビスビールの工場が、まるで隠し絵の様に小さく描かれているんです。探してみるのも面白い。

 その他ビールの泡をイメージして天井から吊られた丸い照明や、画像の左右にも写っている擂り鉢状の噴水などを始め、創建当時から変わらない装飾が、店内を見廻していると他にもたくさん目に飛び込んできます。旨いビールを飲みながらこれ等を眺めていると、いつまで経っても飽きる事がありません。





銀座駅出入口
 銀座駅出入口

 おいしいランチも済ませて満足したし、調子に乗ってビールも沢山飲んでとってもいい気持ちになったので、この辺で早めの帰路につこうと思います。銀座4丁目交差点まで戻って、東京メトロの銀座駅出入口へ。

 今日は朝早くからの散歩開始だったので、家に帰ったらこのまま良い気持ちで昼寝でもしようと思います・・・









★交通 山手・京浜東北・中央各線 神田駅下車
★歩行距離 約 4.0 km



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