堀愼吉資料室 |
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大地に宿る美 南ヨーロッパのラスコーやアルタミラの洞窟から発見された壁画は、いまから一万数千年も前の旧石器時代の人類が描き遺したものとして名高い。壁画には、黒や赤や褐色や黄色や白の顔料で、牛や馬やさまざまな動物たちが生き生きと描きだされている。 この壁画の彩色に使われた顔料は、木炭を除けば、すべて土や岩石を粉にして動物の血や脂あるいは樹脂などと練り合わせたものだ。鉄やマンガンなどをたくさん含んでいる土は、その含有量などによって、黒褐色や朱赤や紫や茶色や黄土などの色をしている。逆に、鉄分やマンガンなどの金属不純物をほとんど含まない土や粘土は、白い色をしている。 私たちが、旧石器人と同じくらい注意深く、身の回りにある土を観察すれば、土が驚くほど多彩な色合いを持っていることに気付くだろう。いま私たちが使っている絵の具も、そのほとんどは地球の大地に含まれている物質を抽出精選、あるいは化学的に合成したものである。大地の中には、あらゆる色彩が隠されているのだ。 大地にはらまれた、この豊かな色彩を、高温の化学反応を利用して引き出したのが「焼きもの(陶磁器)」の世界である。だから、陶磁器をつくることは、物質の高温化学反応を統御する化学なのだという人もいる。 陶磁器の中には、備前焼や信楽焼のように、器体の表面に釉薬(うわぐすり)をかけないで、素地土の持つ色や性質をそのまま生かして焼き締めるものと、唐津や萩焼あるいは青磁や白磁などのように、器体の素地の上に釉薬をかけて焼き、表面をガラス質の皮膜でおおう施釉陶がある。 施釉陶に使われる釉薬は、カオリンや長石などの土石類に、木の灰や石灰、あるいは鉛白やマグネシウムなどを混ぜて作られる。木の灰や石灰などには、カオリンや長石などに多量に含まれている珪酸やアルミナを一定の温度で溶かし、ガラス化する働きがある。釉薬が、このように物質相互の高温反応を利用して作られるように、陶磁器の発色も基本的には素地土や釉薬の中に含まれる物質相互の高温化学反応によるのである。 たとえば、不純物を含まない白い素地土に鉄分を加えて、その含有量の違う粘土を幾種類か作り、透明な釉薬をかけて焼くと、鉄分の含有量や、焼成時の温度や酸素量などの違いによって、青や黄色、オリーブ色、深緑、飴色、朱赤、茶色、褐色、黒色など、さまざまな発色をみせる。 陶磁器で利用される発色元素の代表的なものには、鉄のほかに、クロム、マンガン、コバルト、銅、ニッケルなどがあり、それぞれに多彩な発色が得られる。釉薬や素地土の組成を変化させ、温度や焼き方などを変えれば、ほとんど無限の発色の可能性があるといっても過言ではない。 一方、工業や工芸としての陶磁器を作る仕事には、一定の安定した色調や材質を、平均的に作りだすという必要が生じる。そうした要求から、現代では、陶磁器に利用される材料のほとんどは、化学的に分析され、データ化されている。 青磁や黄瀬戸や萩焼のような既成の陶磁器を作る材料も市販されていて、その材料を利用すれば、そのような焼きものを作ることができる。極端な言い方をすれば、世界中で生みだされた既成の陶磁器のほとんどすべての材質や発色は、化学的には再現可能なのである。 しかし、そうなればなるほど、焼きものは、その母体である大地から限りなく遠ざかっていく。陶磁器の持つ本来の美しさは、大地に宿る未分化なものの不思議な作用からもたらされているからである。 自然界のあらゆる事物は、一個の人間や宇宙そのものと同じ本質から成りたっているから、統御されつくすことなどあり得ない、複雑で有機的な相互作用にみちた総合体なのだ。人間が、自然にはらまれた多面的な働きのなかから、利用価値のある側面をとりだして自在に統御できたからといって、思い上がってはいけない。身の回りにある土くれや小石のように深い美しさを宿し、事物の豊かさの深淵を覗かせてくれる、そういう焼きものに私は逢いたい。 堀 愼吉 初出:山梨日日新聞(1994年11月27日) |