堀愼吉資料室

 風土の背骨

 山梨に移り住んで、ちょうど二十年になる。
 初めは、「丸石神」の取材で、いいところ二、三年のつもりだったのに、ここまで私を魅了したものはいったい何だったのか……。
 自然の美しさは誰もが認めるところだろうから、さておくとして、振り返ってみると、それまでの私の人生では出会うことがなかった、とてつもなく美しく、熱く、不屈なモノや人々との出会いがあった。それらは、この甲州の風土の、汲み尽くせぬほどの奥深さから立ち上がっている。
 まずは、甲州のいたるところに点在する「丸石神」。そして、木喰明満、深沢七郎、中沢厚、中沢新一、網野善彦、山崎方代、保坂耕人……。
 なにも世間に名を知られた、そういう人たちばかりではない。
「だっちもねえ。まだ、お蚕さん、やってるだけ」などとからかわれても、
「いいだ! 人はたいていに生きて、たいていに死ねば、それでいいだ」と言いはなち、終生、かたくなにお蚕とともに生きた村の人。まなこにまるで少年のような底光りを宿した彼が、隣の桑畑に現れるたび、私は密かにこの土地に暮らす至福を思ったのであった。

 いま、山梨県立美術館で、開館二十周年にちなんで、『山梨の現代作家たち』展が開催されている。出品作家の一人からオープニングセレモニーの招待状を受け取った私は、久し振りに美術館を訪れた。ここ数年、現代美術の動向には、ほとんど無関心に過ごしてきた私には、この展覧会に選ばれている十二人の作家の半数以上の人たちの仕事が未知のものだった。
 展覧会場をめぐっていた私は、初めて目にした岩崎永人という作家の仕事に、激しく惹かれるものを感じた。それは、私をこの山梨にとどめてきた、美しいものたちと同種の香気を宿していた。岩崎永人の仕事は、彼の住む富沢町の富士川の岸辺などに流れ着く流木の断片を拾い集めて、彫刻的なトルソに丹念に組み上げた連作と、二メートルを越える細長い画面にレントゲン写真を思わす、人間の骨格を浮かび上がらせたドローイングの連作などであった。この作家が「存在の骨」「風土の骨」「人間の骨」に強い関心を抱きつづけてきたことを思わせた。川岸に流れ着く流木を拾い集めている作家の手つきは、まるで、斎場で肉親の骨を拾っている人の姿を彷彿とさせた。その仕事からは、得体のしれぬ内的エネルギーのようなものが放射されていて、この展覧会のなかでも際立って異質な印象を私は抱いた。
 私からみれば、それは、すぐれた芸術だけが持つ圧倒的な力を備えていた。その力は、作品の様式や意匠からもたらされる、視覚的な物理作用としてではなく、そうしたものの背後に込められた重たい沈黙の固まりのようなものとして、観るものの魂の奥深いところに共鳴してくる性質のものであった。
 山梨が生んだ、すぐれた表現者たちは、わが国の文化を先導してきた知識人エリートたちが通俗と切り捨て見捨てかねない、普通の人々の心性の奥深くにあるものを、丹念に拾い集めながら、そこにある人間普遍の息吹を、愛惜を込めて不屈なものへと鍛え上げている。そこには常に、山梨という風土の背骨(バックボーン)が貫かれているように思う。
 岩崎永人の仕事は、風化した魂のかたちが海辺を埋めつくしているような、イブ・タンギーの仕事や、人間の内的矛盾にゆがみ溶解していくかのような、フランシス・ベーコンの人物像や、アンセルム・キーファーの、人間存在の不条理に向かって重たく沈黙する物質などへと通底していた。またそれは、カンディンスキーやクレーやミロの仕事に宿る、地霊の体熱を孕んだ色彩と、同種の熱をおびていた。
 流木のなかにおもしろい形を見つけて、磨き上げ、床の間に飾ったり、山水や菊花の模様に見える石を河原で拾ってきたり、盆栽を作ったり、という趣味を楽しむ人たちがいる。自然の矮小化とも俗悪趣味とも取れるそうした行為のなかには、実は日本人の心性を流れてきたアニミズムが深く影を落としている。
 岩崎永人の流木のトルソは、そうしたものと、危ういところで交差しながら、日本人の心性の奥深くを流れてきた、このアニミズム本来の力を再生し、森の精霊として復活する。
 「5th.element」と名付けられた近作では、それまでの「ドローイング」シリーズに浮かび上がっていた具体的な人間の骨格は、灰色の厚い壁の中に塗りつぶされている。灰色に塗りつぶされた画面の奥には、言葉や形象を超えた熱い脈動が「底光る知性」となって黙していた。
 表現に真実の体温を通わす力は、ありふれた人間や事物に抱え込まれた深い沈黙の言葉を聴き取ろうとする、切迫した愛惜の力なのである。
                 一九九八年八月  堀 愼吉

                初出:山梨日日新聞(1998年8月27日)

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