堀愼吉資料室

 編集後記

 私達の身辺になに気なくあるものや、日常的な行為には、よくよく考えてみれば、私達自身の「存在の深淵」へとつながっているものが多いようだ。それは、私達自身のなかに身体化して、特に意識化されることもなく、日々のなかで泡のように現れては消え、消えては現れていく。
 例えば、私達が海辺や河原で、いい形の石だといって、無数の石のなかから意味もなく一個の石を拾いあげたりする行為も、そのようなものの一つに数えることができるだろう。
 一見無意味な、こうした事物との出会いは、特定化された価値や意味に従って事物を理解していくという、いわゆる事物に対する一種の知的判断とは対照的なありようともいえる。
 私達は何かをつくるために、自身のなかにある能力や感覚を合目的に従わせ、その成果に人間的価値をみとめる道を歩んできた。それはまた、私達のなかにある感覚を全的に解放し、事物とストレートに出会う経験からしだいに遠ざかる道でもあった。
 縄文土器の不可思議な実在感にくらべて、弥生土器の洗練された形は、たしかに使用目的や目の快感に収斂されている。しかし、その洗練は、すでに、私達自身の生身の肉体のもつドロドロとした未分化の状態にはらまれた触覚値に照応しない。
 現代の科学技術は、人間の能力の合目的な特殊化によってもたらされたものといえるし、音楽とか美術とかいう場合の芸術表現も、聴覚や視覚を特殊化していった一つの結果として私達の前にある。こうした課程のなかで、本来、私達の肉体とともにある感覚は、さまざまな人為的事物へと分節化され、生身の肉体のトータルな感覚から遊離していったのではなかったか。そして、未分化な肉体をかかえこむ私達は、事物との間にはてしない疎外感を抱くことになる。つまり、価値階級化されなかった事物を私達の内部で抹殺しつづけながら、人為的に価値階級化された既成のもの、既知のものをとおしてしか事物とかかわれない不幸な習慣を身につけてしまった。しかし、一個の人間にとって、人生や生活は依然として未知のものでありつづけ、一回限りの、この世との出会いの経験であることに変わりはない。
 私達を「丸石神」調査へかりたてた原動力は、決して過去への挽歌や自然回帰の気持ではなく、私達の未分化の肉体と直結した想像力への関心であった。私達は、「丸石神」のなかに、分節化されないまま身体化した事物のありようをみとめ、そこに事物との全的な感応の回路がかくされているのではないかと考えたのである。「丸石神」は、ただ自然の丸い石であるだけで、事物の意味を特定化することもなく、未知を未知なるままに呼吸し、生活者の無限の想像力とわたりあってきた。
 この「丸石神」の出版を企図し、庶民の日常のなかにある表現や形象にとりわけ強い関心を抱き、そこから表現の意味をあらためて問い直そうとしていた石子順造は、「丸石神」調査の途次、ガンに倒れ、帰らぬ人となってしまった。しかし、生活者の実感を武器に、事物と猥雑にたわむれ合う庶民のエネルギーによってもたらされたものに、未来の可能性をみようとしていた石子が、われわれに残していったものは大きい。
 最後になったが、遺稿の掲載に快く応じて下さった石子夫人、石子の生前から丸石神調査行に同行し、この出版を温かく見守りはげましてくれた画家の鈴木慶則氏・カメラマンの大矢好子氏・造形作家の小池一誠氏・石彫家の杉村 孝氏・富士ゼロックスの石川能久氏、石子の友人として貴重なサジェッションをいただいた日経新聞の青柳潤一氏・画家の谷川晃一氏・造形作家の杉山邦彦氏、遠山カメラマンの助手の篠田君、英文要約をつくってくださった鵜飼ナンシーさんなど、多くの方々のご協力をいただいた。また、「丸石神」という未知数の出版を快諾して下さった木耳社の田中嘉次社長、編集の島 亨氏・稲葉依子さんには多大のお世話をおかけした。
 おかげで、かならずしも石子順造の意にそったできばえとはいかないまでも、とりあえず、丸石神を一冊の本として世に送りだすことができた。これで、生前の石子順造との約束のいくぶんかは、果たすことができたように思う。皆さんどうもありがとう。
            
           一九八〇年五月、生命溢れる季節に
                   丸石神調査グループ編集担当 堀 愼吉


初出:『丸石神--庶民のなかに生きる神のかたち--』(木耳社1980年6月3日発行)


TOP  著述一覧