堀愼吉資料室

いのちのもと

 最近はあまり聞かなくなったが、ひと昔前にはピカソの絵を観て「まるで子どもが描いた絵のようだ」とか「こんな絵なら子どもだって描ける」と、世の大人たちが言うのをよく耳にしたものだ。しかし、子どものように絵を描ける大人がいたら、それはまぎれもなく天才なのである。世の中の既成概念でがんじがらめになってしまった大人に、そんな芸当ができるわけがない。
 子どもの中には、まだ人間社会に適応するための既成概念に侵されない〈いきもの〉としての野放図な感受性と、新鮮ないのちの力が温存されている。子どもたちは、事物を既成概念でなぞる方法のかわりに、事物の本質を直感的に把握して全身全霊で受けとめようとする。そんな子どもたちが描く絵や作るものを見ていると、自分たち大人がいかに既成概念に縛られ、事物の本質から遠ざかっているか、思い知らされる。
 しかし不幸なことに、人間社会が成熟し、複雑になってくると、子どもたちに必要以上に社会への適応能力を強制し、〈いきもの〉として最低限必要な感受性さえ奪ってしまう。
 人類が文明的未開の状態にあったころ、人間は、手に負えぬ荒々しい自然、文字通り野放図な自然にとり囲まれていた。こうした自然と共生していくために、人間には自然に対峙するパワーと感受力が必要であった。と同時に、彼らは超越的なものの存在を常に意識していた。文明が進み、人間化され飼いならされた自然に囲まれるようになってくると、そうした意識は次第に薄れ、自然がもともと抱え込んでいる手に負えないような実存の力を、人間は忘れてしまうことになる。
 しかし、いくら人間が自然を甘くみて、そのなかのうまい汁だけを吸ってやろうと考えても、人間をとりまく自然も、人間の内なる自然の本質も、それほどなまやさしいものではない。その意味では、未開の人々の直感のほうが正しいのである。子どもたちの登校拒否や家庭内暴力、あるいは人類の滅亡を予感さすような地球環境の危機的状況などになって、自然は人間の思いあがりに復讐してくる。
 わが国でも、経済的価値観が人々を一様に支配するまでは、もう少し実存的価値観が多様に息づいていたような気がする。たとえば、現代のように山村での暮らしが成り立ち難くなる前は、子どもや心身にハンディキャップ持つ者、どこからか流れついてきた異形のものも、村の中では神として遇されていた。村人にとって、自然がみせる異形のものはすべて神だったのである。人々は、その異形を通して生命の不思議と多様な奥行きを感得しながら、自らの苦難を超える力と英知を育んでいった。
 人類の歴史をみても、既成の価値観からはみ出したものの悲鳴が、常に私たちの実存の本質を呼び覚ます力となり、次の時代を準備した。たぶん、いまもまた、人生や時代や社会に深く傷ついた人、心身にハンディキャップを持った人、大人たちの既成概念の暴力に悲鳴をあげる子どもたち、そのように自分の手におえないものの力を否応なく自覚させられた人々の魂の中に、次の時代を生きる道を示す〈光の種〉がはらまれているような気がする。
 私は、土曜日の午後、村の子どもたちと友だちになって、粘土遊びをすることにしている。幸いなことに、私の住んでいる村にはまだ、子どもたちが自らの生命力を育むに足る環境が残されている。私が子どもだったころと同じように、自然の中を歓声をあげて、少々の危険などものともせずに走り回っている子どもたちの姿がある。その子どもたちの中には、私の想像を絶するものが孕まれていて、私がなくしたものを教えてくれる。
 その中の一人、あきちゃんは、ある日突然、彼が実際に見たこともない縄文の土偶と同じ特徴をもった顔を次々と作って、私を驚かした。数日後、土偶が一千体以上も一度に掘り出された近くの釈迦堂遺跡博物館を見学に行って「これは縄文時代の人たちがつくった〈いのちのもと〉なのだよ」と言うと、自分が作ったものと同じ顔に出会ったあきちゃんは、興奮して「ウォー、ウォー」と獣のような声をあげて博物館の中を走り回った。たぶん、子どもたちのいのちの中には、大人の衰弱した五感など遠くおよばない何千年、何万年の遺伝子の営みの記憶が消されないまま息づいているのだろう。
 私は、そんな子どもたちから元気の素をもらう。そして、何千年、何万年のいのちの眠る土地を見境もなくブルドーザーでかきむしり、殺してしまう人間の不幸に歯ぎしりしながら、いつか自分の微温的な作品に〈土の魂の輝き〉が宿らないかと祈るのである。
                 1992年6月12日 堀 愼吉
初出: 絵本ジャーナル「PeeBoo10」(ブックローン出版1992年7月31日発行)


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