堀愼吉資料室

丸石神

 今から八年ほど前、友人がみせてくれた、数十枚の丸石神の写真が、私と丸石神との最初の出会いだった。
 友人の説明で、それが山梨の各地に祀られた道祖神であることをその時知った。
 それがきっかけとなって、その後、自分が山梨に移り住むことになろうとは思ってもいなかった。
 あるものを見て、なにげなく「いいかたちだなあ」と人が言うものがある。友人はその言葉にかくされたものに強い興味を抱いていた。神としてひとが祀った自然の丸石に、その言葉にかくされたものを説く鍵があるのではないかと、友人は考えていたようである。
 何故人が、神として自然の丸石を選んだかという謎を解かぬまま、それから二年ほどして友人はガンでこの世を去ってしまった。
 その後、友人の仲間達と共に、丸石神の調査にたずさわるようになった私は、従来の文化的まなざしではとらえられない要素が、山梨の風土にはあるのではないかと思うようになった。
 古くから紀州など日本の各地では、何らかの神の依代として丸石を祀った痕跡が認められる。しかし、これほど多くの丸石を、道祖神や屋敷神に今なお祀る習俗は、山梨をおいて他にはみられない。
 神は、もともと人間の意識化を超えた存在であると考えるなら、神は人間によってどんな形にも言葉にも表わし得ないものである。言葉や形に造られた神は、所詮神らしきもの(神らしきものに傍点)であって、あくまで人間が意識化できた範囲の神のかたちである。国宝や重要文化財に指定された仏像も、そうした神のかたちの一つである。
 人間の文化というものを、人間の意識化の軌跡ととらえる文化観からみれば、神に見立てられた自然の丸石には、なんの文化的価値もないのかもしれない。
 しかし、人間の意識化の彼方に、神が永遠にありつづけるものなら、自然の丸石は人間によって意識化することのできない、この世で名付けることのできないあらゆる目にみえぬもの、言葉にならぬものの容器となって、人間の想像力を超えた、宇宙そのもののような無限の拡がりをみせはじめる。
 自然の丸石を神の依代とする習俗は、縄文時代にさかのぼるものと推定される。後代、人々によって意識化された神々が、人の世を支配する権力の道具となっていったことを考えれば、自然の丸石を人間の欲望と神の間に選び置いた縄文人は、神の何たるかを知る叡智の持主だったといえよう。
 道祖神や屋敷神として、この地で営々と祀られ、また、未だに山梨の土の下から掘りだされることもある見事な丸石神は、どんな神のかたちよりも美しく、尊いと私は思うのである。

             堀 愼吉 初出:山梨日日新聞(1982年4月1日)
 

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