堀愼吉資料室

 丸石神をめぐって

 丸石神は、山梨県下では庶民の日常に空気のように同化して、道祖神や屋敷神の神体石として累々と祀られている。また、山梨周辺の県をはじめ、枯木灘や九州、四国など全国各地に丸石を祀った習俗の集中的残存がみとめられる。
 柳田國男の日本民俗学が「石神問答」から出発し、折口信夫にも「漂着石神論計画」という壮大な石神研究の企画があったことを思えば、丸石神が特別な関心を持たれることもなく、現在まで道祖神の一形態として見過ごされてきたのは、いかにも奇異なことに思える。これは、学問の現状からみて、丸石神が単に自然の丸石というだけで、意味や象徴性をつきぬけたもの(ものに傍点)であり、情報処理不能の対象であることに起因しているのかもしれない。
 人間と人間をとりまく事象は、意識化されることによってはじめて価値体系として普遍化されるという近代以来の文化観からみれば、丸石神は、たしかにそうした意識化作用から逸脱していく構造をそなえている。
 私たちの丸石神調査のきっかけとなった、故石子順造の丸石神に対する独特な関心のありようも、実は丸石神のそうした性質と無縁ではない。彼は既成の文化に組み込まれなかった領域=非文化の領域に着目し、そこから我々の知覚の構造や存在のトータリティを逆透視し、意識化され、制度化された文化の背面に広がる、あるがままの存在世界を浮き彫りにすることをこころみようとしていた。
 丸石神調査は、石子亡きあと、山梨県で石神を中心に四〇年にわたる民俗調査を続けてきた中沢厚と、その研究をベースに、石子と丸石神調査行を共にしていた彫刻家の小島福次、気鋭の宗教人類学徒中沢新一、カメラマンの遠山孝之、編集を受け持った私というメンバーによって行われた。このたびその成果を「丸石神」という一冊にまとめ木耳社から刊行することができた。丸石神は、我々庶民の感受性の源泉を示唆するとともに、既成の文化への再考をうながす契機をはらんだ神でもある。

          堀 愼吉 初出:朝日新聞夕刊(1980年6月10日)

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