堀愼吉資料室 |
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資本主義的強者の論理 --実作者として東野芳明氏に問う-- 針生一郎氏が本誌三月二十一日号に寄せた東野芳明批判は、東野芳明氏の体質と、わが国の美術界に偏在してきた問題の本質を鋭くえぐるものであった。 針生氏の批判に対する東野氏からの反論らしきものはいまだ目にしていないが、針生氏が「一種新しい形のファッショにつながる」と指摘したことを、東野氏が無視してやり過ごすようなことがあれば、それこそ、新しいファシズムのあり様として東野氏の今後を注目していく必要がありはしないか。 針生氏が指摘した東野氏の二つの文章(※文末註)については私も読む機会があって、針生氏の原稿が掲載される以前に、わたしもその感想を寄せた一人である。針生氏の文章でほぼ問題の本質は語られているので、いささか後追いの感もなくはないが、六〇年代の美術活動に実作を通してかかわった者の立場からの発言として、その時の感想文をあらためて本誌で紹介していただくことになった。 ------------------------------------------------------------ 実作者の立場としていうなら、才能のあるなしにかかわらず、六〇年代に正面から美術の現場に向き合ったことのある作家なら、東野芳明氏の二つの文章に接したとき、奇妙なうそ寒い思いを抱くのではなかろうか。あまつさえ「現代美術に寄り添ってきてよかったな、と思うのである」などと、ぬけぬけと言われると、何をほざくかと思いたくもなろうというものである。 とりあえず、現代美術の世界だけに限って六〇年代にあったことを振り返ってみると、すでに末路にあった文明的美術史観、もっと限定していえば、セザンヌ以後明確化されてきた近代美術のコンテクストを、進歩的な美術批評家や美術家が、寄ってたかって四方八方からたたき殺そうとした。それが六〇年代の大方の現代美術の現場だったのではなかっただろうか。 しかし、不幸なことに、というか、迂闊にもというか、たたき殺す武器となったのが、これまた進化論的美術史観というパラドキシカルなものであったがために、美術家は自己の存立基盤も同時に殺してしまう羽目になってしまった。 美術批評家にとっては、そのとき空無化されたのは思想そのものではなく、単なる言葉=言説であったという言い逃れもできたかもしれないが、視覚言語そのものを空無化してしまった美術家のほうは無残であった。墜落を自己実演して、六〇年代美術に名をとどめたのはイブ・クラインだったが、大方の進歩的美術家は、六〇年代が終わると共に無残な墜落によって否応なく責任を取らされたのではなかったか。 東野芳明氏は、六〇年代の現代美術とともに墜落もしないで「現代美術に寄り添ってきてよかった」などと言いながら、いまだに羽ばたいていらっしゃるが、それこそ貴方の嫌う画壇の事大主義、権威主義が、現代美術の名を借りて言わしめているのではあるまいか。 美術批評家というものは、どんな軽業のような「芸」をお持ちになっているかと思ってしまう。もしかして、それは、ドジでアホな美術家が「目をみはる物質的想像力がある」などと言ってくれる誰かに釣り上げてもらおうと、地面をはいずり回っているのを、高みから眺めながら、日本画壇には現代美術を、芸には芸術を、いまの芸術状況(純粋美術?)にはサブ・カルチャーを、サブカルチャーには斉藤義重氏?を、相対化してみせるという「芸」のなせる技なのかと考えてみる。しかし、東野芳明氏の六〇年代におけるアメリカ現代美術は、はたして何を相対化してみせたのだろう。朝日紙上の斉藤義重氏によって相対化されたのは、はたしてサブ・カルチャーや日本の画壇なのだろうか。これらは実は、東野芳明氏の絶対化と新たな階級化の表れにほかならないのではないかという疑問が沸いてくる。 そうだとすれば、明治・大正の洋行帰りの画家たちが、ヨーロッパの絵画やフランス近代美術をつまみ食いして、それを錦の御旗に日本の洋画壇の権威となっていったことと本質的にどこがちがうというのだろう。 もし、そうでないとすれば、アメリカ現代美術をふりかざして「新しさ」を売りものにしてきた東野芳明氏にかぎって「現代美術に寄りそって……」などと能天気なことが言えるはずがないと思うのである。 『「美術」のいま』を読むと、「某氏が批評家の変節を攻撃している」とある。しかし、私などからみれば、本当に変節してくれているならむしろ幸いだと思う。しかし、六〇年代を境に転向し、変節せざるを得なかったのは進歩的美術家のほうで、「新しさ」が「いま」と多少ニュアンスは変わっても、言説を弄しながら、自己の権威の永続化のための、あらたなつまみ食いが始まっているだけではないかと恐れるのである。 六〇年代の大波の去った後、美術大学の教授や西武企業戦略のお先棒かつぎや、美術批評家連盟の会長におさまりながら、安全地帯から資本主義的強者の論理に乗っかって、持って回ったレトリックの背後に自分の正体を隠すことに汲々としているような美術批評家の書いているものほど、シラケさせられるものはない。頑迷な通説や俗説には、意外に真実がかくされているということを、この際よく考えてみたいものだ。 ※『美術の"いま"』(東京国立近代美術館ニュース「現代の眼」1984年12月号)と『芸と美』(朝日新聞1月22日夕刊文化欄) 堀 愼吉 初出:新美術新聞(1985年6月1日) |