堀愼吉資料室 |
|
下山大工とその彫刻 今回の「大工彫刻」展に出品されている装飾彫刻のほとんどは、甲州下山大工(現在の山梨県南巨摩郡身延町下山)の手で彫られたものである。 展示作品の主体となっているのは、旧長谷寺(身延町下山)の格天井を飾っていた天井花(→見返し)だが、十九世紀初頭(一八〇四-一〇年=文化一-七年)のものである。 掲載誌見返し これは、この時代には全国各地の神社建築に一般的に行きわたっていた、近世装飾彫刻の傾向を示す一作例に過ぎず、特に、その独自性や特殊性を云々する性質のものではない。 ただ、この時期の近世寺院建築は、十八世紀の前期、八代将軍吉宗によって、幕府の霊廟建築の新造が停止された以後のものであり、幕府の宗教政策の重点も神道から仏教へと移行した後のものである。 このことを考えれば、そうした影響が、この時期の堂宇建築にどのようにあらわれているかを見る上で、参考になるものを含んでいる。 その影響を見ていく上では、近世建築の場合、建築構造の全体的変化を追うより、むしろ、細部の装飾彫刻のモチーフの消長や推移を検討する方が、手がかりになる。 その場合、大きく分けると三つの観点があるのではないかと思われる。 その一つは、近世寺社霊廟建築などの装飾性を最も強く推進した紀州系大工の鶴、平内家などが、特に中国の古代思想である道教や儒教から拾いあげて来た各種図像モチーフや自然物の形象の消長。もう一つは、近世堂宇(寺院)建築の装飾として新たに位置づけられた仏教的図像モチーフ。いま一つは、各地の地方大工たちにとっての身辺から拾いあげられた図像モチーフ。これら三点を通して、近世中期以後の寺院建築にみられる輻輳した性格をみていくことができるのではないかと思われる。 こうした視点で、下山大工のこの時期の装飾彫刻を見ていくと、例えば長谷寺の格天井の天井花には、その三つの性格が自在に混淆している。 鳳凰や海馬、あるいは鹿やリスやウグイスなどの、現実の生きものと超現実の生きものがないまぜられた、近世装飾彫刻の特色ある流れを強く引いたモチーフ。松や紅葉やぶどうや竹や水仙、それに雲や浪など、中世末から近世初頭にかけて、すでに確立し、それ以後継承され続けてきた草木や自然の形象が、ここにも、そのまま引き継がれている。しかし、一方で、竹林の七賢や桃源仙人あるいは古代中国の聖賢像など、豊国廟や東照宮を飾った中国古代思想から引用された人物像は見当たらない。当初、儒教や道教などに触発されて生まれた形象のなかから、思想的な意味が薄れて、日本的に換骨奪胎された成果と見るべきなのだろうか。 また、この天井花のなかには、いくつかの倒蓮華がある。倒蓮華は、中国龍門窟の天井に彫られた巨大な倒蓮華をはじめ、わが国では東大寺三月堂(七四七年=天平十九年頃)の折り上げ天井などに初出例がみとめられる。蓮華文そのものは、特に奈良時代の瓦などの装飾として使われ、その後も瓦の文様としてわが国でも一般化している。しかし、古代から近世にかけて、寺院建築の天井を飾る文様として、どのような展開をしてきたのか、私はその実際を知らない。だが、下山大工の近世中期以後の寺院建築を眺めたとき、その装飾要素として、格天井を飾る倒蓮華(彫刻にも彩画にも共通)が大きな特色の一つになっていることは確かだ。 長谷寺に限らず、大聖寺(南巨摩郡中富町)や慈観寺(西八代群下部町)など、下山大工の近世中期以後の遺構に多く認められる。 なかでも、大聖寺の格天井一面にはめ込まれた倒蓮華は、倒蓮華の近世的意匠を見せていておもしろい。倒蓮華の一つ一つに自在なデザインが加えられ、通常の蓮華文とはかけはなれた新しい意匠となっている。花の花弁を横から見た形と上から見た形を一体化したもの、あるいは裏から見たものと表から見たものとを一体化、月や富士や他の草花と一体化したものなど、多面的で自在なキュービックな視線がある。蓮華文というより、蓮華文にことよせた、まったく別種の意匠といってもよいだろう。しかも、その蓮華文彫刻のバックになる天井板と格子は黒塗りで、霊廟建築の色彩を引き継いでいる。こうした混淆が実におもしろいのである。これは近世建築の性格にある共通したおもしろさで、自由に種々なモチーフを展開していく点や、例えば蟇股のように、一定の構造の枠組のなかで種々な技法や意匠をこらしていくうちに、蟇股の構造的枠組が解体してしまうなどという面にもよくあらわれている。 多分、近世建築のなかには、イメージや想像力が自然に自己増殖されていく根があるのだろう。また、一方では、木鼻の龍や獅子頭などでよく見られるが、やたら細部の技巧にこった、一種のスーパーリアリズムで、見るものの想像力を抹殺してしまう傾向もある。しかし、これはこれで、「見てきたような嘘」の迫力がないともいえない。 蓮華文のことにもどれば、この倒蓮華が下山大工の創意になるものか、他に雛形として、すでに流布されていたものか、比較検討するだけの材料を持っていない私には、わからないが関心のひかれるところである。 長谷寺の天井花の裏には一つ一つに寄進者の名前が墨書きされているが、別の寺院の天井には明らかに寄進者一人一人が描いたと思われる、いかにも泥くさく稚拙な大根や菜葉や草花や生きものの花鳥風月がはめこまれていた。近世大工彫刻の世界は、わずかにのぞき見するだけでも、まことに、アジア的、日本的混沌の道しるべである。 堀 愼吉 初出:大工彫刻(INAXブックレット1986年9月3日発行) |