堀愼吉資料室 |
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創造の原理の天才=水野政雄 もうずいぶん昔のことである。 東京から仕事に疲れて帰ってきた私をつかまえて、妻はひとりで興奮していた。 「今日、テレビですごい人を見た。番組の初めから見なかったので、名前もわからないけど、こんなものをつくったのよ」 と言いながら、紙で見よう見まねの〈シャクトリ虫〉と〈ガイコツ〉をつくってみせた。 〈シャクトリ虫〉は伸びたり縮んだりしながら、シャクトリ虫以外のなにものでもないような動きで、テーブルの上を這った。〈ガイコツ〉は頭を持って振ると、カラカラとかわいた音が聞こえてくるように踊った。 かいま見た番組によほど感動したのか、妻はしばらくの間「あの人に一度 会ってみたい」と言い続けた。 それから何年かたって、私たちは知り合ったばかりの土取利行(パーカッショニスト)桃山晴衣(わが国の民俗古謡の実践的研究者)夫妻のアトリエで行われた『奥美濃伝でん話』の公演を観に、郡上八幡を訪れた。舞台の背後の壁には、土俗的香りの強い個性的な数点の油絵が飾られていた。土取氏から、郡上に水野政雄という秀れた美術家がいて、舞台づくりに協力してもらっているという話を聞いていた私は、その油絵は多分、水野さんという人のものではないかと思った。 その夜の舞台が跳ねて、観客もあらかた帰ってしまった広場の薄暗い片隅に、一人、舞台の後ろに飾られた絵を見上げている人がいた。土取氏の言っていた水野さんではないかと、私は声をかけた。それが私たちと水野政雄さんの最初の出逢いであった。 水野さんは、もうすっかり夜も更けていたのに、初対面の私たちを私邸に誘ってくれた。応接間に招じ入れられた瞬間、飾り棚に目を止めた妻は「アッ、〈ガイコツ〉の人だ!」と興奮して叫び、やにわに〈シャクトリ虫〉をつくって、 「これを考えたのは水野さんでしょう。テレビで見て感動しました。こんなふうにお逢いできるなんて……」と、思いがけぬ出逢いに驚喜したのだった。 それから水野さんは、時のたつのを忘れたように、色紙でいろんなものをつくって私たちに見せてくれた。〈バッタ〉〈はばたくチョウチョ〉〈魚のモビール〉〈歩く犬〉〈さえずる小鳥〉……、子供のように目を輝かせた水野さんの手から次々と生み出されていくものを、私は息を呑んで眺めていた。色紙がまるで生き物のように水野さんの手によって変身していったのである。それは、単なる思いつきの色紙折りや、技巧的な紙のつくり物の世界では決してなかった。創造そのものの行為であり、造形の根源から汲みだされた、つきることのない発想の、目の覚めるような展開であった。自然や事物への深い観察と愛着によって獲得された、事物の本質をよみがえらせる力が、何でもない一枚の紙をとおして現出しているのだった。 私の前で無心に紙を折って見せてくれている人は、まさしく創造と造形の原理に通暁した一人の天才であった。 友人に絵本作家として国際的に知られた、田島征三という画家がいる。彼は、子供の世界にかかわった仕事は、たとえそれがどんなに創造的でも、わが国の文化の世界では正当に評価をされない風潮があると、ことあるごとに嘆き憤っている。純粋美術や純文学などと呼ばれるジャンルでは、くだらない非創造的な仕事でも、なんとなく文化的に価値があるような顔をして、イキがっている人の多いことを私も知っている。 しかし、本物の創造者や芸術家を、いま子供の世界こそ必要としているのではないか。文部省や多くの親たちは、何とかして画一的な人間に子供たちを育てようと躍起になっている。それが、子供たちに幸せな人生を約束すると言いながら、不幸な大人たちが寄ってたかって大人の鋳型のなかに子供の可能性を封じ込めようというのだ。だが、本当に幸せで、本当に創造的な大人というのは、水野さんのような人をいうのではないだろうか。 この世界の不思議と豊かさに、いつまでも好奇心を失わず、想像力をかきたてることのできる水野さんのような大人が一人でも多くいる世の中こそ、本当に豊かで、未来に希望を持てる世界であることに気がつかない。既成の世界に何一つ疑いを持てないような大人たちが、子供から夢や好奇心や疑問や想像力や自然を奪ってしまうような国に、本当の未来はないのである。何が本当に子供たちに大切なことか、私たちが何を勘違いしてしまっているのか、水野さんの仕事は、強烈に私たちに問いかけてくる。 郡上八幡から帰った私たちは、水野さんから教わった「紙の半分が重り、半分が羽」という紙ヒコーキの原理を応用して、飛べない豚や亀を空に飛ばそうと、夜を徹して熱中した。夜が白みはじめてようやく、耳を折り、尻尾を巻いた豚が飛行したとき、私たちの未来にも明るいものが差し込んでくるように思えた。 〈水野政雄の世界〉に一人でも多くの人が出逢い、創造の秘密と豊かさに触れてくれることを、私は心から願っている。 一九九一年六月二十二日 堀 愼吉 初出:水野政雄の遊びの世界(サンリオ1991年8月31日発行) |