公益財団法人 信濃育英会
理事長 竹内 友次郎
より良い学生寮をめざして
昭和22年(1947年)「財団法人信濃育英会」として創設されて以来「公益財団法人信濃育英会」は本年で70有余年になります。我が信濃育英会は、今後とも、30年後、50年後に向かって「国家社会に貢献する有用な人材を育成する」という理念を掲げて1.「学生寮の運営事業」2.「奨学給付事業」3.「留学生との交流事業」の三つの事業の適切な運営と、更なる時代の変化に対応した改革を進めてまいります。
近々の取り組み目標と課題として「寮運営事業」では
①長期修繕計画に基づく、建物・施設の改修及び維持管理を実施する。
②寮生自治会の自主的な活動の指導及び支援をする。
③事業資金の管理及び運用の検討をする。
④防災・消防対策の推進「防災消防マニュアル」の更新と備蓄品の
維持管理を計画的に実施する。
⑤新型コロナウイルス感染症対策「新型コロナウイルス感染防止マニュ
アル」に基づき、寮内の感染防止対策を徹底する。
「奨学金給付事業」では、表彰対象を個人からグループへ順次移行さ
せ、あらゆる分野の社会貢献活動をしている該当者の発掘に努める。
「交流事業」では、従来通りの単なる相互理解を深める交流旅行の
可否を含め、実施内容及び企画等を再検討する。
引き続き、緊張感を持って各事業に取り組んでまいります。
今や学生を取り巻く環境は激変し学生気質も変化しているようですが、多数の学生に安心・安全な生活の場を提供し、寮生に「信濃学寮に入って良かった」と思ってもらえるよう、より良い学生寮を目指します。「公益財団法人信濃育英会」は公益法人としての責務を果たすべく、今後とも努力を重ねてまいります。
従来と変わらぬ、ご支援とご協力を宜しくお願い申し上げます。
令和4年6月
歴史とあゆみ
明治41(1908)年 | 長野県出身の陸軍将校の懇親、後進の育成を目的とした信星会が誕生。 戸田子爵邸に信星館を建築。 |
昭和4(1929)年 | 名称を信武会に改称。 |
昭和8(1933)年 | 陸軍の永田鉄山氏、片倉製糸株式会社社長今井互介氏ほか諸先輩のご協力により、陸海軍将校を志望する後進の育成を目的に、
東京都杉並区に土地を購入して、木造2階建の信武寮を建築。 多くの陸海軍将校志望者が起居を共にし巣立つ。 |
昭和22(1947)年 | 戦後に解散した信武会の全財産を承継して、主に長野県出身の在京大学生の育成を目的とした財団法人信濃育英会設立。 信武寮は信濃学寮として再出発。 |
昭和31(1956)年 | 兄弟寮として小平寮を建築。 |
昭和49(1964)年 | 信濃学寮を鉄筋コンクリート造2階建に改築。 |
昭和56(1981)年 | 小平寮廃寮。 |
平成3(1991)年 | 信濃学寮を地下1階・地上3階、全室個室・各室冷暖房等完備の近代的な寮に改築。 |
平成7(1995)年 | 「明るい社会に貢献する学生の奨学制度」と「寮生とアジアからの留学生との交流事業」を実施。 |
平成23(2011)年 | 1月4日、新たに公益財団法人 信濃育英会として発足。 |
組織・役員
|役 員| | 理事長 | 竹内 友次郎 | |評議員| | 評議員 | 伊藤 洋二 |
常務理事 | 上條 弘人 | 同 | 巣山 牧雄 | ||
同 | 久保田 宗貴 | 同 | 友廣 清志 | ||
理事 | 縣 忠明 | 同 | 樋口 和宏 | ||
同 | 市川 孝一 | 同 | 松島 孝雄 | ||
同 | 鷹野 邦人 | 同 | 宮地 晶彦 | ||
同 | 降旗 亨 | 同 | 森村 たまき | ||
監事 | 木村 武夫 | 同 | 依田 泰行 | ||
同 | 髙野 真弓 | (五十音順) 〈令和3年6月1日現在〉 |
概要
理 事 長 | 竹内友次郎 |
設 立 年 | 昭和22(1947)年10月23日 |
所 在 地 | 〒166-0003 東京都杉並区高円寺南3-5-10 |
TEL・FAX | TEL:03-3315-0007 FAX:03-5377-4011 |
メール | info@shinanoikueikai.jp |