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【アニメ】「巌窟王」の感想(第十九幕〜第二十四幕)

第十九幕から最終幕までの感想文。最終話のネタバレもあります。深読み解釈については、こういう風に見る人もいるんだなってなかんじで、生暖かく見ていただければ幸いです。


第十九幕第二十幕第二十一幕第二十二幕第二十三幕第二十四幕


【2005/2/22】

第十九幕『たとえ、僕が僕でなくなったとしても』

いつか風になる日

<あらすじ>
アルベールは、母メルセデスの制止も聞かず、自暴自棄な気持ちのままパリ郊外を目指すが、彼を待っていたのは、門番達による冷たい仕打ちだった。
一方、株価の大暴落で破産寸前となったダングラール男爵は、起死回生の手段としてカバルカンティ公爵とユージェニーの結婚を急がせるが……。


さて、何から話しましょうか、と思うぐらい、幕の内弁当でした!
それにしても、(色々な意味で)やっちゃったやっちゃったよ、カバルカンティ! おイタが過ぎますよ!! ほんと素晴らしい狂犬っぷりだったっ。
ダングラール頑張れ。ユージェニーも頑張れ。フェルナンも頑張れ。メルセデスも頑張れ。アルベールは超頑張れ!
それから……フランツはやっぱりもう帰っては来ないのかな。彼については、前回からいろいろあるんですけど、うまくまとまらない……ともかくヤツはよく戦った。自己保身を捨てられるほどの想いと、それからエゴも含めてね。

あ、そういえばルノー。いたね! あいつイイヤツだったな。良かった。出番あって良かった……よがっだ……。アルベールは友達に恵まれているな!
あと伯爵だよ、伯爵。着々と復讐計画進めてらっしゃるるのは、いいんですけどね。あの人ヤバイよ、マジヤバイよ。「エイリアン3」エンドとか、「たった一つの冴えたやり方」エンド[※注1]だったらどうしよう……うおぉおぉぁぉお(苦悩)

それから、そのぉ……エドモンはいつ出ますかね? 伯爵は「アイドル」だけど、エドモンは「気になるアイツ」ってかんじで……すごい気になる。トキメキを感じる!
まあ、私のトキメキは置いておくとしても、伯爵の“人となり”を知るには、エドモンが出てこないと話にならんと思うんです。
原作既読者はいいんですよ、伯爵の過去が大体推測できますから……。でもアニメだけを見ている人には、伯爵って本当に何考えてるんだか解らない、ただの寄生虫(=巌窟王)を飼ってるオヤジになっちまうのではないか、とか……それだけを私は恐れるのです。

まぁ、さらに言うなら、私は寄生虫こと「巌窟王」もまた、いわゆるただの「悪役」では終わらない、終わってほしくないよなあと、密かに思っていたり……する……んだけど、これについてはもう少し先までストーリーが進んでから言及しようと思ってるですよ。

それにしても、このアニメについては(特に前回からは)、あまりキャラクターに感情移入してしまうと全体が見られなくなるような気がして、「ちょっと距離を置いて眺めたほうがいいのかなあ」、という気になってきました。
キャラにがっちりくっついて見るのは、凄く楽しい。むしろそれが正しい見方、って気もするんだけども、このアニメ「巌窟王」については、原作から離れつつあるところなども含めて、ストーリーを注目したいと思うのです。
……それともこれは、ただの自己防衛なのか?

巌窟王のキャラクターはみんな好きだから、本当はみんな幸せになってもらいたい。でも、おそらくそうはならない……なぜなら、世の中の残酷な一面として「誰かの幸せは、誰かの不幸の上に成り立っている」ってのがあって、「巌窟王」はまさにそこのところを描こうとしていると思えるから。
だとすると、キャラクターに接近しすぎることは、凄くキケンなことなんじゃないかって思うんだな。後で痛い目に合うんじゃないかってね……。

とにかく続きが気になる! 星五つ★★★★★。


[※注1]
ええ……簡単に言うと「伯爵が巌窟王もろとも自爆!」という終わり方のことです。


【2005/2/23】追記
<人間性なるもの>

さて、他サイトさんの感想などを拝見したりしますと、原作からストーリーがズレてきていることへの不安のようなものがあったりなんかしまして。
……ふむ。私はむしろ、今までがあまりに原作に忠実だったので、「えっ、あのまんまやるの? いいけど、でももっとチャレンジしても良いのでは?」とか思っていたのです。
なので、ここ数幕の展開でかなり「オラ、ワクワクしてきたぞ!」というかんじだったんですが。あれ、いいのかな……私、大丈夫かな。

そもそもテレビアニメで、アルベール主人公で、SFで、しかもあの「虎よ、虎よ!」が下敷きで……ってことになると、どう転んでも原作通りにはいかん――と思う――ような気がするんだ……するんですよ。
何だろう。何がこう、しっくりいかないところなんだろう。それはたぶん、というかほぼ確実に、伯爵のせいなんだろうなぁ。

この先の展開を考えるとすると、一番考えられるのは、伯爵は復讐を終えて、ちょっと後悔もしたりしつつ、「人間性を取り戻す」っていう展開。……原作まんまの展開ですが。
ただアニメの場合、原作にいなかったヤツ「巌窟王」がいる。これがなかなか厄介だ。タイトルにもなってるしな。この先の展開がいまいち読めないのは、コヤツのせいなのだ。

ひょっとすると(ひょっとすると、ですよ)伯爵は、巌窟王と“契約”あるいは“共生”をすることを選んだ際に、本当に「人間やめてる」んじゃなかろうか。
体が“物理的”に結晶化してしまっているのに、元に戻ることなど出来るのだろうか? 片道切符で「人間やめてる人」が「人間性を取り戻す」ことなんて可能なのか?

ああこりゃ困った! 私が「最後までついていく!」と思っていたキャラクターは、実は最初から……というより話が始まるずっと前から、彼岸に行ってしまっていたんじゃなかろうか。うわー、なんてこった

伯爵の体が結晶化するってことは、全ての変化を拒絶するってことであって、つまりそれって死ぬってことと同じじゃないの? ってことになるわけで。
つまり、伯爵にとって唯一の「“人間性”の回復」手段が、(非常に逆説的ではあるけれども)「これ以上、人として生きることを拒否すること」なんだとするならば、あー、なんだかとてもいたたまれない気持ちに……なってきましたよ。

【2005/3/2】

第二十幕『さよなら、ユージェニー』

卒業

<あらすじ>
ついに行われることになった、ユージェニーとカバルカンティの結婚調印式。なんとか阻止しようとするアルベールが取った方法とは?


王道、実に王道。映画『卒業』まんまじゃん……、と言うならば言え! ここに来て王道ができるのは、今までの積み重ねがあるからですよ!

姉:(ユージェニーとカバの調印式シーンを見つつ)「なあ、あの正面のガラス窓からアルベールが腕をクロスさせて突入して来ないかな? ガシャーン!! って」
弟:「やるね。むしろやつがやらないなら、俺がやる

……まあ、そんなシーンは無かったわけですけども。
見どころ、つっこみどころも盛り盛りもり沢山! とりあえず、アルベールの女装は似合って無くて、ちょっとホっとした。
あとはアンドレア・カヴァルカンティの入浴シーンね。薔薇風呂に入ってるのはいいとして(彼ならやりかねない)、その薔薇の花の意図的な配置が何ともいえなかった!

そしてラスト。もー胸がいっぱいになりました。 フラーンツ!!

で……伯爵様なんですが……。も、もういい。こうなったら「とことん行け!」ってことですよ。「行けばわかるさ!」ってことですよ!
うう。なんか遺言めいたこと言ってなかったかあの人……来週の予告では、シレッとダングラ男爵の隣に座っておられたりするあたり、大活躍の予感を抱きつつ、あと四話しかないんだなぁと思うと、悲喜こもごもです。

短めですが、星五つで★★★★★。

【2005/3/8】

第二十一幕『貴公子の正体』

Revenge is a dish best served cold.

<あらすじ>
ついに伯爵の復讐は、最終局面を迎えた。追い詰められるダングラール男爵と、ヴィルフォール主席判事。
一方、一発逆転を狙ったモルセール将軍が深宇宙から帰還する中、アルベールは伯爵と再び相対することになる。


さて、皆さん。ついにエドモンが、あのエドモン・ダンテスがしゃべりました! 伯爵声そのままで……。いや、「同一人物なんだから同じ声の人があてるのは当然でしょ」ってな話ですが、当事(推定)二十歳のエドモンがあの声なんて、あの声……あの子……ヒョ!! ERO……そりゃメルセデスも落ちますよ! (ごめん、ちょっと熱冷ましてくる)

……さて。今幕はいつにもまして中身の詰まった回でありました。ダングラール編と、ヴィルフォール編のニ回に分けても良かったんじゃなーい? という気もしないでもなかったですけども、「巌窟王」は「モンテ・クリスト伯」ではないので、まあこれで良いと思います。
どうしても伯爵がかっこいいので、復讐完遂プロセスをもっとじっくり見たいのはやまやまなんですけど、じっくり見たけりゃ原作読みましょうや、って話ですな。じっくりこってり七巻分(岩波文庫の場合)書いてありますから……。
あくまでもこれはアニメの「巌窟王」で、アルベールが主人公ということなので、ね。次回はフェルナンの逆襲も待ってますからね……! ド派手に一発よろしくお願いしたいと思います。

それからカヴァルカンティ、お疲れさまでした。ナイスファイト! この人もやってることはシャレになんないんだけど、同情できない部分が無いとは言えないから困る。ほんと困る。

それで、話はまたエドモンに戻るわけだが、ダングラおじさんが言った「おまえに消えて欲しかった」ってのはダングラールの本心だったんだろうなぁ。
だってエドモン、まぶしすぎるんですよ! 次期船長で、人望があって、才能ある努力家で、美人婚約者がいて、あのルックスであの声っすよ。そりゃ……妬みもやっかみもあるだろうさ。
もうちょっと歳がいってたらその辺り、うまくかわせたかもなんですけど。二十歳だしなぁ。まあそのあたりの鈍感さとピュアさと不器用さが、エドモンの良いところであり、かつ足元をすくわれる原因だったというわけです。

星五つで! ★★★★★。


<「フランツは生きているんだ!」「なんだってー!」的な妄想>

【2005/9/7】追記
(※以下の文章は、あらゆる状況証拠にもかからわず「フランツは生きてる!」的妄想が止まらなくなってきた結果、勢いのまま書いてしまった文章です。
今となっては全然ズレちゃったことを書いてるんですが、それだけ第十八幕のインパクトが強かったってことでヒトツよろしくお願いします)

やはりどうしても気になるのが、第十八幕「決闘」で、あれだけフランツを凄惨に殺しておいて、なぜ伯爵側のレスポンスが全く無かったのか、ということ。
しかも「取り違えて」殺しておいて、全くリアクションが無いのは一体これはどういう事かと。

理由としては、なんだかんだありつつ、それまではいろいろ揺らいでいた伯爵のメンタリティが、あの瞬間に

というのが考えられるけれども、だとすれば、それを視聴者に説明するために、フランツ殺害後にそれらしき描写(伯爵の高笑いとか)があってしかるべきかと思う。
なのに、「呪いはここに成就する」等々のセリフはあったものの、それらは全て殺害前の「前フリ」であって、その後の描写は全くない。これはちと不自然じゃなかろうか……。

当初は私も、きっとそのあたりを補完するシーンが、続く第十九幕に出てくるものとばっかり思っていたんですが、十九幕はもちろん、第二十幕、そして今回の第二十一幕でも無かったように思うのです……むしろ、フランツ死亡以前と以降で、大して伯爵のメンタリティは変わっていない……復讐街道まっしぐらに進みつつ、なんか悩んでいたり、遺産の話をベルッチオにしたりとか、相変わらずの「二面性」を持ったままなわけです。
(ただし伯爵自身が、あの牢獄みたいな部屋の中で、「この部屋にいる時だけが私が私でいられる」みたいなことを言ってるんで、これは第十八幕時の行動が、自分自信制御出来なかったことの説明、というようにも取れなくはないが)

で、ここにきて本日放送の第二十一幕ですよ。久々に出てきたバティスタンのシーンなんですが、なんでわざわざ(他にも召使ぐらいいるだろうに)バティスタンがパリに残って、しかも食料の買出ししてんの? しかもその量……って……私には見えてしまったとです(深読しすぎですかそうですか)。
これは、つまり、そう! バティスタンは、フランツの世話してしている……んじゃなかろうか……!! もちろん周りには秘密で(特にエデ)。これで第十八幕から、ほとんどバティスタンが出て来なかった謎も解けたー!

つまり伯爵とベルッチオとバティスタンの三人は、密かにスーパービックリサプライズパーティーの準備をしているのですよ!
この展開……つまり「死んだと思ってた人は、実は生きてましたー展開」は、ちゃんと原作にもあるし(対象者が違うが)。

と、なると第十八幕「決闘」の見方はかなり違ってくるわけですよ!

で、なんでそんな手の込んだことをわざわざするわけ? というのはまぁ……「待て、而して希望せよ!」ってのが伯爵のキメセリフだから、ってな理由ぐらいしかないですが……。

とかなんとか考えてみたものの、「ほー。で、あと三話でこのネタバレ含め、その他の話もやるの?」 ってなると、はい、確かにそのとおりで。
なんというか、フランツ好きなので、そして伯爵も好きなので、フランツが実は生きてればいろいろいいなあと思っただけです。はい。真に受けないでくださいね……はぁ。

【2005/3/16】

第二十二幕『逆襲』

パリは燃えているか

<あらすじ>
モルセール将軍の凶行により、燃え上がるパリの都! その炎を背景に、モンテ・クリスト伯爵とアルベールは再び相対するのだった。
「両親とあなたとの間に、一体何があったのか?」と訪ねるアルベール……そして二十五年前、「伯爵」ことエドモン・ダンテスを襲った悲劇が、ついに明らかになる。


やったー! このセリフが来たー!!

「モンテ・クリスト伯に命令できるのは、モンテ・クリスト伯ただ一人なのです」

フハ……。原作好きには、た ま り ま せ ん。
絶対出てくるはずだっ、とは思っていたけど嬉しい。ううれしいいい。ですよ。

姉:「やっべ、まじやっべ、若ヴィルフォールかっこえー、エドモンと結婚したい
弟:「……帰れ」

……まあなんだ、錯乱もしますよモナミ。
もう満足。おなか一杯。しかしフェルナン。おまえってやつぁ……解っていたとはいえ。せつねえよコンチクショー! メルセデスも、たぶんあの時はまだギリギリ十代……のはずだしな。あんまり責めないでやってくれよ、と言いつつも、今さらどうにもならんのですが

それからツッコミどころも目一杯で、素晴らしいですよ! 「伯爵、アルベール! 後ろー後ろー!!」とか……「ベルッチとバティスタンのコンビで特攻ーっ!」とか……「ダングラールが(自主規制)」とか……「それでこそカバルカンティ! いやベネデット!! 『人生こんなもんかよ〜』と言いつつも、雑草のごとき生命力!」とか……「死刑〜死刑〜」とか。

いやあ、それにしても引っ張ったなあ、伯爵の過去話。
それにしてもイフ城が凄惨すぎだYO! 以前買った「巌窟王のサウンドトラックCD」のおまけに“伯爵の手の甲の模様のタトゥーシール”が付いてましたが……「伯爵感をお楽しみ下さい」って、そんなお気軽にできるかーっ! って気になりました。
それにしてもファリア神父が! あんな干からびたお姿で登場ですよ。おーぅ……!!
しかし、なんだなぁ。ここまでやられても、「どうしようもなく原作からかけ離れてる」とは私は思わないんだなぁ……なぜだ?

そりゃ、イフ城もっと見たかったなぁ……とか言い出すとキリが無いですが、こういう翻案もアリだよねーと思うのです。
改めて告白します。SF風な味付けがされた前田真宏版「巌窟王」が、私はすごい好きだ。

さて、大詰めを迎えるにあたって、風呂敷を凄まじい勢いで畳みつつ、猛烈な勢いで伏線を回収にかかっているわけですが、最後に気になるのはやっぱり「巌窟王」ですよね。あれ、どーすんのよ。あれ。

それでは最後に、予告の伯爵ウインクがすばらしかった! と一言だけ申し上げておいて……さ、も一回見よっと。

エドモンさんが良かったので、星六つ★★★★★★。


【2005/3/17】追記
<第二十二幕を三回見た>

なんだかんだで二十二幕がおもしろい! はっちゃけてるし、ぶっちゃけてるし。制作側からの「よっしゃーこんなこともあんなこともやっちゃうぞー! どうだ!!」 みたいな気概が感じられて大変よろしいです!
私はこの極彩色の悪ノリ、好きだなあ〜。笑うシーンじゃないのに、妙に笑えたりするところも全部ひっくるめて、いいよいいよ!
多少つじつまが合わないとか、分かり難いとこあったりとかしますけど、全てをじっくり描けば面白くなるのだろうか? っつうと、そういうわけでもないよなーと思うし……そもそも、じっくり描くだけの尺も無いしね。

何度か見て、「あ、伯爵。アルベールが地面に叩きつけた金時計、拾ってたのかよ!」とか、「エドモンの一人称って、“僕”なんだー……あ、歯欠けてたのに伯爵になったら治ってる……」とか、見る度におもしろかったりするわけですけど、SF好きとしては。やっぱイフ城。気になりますよ!

ありゃ、人間を生体部品として取り込むことで稼動する、早期警戒用システムってかんじでいいんですかね。
人間使うのって、いろいろめんどくさいことも多そうなのに、わざわざ使うのはメリットあるからなのかなあ……何にせよエグい設定なのは間違いないよな。
しかし機械に繋ぎっぱなしじゃなく、牢屋っぽいところにエドモン君がいるシーンもあったけど、あれは何だろう。繋ぎっぱだとすぐ死んでしまうので、8時間交替とかなんですかね? それとも接続されたエドモンの心象風景なのか。どちにしろエグいものはエグい。


【2005/9/9】加筆・修正
【2005/3/17】追記
<巌窟王におけるキリスト教的意匠>

二十二幕の最後のあたりで、「椅子に座っていた伯爵が立ち上がる」というシーンがありますけど、ありゃどう見ても、レオナルド・ダ・ヴィンチの絵「最後の晩餐」の構図でした。
こういったキリスト教的な香りは、原作ではストーリーに関わる重要な要素なのだけれども、アニメの物語上からは取り除かれているように見えます。そのかわり表現上のモチーフとしては、かなりふんだんに盛り込まれているみたいですね。

十字架の意匠はしょっちゅう出てくるし、牢獄内のエドモンはキリスト風味だし……アルベールとフランツの部屋にあった、子羊のステンドグラスもしかり……そのあたり、詳しいともっと楽しめるんだろうなぁ、と思ったりする部分がいくつもありますが。
そういえば、エンディングを制作したソエジマ氏が、「エンディングのモチーフは、ジェームズ・アンソールの『キリストのブリュッセル入城』という絵です」とかなんとかおっしゃっておられる記事もありました。

で、「最後の晩餐」風味のシーンの話に戻ると、テーブルの上にはグラスが五つ(?)乗っていたから、伯爵・メルセデス・フェルナン・ダングラール・ヴィルフォール、で五人分ってことなんですかね?
伯爵が「裏切られ、一度死に、再び甦った」ところまでは、「キリストの受難と復活」そのまんまなわけなんだが……その後イエス・キリストはどうなったかというと……ぁー。結局最後はそうなるんですかなあ

復活といえば、バティスタンがアルベールに渡していたアイテム(携帯?)が卵型だったのが、すごく気になります。復活といえばイースター。イースターといえば卵なわけで。
事実、この卵型携帯が、アルベール(とメルセデス)の命を救うことになるので、「復活アイテム」と言えないこともないっすね。

最後に、伯爵と二人の部下の名前について。
「モンテ・クリスト」は、イタリアに実在する島の名前であり、かつその名の通り“キリストの山”という意味。(キリストの山=ゴルゴダの丘……つまりキリストが処刑された場所のことか?)

さらに二人の部下のうち、「バティスタン」は“バプテスマのヨハネ”、つまり洗礼者ヨハネから。(洗礼者ヨハネは、イエス・キリストに洗礼を施した人のこと)
じゃ、「ベルッチオ」は……? というと、彼のファーストネーム「ジョヴァンニ」が“ヨハネ”のイタリア名なので、結局この二人の名前の元ネタは同じ、とういことなのでした。
ただし、ヨハネはヨハネでも、「洗礼者ヨハネ」と「使途ヨハネ」は別人なので、ジョヴァンニがどっちから来てるのかは、良くわかりません。

まぁ、モンテ・クリスト伯爵に仕える部下の名前が、二人ともヨハネからきてるってのは、ぴったりというべきか出来すぎというべきか! というかんじですが、“ヨハネ”はヨーロッパ諸国で最もポピュラーな男子の洗礼名だということなので、不自然すぎるというほどでは無いのかもしれない。

蛇足ですが、「エデ」は原作によると、貞節・純潔・無垢という意味の洗礼名だそうです。

【2005/3/22】

第二十三幕『エドモン・ダンテス』

誰かの願いが叶うころ

<あらすじ>
モルセール将軍とモンテ・クリスト伯爵は、ついに対決の時を迎える。
エデやベルッチオ、バティスタン、アリの想いは伯爵に届くのか。メルセデスは無事なのか。……そしてアルベールが最後にとった行動とは?
伯爵の復讐の果ての運命を描く、「巌窟王」の実質的な最終回。


アルベールがやってくれた。本当は無理かなと思ってたんだ。でもやってくれた。よかった。

正直私としては、伯爵はあのまま「救いなんかいらない。自分で自分の落とし前はつける」って言って、去っていかれてしまうのかな……でもそれでもいいかな……しょうがねえかな、それでも笑顔で送り出すしかないかな……と思っていたのです。
でもやっとくれたよ! あの子がやっとくれた!! あれは凄いんだよ、凄いことなんだよ。

イマジンだ。想像してみるのだ。
自分と自分の大切な人が、裏切られ、破滅させられ、あるは殺されたとして。それがただ一人の人間のために起きたのだと知った時、自分はその「ただ一人の人間」を赦せるだろうか。
憧れ以上の気持ちを持って、その「ただ一人の人間」を想っていたとしても、全ての不幸の元凶だったその人を、抱きしめられるだろうか。
憎しみの連鎖を断ち切ることが、できるだろうか。

アルベールがそうできたのは、彼の若さと育ちの良さと、そして沢山の友人や家族に愛されたという記憶。また何にも増して、フランツの後押しがそうさせたのだけども、それらは本当にラッキーなことだったと思う。
一方、彼の「月の裏側」でもあるモンテ・クリスト伯爵は、イフ城で若さと生来の素直さを奪われ、友人には裏切られ、ただ一人の家族にも先立たれた。結果、巌窟王の力と富、そしてファミリーを得た後も、伯爵は復讐を諦めることが出来なかった。
この二人の境遇の違いを「運の良し悪し」と呼ぶべきか。……あるいはそれこそ、「運命」と呼ぶべきなのか。

まあね、つっこみドコロも満載なんスけどね。
今一番のつっこみどころは「あれ? これ、最終回じゃないんですよね?」ってとこなんですが。

次週、「巌窟王」はついに最終幕を迎えます。


【2005/3/23】追記
<一日寝かせてみた後の感想>

さて。一晩たったわけですが。 関係各所さんをガツガツ眺めさせていただいたりしまして、いやーいろんな意見があるもんスね! うむ、すばらしいと思います。
「なんじゃこりゃー!!」とか、「あれ? 最終回じゃないの?」とか、「あれはあれでイイ!」とか、「意味ワカンネ」とか、「で、あれはチューしたんですかどうなんですか[※注1]」とかもういろいろ。色々で凄い。

さーてそれでは、ここから私の感想をペロリとやりますよ!
まずあの豪華絢爛テクスチャと、幻想的な3DCGによる背景と、金属的なのにどこか有機的なロボ。うねうね良く動く動画に、声優陣の大熱演。そして音楽。響き渡る「マンフレッド交響曲」第四楽章! そして二十二幕まで積み上げてきた、ビッチリ濃い夜メロストーリー。これらを使ってを語られた、アニメ「巌窟王」なるもの。そのメインテーマとは?
……これがあなた、どうやら超直球ど真中だった、てわけですよ。

人は、お互い決して解り合えない。でも、お互いを信じ、赦すことが出来る。

ってことじゃないですか。うわ! 青いよクサイよ恥ずかしいよマヒロ監督! 書いてるこっちまでモジモジしてきました……。
でも、そこが良いと思った。今時無いっすよ、こんな直球勝負。もっとヒネてるほうが当世風ってものですよ。でもあえて、この直球を投げてきた理由って、何なんだろうか。

本当のところ、私としては伯爵は最後まで伯爵のままで「神の赦しも、悪魔の誘いも、人の祈りも振り切って、独り彼岸へ去っていくエンド」でもいいかな、って思っていた。
目から心の汗をハラハラこぼしながら、「オッケー。全然オッケー! あんたの人生悪くなかった」とかなんとか言いながら、凄い勢いで手を振ってお見送りしようと思ってました……二十三幕前半までは。

ところが伯爵は赦された。ただ一人の少年の抱擁によって。
正直、あの瞬間はあまりにポカーンとしてしまって、もう今まさにサヨナラの挨拶をしようとしていた私の右手も、我知らずパタリと下に落ちてしまったのでした!
「えー! そう来るのかよ、そういうことなのかよ? ……いやまて、そうだよ。それだよ。それしかないよ! 伯爵を“向こう側の人”にしないためには、あの圧倒的な肯定こそが必要なものだったんだ

そしてタイトルの「巌窟王」について。
狭義の意味、つまりアニメ内の設定では「人の感情を糧とする、憑依型宇宙生物」という感じか。
ただ……二十三幕最後の、伯爵あるいはエドモン、あるいは巌窟王(誰とでも取れる)の独白からは、もっと広義的な意味での「巌窟王」という存在を感じさせらたんだよね。
その独白というのがこれ。

叫べ、我が名を。求めよ、我が魂を。
我が名は巌窟王。
私はいつでも、おまえと共にある。

一体、このセリフでは何が言いたいのか?
これは私が思うに、「人の心の中に有る、ある種の感情こそ巌窟王そのものなんだ」ということが言いたいんじゃないかナーと思う。要するに「これを見ているあなた自身の中にも、巌窟王はいるんだぜ」ってことか。
うん、ああその通りだとも。人の心の中には、当然のごとくそういった種類のものが潜んでいて、私達はそれらとうまく付き合っていかなきゃいけないのよ。

でも、ここでもうちょっと掘り下げてみよう。
そういった「人の持つある種の感情=巌窟王」だとしても、それは決して「悪」とイコールではないんじゃないか、ってことを。

『私は寄生虫こと「巌窟王」もまた、いわゆるただの「悪役」では終わらない、終わってほしくないよなあと、密かに思っていたり……する……んだけど、これについてはちょっと保留で』

とまあ、こんなことを第十九幕の感想の最後あたりに書いていたりもするんですが、さて、今から書くのはその続きです。

広義の意味での「巌窟王」、つまり「人の持つある種の感情」は、決して善悪で量れるものではない。
フランツが、『愛する気持ちも憎む気持ちも、はじめは相手を思う気持ちから生まれた』と言ったように、こうした強い想いってのは、それがたとえ正の感情でも負の感情でも、結局は同じところから来ているんだから。

そう、私達は皆そういう凄い力を内に秘めている。
復讐を誓う心の中に。憎悪の炎の中に。自己犠牲の精神の中に。そして、「それでもあなたを想う」という言葉の中に。
……あるいは、二足で走る以上の速さを望み、翼も無いのに飛ぶことを願い、ついに宇宙の端に手をかけるまでになった、私達人間の持つ『業』そのものの中に
それらはなにもかもすべて、同じところから生まれているはずなんだよ。
だから、今一度言おう。

叫べ、我が名を。求めよ、我が魂を。
我が名は巌窟王。
私はいつでも、おまえと共にある。

それは「人として生きること」への、呪いと祝福を込めた言葉。
そしてその矛盾の体現者こそ、モンテ・クリスト伯爵その人だったのだと、私にはそう思えるのです。

Rest in peace.


[※注1]
その後に出版された『巌窟王コンプリート』(編:パルプライド)掲載の「監督絵コンテ」により、ずばりキスシーンだったことが判明。


【2005/3/24】追記
<三回見た後の感想>

さて、この二十三幕ってのは、今まで以上に(ツッコミどころとしてだけではなく)違和感や疑問を感じる点があるわけですよ。結構頑張って考えないと解釈が出来ない、というようなかんじで。
まあ、そういうのを解消するために、こんなことをダラダラ書いてるってのもあるし、まだ最終回まで見てないから、その後解決することもあるのかもしれないんだけれども。

昨日の感想では、「アルベールと伯爵のあのシーンて何だったのよ」という点と、「結局『巌窟王』って何だったんですかねえ」という点について、いろいろ妄想した結果、ああいう感じになりました。

つまり、このアニメの特異かつ斬新かつ幻惑的なビジュアルと、派手な音楽。そして演劇的セリフ回しを使って表現したかったものは、実はとてもオーソドックスで直球勝負なものだったんじゃないか、ってこと。それがあの「アルベールと伯爵の、あのドッキリ! キス疑惑シーン」の意味だった。
そして『巌窟王』とは何か、ということについては、これには狭義と広義の二つの意味があって、狭義ではSF的味付けと、ストーリーを引っ張る牽引役として。また広義としては、人の持つ矛盾とそれを抱えて生きていくことへの肯定――当然この主張は、「実はオーソドックスで直球勝負」なこの作品の主題に直結している――を意味しているんじゃないか、と。
……ここまでは良し。少なくとも私的には良し

さて、私のさらなる「違和感や疑問」はフェルナンについてなんだが。
なぜ彼は、伯爵の傍であの最後を選んだのか。なぜあれほどまで「貴族らしさ」、そしてなにより「軍人らしさ」にこだわっていたのか。
なんでなんだろ……もっと彼に相応しい、最後の選択があったと思うんだがなぁ、とかなんとか考えていた時に、フイっと随分前に見たある映画が思い浮かんだのでありました。『アメリカン・ビューティー』という映画です。

はい。ここからは、映画『アメリカン・ビューティー』の激しいネタバレになるのと、フェルナンについての考えが自分でもかなりアレかなって思うので、以下の文章はちょっと隔し気味で行ってみたいと思います。

映画『アメリカン・ビューティー』には、「妻と一人の息子を持つ厳格な元軍人」って人が出てくるんですが、このお方、妻を愛し息子に厳しく、男らしく生きることを至上とするような人だったんですね……。ところがラスト近くで、この人自分がどうやらゲイらしい、ってことを自覚するんだな。
つまりなんだ、うーん、ごめん。先にあやまっとく。私、相当変なこと言ってるかも。でもさぁ、フェルナンってさぁ……エドモンが好きだったんじゃねーの? BLとかそういうんじゃなくて。マジで。

なんかそう思うと、「あ、納得」出来る気がするんだよ。私的には。
そういえば、フェルナンとエドモンとメルセデスの過去回想では、フェルナンの視線の先に必ずメルセデスがいたわけだが、そのさらに先には必ずエドモンがいたんだよな。

それから、監督さんが「『フランツ・アルベール・ユージェニー』の関係は『フェルナン・エドモン・メルセデス」の関係とダブらせている」というようなことを、雑誌『CGWORLD』の12月号などでおっしゃってたわけですが、私としては

「フランツ → アルベール → ← ユージェニー」

は良いけども、これを親世代にもあてはめると位置がずれないか? って思ってたんです。

「フェルナン → メルセデス → ← エドモン」

でもフェルナンは実は……、ってことだったとしたら。
これ本当にそのまんま、親世代の関係は子世代の関係とそっくり同じになるんだよな。

「フェルナン → エドモン → ← メルセデス」っつうかんじで。

フェルナンが最後に、アルベールに向かって「私はもう逃げないぞ」って言うじゃないですか。 これ「過去から逃げないぞ」っていう意味でも、「責任をちゃんと果たす」っていう意味でも取れるんですけど、その根っこに実は「フェルナンが好きなのは実はエドモンでした」ってのがあるんだとしたらさ、どうよこれ。「俺は自分の気持ちからも逃げないぞ」っていう意味にもなるんじゃないの。うーん、深読みしすぎか?

そうだとすると、フランツの最期(彼の行動には、一種の自殺的側面があると私は思ってる)と、フェルナンの最期(銃による自殺)はなんだかとても似たようなものに見えてきたりして、つまり、消そうとしても消そうとしても消えることのない炎が、最終的にこの二人を焼き尽くしてしまったのだとすると、もうなんだかたまらない気分になたったわけです……。

「……そりゃそうでしょ、解ってるよそんなの」という方が見たら、「なーんだ」言われてしまうような話しなのかもしれないですが、私にとっては「うわ! そういう風に見ると、なんだか全部がひっくりかえっちゃうな!!」というぐらいのビックリ感だったのです。
でもおそるおそる、巌窟モナミのDENに考えを開陳してみたら、「おお、ネタじゃなく本気でってことなのね。そういうのもアリなのでは? 面白い分析です」って言ってもらえたので、ここに晒してみることにしました。
これがもし本当だったとしたら、伯爵は気付いてたのかな……うーん、私は「最後まで全く気付いてなかった」に一票入れるね。(巌窟さんはともかく)

なんかヤだな、キモイなって思った人はごめんなさい。


【2005/3/25〜27】追記
<そしてその後も、延々と繰り返して見た後の感想>

なんかえらく力一杯感想を書きすぎで、自分が引いた。
萌えとかも書く予定だったんだけど……青伯爵と茶伯爵とどっちが好き? (私はどっちも好き。選べない! 青伯爵はクールだし、茶伯爵はなんかラテン系) とか。
……はぁ。しかし伯爵は本当に行ってしまわれたんだろうか。しんみりするよ。

まあ何はともあれ、第二十三幕は美しいですよね、あれは。完璧な色彩設計、有り得ないぐらい動く絵(髪の毛とか)、オラオラなロボ戦とか。あとはまぁ、

「激昂し狂喜し哄笑し絶叫し悶絶し、ついでに喘ぐ伯爵は最高ですよね?」
はい、閣下。最高であります!

ええと、今回の星は……って、もうそんなことはどうでもいいか。
そんなこんなであと二日? ぐらいで「巌窟王」は最終回です。

燃え尽きそう。

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