終章
終章-3
「白王様、お願いがあります。助けてください」ブレイヤールが白城の大門に帰りついてすぐ、ルガデルロとグルザリオがアークラントの王女を連れて迎えに現れた。王女は今にも泣き出しそうな顔をして、おまけに真っ青になっている。
「予言者様は確かに父の剣を取り戻して帰ってくださいました。それで皆は、私の夫として彼がふさわしいと考えているのです」
そんな考えには死んでも従いたくない、認めない。口にした言葉以上に、王女の本音がはっきり聞こえてくるようだ。城に帰りついてほっとするつもりでいたブレイヤールは、自室で疲れを癒す前に、この厄介な問題を片づけなければならなくなってしまう。
「こんなものですよ。一国一城の主ともなると」
グルザリオは同情しながらも、ブレイヤールを王女の方へ押し出した。
少なくともアークラントでは、国を動かすのはあくまで男でないとだめらしい。王族が王女一人なら、その夫となる人物がそれに当たる。そうでなくとも、元来大人しい性格の上に、王の娘として従順を第一とする教育を施されてきた王女は、人を率いるには物足りないと考えられているのかもしれない。
「剣を取り戻したからって英雄に祭り上げられては、予言者殿も迷惑するだろうに」
疲れて頭の動かないブレイヤールは、思ったことをそのまま漏らす。王女はそれに勇気づけられ、大きく何度もうなずいた。
「予言者殿は自室にこもられたきり、なんの音沙汰もないそうで。水は飲んでいるので、生きてはおるんでしょう」
ルガデルロも困惑気味だ。石人達の指揮だけでも大変なのに人間達にまで手を焼こうとは、彼も予想していなかったようだ。アークラントの人々は、それくらいの熱狂的興奮状態にある。王女が助けを求めてわざわざ石人のところまで来たということは、彼女の言葉に耳を貸す人間がいないということだ。これはかなり可哀そうなのかもしれない。予言者の方も周りがそんな状態では、下手に姿を見せられないだろう。
「アークラントは、次に進むべき道を早く示さないといけないな……」
「えっ! それでしたら、すでに」
ブレイヤールの呟きに、王女はすぐさま答える。驚いて彼女を見返すと、相手は下を向いておずおずと胸の前で手を合わせた。
「地読みの者達に、エイナ峡谷以外の道を探すようお願いしてきました。峡谷は、石人の皆様が封じておしまいになったのでしょう。だったら、別の道を探さねば、私達は故郷に帰れません」
「そのことを皆に知らせてあげましたか?」
「その、魔術師のザーサ翁が、見つかるまでは伏せておいたほうがよいのではと」
「私は話したほうがいいような気がします。でないとトゥリーバ殿は部屋から出てこられないし、あなたも落ち着かないでしょう」
「は、はい。申し訳ありません。もう一度ザーサと相談してみます」
王女は胸に手を当てて律儀にお辞儀をする。そして小走りに去った。見送ったグルザリオは腕を組み、ルガデルロはじっとブレイヤールを見つめる。
「何?」
ブレイヤールは二人の視線に怯む。グルザリオが答えた。
「もう少し、話し方を考えましょう、ってことです。萎縮させてどうするんですか。耳まで真っ赤になってたじゃないですか。可哀そうに」
「そんなに怖がらせたかな」
「人間達のことに石人が口出しするのもまずいですな。口出しするにしても、言い方を工夫したがよろしいかと」
「そんなにまずい言い方だったかな……」
どうにもアークラントとの付き合い方は難しい。落ち着かなくなってその場から逃げようとしたブレイヤールは、別の声に呼び止められた。
「王様! お帰りなさい!」
見上げると、門の上からキゲイが身を乗り出している。ブレイヤールは、王女が地読みの民に道を探すよう頼んだことを思い出す。彼は口うるさい家臣二人を残して、階段を駆け上がった。
「僕、明日、里の皆と平原に帰るんだ。王女様が峡谷と違う帰り道を見つけて欲しいって」
息を切らせて階段に倒れこんだブレイヤールに、キゲイは屈みこんでそう告げる。
「聞いた。さっき聞いた……」
ブレイヤールは立ち上がり、手すりにぐったりともたれる。息が続かないようなので、キゲイもそれ以上は何も言わず、のんびりと日向ぼっこを続けた。思えば最初に白城へ来てから、二か月近くになる。目の前の荒野は、今では一面の草原に変わっていた。
「君は、ずいぶん色んな人を案内してくれたんじゃないかな」
ようやく口をきけるようになったブレイヤールの最初の言葉は、唐突だった。それはキゲイにもちゃんと通じて、彼は不満げに口をとがらす。
「東の長にお使いを頼まれて、歩いていただけだったんです。最初は。そうしたら、いろんな人や物が勝手に近づいてきただけなんだ。時々、変なものにも追いかけられたし」
「それでもまたここに戻ってこれたってことは、石人世界と相性いいのかもね」
「……似たようなことを、前にも誰かに言われた気がする。それより、こっちの幽霊が触った腕。魔法の火傷をしてから、普通の人には見えないものが見えるようになったんですけど。邪妖精だっけ。兄ちゃんや姉ちゃんは何にも見えないって、変人扱いされた……」
「変人というより、普通になったというべきだ。今まで見えてなかったものが、見えるようになったんだ。それだけさ」
「……石人に相談した僕がバカでした。後で長に話して、人間の魔法使いに見てもらいます……」
うなだれるキゲイの隣で、ブレイヤールは空を見上げる。来月には神殿で、即位の儀を行う予定になっていた。それは彼自身、自分が生きている間に叶うかどうかと当てもなく夢見ていたことだ。この二か月は、彼の人生において最も貴重なものとなるだろう。そしてこれからは、それぞれがそれぞれの道を歩むことになる。
「そうだ。王様、これ返します」
キゲイは懐から地図を取出し、ブレイヤールに手渡す。裏には銀の鏡の文様が残る、キゲイが少しずつ書き加えていったアークラントの地図だ。
「空から見たよ。ここの丘も、村も。首都は、ここだったのか」
ブレイヤールは感慨深げに地図を指でたどる。その指が、首都の文字の上で止まった。
「これキゲイの字じゃないみたいだけど……」
「古都でレイゼルトに見せたら、首都はもう少し東だって、勝手に直された」
「こだわりがあるんだな」
「あいつ、アークラント人よりアークラントに詳しいと思います。きっと」
レイゼルトは古都で別れた後、どこへ姿を消したのだろう。キゲイには、レイゼルトの石人に対する思いは分からない。しかし彼がアークラントを守ろうとしていた気持ちは、本物だと知っている。それは悲しいくらいに真摯な願いだった。恐らくとても大切な思い出だったであろう、彼とトルナクの関係を、アークラント人でさえない自分に話してくれたのはなぜだろう。キゲイは何かしら、その思いに報いたかった。ならばできることは一つだ。なんとしてでも、アークラントが帰る道を探し出さねばならない。
翌日、キゲイは決意も新たに、地読み士達とともに森の境界石を超える。そのとき、彼はふと思い至って、近くの木によじ登りはじめた。姉や兄の叱りつける声が聞こえたが、そんなのはお構いなしだ。あの巨大な白城が、タバッサから全く見えなかったのを思い出したのだ。出来うる限り高くまで登ったキゲイは、枝葉の隙間から南を望む。
何もない。城があるはずの方向は、空だけだ。そして雲が流れているだけだ。下を見渡せば、境界石の頭が白く点々と、森に線を引いている。境界石の列は、ただの石の柱の列ではない。綺麗に人間の世界と石人の世界を切り分けていたのだ。
キゲイはその事実に大いなる納得と一抹の寂しさを感じ、ひとしきり南の空を眺める。そして木から降りたところで、待ち受けていた東の長にたっぷりと叱られた。
地読み士達は黙々と境界の森を抜ける。その先には広大な平原が広がっていた。彼方の地平には、オロ山脈の峰が青くうっすらと横たわっている。
アークラントの物語はここで終わる。そして次の王国が、歴史に刻まれる瞬間を待っていた。新たなる国の民は、新たなる王とともに人間世界の果てを越えて帰ってくるだろう。
――東の蛇は己の毒に倒れ、西の稲妻は光に消える。英雄の地に光あり。それは人の世のものにあらず。世の外より黄昏に死に、暁に蘇る。
夢見の下に伏せられていた予言の言葉は再び継ぎ直され、人々を導くだろう。
石人達の物語は、いまだ終わりを迎えない。いつ始まったか定かでないこの物語は、全ての石人が属す物語と、闇に囚われた者達の明けない物語が、決して交わることなく続いていくのだ。
完