龍鱗

後編

 声をかけられ目覚めると、煙出しから差し込む光が二階の壁に梁の影を落としている。歌人は身体を伸ばし、火床から炭を掘る。炊事場から現れた女将が彼女に火を熾すよう声を掛け、薪の盛られた籠を指差したのだ。少年も寒さに震えながら身体に巻いていた上着を羽織り、彼女を手伝った。ウォルクハルの姿はなかったが、朝食の時間になると彼は宿の老主人とともに外から入って来て、火床の端に腰を下ろした。彼は早朝の冷気と湿った土と風の匂いをまとっていた。顔色は優れず、寒さで白くなった無骨な両手を火床の上にかざして暖をとる。老人は昨晩と変わらず無愛想に火床の傍に胡座をかき、朝食を待つつもりらしい。
 まもなく宿の扉が再び開いて、数人の町の男達も姿を現した。彼らはウォルクハルとともに、夜明け前に一仕事終えてきたのだった。
「間違いなくケマンだったな。あとの二人は知らない。恐らくはよその町から山賊に成り下がった奴らだ。あんな顔になってたら、もう誰だか分からん」
 老人は男達に話した。開いたままの戸口に照らされ、ウォルクハル自身は固く黙り込み、歌人や呑気に欠伸をする少年の姿を眺めていた。
 歌人も明るい中で、彼を改めてよく見ることができた。彼は肩口までの薄い赤毛で、両脇に垂れる髪には撚って留めた細い髪束が一筋ずつ混じっている。瞳は灰色で、色の薄い肌も大柄で頑丈そうな体躯も、確かに東州の中央高原か雪国に暮らす人間の特徴そのものだ。彼の鼻頭や頬は何度かの凍傷痕でやや形が崩れていた。傷からくる高熱で目の焦点が危うそうだが、それでもなお、表情や立ち振る舞いに堂々たる男振りを保っているのは、龍狩人の毅然さを重んじるカイコーズ人らしい。
 暫くしてようやく早朝の仕事の緊張から解放されたのか、彼はなんの前触れもなく破顔した。
「やあ、おはよう。すこぶる素晴らしい朝の散歩だったぞ。しかし朝の光で見ると、あんたは本当に新雪みたいに白いんだな! その髪も見事に白い朝日の色だ」
「あら、どうも。野犬に荒らされた死体をあらために行った後なら、口直しにはいい色合わせでしょう」
 歌人は優しい口調を装いながら、粗末な櫛で長い髪を下ろし、結い上げ直す。当たり前のようにそのような無作法ができるのは、彼女が歌や語りだけで稼いでいるわけではないことを示す証拠だ。まともな女であれば、人前で、それも知らない男達の前で髪を梳ったり結ったりはしない。つまりたとえ異人といえど、女である以上、旅にはお決まりの副業がついて回るのだ。楽を奏でるのは西州遊び女の技のひとつでもある。しかし目の前の男は質実剛健たる東州の蛮族で、色を芸能にまで高めた西州において多少の男女の作法を学んだかどうだか知れないが、いずれにしても彼の心は最も素朴なところに留まっていたようだ。あの歌人には人目のない場所が与えられていないから、人前で身づくろいをするしかないのだと、彼は単純に捉えたらしい。長髪を手際良くまとめていく白い指を、何となしに眺めていた。実際この寂れた宿場町では西州作法は忘れ去られていた。宿の女将すら自分が女だったことを大概の場合はどうでも良いと思っていて、ほつれて染みだらけのスカートの裾を上げ、座って寛ぎ始めた客達の背をまたいで窓の木戸を開けてまわっている。女将は朝食の支度にも忙しく、炊事場には近所の妻達も食べ物や薪をそれぞれに持ち寄って仕事をしていた。
 落ちぶれ貧しくなった町の人々は、ひとまとめにやった方が効率の良いこと、例えば暖をとったり食事の支度はこの宿で行うようだった。かつて多くの旅人で賑わった宿は、大きな火床と幾つもの大釜、洗い場を持った立派な炊事場を持っていたのだ。
「若いの。食ったら早々旅立ってくれ。必要なものはすべて手に入ったはずだ」
 宿の老人は雑穀の粥をすするウォルクハルに釘を刺した。
「ケマンの首飾り以外なら、好きに持って行ってもらっていい。目を瞑ってやる。ケマンの老いた母には、首飾りだけ戻れば十分だ。あれは戦利品でなく、ばあさんにとって形見の品なんだからな」
 彼は頷き、歌人と少年に目をやる。
「お前達はどうする」
「北へ。モヒーナの横臥山地を抜けて陸中海の湾岸部を目指そうかと。海路で東州にも戻れるし、道を辿ってさらに西の国を目指してもいい」
「それはいい。俺は緑帯の僧院まで行って傷を癒す。そちらが構わなければ、そこまで一緒にどうだ」
 歌人は一考した。もっとも少年の方が頭の回りが早かった。
「一人で行くのが怖いんだろう。その足の傷では、走るのも難しいんじゃないか」
 ウォルクハルは苦笑する。実際少年は彼の傷口からの匂いで、痛みの悪化に気づいていた。恐らく熱も高いことだろう。本来なら大人しく寝ているか、歩くにしても傷口に負担をかけないよう杖が必要だ。一人で旅立たせるのは見殺しにするようなものだった。少年はこの男と道中を共にする不安を感じている。足手まといになるだろうと。それはウォルクハルのほうも自覚していたらしい。彼は言った。
「俺が山賊の恨みをかっていようと、連中が道を通る旅人を狙うのは変わらない。だが二人より三人いる方が、向こうも襲撃を考えるだろう。そこの小僧は立ち姿がいい。いかにもすばしっこそうだしな。しかもただ逃げ回るような奴にも見えない。俺の予備の剣を貸そう。昨晩の話を聞くところによれば、立派にやれるんじゃないか?」
 あくまで下手に出る龍狩人に、歌人は内心、頑固なまでに体裁にこだわると言われたカイコーズ人が、ここまで柔軟に堕ちるのかと憐れみを感じる。それは西州で新たに得たとかいう価値観と、比較的こだわりの少なそうな本人の性格の賜物と言ったほうがいいのかもしれないのだが。
「私達は滅多に街道は使わないの。山賊が見張っているような街道を避けて、古い道や地元の人間が踏み固めた道を使う」
「そうか。それで昨日、道の外れであんな災難に出くわしたわけか」
「そういうこともある。滅多にないことだけど」
 歌人は竪琴を抱える。
「なんの問題もなく、一晩の食事と宿を借りられた恩がある。これがどんなにありがたいか。ハシュクムまでは一緒に行きましょう。横臥山道の手前だったっけ。でも道中あなたの追っ手が現れたら、率先してどうにかして頂戴ね。私の弟分まで山賊の恨みをかってほしくないから」
「追っ手が現れないことを共に祈ろう」
 かつては舗装され、定期的な巡回と修理で手入れされていた街道は見るも荒れた様子だった。いつかの繁栄を示すのは、所々残った敷石に刻まれた、泥が溜まり野草が生えた轍の跡だ。轍の野草が導く旧道は、ススキに覆われた岩と丘の起伏を縫うように遠景の霞に影を下ろすモヒーナ山地の切り立つ群峰へと続いている。点在する松林はさほど面積もなく、森は彼方に横たわっていたものの、徐々にこの枯れた草原へと勢力を広げる気配を見せていた。岩場の間を細々と流れる水の流れは澄んだ溜まりをつくり、小さな生き物達の集う水場となっている。青い胴のトンボが艶やかに輝く透明な羽を唸らせて水場に群れていた。風は日が高くなっても冷たく、空は薄く暗い色の雲が陽光を遮っている。冬の気配はまだ遠いが、このような辺境あるいは見捨てられた土地を行く旅人達は、そろそろ冬の滞在先を決める頃だ。
 歌人らは道を見失わない程度の場所を進んだ。乾いた草が生い茂り、岩棚が起伏を作る地形は歩き易いとは言い難い。ことに傷を負ったウォルクハルには苦行ですらあるだろう。傷にたかるハエを手で追い払いながら、彼は沈黙を突き通した。
 大気がより寒さを増し湿気を帯びてくる。暗い松林の向こうから野犬の遠吠えが響く。歌人と少年は身を硬くして丈の高い草陰に腰を落とした。
「言葉が話せる敵と話せない敵、より厄介なのはどちらだ?」
 ウォルクハルが謎かけのように後ろで呟く。少年は借りた剣の柄を握る。
「どっちも厄介なら会いたくないのは同じだよ。犬は鼻がきく。こっちが不利だ。道に出たほうがいいのか?」
「やれやれ。もしこっちに来たら、賊より厄介な連中だよ。奴らはこちらとは言葉が通じないが、仲間内では通じ合ってる。さらには疫病持ちだ」
「私は賊のほうが厄介だと思うけど。最悪なのは言葉を話すのに聞く耳を持たない連中でしょ。まあ、暫く音を立てずにじっとしていましょうよ」
 歌人の提案は、もとよりウォルクハル自身の賛同を見込んでのことだった。実際ウォルクハルは彼女の言葉にわずかに頷いた。少年は二人の様子を見てとり、それ以上何も言わず膝を屈めて耳を澄ませた。
 廃れた街道は、旅の危険を肌で感じるのに申し分ない場所だ。昼は山賊や追い剥ぎに出くわす不運に怯え、夜は野獣の喉を鳴らす音に耳をそばだてる。今回はそれに加えて、確実に山賊の恨みをかった人物と道中を共にしているのだ。いつ容赦ない報復を受けるか分からない状況は、予想以上に神経をすり減らす。旅慣れているはずの歌人も、僅かに疲れを覚えていた。そこへ来て、犬の遠吠えである。空を見上げれば、黄金色の笹草の穂先向こう、褪せた空の隙間から正午の日の光が薄雲を透して注いでいる。天候の行方が怪しいのも不運としか言いようがない。
「実に残念だが……」
 しばらくしてウォルクハルがやっと聞こえるほどの声で囁いた。
「言葉を話せない敵と話の通じない敵、両方のようだ。俺は道に出る。エカル、お前は俺の動きに合わせて距離をとりながらついて来い。相手にばれないようにな。草陰に隠れてこちらの様子を窺い、勝てそうなら加勢してくれ。無理そうなら、静かに後退して二人でここを離れろ。他人の負け戦に付き合う必要なんてないんだからな」
 彼は振り返りもせずそう言いおくと、剣を抜き、ススキを脇に倒し踏みしめながら街道を目指す。彼が通った跡は僅かながらも草の隙間ができ、少年は比較的敵に気づかれずに後を追えそうだった。
「俺を探していたか! ならば幸運だ。すぐにケマンの後を追える。三人と二頭でな!」
 道に出たらしく、ウォルクハルの怒鳴り声が草陰を越えて響いた。それと共に犬の唸り声が上がる。
 少年は少し腰をあげ、ススキの影から街道の様子を伺う。すでに向こうには、ウォルクハルと対峙する三つの頭が見える。
「ケマンの後を追うだと! 言うことを聞かなけりゃ、そっちが追うことになるぞ。貴様がケマンの首飾りを持ってるのは知ってるんだ。奴の首に懸かった賞金を手にする証文もな!」
 山賊の怒鳴り返す言葉を聞いて、少年は後ろの歌人と顔を見合わせた。
「どういうことだ? 少なくとも、首飾りは形見に置いて来たはずだろ」
 歌人は静かに息を吐いた。心からの溜息だ。山賊達に対するウォルクハルの答えは聞こえてこなかったが、彼も西州人の、宿の老人の、あまりの抜け目なさに言葉を失ったに違いない。
 完全に嵌められたのだ。ケマンの仲間達は大儲けと復讐、両方いっぺんに行える方法を、あの老人から聞いたのだ。無論そうすることで、宿の老人は山賊達の面倒な詮索をかわした。
「ケマンの首飾りは、沈香よ。あれだけでも一財産だわ。山賊達は敵討ちよりも首飾りを探してあの町に現れたようね。それで宿の爺さんから、足に深手を負った賞金稼ぎが戦利品として持って行ったと聞けば、すぐさま追いに出るはず。おまけに賞金稼ぎから証文を奪えば、ケマンの賞金を横取りできる。さらにそいつを殺せばケマンの仇も取れるし、山賊の面目も回復できる。一石四鳥。首飾りの件に関しては、あの爺さんに騙されているわけだけど」
 すでに街道ではひと騒ぎが始まっていた。山賊達はウォルクハルに犬をけしかけたらしい。獣の短い悲鳴が上がる。
「俺は少し様子を見てくるよ。三人と犬二匹なら、加勢すればすぐにかたがつく」
「西州人には気をつけて。東州の人」
「剣の駆け引きなら、こっちだって負けるものか」
「……頼もしいこと」
 歌人は再度溜息を漏らした。もし西州と東州が戦をすることになったら、東州は戦場で勝って喜び、そして後になって戦略で西州に負けていると気づくことだろう。今の状況にその縮図を見たように感じたのだ。となれば、彼女の胸に嫌な予感がよぎる。敵はあそこにいるのが全部なのか。五人を一人で相手した男を倒すのに、三人で足りるのだろうか。犬、猟犬か闘犬でも連れているらしいが、まさかそれで十分と考えているようには思えない。

 けしかけられた猟犬の鼻面目掛けてウォルクハルは素早く手首を返し、剣の柄を横ざまに振った。狼の血が濃いのだろう。大柄な猟犬の体躯は思った以上に重い。壊れた石畳の街道に黒い身体が跳ね、鼻から血が流がれ四肢は痙攣する。狩人であった彼はその姿に胸を痛めた。殺したくない一心で中途半端な苦しみを与えてしまったのだ。間髪入れず襲いかかったもう一匹の猟犬は、迷わず斬った。
「くそっ!」
 山賊達の悪態をよそに、ウォルクハルは素早く動いて猟犬に止めを入れる。
「さあ、どうする? 貴様らもこの勇敢な獣を真似て、俺に挑んでみるか」
 主人に忠実な生命を絶った苛つきを抑え、ウォルクハルは怒鳴る。足の傷が鼓動と共に疼き、出血しているのが分かった。しかしそれを敵に悟らせるわけにはいかない。
 むろん犬を失った程度で、山賊達が獲物を諦めるはずがなかった。何よりケマンの首飾りと賞金は、彼らにとって中規模のキャラバン襲撃で得る収穫に見合う。彼らは既に次の攻撃の用意をしていた。二人が剣を抜き、一人は後退しつつ弓を構える。動かなければ、まず的を外す距離ではない。ウォルクハルは仕留め損ねた方の猟犬を斬りながら、弦を引く敵の手元に集中した。矢が放たれる直前、彼は大きく横に飛び退く。矢は彼の左脇を掠めた。剣を持った二人が駆け寄って来る。彼は右足を踏ん張り態勢を整えると、最初の一閃を剣で受け、もう一人の方向へと切っ先を流す。互いの刃が火花を散らし、剣が鋭く泣いた。剣を下げた相手の肩口に、先ほどの射手が二の矢を引く姿が覗く。
 ところが二射目はなかった。草陰から黄銅色の短髪をした少年が滑り出て、ウォルクハルに気を取られていた射手に体当たりをくらわしたのだ。ウォルクハルはすぐに二人の山賊から離れる。それと同時に、くぐもったうめき声が彼の耳に届く。あの少年が、あっけに取られていた射手の首に鋭い一撃を加えていた。一太刀で決着をつけるのは、剣の扱いと戦闘に熟練していないと出来ない芸当だ。彼が驚きの視線を少年に送ると、相手は気づいて口元に浮かべていた笑みを消した。彼はその笑みを見て戦慄した。味方に対する笑みではない。自然な感情が滲み出て、理性がすぐにそれを打ち消したものだ。倒した相手は同じ人間であるはずなのに、まるで狩りを楽しむかのように、情けを知らず得意げですらある。
「ウォルクハル! 馬賊が!」
 歌人が草原のどこかで叫び、ウォルクハルは我に返る。二人の山賊は、自分達の役目は終えたとばかりに、死んだ仲間を置いてススキの原へ走る。ウォルクハルは倒れた射手に駆け寄り、その手から弓を奪い、矢筒からこぼれて散らばった矢を数本手にした。
「あっちから来るぞ」
 少年が剣で指し示した方角に、六騎の影がある。馬賊というより、山賊の本隊が駄馬に乗って追いついただけというというのが正しそうだ。ウォルクハルは狙いを定めて矢を放った。影の一つが集団から外れて草原に姿を消す。山賊達の鬨の声が空高く上がった。彼らは低く笑い、互いの武器を打ち合わせる。ウォルクハルは次の矢を射ったものの、それは外れた。
「酷い造りの矢だ。最初に当たったほうのが奇跡か」
 彼は慣れない西州の短弓にも嘆きながら、素早く三本目の矢を射る。それは山賊の胸に当たったが、敵達は既に目前まで来ていた。馬で走り抜けながらすくい上げられる手斧を、彼は弓で受けながらかわした。結局胸に矢を受けた山賊も、くたびれた幅広の革ベルトを肩から斜に巻いていたおかげで致命傷とはならなかった。その山賊は怒りを露わに胸の矢を引き抜く。矢先は反しのない粗末な青銅の錐形鏃で、簡単に抜けるものだった。山賊が憤慨しながら矢を投げ捨てるのを見て、ウォルクハルも口の中で悪態をつく。胸ではなく防具のない腹部を狙っていたのだ。いくら弓矢の造りが悪かろうと、至近距離で引き絞れば的を外さず忌々しい山賊の腹に風穴を空けられたかもしれなかった。
「消えた奴を探してくる」
 そう言って少年は慣れた様子で剣を逆手に持ち替えると、草原に入り姿を消した。ウォルクハルが最初に射った山賊の息の根でも止めに行くつもりだろう。
「俺一人を捕まえに、これだけの人数で追ってきたのか。随分暇を持て余しているようだ」
 痩せた驢馬や荷馬に跨り、一人前の馬賊を気取りながら周りを取り囲みつつある山賊へ、ウォルクハルは呆れ気味に問いかける。馬賊どころか、彼らの馬は乗り手の踵が地面を擦るほどに小さい。頭目らしき山賊が嬉しげに答えた。
「捕まえる手間をかける必要なんかないんだぜ。ただ貴様は身の程以上にイイもん持ってて、おまけにその死骸は他の賞金稼ぎどもを怖気づかせるのに少々役立つってことだ。無駄死にさせやしねぇよ。光栄に思え。この赤毛の東州野郎め」
 山賊達はその浅黒い肌と太い鼻筋から、西州のクシュガルからジュルガまでを出身とする者達に見えた。はじめから山賊だった者もいそうだが、元兵士、食いっぱぐれの傭兵、戦場泥棒などもいただろう。当然、ケマンのような元商人もいたかもしれない。なにしろ西州の旅商人というものは、扱っている商品の由来によっては山賊と区別がつけ難いのだ。いずれにせよ彼らは満足な防具も身につけず、手にした武器も薪割りの斧や刃のこぼれた歩兵用の剣が目ぼしい程度。頭目だけが表面に血錆の浮いた盾も持っていた。
 その時、波打つ草原のどこかで短い悲鳴が上がった。山賊頭のにやけた頬が凍りつく。ウォルクハルは少年が彼らの仲間に「何か」したのを知った。賢明にも少年は用心深く、自分の居場所を風立つ枯れ野に隠したままだ。山賊頭の判断は早かった。
「赤毛野郎から終わらせろ!」
 ウォルクハルも素早く剣を構え、あらかじめ目をつけた一番身体が小さい相手から囲みを抜け出そうと動いた。ところが何とも間が抜けたことに、山賊達のほうは彼と武器を交えるため、わざわざ馬から降りるところからはじめたのである。そのためウォルクハルは完全に初動を裏切られてしまった。振るった剣は騾馬の鼻先を危うく擦り、彼は一瞬身体の均衡を崩した。その背後を山賊頭のひと刺しが追う。戦場は七人と六頭が固まり、ろくに身動きも取れない状態を呈した。山賊頭の突きを左の肩当に受け、ウォルクハルは左足の痛みに堪えきれず地面に倒れる。さらに加えられた一閃を小盾にかわし、近づいた別の山賊に右足で蹴りを入れる。勢いをつけて身体を起こしたが、立ち上がる勢いを左足が支えきれない。彼はよろめき、まるで酔っ払いのごとき剣捌きでオロオロする馬達の尻を叩いた。叩かれた馬は驚き恐れて勝手な方向へ逃げ出す。山賊達は馬の混乱に巻き込まれウォルクハルから距離を置いたが、ふらふらと足元の定まらぬ彼の動きから、その負傷に気がついた。
「手負いにいつまで構ってるつもりだ!」
 頭目が怒鳴るとともに、明らかに油断をした山賊の一人がウォルクハルに腹を斬られる。山賊は腹を抑え、呻きながら膝をついた。彼は斧を握りしめウォルクハルを近づけまいと、目をこぼれ落ちそうなほどに見開き、食いしばった歯を剥き出して威嚇する。死を確信した者の形相だ。ウォルクハルはいずれにしても、その男をこれ以上相手にするつもりはなかった。盾を頼みと切れ味の悪そうな剣を振り上げ、頭目が踏み込んでくる。ウォルクハルは相手の剣の流れに沿って自身の剣を下から打ち返し、盾に体当たりを食らわす。頭目は背中から地面に転ぶ。便利な防具もまともな使い方をせねば敵に利用されるだけだ。
 しかし彼の孤独な奮戦もここまでだった。身体が火のように熱く、左大腿の傷は真っ赤に燃える火掻き棒でも突っ込まれたかというほどに痛みの限界を超えていた。目の前で体勢を崩す頭目にも、追い打ちをかけるまでに頭が回らない。彼は目の前だけでなく背後にも、三人の敵が残っていることを知っていた。
 そこへ枯れ野を背後に蹴立て、少年が山賊達の中へと突っ込んできた。彼は目前の一人を剣でなぐ。返す刀でもう一人の腕を斬りつけた。怒鳴り声が上がり、少年を追いかけるようにして、最初の山賊二人も草陰から現れる。状況が良くなったとは言えないが、少なくともウォルクハルはすんでのところで命拾いした。
 あの少年は考えていた以上に頼もしい助太刀になる。彼はそう考えた。二人でやればこの場を切り抜けられるだろう。ところがその考えも、混戦になるとすぐに思いがけない方向へ裏切られてしまった。
 いざともに戦闘へ身を投じてみれば、少年の戦い方は一切想像もつかなかった。ウォルクハルが頭目と鍔迫り合いになった時、もう一人の山賊が彼に近づいていた。同時に彼は背後から少年が走り寄ってくるのも見た。彼は少年がこの山賊の相手をしてくれるだろうと考えた。案の定背後で敵の悲鳴が上がり、一呼吸遅れて不思議にも鍔迫り合いをしていた頭目が突然膝を崩す。彼は何が起きたのか見当がつかなかった。直後、彼の股の下をひゅっと風が通り、少年が血に濡れた剣を引っ込めたのに気がついた。彼はすべてを了解すると、少年と背中合わせに身体を交わし、ひるんでいた後ろの山賊に斬り込む。少年は手負いの頭目に向かい合う。
 とんでもない所から支援してくれるものだ。味方が来てこれほど肝を冷やすことになろうとは、思いもしなかった。
 おまけに少年の破天荒さはこれだけではなかった。頭目を守るように新手の山賊が少年の前に躍り出たが、この男はめっぽう剣の腕が立ち、腕力も強かった。すると少年は全速力で逃げにかかったのだ。おかげでウォルクハルは一人でその山賊の前にも出なければならなかった。敵味方どちらも、あの少年は恐れをなして逃げ去ったと思っていた。まさか彼らが打ち合っている最中、近くの草陰にこっそり戻ってきて敵の不意をつくなど、夢にも思わなかった。
 豪腕の山賊から一撃を受け止めながら、ウォルクハルは呆れて少年に怒鳴った。
「お前はまともに戦う気があるのか。俺は敵よりもお前の行動の方が面倒で仕方がない」
「戦うのは兵士の仕事だろ」
 少年は悪びれることなく答えた。
「俺はただ自分の身とあんたの身を安全にしようと思っているだけさ。剣の腕もだいぶ鈍ってるから、あんたみたいに真っ向勝負はできないよ」
 彼は溜息をついた。少年はああ言うが、戦い方を見る限り異様に荒々しく残酷な斬り方をしている。まるで骨まで届けと力一杯刃を叩きつけ、体格の優れた敵に対し少年の肩や腕がその衝撃に耐えられるのかと危ぶまれるほどだ。しかし大振りな動きはかなり柔軟で、繊細かつ的確でさえあった。彼が渡した剣についても、まるで最初から自分の物であったかのように、その扱いを熟知していた。少年は重たい刃が敵の身体に当たる直前、力を抜いて振りの慣性に剣の重みを任せた。血飛沫が上がるとともに再び力を込めて、剣をぐいと手前に引き寄せ弾みをつけてから向こう側に押し流す。自分の身体にかかる負担を最小限にとどめるやり方だ。そして豪腕の山賊は、ウォルクハルに両手を塞がれているところを少年に襲われ、両腕に深手を負うこととなった。生きて傷が癒えたとて、生涯剣を握れることはないだろう。
 残りの山賊達はすでに戦意を削がれ、逃げにかかるところだった。真っ向から挑んでくるウォルクハルより、立ち回りがやたらと狡猾な少年を厄介に感じたのだ。
 戦闘は襲撃者達の敗走に終わった。倒した敵の数人は草むらの中で、どこにいるものか生死も定かでない。ウォルクハルはぐるりと周りを確認する。ずっと息を潜めてススキの陰に隠れていた歌人が道に出てくる。
「何人だ? 記憶が確かなら、二人が草の中に倒れている。もう一人はここだ」
「草の中の奴らは確実に殺った」
 呼吸を整えながら、少年が神妙に答える。ウォルクハルは短剣を抜き、倒れていた半生半死の敵に手際の良い止めを入れて楽にしてやる。道にはその山賊と、猟犬二頭が死んで横たわることになった。
「こいつらを草の中に隠そう。街道の血も、土を被せてできるだけ隠すんだ。と、その前にエカル。俺の剣を返せ。お前に使わせていると、すぐに折られてしまいそうだ。それに、お前自身の身体にも良くない。成長途中の骨は柔らかい。あんな負担のくる戦い方をするもんじゃないんだ」
 少年は言われたとおり、差し出されたウォルクハルの堅い手のひらへ鞘に収めた剣を置く。
「しかし大したものだ。もしお前がいなかったら、俺はここで晒し首にでもなっていただろう。軍にいたら、強い方の部類に入るのかもしれないな」
 ウォルクハルは手渡された剣を持った腕を引き、肩を半回転させて自分の剣の切っ先を少年の喉に突きつけた。切っ先は少年の喉の付け根まで、ゆっくりと狙いを定めるかのように動く。少年は息を止め、やや顎をあげながら切っ先の行方を見守った。彼は少年の胸骨の上で剣を止めた。
「剣は恐いか?」
 ウォルクハルは低い声色で問う。
「いいや」
 答えるために息を吸った少年の胸元に、切っ先はわずかな傷をつけた。少年の瞳は冴えて冷たく、戦闘の最初に見せた獣染みた熱火は姿を消している。戦闘の高揚から戻るのも、熟練の兵士並みに早い。
「剣を恐れるなと教えられた。恐れなければ、避けるも受けるも自在になると」
「なるほど。それは火を恐れるなと教わるのと同じだな。教わって、本当にそのとおりにできるとは、相当だ。お前は生来の剣士だな。得物の扱いもあしらいも自在だ」
「いや、剣士じゃない」
 少年の声は少し悲しげにかすれた。
「身を守るのに必要なら使うだけだ。今は滅多に使わない。自分用のも持っていない。俺は剣が他のより得意だけど、斧でもただの棒切れでも盾でも鍋の蓋だろうと、必要なら使うだけなんだ」
「そうか。俺も兵士ではなく狩人だった。自然に定められたものと、狩猟神に命じられた獲物を狩るだけのささやかな暮らしだった」
 ウォルクハルは少年の瞳を確かめるように真っ直ぐ見つめ、それから突然剣を引いた。
「弓は仲間の所に置いてきてしまったが。カイコーズの男は、狩人か弓職人のどちらかを選ぶしかなく、他の何にもなれなかったから迷いもなかった。お前はまだ若く、力も頭もある。そのうち己が何か知り、進むべき道も見えてくるだろう。お前にも信奉する神がいるだろう?」
 彼は剣を収め、道端に転がったままの山賊を肩に抱えた。左足の傷が血を吹き彼はよろめいたが、そのまま死体を草陰に隠しに行った。歌人と少年も素早く動き、辺りの血溜まりに土を被せ、さらにその上に土を盛って血を吸った土を草の中へ投げる。山賊に襲われたのは昼前だが、道があらかた片付いたのはすでに午後も遅くになっていた。ウォルクハル自身は死体を隠した後は歌人達に勧められ、傷の手当と休息に専念した。かろうじて明るさを保つ空からは、薄雲から絞り出された雨粒がぽつぽつとまばらに降っていた。
「許されるなら、呻きたいところだ」
「構わないわよ。その傷、私だったらずっと気絶しているわ。なんにしても、傷口を焼かなくてよかった。これでもましなほうよ。焼いて固めていたら、歩くことすら危うかったでしょう。それを大立回りしたんだから」
 ウォルクハルの泣き言に傷口を覗き込みながら、歌人は眉をひそめた。戦闘での激しい動きに、傷口は昨晩とは比べ物にならないほどひどくなっていた。何より傷を負っている本人の衰弱が目に見える。少年は安全を確かめに、来た道と先の道を偵察へと行っていた。あわよくば、逃げた駄馬の一頭でも捕まらないかという算段もあった。
「あの少年は東州に戻すべきだ。西州はあいつのいる場所ではない」
 カイコーズの龍狩人は脈絡なく呟いた。しかしそれは歌人に通じ、彼女は首をふる。
「あなたがあの子の中に何を見たか知らないけれど、彼の本性をいたずらに突つくようなことはやめて。西州に何もないとは言い切れないはずよ。現に東州人のあなたはここで失われたはずの希望を見つけた。もう一度故郷を取り戻すね。そのために生きようとしてるし、生かされている。東州にいたらどうなっていた? 西州に迷い込んだおかげよ」
「そうだ。そして死にかけている」
「カイコーズの女は、むつかる男をどう励ましているの? 子どもみたいに胸に抱きしめて額に接吻でも?」
「あんたは本当に博識だが、その言い草はまだ手加減しているほうかな。……俺は、東州最古の神話の切れっ端が、この膿と血混じりの汚泥と詐欺と欺瞞に満ちた混沌の西州にあるのが気に食わないだけだ」
「私はその切れっ端を、東州の蛆と腐臭漂う戦場、手垢に曇った黄金と歪んだ欲望から一度離そうと思ったの。他に思いつかなかったから。でも東州では雪と陽光がそれらを清める。それに西州では砂と泉があなたの言ったものすべてを清めるのよ。人は、人によって治される。彼に必要な人も旅を続ける限り見つかるでしょう。これまでに何人かいたわ。あなたにも出会った。それが良いことか悪いことか、答えが出るのは先でしょうけど」
「確信はしていない。できない。龍が人に化けるなど物語の中だけだ」
「いつかお互いに運命の日が訪れるかもしれない」
「やめてくれ! あれはもう終わった伝説だ……。頭が回らない。まるで、まるで……」
「その傷のせいね。傷の熱に浮かされながら石食い姫の物語を語ったから、幻影が見えたのかもしれない。今もあなたはあの世とこの世をふらふらして、夢から覚め切れていない」
「夢なら覚めたいものだ。ああ、言わなかったか? カイコーズの王家はひとつも傷ついていない。処刑されたのは王で、女王ではない。あいつら、女王を妃としか見なさなかった……。あの方の姫君達もそろそろ年頃になって、婿を迎える頃だろう。生まれる世継ぎはまた女王だろうか。それとも王だろうか」
「たとえ王子が生まれたとしても、狩人ならば、獲物が育つまで待っていて。私は獲物の守護者よ。狩人を近づけさせやしないわ。少し眠るといい。そうすれば夢から覚める。日が暮れる前に、この血生臭い場所から少しでも離れなくては」
「血生臭い場所か」
 灰色の虚ろな瞳が、歌人の姿を捉えようと幾度か眇められた。
「お前はこれまでどれだけそういった場所を渡って来たのか。その……、こう言うのを許して欲しい。あんたは昨晩も今も、あれだけの殺戮を見ながら、死にかけの殺戮者を前にしながら、清々しいほど涼やかで冷淡だ。あの火床端で俺が見ていたのは、傷だらけの少年と神話だけではない。あんたの火床が照らす瞳や髪を梳く姿態は、ディンの立ち姿以上に、美しかった。あの陰気な宿で、血塗れの街道で、白峰の溶けぬ雪を口に含むような」
 歌人は狩人の前に膝をつき、伸ばした片手を相手の頬に当てる。そして顔を引き寄せ口づけた。冷たい唇が離れ、彼は頬の白い指に触れて呟く。
「これも熱に浮かされた夢で終わるのか」
 答えはなく、彼女は風のように素早く立ち上がる。五つの弦が同時に力強くかき鳴らされた。焦点を失いつつある彼の視界で明るく見えるのは、歌人の肌と頭髪に思しき部分だけとなっていた。

輝く角持つテシオッサ
白峰の猛る猟犬を呼び戻せ
かの者達は獲物を待つ
新たな血が古き伝説に満ちるまで
かの者達は龍を待つ

 どこか虚ろな歌声が響く。それは故郷を失った者の心に深く沁み入り、強く震わせた。
 カイコーズの旋律は敢えて節回しを変えず、六つの音のうちひとつを抜いて奏でられたが、ウォルクハルは奏でられなかった音を耳の内で補うことができた。意識は朦朧とし、彼は断ち難い睡魔の誘惑に駆られる。
「分かった。ここで別れよう。あいつが再び東州に戻るまで、俺は、カイコーズの狩人は、近づくまい。必要ならば護り抜く。龍と共に国が蘇るのであれば——」
 ウォルクハルはそこで束の間の眠りに落ちた。瞼の裏の火はもう、消えていた。

龍鱗 - 完 -