続続、からまわる。



     「――――そうそう、宮田くん。今度、いつ空いてる?」

     「ちょっと待て…。明々後日の午後――、なら大丈夫だな。お前は?」

     「明々後日、だね。――うん、大丈夫!ジムも早めに行くから…夕方六時はどう?」

     「いいぜ。…じゃあ明々後日、駅前な」

     「うん…!それじゃあおやすみなさい、宮田くん」

     プツリと携帯を切ると、オレは溜息を一つ吐いてカレンダーを眺めた。

     「はぁ…」

     会話の最後の、嬉しさを滲ませたアイツの声がまだ耳に残っている。
     そんなアイツとは正反対に、今のオレが放った一言は酷く重苦しく空中に撒布した。
     ボールペンを手に取り、三日後のカレンダーの日付に一つ印と時間を書き込むとオレはベッドに寝転がった。

     「…どうしろってんだよ…」

     自室の無機質な白い天井を眺めながら、オレはもう一度ひとりごちた。





     二度目の告白(アイツにとっては友達宣言)から、ふた月あまり。
     オレは軽い眩暈を感じながらも、幕之内に自分の携帯番号を教え、その後連絡を取り合いたまに会う…というような事をするようになった。
     …と言っても、お互いトレーニングやバイトや仕事があるので、数としては片手の指で足りる程度だ。
     アイツと二人で会って、食事をしたり話をしたり。出かける事(後楽園ホールへだが)もした。

     幕之内とこんな風に付き合うことが出来るようになったのは正直、オレとしても嬉しい。
     だが、これはあくまで『同性間の友達同士』としての付き合い、だ。


     オレが望んでいるのは友達としてのそれよりももっと強く、もっと深く、もっと――――…。

     所が、幕之内はオレがこんな風に自分を想っているなんてまったく気付いていないようで。
     前回の事からでも分かるとおり、アイツの鈍さは筋金入りだ。それこそ世界チャンピオン級と言ってもいいくらいだ。
     会うたびに幸せそうな笑顔を自分に向け、事あるごとに嬉しそうにする幕之内を見ていると惚れた相手とは言え…、さすがにその鈍さを腹立たしく思うこともある。
     オレに対して明け透けに寄せてくる尊敬と好意の眼差し、行動、態度。
     その数々が、すべてアイツの言う所の『友達』としての線引き内に入っているのかと思うと無性に苛立ってしまうのだ。


     自惚れではなく、オレはアイツから好意を持たれている、とは思う。


     ………だが、アイツが向けてくる想いとオレが向けている想いはあまりにも違いすぎて、オレは苦しい。
     だからと言って、鈍さ世界チャンピオンの幕之内に自分の本当の気持ちをどう告げたらいいのかも分からない。
     下手をすれば、アイツを傷付けてしまう事になってしまうかもしれない。
     でも、いつまでもこの状態でなどいるのはまっぴらゴメンだ。

     そんな事をここ最近グルグルと考え、オレはひとり憂鬱な気分になっているのだった。










     「ごめんね!宮田くん、…待った?」

     「オレも今来たとこ」

     家路に向かう人々に見え隠れしながら時間ちょうどに駅改札前に着いた幕之内は、いつにもまして嬉しそうにオレに話しかけてきた。

     「えへへ…、嬉しいな。二週間とちょっと…振りくらいだね。宮田くんに会うの」

     「たいして経ってねえじゃんか」

     そのキラキラした笑顔がオレの胸に突き刺さり、そっけない返事をする。

     「そんな事無いよ!もう〜…」

     頬を膨らませて反論しようとするアイツが、思いのほか可愛らしくて胸が詰まる。
     分かっていないというのは、本当に、罪だ。

     「ちょっと早えけど…、どうする?飯に行くか?」

     「そうだね、話してるうちに時間経っちゃうから、お店に入っちゃう方が良いね」

     オレ達は待ち合わせ場所を後にすると、駅からほどなく行った所にあるファミレスに入る事にした。
     しばらく近況等を話してから、食事をとってまた話をして。
     入った時はまだ明るさを残していた景色が今ではすっかり日も落ち、窓の外は夜の帳に包まれていた。
     
     段々と客の入りが増えてきたので時計を見ると、結構な時間が経っていたのでオレ達は店を出た。
     国道14号に沿って、河川敷に向かうように歩き出す。
     幕之内のすぐ隣を歩いていたら、オレの左手にアイツの右手がチョン、とわずかに触れた。

     途端、幕之内は身体を些か強張らせパッと手を退くと照れた顔を赤く染めて、慌ててオレに『ゴ・ゴメンね』と言ってきた。
     オレを自惚れさせるようなそんな態度をとるアイツに、心の奥がざらついた。

     道が交差した所で江戸川堤防線に進路を変える。もう土手は目の前だ。
     もうすぐオレ達の時間も終わりを迎える…と思った時、幕之内が照れくさそうにオレに向かって話しかけた。


     「宮田くん…。あの、あのね、今度はいつぐらいに会えるかなぁ?」

     「んな先の事はまだ分かんねぇよ」

     苛立ちで思いのほかキツイ物言いをしてしまったが、幕之内にはそこに隠されているオレの気持ちなど分かる筈もなく。

     「そ・そうだよね…。お互いプロボクサーだし、ね」

     とエヘヘと暢気に頬を掻いて笑っているアイツにまた一つ、自分の胸が波立った。

     「ボクね、宮田くんと会える日がすごく楽しみだから…。つい聞いちゃって…、ゴメンね」

     そんなふうに言うな。どんな顔したらいいか分からなくなる。

     「宮田くんと会って、色んな話が出来るのがすごく楽しくて、嬉しくて…。ずっとこうしていたいな、って思っちゃうんだ」

     ずっと、こうしていたい……?……友達として?
     ―――――ふざけんじゃねえ。



     オレはお前が好きなんだ。
     お前の全部が好きなんだ。
     そして、お前の全部が欲しいんだ。




     オレの中で何かかプツリと切れた音がした。
     もう、限界だった。



     「……オイ」

     「え、何?宮田くん」

     「好きだ」

     「うん、ボクも…」

     「―――違う、そうじゃねえ」

     「……え?」

     アイツのライトブルーのTシャツを掴むと、オレはグッと勢い良く幕之内を自分の方に引っ張った。
     バランスを崩し、よろけてオレの鼻先に近付いて止まったアイツに、オレは。

     「………こういう意味で、」

     オレを疑問視しながら見上げる、少しひらいた幕之内の唇。
     今度は持ち上げるようにしてアイツの胸倉を掴んで引き寄せる。
     互いの前髪が重なるように触れ合い、触れ合った皮膚の温度が微かに相手に伝わる刹那、アイツの黒い瞳がおおきく揺れた。


     唇の柔らかさを感じたのはほんの一瞬、攫うように掠めて。




     「『好きだ』って言ってんだよ」




     焦燥と衝動に任せて、オレは幕之内の唇を奪っていた。


     何が起こったのか分かっていない様子のアイツだったが、状況が理解できたのかだんだんとその瞳を大きく見開いていった。

     「…み、宮田くん…。…ボクの事、か、からかってるんでしょ?エイプリルフールは、もうとっくに…」

     曖昧な笑みでは驚きを隠せず、アイツの瞳が動揺でゆらゆらと揺らいでいる。

     「……からかってるわけでも、冗談を言っている訳でもない」

     オレのいたって真面目な表情に、幕之内が体を固くした。

     「え?だ、だって…、宮田くん、ボ・ボク達…」

     ライバルで、しかも友達だと思っていた同性に告白されてしまい幕之内は軽く混乱している様子だった。
     傷付けたくないと思っていたのに、結局苛立ちをアイツにぶつけてしまった自分の短気さが恨めしい。
     こうなったらいっその事、オレの想い全てをアイツに分からせるくらいにハッキリと告げてしまえばいい。


     「ヤロー同士だろうがライバル同士だろうが、関係ねぇ」

     「―――――――!!」

     「オレは、本気で」

     「お前が好きなんだよ」

     射るように真っ直ぐに見つめると、その視線に耐えられないのか幕之内は視線を下に逸らして俯いた。
     アイツの右手に力が込められ、自分の左腕を縋るように掴んでいる。緊張しているのが分かった。

     「……なぁ」

     片足を踏み出し距離を詰めると、反射的に幕之内は後ずさり距離を離した。

     「待てよ!」


     どんなでもいい。アイツの気持ちが知りたくて、アイツの顔が見たくて、オレは逃がすまい、と咄嗟に幕之内の腕に手を伸ばした。
     巷で電光石火と呼ばれているハンドスピードで、オレはアイツの左腕を掴む事に成功した。

     ビクッとアイツの肩が跳ねたのが腕を通して伝わり、オレは顔を上げ幕之内を見遣ると――――。
     頬から耳から…、顔全体に。いや、首も腕も全身を真っ赤に染め、泣き出しそうな顔をしたアイツがそこに、居た。

     「お前―――?」

     「あの、その…、―――ゴ・ゴメンッ!!!」

     幕之内の相反したその表情に、オレは面食らい一瞬怯んでしまった。
     その隙をついて、アイツはオレの手を振りほどき10を0にするダッシュ力で、あっと言う間に土手を駆け上がって走って行ってしまった。
     二度目に伸ばした掌は空を切り、オレは幕之内の去って行った闇夜をただ呆然と見つめて佇むしか出来なかった。





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