本文へスキップ

季節だより

2012年~2013年

2012年2013年お知らせ





2013年12月1日  26号
高槻市民の木 けやき 
  芥川遊歩道



     市役所前 けやき通り

 高槻市民の木である「けやき」(昭和42年3月17日選定)は古名を「槻(つきの木)」「つきけやき(強い木の意味)」ともいい、室町時代(1390年頃)この地に大きな「槻」の木があり、その高さは20丈(約60メートル)にもおよび、昼間も暗いほど繁茂していたところから、地名も「高月」から「高槻」になったと伝えられてる。
 葉の鋸歯(のこぎりば)は曲線的に葉先に向かう特徴的な形であり、鋸歯の先端は尖る。花は4 - 5月頃、葉が出る前に開花する。秋の紅葉が美しい樹木でもある。個体によって色が異なり、赤や黄色に紅葉する。
 木目が美しく、磨くと著しい光沢を生じる。堅くて摩耗に強いので、家具・建具等の指物に使われる。日本家屋の建築用材としても古くから多用され、神社仏閣などにも用いられた。現在は高価となり、なかなか庶民の住宅には使えなくなっている。
 高槻市役所の前からJR高槻駅までの道路の両サイドにけやきが植えられておりけやき通りと呼ばれている。この通りは電柱電線を地下化して地上景観をすっきりさせている。また幅は22mあるが中央分離帯がない。当時の高槻市長が高槻祭の時の行列のため中央分離帯があると困ると強く主張して国土交通省も「折れた」とのことである。






今月の歌

「この世の花」

あかく咲く花 青い花
この世に咲く花 数々あれど
涙にぬれて 蕾のままに
散るは乙女の 初恋の花

想うひとには 嫁がれず
想わぬひとの 言うまま気まま
悲しさこらえ 笑顔を見せて
散るもいじらし 初恋の花

君のみ胸に 黒髪を
うずめたたのしい 想い出月夜
よろこび去りて 涙はのこる
夢は返らぬ 初恋の花


作詞:西条八十 作曲:万城目正

島倉千代子:
昭和13年3月30日生まれ。
11月8日になくなりました。
ご冥福をお祈りします。

『この世の花』は、雑誌「明星」に連載された北条誠の小説でもある。1955年(昭和30年)公開の映画および同映画の主題歌のタイトルでもあり島倉千代子が歌いデビュー曲となった。





   今年も見事な出来です   ご近所にて


   芥川 新川桜堤


   今年も見事に咲いています  コウテイダリア  芥川 新川桜堤


トップページへ戻る


2013年11月1日  25号
運動会





10月6日(日) 第一中学校にて高槻市ふれあい運動会が開催されました。
 召集係としてお手伝い。(身障者主体の運動会)




 運動会の起源はヨーロッパにあるとされるが、欧米では体育及びスポーツの分化により、一方では特定種目の競技会やそれを複合させたスポーツ競技会、一方で子どもによる伝統的な遊戯まつりやピクニック会などへとつながって今日に至っている。そのため、日本の運動会のように参加者が一定のプログラムについて順次全体としてまとまりながら競技・演技を行う形式の体育的行事は「近代日本独特の体育的行事」といわれる。
 運動会が日本で行われだしたのは明治時代である。当初、運動会は「競闘遊戯会」「体操会」「体育大会」などと呼ばれていた。
 日本で最初に行われた運動会は定説によれば1874年3月21日、海軍兵学校で行われた競闘遊戯会であるとされる。




   はにたん登場(高槻市のマスコットキャラクター



 今月の歌           

   「リンゴの唄」

赤いリンゴに 口びるよせて
だまってみている 青い空
リンゴはなんにも いわないけれど
リンゴの気持は よくわかる
リンゴ可愛(かわ)いや可愛いやリンゴ

あの娘(こ)よい子だ 気立てのよい娘
リンゴによく似た かわいい娘
どなたが言ったか うれしいうわさ
かるいクシャミも とんで出る
リンゴ可愛いや可愛いやリンゴ

朝のあいさつ 夕べの別れ
いとしいリンゴに ささやけば
言葉は出さずに 小くびをまげて
あすもまたネと 夢見顔
リンゴ可愛いや可愛いやリンゴ

歌いましょうか リンゴの歌を
二人で歌えば なおたのし
みんなで歌えば なおなおうれし
リンゴの気持を 伝えよか
リンゴ可愛いや可愛いやリンゴ




 日本で戦後映画の第1号『そよかぜ』(昭和20年10月10日公開、松竹大船)の挿入歌として発表され、日本の戦後のヒット曲第1号となった楽曲。作詞はサトウハチロー。作曲は万城目正。歌唱は並木路子、霧島昇。並木は映画『そよかぜ』の主演であり、霧島昇も『そよかぜ』に出演している。
 サトウハチローがこの詞を作ったのは戦時中であったが、「戦時下に軟弱すぎる」という理由で検閲不許可とされ、戦争終了後に日の目を見た。可憐な少女の思いを赤いリンゴに託して歌う歌詞が、戦後の焼け跡の風景や戦時の重圧からの解放感とうまく合っていたのと、敗戦によって憔悴しきった国民の心を癒される楽曲と評価され、空前の大ヒットとなった。
 吹き込みの際、作曲者の万城目正は度々ダメを出し、「もっと明るく歌うように」と指示した。しかし、この注文は当時の並木には酷で、並木は戦争で父親と次兄、3月10日の東京大空襲で母を亡くしていたため、とてもそんな気分にはなれなかったのである。その事を聞いた万城目は、「君一人が不幸じゃないんだよ」と諭して並木を励まし、あの心躍らせるような明るい歌声が生まれたという。

                   

白鷺(シラサギ)
 シラサギという名前のサギがいるわけではなく全身が白いサギ類の総称で、日本ではダイサギ・チュウサギ・コサギ・カラシラサギを指す。
ダイサギ、コサギは大阪でも普通に生息している。
写真はダイサギ 芥川にて。




トップページへ戻る


2013年10月1日 第24号
名月
  名月や 池をめぐりて 夜もすがら     松尾芭蕉  
 空には名月があり、池にも月影がうつっている。
その美しさに心を奪われて、池のまわりを歩きながら
ながめているうちに、つい一夜を過ごしてしまった。 
    季語:名月(秋)
                              
松尾 芭蕉
(まつお ばしょう 1644年 - 1694年)
 江戸時代前期の俳諧師。現在の三重県伊賀市出身。
 蕉風と呼ばれる芸術性の極めて高い句風を確立し、後世では俳聖として
世界的にも知られる、日本史上最高の俳諧師の一人である。
 『奥の細道』は芭蕉が弟子の河合曾良を伴い、元禄2年(1689年)に
江戸を立ち東北、北陸を巡り岐阜の大垣まで旅した紀行文,つまり旅を
しながら俳句を詠んだ旅日記である。全行程2400キロ、150日間に渡った。
 私は単身赴任で5年間大垣市に住んでいました。
大垣市では松尾芭蕉が「奥の細道」の旅を終えた”むすびの地”としていろんな取り組みがされています。


今月の歌

「夕焼け小焼け」

夕焼け 小焼けで 日が暮れて
山のお寺の 鐘がなる
おててつないで みなかえろう
からすと いっしょに かえりましょ

子供が かえった あとからは
まるい大きな お月さま
小鳥が夢を 見るころは
空には きらきら 金の星


作詞:中村雨紅 作曲:草川信

 大正8年に作詞、大正12年に作曲された。
 この歌の情景は、雨紅の故郷である東京府南多摩郡恩方村(現在の東京都八王子市)のものである。彼の生家の近くにある「夕やけ小やけふれあいの里」前には「夕焼小焼」バス停が設置され、高尾駅と陣馬高原下を結ぶ路線のバスが停車する。かつては、不定期にボンネットバスの夕やけ小やけ号が運行されていた。
 全国的に、平日休日問わず夕方になると各市町村で、防災無線などを介し、鉄塔・パンザマスト・電柱などに設置されたトランペットスピーカーから夕焼小焼(インスト)が流れ、放送周辺地域の小学生らの帰宅の合図として親しまれている




台風一過
 台風18号が通り過ぎた翌日(9/17)、抜けるような青空が広がりました。芥川にて、出来るだけ青空を入れて撮ってみました



ジャコウアゲハ キバナコスモス                    フヨウ

コスモス                                   花の名?

トップページへ戻る



2013年9月1日 第23号
スズメ
 夕立や 草葉をつかむ むら雀(すずめ)   与謝蕪村 

 夏の午後、急に夕立が降ってきた。雀(スズメ)たちはこまって草葉のかげにかくれて、ちぢこまっている。 夕立のすさまじさを詠んでいる。
       「むら雀」=雀の群れ。季語:夕立(夏)


       芥川付近にて


 スズメは本来樹上に営巣する鳥で、地上2~10メートルの樹上に膨大な草の茎葉を使って丸い横型の巣をつくる。長い年月、人間とかかわり合って、人間の改良した穀物の味を覚えたからか、人家のある所かならずスズメがいると思わせるまでになり、巣づくりも樹上から人家の構造物に移動するようになった。人間の去った廃村には家屋が残ってもスズメは残らないほど、人間とのかかわり合いが深い。


今月の歌             

「青い山脈」

若く明るい 歌声に
雪崩(なだれ)は消える 花も咲く
青い山脈 雪割桜
空のはて
今日もわれらの 夢を呼ぶ

古い上衣(うわぎ)よ さようなら
さみしい夢よ さようなら
青い山脈 バラ色雲へ
あこがれの
旅の乙女に 鳥も啼(な)く

雨にぬれてる 焼けあとの
名も無い花も ふり仰ぐ
青い山脈 かがやく嶺(みね)の
なつかしさ
見れば涙が またにじむ

父も夢見た 母も見た
旅路のはての そのはての
青い山脈 みどりの谷へ
旅をゆく
若いわれらに 鐘が鳴る


西條八十作詞・服部良一作曲

  ”青い山脈”ってポンポン山のこと・・・??? 

 「青い山脈」は石坂洋次郎原作の日本映画『青い山脈』の主題歌として1949年に発表された曲である。発表当初は藤山一郎と奈良光枝が歌っているが、奈良が早世したこともあり藤山一郎の歌としても有名である。
 服部良一(大阪市出身)は、著書の中で「梅田から省線に乗って、京都に向かう途中のこと、日本晴れのはるか彼方にくっきりと描く六甲山脈の連峰をながめているうちににわかに曲想がわいてきた」と記している。近年、これを曲解し大阪府北摂地方の山並みとしている資料もある。
 省線とは:1920年から1949年の間、現在の「JR線」に相当する鉄道を指した言葉。当時の国有鉄道が、以下のような「省」レベルの政府機関によって運営されていたことによる。

   •鉄道省(1920年~1943年)
   •運輸通信省(1943年~1945年)
   •運輸省(1945年~1949年)
 1949年からは日本国有鉄道(国鉄)となった。1987年(昭和62年)に分割、民営化されJRとなる。

 ポンポン山⇒京都市西京区と高槻市の境界に位置する標高678.7mの山で、高槻市の最高峰。

       芥川にて JRと山並み

歌 藤山一郎/奈良光枝 (YouTube)


熱帯性スイレン
 花は朝開いて夕方には閉じるが、開閉を繰り返しながら、
3日間咲き続ける。開花期間も長く、7月から10月まで。



 自宅にて


トップページに戻る


2013年8月1日 第22号
 夏川を こすうれしさよ 手にぞうり   与謝蕪村 

 「ぞうりをぬいで手に持ち、素足のまま夏の川をわたる。
                何ともうれしく、気持ちのよいことだ。」
  子供のころの水遊びを想起させますし涼を呼ぶ句ですね。
              季語:夏川


 芥川にて

 与謝 蕪村(よさ ぶそん)(1716年 - 1784年)は、江戸時代中期の俳人、画家。今の大阪市都島区毛馬町に生まれた。20歳の頃江戸に下り俳諧を学ぶ。45歳頃に結婚し一人娘くのを儲けた。以後、京都で生涯を過ごした。





 写真は大阪市都島区毛馬町の淀川の堤の上にある「蕪村生誕地」碑と句碑。淀川改修100年を記念して昭和53年に建てられた。句は「春風や 堤長うして 家遠し」と刻まれている。
 2010年4月に自転車で淀川沿いに下って大阪城に桜を見に行ったときにたまたま見つけました。(まだ元気がありました)

今月の歌       

 
『みかんの花咲く丘』

みかんの花が 咲いている
思い出の道 丘の道
はるかに見える 青い海
お船がとおく 霞(かす)んでる

黒い煙(けむり)を はきながら
お船はどこへ 行くのでしょう
波に揺(ゆ)られて 島のかげ
汽笛がぼうと 鳴りました

何時か来た丘 母さんと
一緒に眺(なが)めた あの島よ
今日もひとりで 見ていると
やさしい母さん 思われる


 終戦直後の昭和21年8月24日に作詞家加藤省吾氏によって作詞され、作曲家海沼実氏によって作曲されました。
 この歌は、翌日のNHKのスタジオと伊東西国民学校(現在の伊東市立西小学校)を結ぶ日本で初のラジオ二元放送「空の劇場」で、当時人気のあった川田正子さんがこの番組で歌うために作られたものです。
 一幅の絵画を思わせるもので、敗戦に打ちひしがれた国民に受け入れられ、新風を捲きおこし燎原の火の如く一世を風靡し、戦後の暗い世相の人々の心に明るい灯火をともしました。以来絶えることなく、現在も広く国民に愛唱されています。



 
自宅にて

サルスベリ

 中国南部を原産とする夏を代表する花木の一つで、冬は落葉します。
「猿も滑って落ちる→猿滑り」というのが、名前の由来とされています。
(実際には猿は滑ることなく簡単に上ってしまう)
漢字では「百日紅」という漢字を当てているように、開花期間が長く花は7月のはじめから咲き始め9月の終わりまで真夏の日射しを楽しむかのように咲いている。



 
芥川 ひまわり

 芥川  ジャコウアゲハ(♀)


トップページに戻る


2013年7月1日 第21号
カボチャ

雄花


雌花
             


 カボチャを植えてみました。受粉しなかった雌花は腐ってしまいましたがあれこれ調べて受粉してみた結果、順調に大きくなり2週間でこんなに大きくなりました。収穫は交配後、45日から50日後とか。
 かぼちゃは、ウリ科の蔓性一年草の野菜。熱帯アメリカ原産。
 名前は国の名「カンボジア(Cambodia)」に由来する。
 天文年間(1532~55年、室町時代)にポルトガル人がカンボジアの産物として日本に伝えたことから、当初「カボチャ瓜」と呼ばれ、のちに「瓜」が落ちて「カボチャ」と呼ばれるようになった。
 漢字の「南瓜」は南蛮渡来の瓜の意味で、中国でも「南瓜(ナングァ)」と呼ばれる。かぼちゃの異名には「南京(ナンキン)」、「ボウブラ」、「唐茄子(トウナス)」がある。南京は日本にもたらされる寄港地である中国の「南京」に由来し、ボウブラはウリ科の植物を意味するポルトガル語「abobora」に由来、唐茄子は唐の国から渡来した茄子という意味からとか。



今月の歌   

  『たなばたさま』

  ささの葉さらさら
  のきばにゆれる
  お星さまきらきら
  金銀砂子(すなご)

  五色(ごしき)のたんざく
  わたしがかいた
  お星さまきらきら
  空から見てる 



権藤はなよ/林柳波作詞・下総皖一作曲

 昭和16年3月に文部省発行の「うたのほん 下」に掲載された唱歌。
 一番の歌詞の最後に出てくる「金銀砂子(きんぎんすなご)」という単語ですが、金銀は夜空で星が輝く様子が「金」や「銀」に見えるからでしょうが、後ろの「砂子」とは何を表しているのか。実は、これは「砂」を表す言葉なのです。つまり、これは天の川を本当の「川」に見立てて、周囲の星を「砂」に見立てて書かれたのです。
 中国を起源とする日本の伝統行事「七夕祭り」では、短冊に願い事を書き葉竹に飾る行事が一般的に行われる。短冊などを笹に飾る風習は江戸時代から始まったもので、日本以外では見られない。

歌  (YouTube)




 朝顔につるべ取られてもらい水      加賀千代女  




 朝顔が一輪咲きました。
句の作者は加賀の俳人「千代女」(1703年~1775年)
石川県白山市の出身。
「朝井戸で水を汲もうとしたら朝顔のツルが、釣紐の所に巻ついていたので、朝顔のツルを切って水を汲むのは可愛そうと思いお隣の家に水を貰いに行った」
 風流ですね。しかし井戸はもう見かけなくなりました。



トップページへ戻る


2013年6月1日 第20号
ホオジロ

淀川 枚方市側 ホオジロ

 写真はホオジロ(頬白)です。日本では全土にごく普通にいる鳥です。「チョッピーチリーチョチーツク」と鳴きますが「一筆啓上つかまつる」「源平ツツジ白ツツジ」と聞きなされる声は風格があります。さえずりは木の頂とか電線とかフェンス上とか、高い場所で胸を張った姿勢で行うのが普通です。

・さえずり:繁殖期の雄鳥が発する鳴き声。雄が、求愛のために雌を呼び、子育てのためのなわばりを確保するための行動。

・聞きなし:動物の鳴き声、主に鳥のさえずりを人間の言葉に、時には意味のある言語の言葉やフレーズに当てはめて憶えやすくしたもの。

・ウグイスのさえずりは
「法法華経」(ホーホケキョ)と聞きなされています。ホトトギスは「特許許可局」(キョッキョッ キョキョキョキョ)


今月の歌   
 
『かたつむり』  

でんでん虫々 かたつむり、
お前のあたまは どこにある。
角だせ槍(やり)だせ あたまだせ。

でんでん虫々 かたつむり、
お前のめだまは どこにある。
角だせ槍だせ めだま出せ。


歌 (YouTube)


テッセン




ご近所から頂いたテッセンが咲きました。テッセンはつる性多年草。中国原産。花は白または紫。クレマチスの仲間。語源はつるが針金(鉄線)のように強いことから付いた名。中国から日本に渡来した時期は室町時代と考えられている。


ヒメボタル



 今年も5月18日に芥川(庄所)にてヒメボタル観賞会が開催され、多くの方が見に来られていましたがホタルはわずかでした。ただ道沿いにろうそくが灯され河川敷には文字”つながり”が鮮やかに浮かんでいました。
 ゲンジボタルの幼虫が川にすむのに対し、ヒメボタルは一生を陸で過ごす陸棲ホタルです。



トップページへ戻る



2013年5月5日 第19号
高槻ジャズストリート






 高槻を音楽あふれる明るく楽しい街にしようという思いから、1999年に始まった高槻ジャズストリート。毎年ゴールデンウイークの2日間、すべての会場が入場無料で誰でも気軽に音楽を楽しむことができる、日本最大級の手づくり音楽イベントです。今年は5月3日と4日に52ヶ所のステージで707組のミュージシャンたちが熱いライブを繰り広げました。


今月の歌    

    『朧月夜(おぼろづきよ)』

菜の花畠(ばたけ)に 入り日薄れ
見わたす山の端(は) 霞(かすみ)ふかし
春風そよふく 空を見れば
夕月(ゆうづき)かかりて におい淡(あわ)し

里わの火影(ほかげ)も 森の色も
田中の小路(こみち)を たどる人も
蛙(かわず)のなくねも かねの音も
さながら霞(かす)める 朧(おぼろ)月夜


 作曲:岡野貞一、作詞:高野辰之
1914(大正3)年『尋常小学唱歌 第六学年用』に初めて掲載された。朧月夜(おぼろづきよ、おぼろづくよ)とは、春の夜に月がほのかに霞んでいる情景を指す季語。
岡野と高野の作詞作曲コンビで生まれた唱歌といえば、「朧月夜(おぼろづきよ)」の他に、「故郷(ふるさと)」、「春が来た」、「春の小川」、「紅葉(もみじ)」などがある。




     

 「花いっぱいの街づくり」が提唱され、公園などでは市民による花壇づくりが行われています。グリーンコーディネーター養成講座を開催することにより、行政との協働による市民挙げた活動の展開をはかっています。


トップページへ戻る


2013年4月6日 第18号
ヒドリガモ
 
     3/31 芥川

 写真のヒドリガモをはじめ冬に日本で過ごした多くのカモはこれから繁殖のためシベリアや中国大陸北部に渡って行きます。夏の間に子育てをして成長した若鶏を連れてまた秋に日本に渡って来ます。
 冬を日本で越す鳥を
冬鳥(ふゆどり)と呼びます。ただカモでも皇居で子どもを連れた引越しでよく報道されるカルガモは渡りをしないため留鳥(りゅうちょう)と呼びます。



今月の歌 

    『春の小川』

春の小川は さらさら行くよ
岸のすみれや れんげの花に
すがたやさしく 色うつくしく
咲けよ咲けよと ささやきながら

春の小川は さらさら行くよ
えびやめだかや 小ぶなのむれに
今日も一日 ひなたでおよぎ
遊べ遊べと ささやきながら


 作詞:高野辰之、作曲:岡野貞一のコンビによる日本の童謡・唱歌。
  1912年発表。
 高野辰之が当時住んでいた東京府豊多摩郡代々幡村(現在の渋谷区代々木)周辺を流れる河骨川の情景を歌ったものとされている。
 高野辰之と岡野貞一の作品としては、『故郷(ふるさと)』、『春が来た』、『朧月夜(おぼろづきよ)』、『紅葉(もみじ)』などが特に有名。


歌 (YouTube)



京都御所 春季一般公開





 京都御所に行って来ました(4/5)。宮内庁の管理となっているため、普段は事前に参観申し込みが必要ですが、春と秋の年に2回、申し込み不要の一般公開が行われ無料です。今回は4/4から4/8まで。JR京都駅より地下鉄に乗り今出川駅からすぐです。天気も良く大変な人出でした。
 今出川駅から3つ目の北山駅まで足をのばすと駅の目の前に京都府立植物園(入園料200円)があります。ここも桜がきれいでチューリップとのコントラストが抜群でした。





トップページへ戻る


2013年3月1日 第17号
柴田トヨさん(2) 
   

九十六歳の私

 柴田さん
 なにを考えているの?
 ヘルパーさんに
 聞かれて
 困ってしまいました

 今の世の中
 間違っている
 正さなければ
 そう思って
 いたからです

 でも結句溜息をついて
 笑うだけでした


詩集がミリオンセラーになる痛快な“事件” 柴田トヨさん死去
                      配信元:産経新聞
                      2013/01/20 19:13
 記事本文 「病院の看護師さんが私の詩集を読んでいるのを見た時は、涙が出るほどうれしかった」。「くじけないで」が100万部に迫った平成22年の暮れに取材した際、そう語ってくれた。出版不況の時代に、98歳の新人の詩集がミリオンセラーになる。そんな痛快な“事件”に、当の本人が一番驚いていたのかもしれない。
 明治44年、栃木市で米問屋の一人娘として生まれたが、10代で家業が傾き、奉公に出た。20代で結婚と離婚、33歳での再婚と翌年の長男の誕生。この間の喜怒哀楽は表現される時をじっと待っていたのだろう。
 生活が一変したのは、90歳を過ぎてから。母の独り暮らしを案じた長男の健一さん(67)に、詩作を勧められたのがきっかけだった。平成16年、本紙「朝の詩」に初採用。「みずみずしい感性は百歳を前にした女性とは思えない」(選者の新川和江さん)と絶賛されて常連となった。
 平成21年、98歳の時に計37作品を「くじけないで」として自費出版。この手作り詩集が、翌年刊行される処女詩集につながった。
 「人生、いつもこれから。誰にも朝は必ずやってくる」が信条だった。今ごろ、この広い空のどこで優しく笑っているのだろうか。
                      (押田雅治)


災者の皆様に

 あぁ なんという
 ことでしょう
 テレビを見ながら
 唯(ただ) 手をあわすばかりです

 皆様の心の中は
 今も余震がきて
 傷痕(きずあと)がさらに
 深くなっていると思います
 その傷痕に
 薬を塗ってあげたい
 人間誰しもの気持ちです

 私もできることは
 ないだろうか? 考えます

 もうすぐ百歳になる私
 天国に行く日も
 近いでしょう
 その時は 日射(ひざ)しとなり
 そよ風になって
 皆様を応援します

 これから 辛い日々が
 続くでしょうが
 朝はかならず やってきます
 くじけないで!


 1人暮らしのトヨさんが住む宇都宮市も震災当日は震度6強の地震に見舞われた。家財が散乱するなどしたが、トヨさんは入浴で看護師と一緒だったため、無事だったという。


鵜殿のヨシ原焼き

 建物は淀川の対岸
 
  

 2/24 鵜殿のヨシ原焼きを見てきました。
  (道鵜町・上牧町の淀川河川敷)
 鵜殿のヨシは、篳篥(ひちりき)の吹き口として雅楽に用いられており、ヨシ原焼きにより良質なヨシの生育環境を守ることは、日本の伝統文化の継承にも役立っています。


                                 
    篳篥(ひちりき)


トップページへ戻る



2013年2月1日 第16号
柴田トヨさん 
 

くじけないで

 ねえ 不幸だなんて
 溜息をつかないで

 陽射しやそよ風は
 えこひいきしない

 夢は
 平等に見られるのよ

 私 辛いことが
 あったけれど
 生きていてよかった

 あなたもくじけずに


詩人の柴田トヨさん 死去
   1月20日 18時49分 NHK NEWSweb

 98歳の時に初めて出版した詩集の「くじけないで」がベストセラーになった詩人の柴田トヨさんが20日、老衰のため宇都宮市内の老人ホームで亡くなりました。
101歳でした。

 柴田トヨさんは92歳で詩の創作を始め、書きためてきた詩をまとめて98歳の時に初めて出版した詩集「くじけないで」は、生きる幸せをつづった内容が世代を超えて共感を呼び、150万部を超えるベストセラーとなりました。
 東日本大震災のあとには被災者に向けて「あなたの心だけは流されないで不幸の津波には負けないで」と呼びかけた作品なども発表していました。
 
 栃木県の福田富一知事は「県民を代表して生前のご活躍に深く敬意を申し上げます。100歳のお誕生日をお祝いさせていただいた時の明るい笑顔が今も忘れられません」とコメントを出しました。


貯 金
  
 私ね 人から
 やさしさを貰ったら
 心に貯金しておくの
 さびしくなった時は
 それを引き出して
 元気になる

 あなたも
 今から積んでおきなさい
 年金より いいわよ



秘 密

 私ね 死にたいって
 思ったことが
 何度もあったの

 でも 詩を作り始めて
 多くの人に励まされ
 今はもう
 泣きごとは言わない

 九十八歳でも
 恋はするのよ
 夢だってみるの
 雲にだって乗りたいわ


近所の庭先にて






 花の少ないこの時期、近くのお家の庭先で撮らせていただきました。

--------------------------------------------------------------------
 柴田トヨさんを偲んで2月・3月号は特集とします。


トップページへ戻る


2012年12月1日 第15号
大阪府の木 いちょう

芥川 遊歩道                    八丁畷町 京大農場のイチョウ並木

 御堂筋のイチョウ並木は大阪を代表する景観。
イチョウは実をつける。この種子が秋の味覚の銀杏(ぎんなん)である。毎年、10月の半ばに御堂筋の銀杏落としが行われ、無料で配られていた。楽しみに待つ市民も多かった。
 ところが、イチョウの実はつぶれると臭い。触ると人によってはかぶれたような皮膚炎を起こす。このため通行人に嫌われ、御堂筋を通行する車も落ちた実を踏んでスリップすると危ないと苦情が出て、実をつける雌の木が雄に植え替えられている。銀杏落としも夜の間に行うようになり、大阪の秋の風物詩が消えてしまった。

今月の歌  

たきび 

 かきねの かきねの まがりかど
 たきびだ たきびだ おちばたき
 「あたろうか」「あたろうよ」
 きたかぜぴいぷう ふいている

 さざんか さざんか さいたみち
 たきびだ たきびだ おちばたき
 「あたろうか」「あたろうよ」
 しもやけ おててが もうかゆい

 こがらし こがらし さむいみち
 たきびだ たきびだ おちばたき
 「あたろうか」「あたろうよ」
 そうだん しながら あるいてく


  作詞:巽聖歌  作曲:渡辺茂 

 昭和16年に、NHKのラジオ番組「幼児の時間」の番組案内のテキストである『ラジオ小国民』で詞が発表され、同年の12月9日と10日の「幼児の時間」で楽曲が流された。当初は12月9日から3日間の放送で流すことを予定していたが、12月8日に太平洋戦争が勃発したために、初日に放送されると軍当局から「焚き火は敵機の攻撃目標になる」「落ち葉は風呂を炊く貴重な資源だからもったいない」とNHKに批判があり、11日の放送は戦時番組に切り替えられた。
 戦後昭和24年にNHKのラジオ番組「うたのおばさん」で松田トシや安西愛子が歌い、大衆に広まった。


歌 (YouYube)


コウテイダリア:芥川にて 12/1 夕方

 成長すると3~4mにもなる事から皇帝と名付けられた。
別名:木立ダリア
花はピンク色で直径約20センチメートルの大輪の花が茎の頂上につけます。晩秋の頃、空にそびえて立つ姿は圧巻です。



トップページへ戻る


2012年11月1日 第14号


    高槻市役所にて 菊花展                         ご近所 N宅

  菊作り 菊見る時は 影の人    吉川英治  

 高槻市役所の東側で『菊花展』が開催されています。お隣のNさんが出展されています。
 キクは春のサクラに対して日本の秋を象徴する花となるが、それが決定的になったのは、鎌倉時代の初め後鳥羽上皇が菊の花の意匠を好み、「菊紋」を天皇家の家紋とした頃からだそうです。


今月の歌 

旅 愁

 更け行く秋の夜 旅の空の
 わびしき思いに ひとりなやむ
 恋しやふるさと なつかし父母
 夢路にたどるは 故郷(さと)の家路
 更け行く秋の夜 旅の空の
 わびしき思いに ひとりなやむ


 作詞・作曲:ジョン・P・オードウェイ
 日本語詞:犬童球渓


 明治40年(1907)に出版された『中等教育唱歌集』に掲載され、全国に広まりました。






 芥川にはすでに冬鳥の一部が渡って来ています。コガモ・マガモ・ヒドリガモ・オナガガモ・ユリカモメなどのカモ・カモメたち。ツグミ、ルリビタキ・ジョウビタキなどの小鳥たちがこれから続々到着します。
    (写真はコガモ 10/28)

 

 こんなところに花が。たくましいですね。以前”ど根性だいこん”というのが話題になりましたがこれは”ど根性花”か。
 (芥川城西橋付近 10/27)

 写真右は2006年に報道された兵庫県相生市の”ど根性大根”

トップページへ戻る



2012年10月1日 第13号
彼岸花(曼珠沙華) 

辻子 冠須賀神社

ヒガンバナ(マンジュシャゲ)とは
 地下茎(球根、正確には鱗茎:りんけい)にはデンプンが含まれ、水にさらして食用となり、昔は飢饉(ききん)に備えて田んぼのあぜ道に植えた。昔(明治から昭和初期)は、このデンプンを製造する会社もあったとのこと。
 ヒガンバナの球根には、リコリンなどのアルカロイドを含み、有毒であるが、漢方薬や民間療法(球根をすりおろして、炎症・はれ物に、防虫効果も)にも。まさに毒を制して薬なのか。ただ、食用とするには、すりつぶし、充分に水でさらして毒抜きをすることが肝心。ヒガンバナの有毒性や悪臭を利用して、モグラやネズミなどから田んぼのあぜ道を守る目的で植えたとも。あぜ道にヒガンバナが多い理由の一つです。墓場にヒガンバナが多いのも、異臭や有毒性を利用して遺体を動物から守るためだそうです。


今月の歌 

小さい秋みつけた

 だれかさんが だれかさんが
 だれかさんが みつけた
 ちいさい秋 ちいさい秋
 ちいさい秋 みつけた
 めかくし鬼さん 手のなる方へ
 すましたお耳に かすかにしみた
 よんでる口ぶえ もずの声
 ちいさい秋 ちいさい秋
 ちいさい秋 みつけた


 サトウハチロー:作詩  中田喜直:作曲
 1955年作曲


 1955年にNHKの特別番組『秋の祭典』の楽曲の1つとして作曲され、伴久美子がソロで歌った。番組内限定の曲であったが、1962年にキングレコードのディレクター長田暁二が合唱に最適な曲として見い出し、ボニージャックスの歌唱でレコーディングされた。同年末の日本レコード大賞童謡賞を受賞した。後年ダークダックスの歌唱でも発売された。後に文部省認定曲として小学校の音楽の教科書に掲載された。
 サトウハチローが住んでいた東京都文京区弥生の自宅の庭にはぜの木が植えられており、この木の紅葉する情景を見たのが作詩のきっかけとなった。






 街中からどんどん田んぼが消えてほんとに少なくなりましたね。でもまだ少し残っていて実りの秋を迎えて眺めていると心癒されます。写真は庄所で撮ったもので、愛嬌のある案山子が3本立っています。
 8月に豪雨がありこの辺でも床下浸水等もありました。田や畑などには、雨水を一時的に溜めたり、地面に浸透させたりする機能があります。最近では、田や畑が開発され、地表面がコンクリートやアスファルトなどで覆われるところが多くなりました。そのため保水・遊水機能が低下し、同じ雨が降ったとしても、短い時間で多くの雨水が川に流れ込むようになり、洪水の危険性が大きくなっています。



 実るほど 頭を垂れる 稲穂かな 

 


トップページへ戻る


2012年9月1日 第12号
夏の思い出 (未作成)



2012年7月7日 第11号
つばめ (未作成)



2012年6月1日 第10号
高槻の花 うのはな 
 
     玉川の里 うのはな                           芥川遊歩道 路面

 高槻市民の花である「うのはな」(昭和42年3月17日選定)は「うつぎ」ともいう。
高槻市の史跡-玉川の里(西面地区に所在)に群生し、古来、玉川の里は摂津の玉川として天下の六玉川の一つに数えられ、卯の花や月の名勝として有名で平安時代歌道の隆盛に伴い、その歌枕として用いられた。
 俳聖芭蕉翁はここを訪れて、句を残している。


  卯の花や 暗き柳の およびごし   松尾芭蕉  

 卯の花が夜目にも白く咲いている。その傍らにある柳は暗くくねって、腰をひねっている。卯の花の清楚さと、柳の経験豊かな姿を擬人化して表現した。



 高槻市の花である卯の花を見たことがないので5月27日に玉川の里を自転車で訪ねてきました。
 玉川沿いの遊歩道に咲いており短い距離です。芭蕉の句碑もありました。近くの正徳寺というお寺に大きな卯の花(うつぎ)があるのですが残念ながら咲いていませんでした。
 途中、玉川でカルガモの親子を発見。



今月の歌   

夏は来ぬ

 卯(う)の花の、匂う垣根に
 時鳥(ほととぎす)、早も来鳴きて
 忍音(しのびね)もらす、夏は来ぬ

 さみだれの、そそぐ山田に
 早乙女(さおとめ)が、裳裾(もすそ)ぬらして
 玉苗(たまなえ)植うる、夏は来ぬ

 橘(たちばな)の、薫るのきばの
 窓近く、蛍飛びかい
 おこたり諌(いさ)むる、夏は来ぬ

 楝(おうち)ちる、川べの宿の
 門(かど)遠く、水鶏(くいな)声して
 夕月すずしき、夏は来ぬ

 五月(さつき)やみ、蛍飛びかい
 水鶏(くいな)鳴き、卯の花咲きて
 早苗(さなえ)植えわたす、夏は来ぬ


佐々木信綱作詞・小山作之助作曲

 1896年5月、『新編教育唱歌集(第五集)』にて発表。2007年に日本の歌百選に選出されている。ウツギ(卯の花)、ホトトギス、五月雨、田植えをする早乙女、タチバナ、ホタル、クイナといった初夏を彩る風物を歌い込んでいる。


トップへ戻る


-----




ナビゲーション