----- こんな本に出会いました -----
         本との出会いを記しただけ。感想文になっていない読書メモ

 <書名など>

     「高く手を振る日」

      黒井千次著 
      新潮社
      2010.3 発行  136ページ 1400円+税



 黒井千次の本を読むのは初めてである。
 珍しく新聞の書評が目にとまった。その後、本屋で目に入ったので買った。
 こういうことはこれまであまりなかった。


 妻に先立たれた主人公「浩平」が、老い先短いことを意識して、身辺整理をしようとしたことから始まる。

 加えて、連絡用に娘が携帯電話を買ってくれる。これがなかなか使えない
 同じような世代の自分としては、ケータイでそんなに戸惑うことはないような気がするが、話はそうなっている。

 私がケータイを持っていなかったころ、電車内などで若い女性が親指をせわしく動かしながら入力しているのを見て、何とすごいことをしているのかと感じた。その後、自分で持ってみて、あれは、こんなバカな作業を早くやっていただけだと分かって落胆した覚えがある。
 まあ、速いということにも価値はあるが。

 私は、いまだに左手で持って、右手の親指で打っている。
 と言うようなことはこの話とは関係がない。

 それに本書では、「ケータイ」などと書かずに「携帯電話」としてある。このほうが、物語と主人公に合っている。こんなことはもちろん枝葉末節。

 その彼に、学生時代に付き合いのあった女性「重子」と再会し、交際がはじまる。
 それもつかの間、彼女は家庭の事情もあって、八ヶ岳山麓の老人ホームに入るために別れることに。

 電車で帰る女性との別れに
 「手を振ってお見送りするか」
 「私に見えるように大きく振ってね」
 という会話の後で、大きく手を振ろうとしたら、改札口から若い母親と幼い子供が出てきたため、手は途中で止まってしまう。
 これが本書のタイトルになっている。
 はればれと手を振るのかと思ったら、そうはいかなかった。
 精一杯の別れの表現もできないことが、長く生きてきたしがらみを感じさせられて、いささか複雑。

 老人が出てくると、必ず医療や介護の社会的背景が出てきてしまうのが多いのであるが、ここではそういう話は前面には出ず、家族や主人公の思いが淡々と話が進んでいる。

 ところで、親しい人との別れの時が必ず来ることを実感するようになっています。
 その恐怖と戦いながらも、自分にとって大切な人を長く大切にしてゆきたい。

 本書は、最終的な別れではなく、元気なうちの別れであることに、いささかホッとして読んだ。
 これから先のことは言うまい。

 
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