----- こんな本に出会いました ----- 本との出会いを記しただけ。感想文になっていない読書メモ <書名など> 「塩野七生」の沢山の本 発行所:新潮社、中央公論社 |
1984年、琉球大学で開催された学会に参加した。 この時初めて飛行機に乗った。国内出張に飛行機で行く理由書を、職場で提出させられた時代である。今では意味不明。 昼休みに、大学の生協の書店で見かけたのが、塩野七生著:海の都の物語。 変わった本を書く人がいるもんだと思い、衝動買い。 既に有名だったはずですが、それまで、塩野七生という人の名前を知らなかった。 これが契機となって、塩野七生さんの本を次々と買った。彼女も次々と書いてくれた。 |
その後「海の都の物語 下巻」、続いて「ルネサンスの女たち」、「愛の年代記」、「コンスタンチノープルの陥落」などを買った。 そして「チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷」、「神の代理人」に驚嘆もしくは愕然。 いつの間にか、何冊も本棚に並んだ頃「ローマ人の物語」15巻を毎年1巻ずつ出すという広告が目に付いた。 この人、いつまで元気でいるつもりなんだ?の心配をよそに、みごと完結。いつの間にか、全巻購入。 著者が、何かの折りに「病院へ行かない」と書いていた。行けば異常が見つかって、治療のため入院、とでもなれば本が書けないから、という。その迫力に呆然とさせられた。 このシリーズが終わって、「これで終わるのでは何か欠けていませんか?」というファンレターを出しそうになった。 手紙を出すまでもなく、欠けていたであろう部分が次々と出版された。 「ローマ亡き後の地中海世界」、 「皇帝フリードリッヒ2世の生涯」、 「十字軍物語」、 「ギリシャ人の物語」。 この迫力、驚き以外の何ものでもない。 それにしても、この本は歴史書というより、歴史に対する感想文だと感じていた。 だから、私でも読む。 どこかで、歴史学者が「これを歴史書というには問題があるのではないか」と言ったらしい。 それに対して、彼女は「こちらはこの方法でゆきます。そちらはそちらの方法でどうぞ」といっている。 そのとおり、であるが、すごい自信。 そう言えば、司馬遼太郎の本をものすごく好きな人は沢山いる。 でも、日本近代史の研究者には冷たい人が多いらしい。 ずいぶん昔の話になるが、私は、1冊買っても2冊目を買う気にならなかった。 塩野七生に戻って、 苦手だったのは「わが友マキアヴェッリ」、「マキアヴェッリ語録」(のめり込めなかった) 「男たちへ」(もっとずばりと一刀両断と思ったが、著者もちょっと遠慮したのだろうか。彼女の周囲にはスマートな男性ばかり揃っているせいかもしれない。) ところで、最後の「ギリシャ人の物語」第3巻の最後に、おそらく出版社が付けたであろうページに 塩野七生「歴史エッセイ」一覧 とあった。 これまで、こんな言葉1回も出てこなかった。 そうか、感想文と言うよりエッセイの方が合っているか。 そして、その言葉を最終巻になってやっと使った。準備していたのか、急に思いついたのかは分からない。 執筆はこれで終わらずに、今後も書いて下さることを期待しています。 まだ書きたいことが沢山あると思います。 無理を承知、もしくは方向違いの希望ですが、しばらくしたら、日本の近現代史を書いてくれたら嬉しい。 何よりもご健康でおられることを祈念しております。そうすれば絶対何かを書いて下さるはず。 |