メモ帖ー’08

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2008/01/07 光と闇

 2008年は穏やかに明けて、晴天の一日を撮ってみた。朝と日中、そして
夕暮れ。それぞれの時間で目に映る風景は違って見える。

−光−
 冬空の澄んだ青は地上の雪と好一対で、晴れた日の雪原風景はなんとも
言えない魅力に輝く。十勝晴れといわれる晴天の日は、青と白がほとんど
を占める風景の中にこれもまた無機質な冬木立が空に向かう。いささか持
てあまし気味の、人の熱を冷ますのにちょうどいいと思ったりもする。
 
−闇−
 光を落としていく宵の僅かな時間には、ブルーモーメントという現象に
ひかれて日没後の闇が訪れるのを待ってみた。
 ネットで検索したはっきりとしたブルーは見られない。しかし、束の間
淡いピンクに染まった地平辺りが時間と共に青に変わっていくのを見るこ
とができた。

 

2008/01/12 気嵐のこと

 正月も10日前後から朝晩の冷え込みが厳しくなった。いよいよ厳寒の
時期を迎え、気嵐のことが頭に浮かぶ。昨年は見ることができなかったの
で今年こそという思いが強い。

 早朝、明けてくる水平線を見つめながら待つ。この時期の日の出は大体
7時頃だ。赤く染まった水平線が刻々と輝きと色を変えて光を強める。
 やがて太陽が姿を見せると、ぼんやりと見えていた河口付近の気嵐が赤
い光を浴びて視覚に入ってくる。海面を覆うそれは、温泉の湯煙のようだ。

 気嵐は単に寒いから発生するというだけではなさそうだった。今年5回
ほど行ってみたが見られたのは3回(うち一回はほんの微かだった)、風
が影響するようだ。

 

2008/01/20 飽きない風景

 土曜日、厳しい冷え込みを予想して早起き、撮影とスキー双方をするつ
もりだった。

 カメラバッグ、スキー道具一式でかなりの荷物になる。愛車のミニ4駆
になんとか積み込んで家を出たのが6時半。玄関先の温度計ではマイナス
10度より下、予想通り冷え込んで天気もいいようだ。

 気嵐、霧氷、雪原風景を撮り、そして9時オープンのスキー場に駆けつ
けるつもり。写真の出来は別として、思うようにそれぞれの光景は見るこ
とができた。

 澄んだ大気に輝く雪原と日高山脈の眺望はいつも魅力的で、夢中になっ
て走り回る。冷え込みの厳しい内陸部では、その風景の中に霧氷を張り付
かせた防風林も見えて厳寒の十勝平野らしい。

 

2008/01/22 霧氷

 (前回の続き)
 スキー場の近辺に霧氷のビューポイントがあると聞いていたので、少し
早めに出かけてスキー前に撮影してきた。

 車で40分ほど北上した十勝平野の内陸部、この日は今シーズン一番の冷
え込みとなり、あちこちで霧が発生している。川筋の林から雪原に流れ出
した霧は道路にも漂い、ほとんど霧の中という場所もあるほどだった。

 その場所は探すまでも無かった。既に多くの車が止まり、自分と同じ素
人カメラマンがたむろしている。白く霧氷をまとった木々、周辺には濃密
な霧が漂い、確かに「ビューポイント」だ。

 

2008/01/24 大雪

 年が明けてからの大雪というのがこの辺りの通り相場で、今年もやって
きたドカ雪。

 朝に降り始めていた雪は日中一杯降り続き、夜9時過ぎになってやんだ。
夕方6時に41センチの降雪と報道されていたから、50センチまでは無
かったが充分疲れるだけの雪かきになった。

 

2008/01/27 愛犬の死

 やはり寒さが応えたのだろうか、大雪の後の冷え込みが続いた作夜、弱
っていた我が家の老犬が逝った。

 最後に助けを求めたのか別れを告げたかったのか、玄関に向かって立っ
ていたらしい。妻が助けて玄関に入れたのだが足元から崩れ落ち、家族3
人が思い思いに体に触れてやる中でまもなく息を引き取った。

 小学校2年生だった下の息子のおねだりが縁となった雑種の中型犬。そ
の息子も大学を卒業する年齢になっているのだから、長い間我が家にいた
のだとしみじみ思う。

 「無門関」という禅の書に、「狗(いぬ)に仏性有りや」「無」、という
短い問答が記されている。愛犬の死にふとこの話を思い出してみた。事切
れる間際に見せた表情に何か手がかりのようなものを感じたのだが、やは
り分からない。

 

2008/01/27その2 気嵐(ケアラシ)の朝

 愛犬が死んだ日の朝は、霧氷を撮りに行った先日と同じように厳しく冷
え込んだ。
 夜明けとともに波打ち際まで行ってケアラシを狙う、間近で撮ろうと考
えていたのだった。冷え込みも強く風も良かったのだろう、この日は大規
模なケアラシの発生を目にすることができた。

 

2008/02/03 庭の鳥

 庭の餌台に遂にスズメ以外の鳥がやってくるようになった。素人考えは
怖いもので、ただ餌を置けばなんでもやってくると思っていた。

 ある知人の家を訪ねたとき同じように庭の餌台があり、お茶をご馳走に
なる間にも3種類ほどの鳥がやってきた。
 聞いてみると餌なのだとその人は言う。餌によってやって来る鳥が違う
のだと。

 話を聞いて早速リンゴを庭木の枝に刺しておくと数日後にはヒヨドリが、
餌にヒマワリの種などを加えるとシメや他の鳥が来るようになった。

 

2008/02/06 日脚伸ぶ

 立春とは名ばかり、と言いたい寒さもあるけれど目に見えて日が長くな
った。日中の日が高くなったことも窓から差しこむ光が教える。
 3時半くらいに日が落ち4時には宵闇に包まれていた真冬、そこから地
球はまた巡って春に近づいている。

 

2008/02/15 凍てつく朝

 いろいろな意味で印象深い一月だった。記録的な日照時間と風も雪も少
ない中で十勝平野はひたすら寒気に被われていたという印象がある。

 十勝晴れという言葉もあるようにこの地の冬は明るい。寒冷ではあるが
日照には恵まれていて、この冬はその特徴が際だったように思う。

 冬の朝、雪原と化した農地が連なり白銀の世界に光がまき散らされたよ
うに陰りない風景が広がる。夏の力強い陽光ではないが、乾燥した冷気の
中で光は余すところなく私の目に届くようだ。

 

2008/02/17 ネット検索

 一般的な検索サイトに行って、ある花を探していると自分のページが結
構上位でヒットするではないか。

 アレレ、これは快挙!どうしちゃったんだろう?何の作為も無く運営し、
お世辞にも賑わっているとはいえないHPだから、喜びながらも???が
渦巻く。

 何かにつけこうした検索で調べることも少なくない。いいかげんな情報
を掲載するサイトも入り混じり、そもそもどんな基準で順位付けをしてい
るのか疑問だった。

 自分のページを考えて思い当たることは一つしかない。アップしてから
比較的長期間置いていることだけだ。その他の花々はシーズン毎の更新だ
からか、あまり取り上げられない。

 

2008/03/13 春

 暖かい日が続いて、コートどころか上着も要らないと思える陽射しが溢
れている。

 久しぶりに公私とも忙しい日々を過ごした今、とにかく野の空気を浴び
たいと全身が望んでいる。
 様々な形で人と語らうのも悪くはないが、カメラを抱えて人気の無い山
道や林を歩き回るのも喜びの一つだ。

 

2008/03/16 春の日に

 しばらくぶりに撮影に歩き回ると春の気配が野に満ちている。迎えてく
れたのは、明るい日差しの中に響く小鳥たちの囀りだった。暖かくなって
虫も出てきたのだろう、鳴き交わしながらしきりに木の枝をつつく小鳥が
見えてくる。

 犬も歩けばというが、そうして歩き回っているうちに思いがけないチャ
ンスに恵まれた。撮れるとは思ってもいなかったオオワシが川縁の林に止
まったのが見えた。すぐに車を停めて近づいてみるが間違いない、しかも
かなり近づいても飛び立つ気配がない。

 さらにオオワシが見下ろす川をシカの群れ(数十匹)が渡っている。急
いで車に戻り、レンズを取り替えて引き返す。シカの群れは対岸に消えて
いたが、しばらくの間オオワシを撮ることができた。

 

2008/03/23 フクジュソウ

 フクジュソウの季節を迎え連日撮りに行っている。今日は昨年見つけて
いたある牧場の奥の木陰に行ってみた。

 目指す林につくと遠目からでもあの黄色が分かった。雪融け直後の地面
はまだ凍れていて所々で足元にゴツゴツした感触を受ける。
 歩き回ると蕾や開きかけも含めておびただしいフクジュソウが立ち上が
っているのが確認できた。

 ここ数年で何か所か自生のフクジュソウを見つけたけれど、ここは最大
級かもしれない。しかも人目につかないから撮影には絶好の場所だ。

 

2008/03/25 敢えて咲く

 春の日に輝くフクジュソウは素朴な外見の内にしたたかな生命力を宿し
ている。雪融け直後に開花するから、時に春の雪に埋もれてしまうことも
あるし春先の寒暖の差に晒されることにもなる。開花後に2度の大雪に埋
もれながら尚咲き続ける姿を見たのは昨年だった。

 ある部分ではそれがこの花の真価と言えるのかもしれない。花が開くに
はリスクの大きすぎる時期に敢えて開花する意味はなんなのだろう?
  
 この時期の林床を眺めても他に芽吹いている草花は無い。通常よりも大
きなリスクだが、それに備える仕組みさえ持てば異種との競合は避けられ
る。

 冬枯れの木々の間にポツポツと或いは連なるように姿を見せる黄花を見
ながら、そんな風に考えてみた。

 

2008/03/28 春の雪

 いつものことだが、根雪が無くなったこの時期にやはり雪が来た。開花
したフクジュソウも雪の下になるだろう。

 常なる状態は自然にはありえないから、数日という時間あるいは数度と
いう温度差はセンサーの誤差範囲として組み込まれているだろうな、庭の
フクジュソウの芽も雪を被ってしまっているが大丈夫だろう。

 適応性の幅というのは貴重なものだ。生物がどのようにしてそれを獲得
するのかしらないが、環境に対するその幅は生命体に欠かせない能力とい
える。

 同じように、人の心理的な幅も必要なのではないかと思うことがある。
寛容という徳目上の意味ではなく、飽くまで生存を確保する能力として。

 

2008/04/03 ネコヤナギ

 本州方面では、サクラも咲き春の花々が続々と姿を見せているようだが、
こちらは暖かいかと思えば春の嵐に雪、未だにフクジュソウ以後の花は見
えてこない。

 先日のこと、例の紅色をしたネコヤナギを見つけた。今年分かったこと
は、昨年一昨年見つけたのと同じ株だということ、赤味の正体が何かは相
変わらず分からない。

 

2008/04/04 送別会

 先日、退職する同僚の送別会があった。年度末恒例の行事ではあるのだ
が、定年まで10年近くを残した気にかかる退職だった。

 老父母と暮らしているその女性職員は、年々弱っていく両親に老老介護
の限界を感じての決断だという。

 介護の問題の深刻さはこんな場面にある。介護する側への負担がどうし
ても大きいのだ。経済的負担もさることながら、精神的にもひどく緊張感
を強いられ追い詰められてしまう。

 介護する家庭を孤立させない地域の後援が必要になる時代。まだ確立さ
れているとは言い難い現代の難問の一つだ。

 

2008/04/07 形

 車作りの名人が作り上げた車を解体してしまう。この意味は何かとの問
いかけに、形あっての働きか、働きあっての形かと考えた。
 形が無ければ働きは生じないし、働きが無ければ形は無用。形と働きの
関係は、人の体と心(精神)のようではないか。

 

2008/04/13 春の野

 冬の深い透明感のある空が、いつしか霞んだようにぼんやりして春らし
い。
 雪融けが終わると、天気のいい日にはたっぷり水分を含んだ農地から盛
んに水蒸気が上がる。今日も幾つかの畑でそんな光景が見られた。

 草地にはフキノトウがボコボコと立ち上がり、いっぱいにその身体を伸
ばしている。

 

2008/04/16 後継ぎ

 今年もフクジュソウの群生場所を幾つか見つけた。中でも花が盛りを過
ぎた頃に見つけた所はかつてないほどの規模だった。

 狭い範囲に濃密にあってその数は数百本、それが点々と数箇所に見られ
る。急激に減少しているという自生種、これだけの数を見るとまだまだす
てたもんじゃないと思える当地だ。 

 昨年いただいてきた庭のフクジュソウが満開、その根本に少しずつ次の
世代の株が見えてきてこちらもちょっぴり満足。

 

2008/04/22 アズマイチゲ

 フルフルと風に震えているような印象が強い花で、薄いガク片は微風に
も揺れる。

 フクジュソウからやや間を置いて咲くこの花と、続いて姿を見せるエゾ
エンゴサク、キバナノアマナの3つを坂本直行さんに倣って「早春の3花」
と呼ぶことにしている。

 フクジュソウが行きつ戻りつの季節に咲くのに対し、3花が咲く頃は春
を確信できる時期になっている。まもなくコブシそしてサクラが咲く。

 

2008/04/24 トキシラズ

 「今年は早く出てみようと思うんだ」
 酒を飲みながら、知り合いの船頭と話しているとそう言う。
 「温暖化で水温も早く上がるんじゃないかって、まあ賭けみたいなもん
だけどよ」

 照れくさそうに笑いながら、なかなかの考えを披露してくれた。

 通称トキシラズと呼ばれる春の鮭を狙う漁師だ。アキアジと違って北の
海を回遊中の若い鮭は狙いが難しい。思うところがあっての話だが、水物
と言っていい漁師商売は人と同じことをしているだけではダメなのだ。

 

2008/04/26 エゾエンゴサク

 いよいよ開花を迎えた青花、春の日の土手にその姿を認めたのが今年の
初対面だった。
 この時期には申し分のない晴天と暖かな陽気で、花を探しながらも撮影
を忘れるほどの長閑な日のこと。

 今年はやはり暖かい、例年だとこの花が咲き出す頃はまだ他の草はほと
んど出ていない。ところが今年の初対面はあおあおとした草陰から透けて
見える青なのだ。

 

2008/04/30 初対面

 思いがけなくヒトリシズカを見つけることができた。読んだり聞いたり
して当地にあることは分かっていたのだが、何年も見つけられないでいた
花だ。

 変わった名前と姿に図鑑を眺めるだけで頭に入っていた。ヒメイチゲを
探して入り込んだ里山の崖、獣道を這いあがった目の前に開きかけた白い
花が見えた。

 

2008/05/06 カタクリの白花

 連休はちょうどカタクリの群生地が見頃だった。4月末に急に気温が上
がって、記憶にない30度近辺になった為か、その他の花も含め一気に開
花した感じだった。

 群生の中に白花を3株見つけた。一昨年は2株、昨年は0、今年の株は
一昨年のものとは明らかに異なる場所だった。

 先天的な遺伝形質なのか、後天的なものなのか分からないが、全体から
見ると限りなくゼロに近い確率だ。

 

2008/05/09 ヒメイチゲ・エゾイチゲ

 ヒョロヒョロと頼りなさそうに咲くヒメイチゲ。目だった群生もなく小
さな花だから、気をつけないと見過ごしてしまいそうだ。
 最初見つけたのは偶然だったが、一度目にすると何となくその条件が分
かって花が見えてくる。この花の場合、エゾオオサクラソウとセットにす
ると探しやすいと気づいた。

 エゾイチゲは、今のところ1箇所でしか見ることができないでいる。ヒ
メイチゲに似ているといわれるようだが、私の印象では大きく違う。全体
にヒメイチゲが柔らかな立ち姿であるのに対し、エゾイチゲはしゃんとし
ている。

 また、エゾイチゲは固まって咲くことが多いようだ。私が見た限りでは、
数本から数十本が固まって咲いていることが多い。ヒメイチゲは、固まっ
ていてもせいぜい10本足らず、それ以上は見たことがない。

 

2008/05/14 シラネアオイの苗

 一昨年から蒔き始めたシラネアオイの種、昨年春に発芽したのが4株だ
った。昨年蒔いたものは、この春に16株が発芽した。
 
 2年目の株は、小さいながら一目でシラネアオイと判る葉をつけてしっ
かりと成長を見せてくれている。花をつけるまでに5年というから、後3
年で初年度のものが咲き出すことになる。

 植物いじりど素人のタカノハがやったにしては上出来ではないか。とい
うより、よほどこの土地になじみやすい花なのだろう、全く手がかかって
いない。
 秋に、裂けた朔果から種子を拝借してきて鉢に蒔いておく。後は軽く土
をかけ、枯葉をかぶせて雪の下で冬を越すだけだ。

 

2008/05/15 オオバナノエンレイソウ

 原始の森の面影を伝える白花、苔むした老木の根本にその清新な花びら
が良く似合う。人気ない林の一角で古くから繰り返されてきたであろうそ
んな光景を見ると、自分に流れるものとは違う時間があることに気づかさ
れる。

 

2008/05/17 オオバナノエンレイソウ−2

 盛期を迎えているオオバナノエンレイソウを撮りながら林内を歩き回っ
ていると、10人ほどの集団が立入禁止区域に入ってカメラを向けている
ところに出くわした。

「ロープが張ってあるでしょ、そこに入ったらダメですよ」
 つい、タカノハも大声を出して注意したのだが、腕利きカメラマン氏は
動じる気配もなくどっかり腰を据えて大群生を睨んでいる。
 
 いい場所で撮りたい気持ちは分かるが、マナーは守るべきだろう。しば
らくそこに立って様子を眺めていると、少しずつ退却し撤退していったが
花好き、自然好きという人々の在り方にいつもながら疑問を覚えるのだっ
た。

 逆説的に言えば、花や自然に全く関心を示さない都会のおじさん達の方
がよほど自然に優しい。彼らは出かけないから汚すことも傷めることもな
い。
 物事には両面がある、花や自然を愛好することが悪いというつもりでは
ない。問題はその親しみ方ということだ。

 

2008/05/20 語らい

 久しぶりに日高山脈を見て、春の野から霞む山を撮っていた。心地よい
気温、青々とした牧草にタンポポの黄色が目に鮮やかな日だった。
 
「山撮ってるの?」
 車を停め、そう声をかけてきた人物が居た。どこか見覚えのある顔と思
って言葉を交わすが、向こうも顔くらいは知っているようだった。
 
「楽古岳いいよねえ、最近しみじみそう思って家から良く眺めてる」
 町内の農家の人だった、自宅から眺めるのに邪魔な木を切ってしまった
のだと笑う。

 のどかな日、期せずして巡りあった同好の士との語らいは、しばらく続
いた。

 

2008/05/22 花に嵐

 今年のサクラはかわいそうというしかなかった。咲くまでの4月は異常
といっていいほど暖かい日が続き、咲き出した頃には急に季節を巻き戻し
たような寒さが襲った。

 花に嵐、常に咲く時期や場所に恵まれるとは限らない、花も人もご同様、
転変の中にあるのが生命活動だ。

 

2008/05/25 シラネアオイ

 オオバナノエンレイソウが盛りを過ぎる頃、シラネアオイが静かに花を
開いてくる。静かにというのは、色合いも数もどことなく控え目なイメー
ジをこの花に持っていたからなのだが、今年はそれを変えるような光景が
広がっていた。

 白い群れの中に、紫を帯びたピンクの花びらが目立っている。多いとこ
ろでは、白い花びらを圧倒するほどの数だ。 

 どうやらオオバナノエンレイソウを保護することは、他にも好影響を与
えているようだ。また一つこの林に加わった魅力に興奮覚めやらぬ思いで
幾度も周回し、感嘆の声を胸の内に上げるのだった。

 

2008/05/26 シラネアオイ2

 軽快なリズムを感じさせるようなオオバナノエンレイソウに対し、シラ
ネアオイは優美な姿ながら、一見したところ派手さのない花だ。  

 眺めているうちにその変化の大きさを知ることになる。とりわけ花びら
が様々な形に変化する様が大きな魅力で、それを可能にしているゆったり
した大きな花びらの運動に興味を惹かれている。

 

2008/05/28 エンレイソウとミヤマエンレイソウ

 この二つのエンレイソウ属の花は、雑種であるヒダカエンレイソウを生
み出す可能性がある。
 数年前にこの2種が混在する林を見つけて毎年訪れているのだが、ヒダ
カエンレイソウは見つからない。(図鑑によると日高・十勝で見られるら
しい)
 異種間の交配はそう頻繁には起こらないのだろう。

 

2007/05/29 変化−四川大地震に

 変化を厭う心情と元に戻れないと思う諦めとが人間の本能のようにある
だろう。否応なく巻き込まれていく変化、その中で生き抜いてきた人類な
のだと思う。
 映像から伝わる疲労感、諦念、放心を漂わせる人々は、それでも生を放
棄したわけではない。一時の絶望の中から僅かずつ希望の種子を見つけだ
して未来への歩みが始まる。

 変化し続けるのが生命の本質なのではないか?最近はそう思っているの
だが、もちろん楽なことではない。知的な活動領域を持つ人間にとって未
来を推し量る作業は不可避であり、それはある意味で絶望や諦念を増幅さ
せる作業でもあるだろう。

 

2008/06/01 旅

 学生の頃、ずいぶん旅をしたものだ。汽車で延々と丸1日かかる行程、
ときには途中下車の寄り道もあった。
 見知らぬ町をあてなく歩くのも悪くないと思ったものだ。未知のものに
動く心が新鮮な思いを掻き立てる。田舎育ちの小僧には、人も町並みも受
け入れ、理解しなくてはならない対象だった。

 例えば小樽。
−かなしきは 小樽の街よ 歌う事なき人々の 声の荒さよ−。
 曇り空の小樽に降り立った自分は、こんな歌を思い出していた。数十年
前に石川啄木が歌った小樽は、自分が眼前にした街とそれなりに重なるも
のがあった。

 

2008/06/10 寒さと暑さ

 4月は暑く5月は寒く、交互に極端な気候となった。6月に入って気温
が急上昇、内陸部の帯広では30度を記録とか。
 海岸の当地でも25度は超えてすっかり夏らしくなった。木陰ではエゾ
ハルゼミの鳴き声が響き、耳にも初夏が訪れる。

 そんな中に姿を現すのがエゾノハナシノブで、濃い夏緑の中に青紫の花
を開く。夏の濃い緑とこれも濃い花色に黄色の葯が魅力だ。未だ花粉を落
とさない若い花は、花びらの大きさに似合わない長いオシベを宙に突き出
して誇らしげに黄色の葯を揺らす。虫たちを誘うのだろう。

 

2008/06/16 ハクサンチドリ

 消長が激しい花のようだ。採られたのかも知れないが、何ヶ所かで前年
にあった株が無くなっているのを見たし、毎年撮りに行く相当数が自生す
る場所でも様子が変わっていると感じる。

 寿命が短い花なのかもしれない、長命な延齢草と比べるつもりでもない
が、5年ほどの間に姿を消したものが相当数あったことからそんな気がし
ている。

 

2008/06/20 ベニバナイチヤクソウ

 カラマツがらみの環境に多いような気がする。カラマツ林内の群生やカ
ラマツ林の縁になる道路脇にびっしり生えているのを何箇所も見た。

 スズランのようにしっとりした風情はないけれど、素朴な味わいで可愛
げのある花だ。花色の濃淡に幅があって、ほんのりしたピンクのものから、
濃い赤味を持ったものまである。

 

2008/06/26 センダイハギ

 当地では海岸沿いの草むらに良く見られ、群生というほどではないが目
になじんだ花の一つだ。
 千代萩とか先代萩、あるいは船台萩などいろいろな説がある中、かの有
名な伊達騒動を題材にした歌舞伎からとするのが有力らしい。
 
 名前の由来としては伊達騒動もいいが、少数派としてネットで目にとま
った船台説が面白いと思う。海岸に咲く花→船台(船置き場)近くに咲く
萩→船台萩。この花は私の中ではそんな光景が似合う野花だ。

 

2008/07/03 夏の小花たち

 マイヅルソウやツマトリソウ、クルマバソウなどの小さな花を見る度に、
その生き方に感心する。丈高い夏草の間に花開いてくるには独特の流儀が
あるのだろう。

 棲み分けというと聞こえはいいが、例えばちょっとした草むらを掘って
みると、いろいろな草の根が捻り合うように絡み合っているのが分かる。

 動物のように血なまぐさい争闘はないのだろうが、常に変化する環境と
侵入しようとする異種、別個体との間での覇権争いが絶えない筈だ。

 

2008/07/04 野生のバラ

 オオタカネイバラとカラフトイバラ。ハマナスに似た野性のバラを知り
たかったのだが、昨年の追跡は中途半端に終わっている。
 両者の違いは実の形を比べるのが一番わかりやすいようだ。昨年わたし
が見た実はカラフトイバラのもののようで球形だった。

 あちこちに咲いているし、かの直行さんがこのあたりのものはオオタカ
ネイバラだろうと言っていることから、その紡錘形の実があるかどうか確
認してみたいと思うのだ。

 

2008/07/07 信号機

 赤と青と黄、交通信号のような3色の花が賑やかな7月、赤いハマナス
と黄色のエゾカンゾウ、青はチシマフウロあるいはアヤメが目につく。

 夏草が繁り、この季節はあちこちの道路脇で草刈もされている。走って
いてもふと車内に夏草の香りが忍び込んでくる季節。

 

2008/07/09 チシマフウロ

 初夏の道路脇に見える涼しげな青紫の花は、その名も冷涼なオホーツク
気団を連想させるチシマフウロ。
 風露という趣を感じる名を持ちながら、逞しく路傍の草むらにも生えて
くる。やや赤身を帯びた青紫の花びらは光の加減で微妙に印象を変える。

 

2008/07/12 ハマナス

 海岸の草原にハマナスが香る。一月ほど前に同じ場所で咲いていたスズ
ランと比べて一段と強い香りだ。
 それだけに虫たちの格好な寄り合い所になるようで、極端にいうと傷一
つ無いといえるような美花はほとんど見ない。

 香りに加えて柔らかな花弁とたっぷりしたオシベは、たちまち虫たちに
蹂躙されてオシベなどはほとんど葯を落としてしまう。

 

2008/07/16 フウロの草原

 青いチシマフウロが盛夏とともに姿を消し、変わってピンクのフウロが
姿を現す。ただ、こちらは生育範囲が狭く、あちこちの道端にという咲き
方ではない。

 このフウロ、エゾフウロなのかハマフウロなのか特定できないでいる。
元々見分けにくい種類のようだから無理して決めることはないと思ってい
るのだが、自分としては取りあえずハマフウロとしている。

 

2008/07/27 いよいよ夏

 週末は久々に夏らしい天気で青空が広がった。楽古岳も懐かしいと思え
るほど久しぶりに輪郭を明らかにしてくれた。

 満を持して今日は早朝から出動、久しぶりに100枚を越える撮影(出
来は別として)。エゾアジサイ、クルマユリ、クガイソウ、ナデシコなど
見逃せない花になんとか間に合った。

 

2008/07/30 シモツケ

 気温はともかく、この夏は晴天がほとんど見られない。先週末の好天も
すぐに曇天続きに逆戻りして、今週はガスと曇りの夏と思えない日々が続
いている。
 
 それでも花たちは、丈高いものが目立ってくる。エゾノシモツケソウ、
ホザキシモツケ、ふんわりしたこんな花たちがふと視線をやった路傍の草
むらに揺れて、夏の盛りだと教える。

 

2008/08/03 エゾアジサイ

 楽古岳の登山道に足を踏み入れるのは、エゾアジサイを撮りたくてのこ
とだ。時々ポツンと咲くのを見ることはあるが、ここほど沢山見られる場
所は知らない。
 
 人気ない登山道は、静まりかえっていて別世界にいるような気分になる。
夏の盛り、道端の草むらから崖の斜面までを飾る水色から濃い青までのア
ジサイを独り占め。

 

2008/08/05 クルマユリ

 面白い花で、強い日差しを浴びて路傍の草むらに生えているかと思うと、
木漏れ日しか差さない林の中に生えていたりもする。

 また、若い株と年数を経た株の違いもはっきりしている。特徴の車葉が
2段になり花数も10個近くつけた古株は、畏敬の念を覚えるような存在
感に満ちている。

 

2008/08/10 クガイソウ

 輪生した葉を何段にもつけるから九蓋草、真夏の草むらにスッと伸び上
がり、存在感のある花だ。九蓋草というだけあって草丈も高いが、花穂も
長く突き出して見つけやすい。

 ヤマルリトラノオと似たような形状と花色だが、がっちりした茎と輪生
する葉を見れば見分けやすい。

 

2008/08/13 新盆

 来客が相次いだ今年の盆。地獄の釜の蓋が開くと教えられてきたが、亡
き人を身近に思う日々があってもいいだろう。

 坊さんが来て、仏事は故人のためでなく、それを通じて己の生死を見つ
めなおすべし、という。なるほど、死を身近に感じることも必要だ。

 

2008/08/16 秋の風

 盆を過ぎると空気が変わってくる。冷たく乾いた平原の大気が、海から
来ていた夏の湿った空気と入れ替わったようだ。

 肌に当る空気が涼しい、風景が遠くに広がっていく。夏の間なかなか姿
を見せなかった日高山脈がくっきりと稜線を見せる。

 

2008/08/20 秋の野

 盆が過ぎれば秋風が吹く、と言われる北海道。昨年は残暑が続いたよう
に記憶しているが、今年は早々と秋の気配が漂う。

 8月に入って姿を見せ始めたツリガネニンジン、それと並んでヤマハギ
やキンミズヒキなども咲いた野は、一年でもっとも賑わう。

 

2008/08/23 エゾフウロとハマフウロ

 先日このメモにハマフウロとエゾフウロについて判定が難しいと記述し
たところだが、その後北大の研究者(当地を研究フィールドにしている)
に相談に乗ってもらえる機会があった。

 この二つは、そもそも同じ種の植物で変種という扱いになっているそう
だ。分類学上の大きな相違点は無く、葉の形態(切れ込みの状態)で分け
ることに重点を置くとのこと。

 当地で採取していった標本は、よりエゾフウロに近いとの回答をいただ
いた。当地のオオバナノエンレイソウが縁で、素人カメラマンにはもった
いないほどの幸運に恵まれた、心から感謝。

 

2008/08/30 アブに吸われて

 秋の花々を撮り歩いた休日、トリカブトを狙っているときにカメラを握
る右手甲にちょっとした痛みを感じた。撮り終えてみるとハエに似たアブ
がとまっている、刺されたのだろうがそのまま気にも留めないでいた。

 最初は少し痒みを感じる程度だったのだが、一日たつと手の甲が広範囲
に腫れてきた。聞けばその種のアブは長期間痒みが残るのだという。気づ
いたときに追っておけばよかった。

 

2008/08/31 トリカブト

 青紫の美花は遠目にも分かるほど鮮やかだ。毒草ということに意識が行
けば、まさしく毒々しいと表現されてしまいそうな花色。

 目立つのは花色だけではなく、花数の多いことも一つの原因になってい
る。10花程度が塊となった花房は普通で人間の握りこぶし大、時として
長い茎全体にそれがつながると数十センチもの青い房が出現する。

 

2008/09/04 微かな変化

 ツリフネソウを撮りに行く一軒の農場があった。先日その周辺の草むら
を歩いていると、どこか雰囲気が違う。
 角にあった10数本の木が伐られている、どこか荒れた牛舎の周り。事情
を聞くと(後日)離農し、新規の就農者を入れることになっているそうだ。

 経営者が変われば、用地の使い方も変わるだろう。草木も変わらずにい
られないということだ、原因は様々だが。

 

2008/09/10 食料問題

 このあたりの農家も原油高から始まった資材の高騰で、かつてない経営
の危機だという。WTOの貿易交渉も決裂したとはいえ、農業への逆風は
強まるばかりだ。

 それにしても食料自給率が40%前後という数字には危機感を覚える。
半分に満たない食料生産とはなんとも心許ない。

 数字を見ると40/100だから分母を小さくして、例えば腹8分目と
いうから今の8割の消費量にすれば40/80で50%となる。
 単なる机上の計算なのだが、日本人の消費の在り方は国際的な食料問題
を考えるときに見直さなければならないことの一つだと思っている。

 もう一つは、浪費を抑えたとしても、それが国内生産をそのまま維持し
ていくことに直結するか?という部分だ。40/80は20/80になら
ないとはいえない。
 ここのところが農業の置かれている深刻な状況で、最近話題になってい
る事故米(MA米)は求めて輸入したものではない。諸々の輸出入が絡み合
う中で、農産物は開放と保護の間に揺れている。

 世界的には食料不足の中で、争奪戦すら予想すべき時代ともいわれる。
保護主義だけではすまないという前提に立ちながらも、食料をどう確保し
ていくか、知恵を絞らなければならないのだろう。

 

2008/09/14 熊に鹿

 日高山脈に連なる山地が間近に迫っている土地柄か、熊の出没が常に話
題になる。
 今年は特に多く、道路脇から飛び出してきて走っている車にぶつかった
事件は、数年前の自分の体験を思い出してぞっとした。

 実は、熊と鹿はこちらの農家には天敵といえる存在で、牧草やデントコ
ーンを食い散らす厄介者だ。

 農家の知人もあきらめ顔で「もともとやつらがいた所といえばその通り
だし」とのたまう。相当な被害を受けながらもどこかで許さなければとい
う思いが感じられてほっとした。

 

2008/09/20 花時

 花の季節も終わりになった。4月から9月、3月にフクジュソウが咲き
始めたとしても、せいぜい6ヶ月とちょっと。考えてみれば半年程度しか
ない当地の花時は確かに短いものだ。

 今年は、全体に腰を据えて撮れなかったという印象が強い。全くの我流
だから人よりも相当時間をかけて撮らないとものにならない筈、そんな意
味では薄っぺらな写真を撮った年なのだろう。

 とにかく撮りまくっていたた時代からすると、また別の時間を過ごした
年というしかない。果たしてそれがいい方向に出るのかどうか、来年の花
はどのように見えるのか楽しみにしよう。

 

2008/09/30 秋刀魚

「秋刀魚(船)入ったよ、浜まで取りに来なー」
 朝、知り合いの奥さんが電話をくれて妻が船に走ると、大きな籠一杯に
船から秋刀魚を入れてくれたのだという。

 到底3人暮らしの我が家で食べられる筈もなくあちこちの知人に配って
歩く。
 子供の頃は、塩したものをいくつにも分けて一人分だった。産地とはい
え、人に分けるほど手に入るというのも不思議な思いがする。
 
 習い性というのだろう、刺身にもできる秋刀魚だが、自分はやはり塩を
利かせて焼いたものが口に合う。

 

2008/10/04 寒波

 どことなく危機感というか現実感がないままに(冬が近いという)10
月を迎えたのだが、流石に寒くなってきた。ビールがうまくない、油断し
ていると風呂上りにゾクゾクする。

 それでも乾燥した大気が見せる野の風景はやはりいい。鮮やかな色彩こ
そないが、すべての色を内包したかのような深味を感じさせる草木の彩り、
そして澄み切った空。

 

2008/10/06 枯れゆく野

 花がすっかり終わって、野は紅葉へ向かって一直線という季節。山が澄
んだ大気にくっきりと姿を現してくるのもこの季節。
 イタドリの紅葉にはっとするような赤を見つけて車を停めたり、走るこ
と自体が楽しくもある。

 

2008/10/09 シシャモ(柳葉魚)

 これも季節のシシャモ漁が始まった。この時期は、豊富な魚と野菜が次
々に楽しめる季節でもある。
 野菜では、枝豆に始まってトウキビ、ジャガイモ、カボチャと続き、魚
では秋刀魚から秋味、柳葉魚、毛蟹と続く。

 最近の世界経済の動向は、われわれの暮らし向きさえ心配にさせる。人
が手にできる地上の実りは果たしてすべての人間の飢えを満たすのに足り
るのだろうか。

 アイヌ民族の伝承では、神が柳の葉を魚に変えて人間に与えたのだとい
う柳葉魚。自力で食物を手に入れられる、そんな思い上がりは、アイヌの
人々にはなかったのだろう。

 

2008/10/13 紅葉始まる

 連休はまずまずの天気に恵まれて色づく木々を探して歩いた。明るい日
に照らされて或いは日を透かして見える複雑な色模様は、木々の生命活動
を担ってきた葉の営みを垣間見せるようだ。

 

2008/10/16 新車購入

 車好きという訳ではないので、あれが欲しいこれが欲しいと考えること
もなかったのだが、結局妻と選んだのはハイブリッドカーだった。
 いかにも原油高のご時世らしい車になってしまって少々照れくさく、人
にはことさらエコを強調している。

 子育て真っ最中に購入した前の車は、故障知らずで13年役立ってくれ
た。今にして思えば「丈夫で長持ち」、「無事これ名馬」を地でいくよう
だったと有り難く思う。

 

2008/10/22 金融不安

 国際的な金融危機だとして、各国で公的資金をこの回避に充てると仰々
しくしゃべっている。確かに国民生活まで大変なことになるのは明らかだ
からな。

 無軌道なマネーゲームに走った挙句、自らの活躍の場をめちゃくちゃに
したゲーマーたちの後始末、一株も買ったことないおいら達まで関係者に
されるのかい?

 本来、生産することによって集積される富、その価値章標に過ぎない通
貨を巡るゲームが、ある意味国家以上の権力を持っているようにさえ見え
る。

 

2008/10/26 柏の紅葉

 どうも上手く撮れないと思いながら何年も経つ。柏(ミズナラも)の紅
葉は秋の日を受けて多彩な輝きを見せるのだが、それが画にならない。

 坂本直行さんの「開拓の記」を読んでもこの辺りには多くの柏の木が自
生していたことが分かる。

 開墾も進み、その数は大分少なくなっているとはいえ、まだ手つかずの
山林も残り、雑木林にも良く見ることができる。

 その紅葉風景を眺めていると、開拓以前の当地の面影を感じるような気
がしてくるのだった。

 

2008/10/29 寒気

 ここ数日、猛烈に冷え込んで事務所にいてもゾクゾクするほどだ。ご多
分に漏れず、我が職場も簡単には暖房が入らない。

 昨日、日高山脈の南方に位置する楽古岳周辺の山も微かに白くなってい
ることが確認できたが、今朝は一段と白くなっている。

 

2008/11/05 初雪

 さらっと舞う程度に白いものが落ちて、初雪の到来だ。降るところでは
真っ白になったところもあるようだが、当地はそんなものだった。

 山の雪も大分下まできているから、いつ降ってきてもおかしくないとは
思えた。
 季節のめぐりは、少しずつ準備されるものなのだと改めて思う。前触れ
もなくやってくる季節はない。

 

2008/11/06 カラマツの伐採

 今年になってカラマツの需要が好調だという。本州向けに積み出される
丸太の山は一向に減らないし、「切らせてくれ」と持ちかけられたという
話も耳に入る。

 十勝のカラマツは、ちょうど40年から50年の伐期を迎えているから
引き合いがあることはいいのだが、突然林がなくなってしまった風景に戸
惑うことがある。

 同時期に集中して植林されているから、このまま伐採が進むと相当程度
の山林が消失する。植栽をしても10年程度は裸同然の土地でいることに
なる。

 環境論議が様々なレベルで進んでいることはもちろんいいことだ。しか
し、現実の個々の局面では、まだまだ環境に配慮した思想や制度は見えて
こない。

 

2008/11/08 強風

 荒れ模様となった週末、昨夜から猛烈な風が吹いている。この風でピー
クを過ぎつつある紅葉も一気に葉を落とすだろう。

 今年は、休日に限らず天候に恵まれない秋の終盤だったように思う。年
々の個性、といつか思い当たったことがあった。「秋」という単語の一つ
にも幾通りもの語りようがあるものだ。

 

2008/11/11 晩秋

 海岸の高台から楽古岳の麓に広がる平野部を眺めると、ちょうど黄葉し
たカラマツの林が広がっている。秋の終盤、明るい茶色の輝きは壮観とも
言える光景だ。
 
 今では当りまえの光景といえるのだが、あの直行さんが眺めた時代には
もっと赤味のある柏の紅葉が広がっていたことだろう。

 

2008/11/16 落葉の候

 この時期は初雪の季節と重なるが(先日舞った)、落ち葉の季節とも言
える。車で走っていると、例えばカラマツの林ではフロントガラスにハラ
ハラと小さな葉がふりかかってくる。

 

2008/11/20 冬型

 絵に描いたような冬型の気圧配置。天気予報も外れようがなく、まさし
く冬日となった。
 朝起きると白い雪世界、舞い落ちる姿しか見なかった先日と比べてはっ
きりとした冬の形。

 

2008/11/24 連休

 すっかりカラマツの葉も落ちて、雪を待つだけの季節。走り回っても枯
れた風景が広がるばかりで、白い山と青空だけが目にとまる。  

 先週、微かという程度に雪を被った楽古岳も今週の寒波襲来で相当に白
くなっている。冬の間ずっと見続けるせいか、半年ぶりに見る雪の山にど
こか懐かしいような気分になる。

 

2008/11/26 冬の空

 昨日から猛烈な寒気がやってきて、よく晴れた今朝の空は一段と透明感
を増している。
 マイナス20度を記録した所から見ると可愛い位のものだが、氷点下の
寒さは歩く顔に突き刺さる。

 

2008/12/01 シラネアオイ

 雪にせかされるように、シラネアオイの種を採りに行ってきた。大分前
から庭に霜柱が見えて、気になっていたのだった。庭の土が凍上してしま
っては、鉢植えを土に埋め込めない。

 我が家はいずれシラネアオイ屋敷になるぞという、秘かな思いがある。
刮ハを探し回って採取してきた数十の種を鉢に植え、幸いまだ凍りついて
いない庭の隅に埋める。

 

2008/12/07 海を見に行く

 大げさにいうことではない。出歩けばどこでも海は目に入る町、いや自
分の場合家にいても2階の窓から海が見えるのだ。

 それでも「海を見に行く」と言いたいのは、轟く波音やキラキラと光る
水面の反射や磯の香り、そうした諸々を同時に感じられる場所へというこ
とだろうか。

 海岸の道路を車で降りれば直ぐに人気ない海岸、それも足元に波が届く
ほどの距離でもある。やはり海に来たと思えた、街中で目にしたり耳にす
るのとは違う感覚だ。

 

2008/12/10 暖気

 驚くほど暖かい日が続いて、冬支度で歩く朝なども汗が浮いてくるほど
だった。寒暖の差がいつもの年より甚だしいと思える師走。

 

2008/12/13 再びの雪

 今年初めての本格的な雪、昼から降り始めた雪がすぐに木々や草を白く
し、やがて道路も白く染めていく。
 幾度か繰り返される営みに人も引き込まれるように季節に添っていく。
車も衣服もすっかり冬仕立てにした人間たち。

 ところで、がんがん暖房を効かせてTシャツ姿でビールを飲むという、
北海道らしい長閑な冬も遠のくかと思われた狂乱の原油高が収ままった。
 そのことは一安心というところだが、あれは一体なんだったのだろう?

 代わりに猛烈な首切りの時代を迎えたようで、働き場を失う若者たちに
はまさに冬。長閑な北海道の冬が遠のくくらいならいいが、これはやりき
れない。

 

2008/12/22 カラマツの林

 深い林の奥まで白い雪や氷を張り付かせた木々が立ち並ぶカラマツの林。
既に葉を落とし露わになった幹と枝を白くした姿は、いかにも寒々とした
佇まいだ。

 真っ直ぐに芯を伸ばすカラマツの林立は、幾何学的な冷たさを持って冬
に対するようにもみえる。ウネウネと自在に枝を伸ばしている柏の姿を比
べるとなんとも対照的で面白い。

 

2008/12/26 小柏(こがしわ)

 この地を開拓した人々が苦労したという柏の林。「開墾の記」にも、ご
夫婦で小柏の伐採と抜根に疲労困憊したと記録されている。

 先日、葉を落とさない柏の林が晴天の雪景色によく映えているのを撮っ
たのだが、それがちょうど小柏だった。

 葉を落とさないといわれる柏の木、実際は皆無とまではいかなくてもや
はり多くは葉を落とし冬枯れの姿を見せている。
 ただ、若い木は良く葉を残すようで、晴れた日は赤味を帯びた葉が白い
雪に眩しく輝いている。

 

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