メモ帖ー’11

 

TOP     メモ帖'10 伝言板  

 

2011/12/29 捻挫

 スキーを楽しむつもりが、転んで膝を痛めてしまった。この年暮れに片
足をひきづって歩き回る不便な身の上がなんとも情けない。

 長期に休暇を取れそうなこの冬は、里山を歩いたりスキーをしたりして
アウトドアを満喫してやろうと思っていたのだが、それも水の泡になりそ
うだ。

 

2011/12/12 海は

 波音が轟く海岸に行くと絶え間なく押し寄せる波が海を泡立て、日高山
脈と太平洋が接する黄金道路は、飛沫となって降りかかる海水に洗われて
いる。

 穏やかな夏の海は、海と山に抱かれるような場所でもある。対照的に荒
れた冬の海は、立ち入ることを許さない非情の姿を剥き出しにする。

 人間は、様々な貌を見せる自然の中で居るべき場所を探ってきた、畏敬
の念と開拓の意志を両手に抱えて。

 

2011/12/04 初雪

 一昨夜から降りだした雪は時々雨も混じりながら、翌朝には15センチほ
ど積もっていた。自分が起きだしたときは雨に変わっていて、昼くらいま
で降り続いた。

  いつ降ってもおかしくない時期だと分かっては居たのだけれど、実際に
その姿を目にしていよいよ冬の到来か、と覚悟が決まる。

 

2011/11/27 冬の気配

 めまぐるしく変わる天気と寒暖の差。比較的天気に恵まれた今週だが、
ひどく冷え込んだ日もあった。

 いつ雪になってもおかしくない季節、数日前に見たときは何もなかった
ピリカヌプリ、ソエマツの2峰が週末には雪をまとっていた。

 南北に伸びる日高山脈、すでに純白に近い姿を見せている中央部の山々
に続いて、南部にも冬の使者が届きつつある。

 

2011/11/20 晩秋の平原

 カラマツの黄葉が盛りを過ぎると、山野は冬枯れの木々が立ち並び寒々
とした無機質の世界になっていく。

 代わりに十勝晴れと呼ばれる乾いた大気に覆われて、日高山脈が美しい
姿を青空に描く。華やかな紅葉の数々もいいが、冬を迎えようとするむき
出しの大地の姿も捨てがたいと思う。

 

2011/11/13 カラマツの黄葉

 印象的なカラマツの黄葉に出会った。
 ある道路の斜面に植えられたカラマツの若木が、秋晴れの空に黄金色を
輝かせている。

 以前から若いカラマツが、普通に見るカラマツと黄葉の色合いが違うと
は思っていた、そんな時々の印象を凝縮したような光景だった。

 

2011/11/07 紅葉と黄葉

 カエデの見事な紅葉ももちろんいいけれど、当地ではカラマツの黄葉も
外せない光景の一つだ。

 秋の深まりとともに、カシワやミズナラが多彩に色づき、次いで山にカ
エデ類の鮮やかな紅葉・黄葉が進み、最後にカラマツが黄葉を見せる。大
まかにいうと、この3段階で当地の晩秋が彩られる。

 

2011/10/30 クマの交通死亡事故

 先日、町内でクマが車にはねられて死んでいた、というニュースが飛び
込んで来て驚かされた。

 すぐに、その現場に立ち会った知り合いのハンター(猟友会のおじさん)
から詳しく話を聞くことができたのだが、結構大型のクマで250キロ位
はありそうだったという。

 クマが車にはねられて死んだというのは、タカノハはもちろん、ハンタ
ーさんも聞いたことがないというのだから、本当に希なことに違いない。
 そのほかにも住宅地をうろつくクマの目撃情報も多いようで、山は餌が
少ないのでは?と言われていたことが現実になったような感じだ。

 豊かな自然という中に、こうしたことも含まれるのか、などと考えなが
ら、はねられたクマの運命を思う。

 

2011/10/22 秋晴れに

 盆を過ぎた頃からぐずついた天気が多く、日曜カメラマンはなかなか透
明感のある秋の風景にお目にかかれなかった。

 それでも10月に入ってから秋らしい日が多くなった。日高山脈の姿、
秋の澄んだ空気と乾燥し始めた木々の葉の輝き、年々に多少の変化はあっ
ても季節は足を止めない。

 

2011/10/14 花の終わり

 色づき始めた山道を行く。花壇のように賑わっていた路傍の草むらも、
ほんのわずかな花が目につくばかりだ。
 エゾノコンギクがはっとするような色合いで枯れ草から覗いていたり、
そのままドライフラワーになったかのようにヤマハハコが秋風に揺れてい
る。

 花たちは、それぞれにこの年を全うしたのだろう。枯れ草に混じって実
を結んだ姿のものも見えている。気の遠くなるような世代を重ね、時々に
変貌を遂げながら続く種属の営みは、この目には触れてこない。
 

 

2011/09/28 エゾオヤマリンドウ

 「おとうさん・・・」、妻に呼ばれて庭に行くと、リンドウに良く似て
いるが、どうも普通のとは違う花が何株が咲いている。

 普通の、というのはエゾリンドウのことで、妻の叔母に当たる人が持っ
てきてくれて我が家の庭にある。
 園芸種でも買ってきたのかと思って聞くと、エゾリンドウの根元に葉の
違う株が出ていたので少し離れた場所に植えておいたらこんな花が咲いた
というのだ。

 手持ちの図鑑やネットで調べてみると、エゾオヤマリンドウがそれらし
い。あるところでは、エゾリンドウの高山型といい、あるところではエゾ
リンドウを母種とする、となっている。

 エゾリンドウとは極めて近い種のようだが、なぜ我が家の庭に登場した
のか、その道筋に思いを巡らせてみるのも面白い。

 

2011/09/20 また、キツネと遊ぶ

 どうも、2、3年に一度は人懐こいキツネに会うらしい。

 山へ行った折に道路脇に座り込んでいる子狐がいた。車を止めても動か
ないから、カメラを抱えて降りてみる。カメラを向けて数枚撮っても逃げ
ようとしなかった。

 それだけではない、帰りにそこを通りかかるとまだそのキツネが路上に
いた。やはり、カメラを向けても逃げようとしない。そのうち飽きたのか
脇の崖を降りていったのだが、遠ざかる気配はない。

 「おーい、帰るぞー」、そう声をかけて車に戻りかけると、がさごそと
音を立てて茂みからでて、真っ直ぐ道路へ上ってきたのだった。

 クマやシカばかりでなくキツネも増えている。以前にも記したように、
はっきりと人口が減少している地方の町村では、それを埋めるように野生
化が進むのか、そんな風に思える。

 

2011/09/01 マイマイガ

 盆あたりから目立ち始めたマイマイガが、ものすごい勢いでその数を増
して、8月末には町中の街灯が消灯される事態に陥った。

 とにかくひどかった。夜は街灯の明かりに乱舞し、朝になると電柱やモ
ルタルなどの壁にびっしりと張り付いている。

 死骸は落ち葉のような風情で道路に散らばり、毎朝商店街ではその片付
けと退治にくたびれ果てた。とどのつまり、街灯を消してしまうのが一番
というわけだった。

 ただ、一度大発生すると2〜3年は続くようだから、来年も悩まされるこ
とになるだろう。

 

2011/08/25 クマ騒動2

 先日記したクマの件はその後も目撃情報が絶えず、放置できないと判断
した町では、地元猟友会に相談してワナを設置したようだった。

 この時期、デントコーンも成長し随分と周辺の畑も荒らされたらしい。
クマには慣れている地元農家からもさすがに心配だ、という声が上がって
きたそうだ。

 今日、そのワナに1頭がかかったらしい、と関係者が朝から騒々しい。
クマには気の毒な話だが、人家もある地域を闊歩させるわけにはいかない
ことも確かだ。

 

2011/08/20 夏イカ

 海の幸は豊富な土地だといっても、夏場は水揚げされる魚種はそれほど
多くない。

 そんな時期に舌を楽しませてくれるのは、なんといっても新鮮なイカだ。
我が家では刺身はもちろん、酢イカやイカ飯にして食したり、息子たちに
送っている。

 これは一般の人は食えないだろう、と思うのが、本当に活きのいいイカ
刺だ。切り口にまったく水気を感じない、大げさに言えば唇の水分を吸い
取るような乾いた感じの身だ。

 それと並んで、イカ飯の素朴な食感も気に入っている。夏イカの薄く小
さ目の身体に餅米を詰めて醤油ダレで煮付けていく。
 柔らかな身に染み込んだタレの味で、ふっくらと炊き上がった餅米を味
わう。気取りのないたっぷりした食感が何よりのご馳走、と思える時だっ
てある。

 

2011/08/13 山くっきりと

 夏休みの一日、明るい朝に気分も晴れる。

 窓越しに眺めると、夏には珍しく日高山脈がくっきりと稜線を見せてい
る。去年のようにバカ暑くはないが、それなりに夏らしい日が続いて山の
姿はご無沙汰だった。

 久しぶりに眺める山、十勝晴れの秋冬と違い、この季節に中央部まで展
望できるのは殆どない。休日が一段と貴重なものに思える一日となった。

 

2011/08/08 クマ騒動

 親子連れの3頭を見た、大きな1頭を見た、2頭が一緒だった、などと
クマの目撃情報が相次いだという。

 噂を聞いてその気になったタカノハ、望遠レンズを装着したカメラを抱
えて、あちこちの林間道路を走り回ってみた。
 情報が集中する地区はいつも撮り歩く場所だったから、その意味でも気
になっていたのだ。

 グルグルと1時間ほども走った頃、カラ松林を通り過ぎてふとバックミ
ラーを見ると2頭の黒いものが動いている。間違いない、クマだ。
 車を止めて、200メートルくらい後方のクマにレンズを向ける、その
とき既に1頭は林に入ってしまい、被写体は路上に残った1頭だけだった。

 初めて野生のクマを撮ったという高揚感はあるのだが、それよりも可笑
しさがこみ上げてきた。冗談のように「クマでも探してくるわ」と言って
出かけてきて、本当に遭遇してしまったことに。

 

2011/07/31 クルマユリ

 今年はハチが多いようだ。クルマユリを探しに林に入る頃は、活発にス
ズメバチが活動する時期に重なる。

 時折聞こえてくる独特の羽音に怯えながら、林内に点在する花を次々と
撮っていく。一時心配していたのだが今年は見つけた株数も多いし、最高
で9輪まで花をつけた株も見ることができた。

 

2011/07/29 コンブ採り

 昔から当地の重要な産物だったコンブ、7月半ばの採取解禁日から時化
などで出漁できず、ようやく月末になって初日を迎えた。
 早朝から黄金道路沿いの海岸は、陸回り(おかまわり)といわれる多く
の人とその車で賑わい、海上も多数のコンブ舟が行きかう。

 この海岸は、日高山脈が太平洋に没するところであり、切り立った断崖
がえりも岬に向かって続く。
 昔なからのコンブ採取は、日高山脈と太平洋という大いなるものの恵み
として人に与えられた。日高山脈に繋がる天然の岩礁は、夏になると黒々
とコンブを纏う。

 コンブは単純に海の産物とはいえない。10メートルにもなり、潮に揉
まれるその葉を支えるために、根が張り付く岩場が必要になるのだ。

 コンブ採りは、漁業の中でも最も規模が小さく、けして大きな収入では
ないけれど、人が生活の糧を得るということの原点を見る思いがする。

 

2011/07/25 薄紅のフウロ

 7月の半ばを過ぎるとあの草原に通う事になる。スズランやハマナスが
折々に香る海岸だ。
 エゾフウロはハクサンフウロの変種だという。チシマフウロのように、
あちこちに姿を見せるわけではなく、何故かこの草原だけで見かける。自
分にとっては夏休みの花という感じになっている。

 

2011/07/18 ハマナスとカラフトバラ

 ここ数年、折に触れて観察しているのにオオタカネバラが確認できない。
直行さんが記しているその花は紡錘形の実になる筈なのだが、自分が見る
のはカラフトバラの丸いものばかりだ。 

 道行く人には、ハマナスとしか見えないだろうが、どことなく花の形や
色が違っていて、実になるとはっきり分かる。

 

2011/07/10 夏の草むら

 あちこちで草が刈られ、漂ってくるその香りに季節感がある。初夏を過
ぎて夏日もしばしば訪れるようになる頃、青々と茂る草むらに姿を見せる
のがアヤメとチシマフウロ、そしてエゾカンゾウだ。

 

2011/07/02 夏日

 やはり夏は暑いくらいがいい、と夕方の涼を取りながら思う。節電で大
騒ぎしている本州方面の夏をよそに、北海道の初夏は爽やかだ。

 スズランも終わったこの時期、瑞々しい緑が日に日に嵩を増して地面を
覆う。無秩序に繁みを広げた草むらに、虫たちが飛び交い這い回るさまは、
旺盛な生命力そのものに思える。

 繁みを這い出した虫たちは、例えば舗装道路の上でもその身をくねらせ、
輪禍に遭うものも少くない。
 夏は生命が躍動する季節なのだと思う。草花や虫たちの乱雑なほどの活
動に限らず、人間だって昔ながらの夏祭りに血を滾らせる。

 部屋に風を入れて、とっておきの梅酒を口にする。口に広がる酸味と香
りが涼風に響きあって日中に浴びた暑熱を冷ましていく。

 

2011/06/27 久しぶりに

 気になっていた或る花を、休日に探し回ってみた。この辺りではあまり
見かけないし、タカノハの知る限り直行さんも主要な著作の中では触れて
いない。

 エゾスカシユリという花には、個人的に強烈な印象が残っている。花を
撮り歩くようになった頃、或る場所で崖の上にこの花の一群を目にした。
ところが自分が撮った二日ほど後にはその鮮やかなオレンジが跡形も無く
なっていたのだ。

 遠目にも鮮やかなオレンジ色の塊とそれが一瞬(のよう)に消え去った
驚きでこの花は忘れがたいものになった。

 うれしいことに、探し歩く中でその崖上に2輪ほどオレンジの花色が見
えた。いつの日かまた、夏草の中に賑わう姿を見ることが出来るだろう。

 

2011/06/24 スズランに思う

 北海道の一番いい季節に咲く花がスズランだ。暑くも寒くもない風がそ
よと吹き、湿り気のない空気が肌に快い。

 瑞々しい若草があたりを覆い、下草の合間からは初夏の花々が可憐な姿
を見せている。まだ大型の草花が伸び切っていない頃合いに白い小花たち
が緑の合間からこぼれ出る。

 いつの年もスズランは難物だ。ほとんどが草に隠れる小さな花は、まと
もにカメラを構えさせてくれない。

 

2011/06/19 初夏の林で

 北海道でもっとも快適な季節といえるのが、5月末から6月の前半だと
思っている。ところが、晴天の少ない今年は感覚的にすっきりしない。

 どうもパッとしないなー、と思いながらも、林に入れば初夏の花が次々
と姿を見せて、暦に狂いのないことを教えてくれる。
 花だけでなく鬱蒼とした草木の間を飛び回る虫たちの賑わいもそうだ、
今年はスズメバチが早くに姿を見せている。

 この時期は早春と同じように多くの花々が開花を迎えるので、休日カメ
ラマンには気忙しい日々が続く。エゾノハナシノブが咲いた、ハクサンチ
ドリが見えた、スズランも咲きだしてるだろう、と。

 

2011/06/10 揺れる青

 初夏の林内にひっそりとエゾノハナシノブが揺れる。この時期になると
林床は様々な草花に覆われて、つい一月前の僅かな芽生えしか目に付かな
かった頃の様相を一変させている。

 青というより藍色の花は、葉も茎も花弁も、風に良く揺れる柔らかなつ
くりになっている。ほの暗い緑の中で、藍色は溶け込むような具合でむし
ろ目立たない。

 

2011/06/07 キツネにつままれる

 ノビネチドリという花がある。ハクサンチドリに似た花で、タカノハは
まだ2カ所でしかお目にかかったことがない。
 
 自分は、一度ある花を見つけると、その周辺をできる限り歩き回って他
の個体があるかどうか確認する。
 その2カ所とも、目にした個体以外は見つけられずに終わり、その後数
年間見ることができないでいた。

 そのうちの1カ所で今年は簡単に見つけたのだ、それも記憶にある場所
で。自分が見落としていたのか、休止の時を経て甦ったのか、なにやらキ
ツネにつままれたような気分だった。

 

2011/06/05 蝉の声

 6月に入ったこの週末、ようやく暖かくなった。

 停滞していた季節を解くように、いっせいにエゾハルゼミの鳴き声が響
いてくる。気がつけば、緑濃くなった木立が暦通りの初夏といえそうにも
なっている。

 

2011/06/01 シラネアオイ

 庭のシラネアオイが花をつけている。6年前に思い立って種を撒いたも
のが思いのほか順調に育ってきた。気候が合うのか庭の条件が良かったの
か、10本近い花が咲き、来年、再来年に花をつけそうな株も相当数見え
ている。

 優美なたたずまいを見せるこの花は、当地の山野に多数自生している。
しかし、面白いことにどこにでもというわけではなく、限定されたある地
域に多いようだ。

 こういうケースは他の花でも漠然と感じていた。植生ということを思い
浮かべるが、天然林から人工林、林野から農地或いは宅地へという開発の
中で単純に判断できそうもない。

 今見える植物相は昔ながらのものでもなく、まったく新たになったもの
でもない、と考えるのが正当だろう。僅かに昔を思わせる、というような。

 

2011/05/29 オオバナノエンレイソウ

 今年も何日かいつもの群生地に通った。年々知られてくるのか、少しず
つだが訪れる人が多くなっているような気がする。

 和やかにニコン同士の語り合いもあったりしたのだが、子連れの母親が、
摘んだエンレイソウを子供の両手いっぱい抱えさせていたのには呆れてし
まった。

 注意すると「ご近所さんが、こっちの場所ならいいと言ってました」と
返してくる。こんなのが100人もいれば群生地といえど見る影もなくな
るだろう。
 根は残して、などと聞いた風なことを言っていたが種を落として増えて
いく花の生態を考えることもないのだろう。それは子供にも伝えられてし
まう。

 10年以上通っているが、摘んでいく人間は初めて見た。今は、看板に
「踏み荒らさないで下さい」と書いているが、来年からは「花を摘まない
でください」と書かねばならない、情けないことだ。

 

2011/05/18 妙な雲行き

 雪融けが早くて、花も早いのだろうと思っていたのだが、4月の後半あ
たりからさっぱり気温が上がらずに、花は平年並みかやや遅いくらいの感
じになっている。
 しかも、年明けにほとんど降水(雪)がなかった反動か、雨も多いとき
た。

 確かに誰かが言っていた、雪融けの早い年は意外と夏場が良くないのだ
と。果たしてこの先の天気はどうなるやら、寒い夏の予感もしてくる。

 

2011/05/12 キバナノアマナ

 少し遅くなったが、早春の3花の一つキバナノアマナを忘れるわけには
いかない。
 3花の内では数も少なくやや印象が薄いし、同じ黄花のフクジュソウや
エゾノリュウキンカと比べても、花弁の細いこの花はやはり地味な存在と
いえそうだ。

 この花の良さは逆にそうしたところにあると思う。花の作りも実に簡素
で、いかにも野花らしい味わいだ。

 

2011/05/08 連休の珍事

 何年ぶりだろうか、連休に雪が降った。記憶を辿ると確か7、8年前に
雪中のエゾエンゴサクを撮ったことがある。

 4日の朝、雨が落ちだしてすぐに、雪が混じり始めた。予報通りだなと
思っているうちに、完全な雪に変わっていく。
 前日はカタクリを撮ってきた、この時期は早春の花々が咲きそろう時期
で、主だった花はほとんどが開花している。
 フクジュソウの時期に降るのはよくあることだが、エゾエンゴサクの頃
というのはそうない。

 2、3日前ほぼ盛期だったエンゴサク、心配になって近くの群生地に行
ってみると、雪を被った青花はその重みで茎が曲がり無残な姿で地に臥し
ている。

 ところが、その翌日にはほとんどが何事もなかったように、空を向いて
林立しているのだ。生き物のしたたかさ、それをしみじみと思う姿。

 

2011/05/03 早春の林で

 この連休は、ちょうど早春の花々が咲き始める頃合いだった。晴天を狙
ってあちこちに足を運ぶ。

 早春の3花(エゾエンゴサク、アズマイチゲ、キバナノアマナ)に混じ
ってカタクリやニリンソウが咲き始めた林は、思わず足を止めさせる魅力
に溢れている。
 木々の枝はまだ剥き出しのままだが、アズマイチゲやフクジュソウ、バ
イケイソウなどの葉が緑を広げ、その間に開く青や白やピンクの花色が実
に新鮮だ。

 

2011/05/01 手打ちうどん

 この連休は手打ちうどんと手作り餃子に挑戦するつもりでいたので、朝
から雨になった今日、まず手打ちうどんを作ってみることにした。

 調べておいた作り方を参考に朝から買いだし、昼から見よう見まねの足
踏みコネコネ、汗をかくくらい頑張った。
 難物は伸しと切りだった。不器用なタカノハ、汗を滴らせて切っていく
のだが、どうも幅が不揃いだ。きしめんのような幅広いヤツまで出現して
いる。
 
 当然のことだが、習熟には時間がかかる、道具立ても考えなくちゃいか
んなあ、と反省しきりに釜揚げの夕食となった。

 

2011/04/24 ミズバショウ

 まだ雪が残る山道をミズバショウの様子を眺めに走ってみる。雪融けと
同時くらいに、このあたりではほとんどの林地で姿を見ることができる。

 この4月に乗り換えた4駆の試し乗りでもあったのだが、日陰に残る雪
はところどころで道路を被い、自分が初めてこの道路に入った人間だと分
かる。少し迷ったが、雪はそう深くないと見て車を進める。

 ここは規模の大きな群生地で、大きな沢をグルリと取り巻くように走る
林道から、夥しい数のミズバショウを見ることができる。
 花はまだ早めでまばらだったが、時折車を停めて眺めるミズバショウの
姿と鳥の鳴き声に心楽しい季節の到来を実感する。

 

2011/04/14 旅と故郷

 旅の最後は、まだ白いアルプスを眺める故郷の松本平。そこで紐帯が解
けたような気分で旅を締め括ることができたのだった。

 故郷とは何だろう、との思いは、例えば鮭の大回遊に思いを馳せながら
時折脳裏に浮かぶことでもあった。
 雪の常念岳を背景にした古城を眺めながら、両親を喪った自分に故郷は
遠くなったという思いが先ず湧いた。
 どこかしら郷愁などという感慨も覚えながら、この機会にそれは捨てる
べきもの、と考え始めていた。論理的に思考したわけではない、どこか重
荷のように感じる行き先の一つを放り出そうというような気分なのだ。

 思いついて連絡を取った高校時代の恩師がご在宅だった。郷愁を持て余
したまま、10年ぶりくらいに恩師と話すうち、胸中にわだかまっていた
思いが晴れていく。
 自分の郷愁は、目の前の恩師などに導かれた当時のある精神風土を根源
としているのであり、土地にあったのではないと気づいた。誰かが言って
いたように、それを精神のへその緒と呼んでおきたい。

 故郷を捨てる、捨てない、などと考える必要もない。禅の書にある、百
丈野弧の話と同じで、捨てようが捨てまいが自分は自分でしかないのだ。
 懐かしい自然、風物ではあるが、そこに自分の痕跡がある筈もない。そ
の自然を眺める一個の意識であったに過ぎないのだから。

 

2011/04/10 旅、そして季節の巡り

 4月の頭に思いがけない機会に恵まれて、1週間ほど旅をしてきた。前
半は団体の一員として、後半は一人で故郷を訪ねる旅だった。

 天気にも恵まれて良い旅ができたのだが、行く先々で大震災が影を落と
していることに気づかされた。ホテルなどでもキャンセルが続いているよ
うで、風呂に行っても朝食を食べに行っても客の少ないことが見て取れる。

 ともあれ花霞も穏やかな本州の旅を終えて帰ると、まだ日陰に残ってい
た雪もすっかり消えていたし、呼応するように暖かな日が続いた。

 さっそく歩き回ると、早春の3花のアズマイチゲが白い蕾を枯れ草の中
に持ち上げている。旅の間に季節は巡っていた、人に時があるように草花
にも時がある。今年は雪融けが早く、花も早そうだ。
 変わらない姿、と見えるのもこのひとときに過ぎないか。

 

2011/03/27 原発事故と放送メディア

 人類史上でもまれな大震災、その影響の大きさは、容易に想像できない
広がりと深さを持つのは当然だ。
 加えて原発の事故、収束への道筋が見えない現代的な問題も日本人に突
きつけられている。

 最初の頃、震災を報道する中に、原発で何かあったらしいという記事を
見たとき、いやな予感がした。それからは、日に日に原発関連の報道が増
えて、事の重大さを多くの人が認識することになっていったのだが、メデ
ィアに登場した多くの関係者の解説を聞いていて、その空虚さに失望する
しかなかった。

 放射能漏れが現実になった時点でも、大変な事態を想定しなくてはなら
ないと語った人物は皆無だ。新聞や雑誌やネットなど比較的マイナーな場
で強く警鐘を鳴らしたジャーナリストはいたが、ほとんどフリーの人たち
だろう。

 報道という名を借りて虚しいおしゃべりを垂れ流すだけの、特にNHK
なるメディアは、すみやかに放送時間を短縮して節電に努めた方がいい。

 

2011/03/21 春とはいえ

 青いけれど、潤んだような空。春は、強くなった日差しが風景を和らげ
る。
 久しぶりに歩く野は予想以上に春めいて雪溶けも進んでいる。雪原のと
ころどころは黒い地面が覗き、根雪もザラメ状になってきている。

 少なくなった雪の間を、あの黄色い花を探して歩きながら、繰り返し見
てきた大震災の映像を脳裏に浮かべていた。

 自然のなせる業、怖ろしいまでに無慈悲な破壊。太古から常に自然との
関わりの中で文明を築いてきた人間の業も壮大といえるだろうが、それす
ら賽の河原の石積みに似ている。

 やり直すしかない、やり直せるだろう。人間は、そして生きとし生ける
ものたちは、そのように生命を繋いできた筈だ。

 

2011/03/13 大津波3.11

 東日本大震災は、最初ひどくゆっくりした揺れで感じた。今までに無い、
間延びしたような揺れが長く続く。
「震源はどこだ?」
 遠くだったら大地震ではないか、そう感じた。勤務中のオフィスで誰か
がテレビをつけると、三陸の大地震と報じている。やがて画面には、凄ま
じい津波の模様が次々と写し出され、当地の津波警報もすぐに大津波警報
へと切り替えられた。

 様子を見に海岸を見下ろす高台に向かっていると携帯が鳴り、海の様子
を撮ってこいと頼まれる。港を見つめながら1時間、明らかに当地でも津
波が認められた。
 第4波まで撮り、事務所に帰るとすぐに防災体制、結局30時間ほど活
動したが、当地では漁船30隻ほどが流され、港湾施設で浸水があった程
度で済んだのだった。

 その間、報じられていた東北地方の災害は地獄絵だった。千年に一度と
いう表現をする先生も居たが、日本列島沈没も頭に浮かぶような凄惨さに、
容易には言葉も出ない。

 

2011/03/06 謎の足跡

 春を眺めに、スノーシューで林の中を歩き回る。ネコヤナギが芽吹きフ
キノトウが顔を出し、と歩いているうちに見慣れない足跡を雪上に認めた。

 よく見かけるキツネやウサギの小動物のものではない。カエデの葉のよ
うに広がった3本の突出部がよく分かる。見慣れないというのはその大き
さだった。大人の手の平くらいの大きさがある。

 形からいけば鳥だろうと思いながら、頭に浮かぶ適当な候補はなかなか
思いつかない。最後に思いついたのはそう見かける鳥ではない。

 半信半疑で歩いていたのだが、林を抜け出た川岸にそれは居た。つがい
のタンチョウが私の姿を見かけると、甲高い鳴き声を上げて飛び立ってい
く。

 

2011/03/03 想像力

 大学入試で携帯を使ったカンニングが話題になっている。タカノハなど
は、若者の携帯の使いように驚くことばかりなのだが、今回改めてその思
いを強くした。

 もちろん、その行為自体を正当化するつもりは無いが、一人の若者がそ
の熟練の技で社会に警鐘を鳴らしたような印象がある。
大人たちは、自分たちが作り上げてきたシステムが絶えず時代に置いてい
かれようとしていることを認識すべきだ。
 
 危機管理などと大げさにいう必要はない。携帯でカンニングが可能かも
しれない、という想像力があれば、優秀な若者を犯罪者にしないで済んだ
ろう。

 

2011/02/27 体感すること

 今週で終わりだなー、強い日差しを浴びながらそう思う。年前の大雪で、
ホームにしている近間のスキー場はいいコンディションが続いてくれた。

 今年はスキーだけでなく、アウトドアで汗をかくことが多かった。マイ
ナスという気温を身体に感じ取るのも面白いと思う。 
 機能的に相当すぐれたスキーウエア(インナーも含めて)を通じてのこ
とだが。

 マイナス20度くらいが、このあたりでは最高の寒さだが、ジッとして
いるとウエアを通しても寒いと感じる。写真を撮っていても指先が凍えて
手を暖めながらの撮影だ。
 マイナス10度前後は、風さえなければ普通の冬の寒さで、ウエアを着
ていればほとんど寒さを感じない。マイナス10度を切って来ると、動い
ているうちに汗ばむほどになる。

 今年は、1月の半ば頃に厳寒の日々が続いたが、それ以後はほとんど冷
え込むことのない年だった。

 

2011/02/19 早い春

 2月も半ばを過ぎると、1月に感じていた肌を刺すような寒気は無い。
随分日が高くなったと、昨日もスキーをしながら空を見上げる。

 今日は朝から雪融けの気配というか、春の気配を探しに川縁の林を散策
する。まだ雪は思ったより深い、それでも日が高くなって差し込む光も増
えた林は明るく、昨夜降った僅かな雪が雫のように木の枝から降ってくる。

 柳の芽も銀毛を出しているものもあり、遠景に見る雪原風景の中に少し
ずつ春が兆しているとわかる。

 

2011/02/12 再び山、そして思うこと

 先日、再び山へ行ってきた。前回は事前の準備という位置づけで、今回
が本番になる。
 前回より2地点少なく、日程も余裕があったからそれほど苦労はしなか
った。新しい試みで、森林のCO2吸収量を算出してみようというものだ。
あらかじめ抽出した測定ポイントへ行き、設定区間の樹木を測定する。

 林業が衰退し、経済的にはほとんど価値を見いだせなくなった日本の森
林。面白いことに、外国資本が日本の森林を買い付ける動きがあると最近
話題になっている。
 詳しいことはわからないが、中国、オーストラリアなどの海外資本が何
か所か森林を所有してきているというのだ。リゾート開発もあったり、中
には水を求めているなどという話もある。

 国も国有林野の整備に金がかかりすぎると営林署などを徹底的に縮小し、
外材に押されて林業もすっかり廃れた今、山は荒れている。
 情けない話しだが、海外資本に日本の森林を整備してもらわなくてはな
らないのかもしれない。

 

2011/02/06 PCトラブル

 昨年もPCが故障して大変な目にあったのだが、年明け後も調子が悪い。
どちらにしても、今年は買い替えるつもりだったので、見積もりを始める
ことにした。 
 同時に、現在のマシンをサブにして使いたいと思ったので、調子の悪い
電源部(ファン)を取り替えられないか調べてみた。
 結局、筐体の問題でそれは不可能ということだったので、だましだまし
使っていくしかないという結論に。

 そこで、どうせならと思い立って本体を開き、弄り倒してみようという
気になった。何回か掃除するつもりで開いたことはあったが、ほとんど内
部は外していない。
 今回は、怪しいと気になっていたファンの部分を外せるかどうかじっく
り観察してみた。DVDドライブを外せばいじれそうだと見当がついて、
やってみるとヒートシンクを取り付けるネジが現れた。
 後は簡単だった。おそるおそるヒートシンクを外してみるとファンが見
えて、埃がたんまり溜まっている。時々覗き込んで始末していた埃の比で
はない、綿埃が更に押し固められてファンにまとわりついている。

 お恥ずかしい話しだが、電源は関係なくCPU冷却用のユニットが機能
不全というわけだ。さっそくファンを掃除して、シリコングリスでヒート
シンクを装着し直して完了。

 考えてみると、昨年夏あたりから妙に唸りだしたファンは、狭まった吸
気口から空気を取り込もうと必死に回転を上げていた訳だ。
 セカンドマシンとしては充分に機能する、ニューマシンをじっくり検討
できることになった。

 

2011/01/23 スキー

 気がつくと40の手習いで始めたスキーも、中断を入れながら20年近
いキャリアになった。もちろんキャリア不相応の下手くそスキーなのだが、
それなりに楽しむことができて有り難い。

 

2011/01/16 雪の山へ

 必要あって、山へ入ることになった。もちろん高山ではなく、人里近い
前山だ。ちょうどスノーシューで歩き回る近間の林、その延長になるよう
な所だから、タカノハも参加することにしたのだった。

 2日で6カ所を回るという計画、夏だったら車で入れる林道の近くだが、
除雪されていないためにアプローチが長くなる。
 1カ所あたり、1qから2qくらい歩いて取り付かなければならない。
いやな予感がしたのだが、いくと言った以上引っ込めるわけにもいかない
から、そのまま参加することに。

 疲れながらも、なんとか若い連中について歩いたのだが、最後の2カ所
は急な斜面を行くハメになって披露困憊、おじさんにはそれなりのコース
で遊ぶ必要があると痛感したのだった。

 

2011/01/10 十勝晴れ

 連休はいい天気が続いた。日本の気圧配置が西高東低になると、十勝平
野は晴天になることが多く、十勝晴れといわれる。
 ただし、冬型の気圧配置で流れ込む寒気は十勝も例外ではなく、凍れ上
がった晴天ということになる。

 朝、日の出る頃合いに海岸へ行く。凍れを視角に捕らえられるものの一
つがケアラシだ。凍てた朝には陸上から川筋に沿って寒気が海に流れ込み、
海岸にモクモクと霧を発生させる。日が出るとすぐに消えていくから、こ
の撮影は極めて短時間の勝負になる。

 それからもう一つの凍れを見に、平原を走り回る。ケアラシの立つよう
な朝は、大抵草木に張り付いた霧氷が見られる。十勝晴れの雪原のところ
どころに、氷をまとった草木がキラキラと朝日を反射している。

 

2011/01/02 意外と穏やかに

 札幌から帰省した長男が加わって新年を迎えた。心配された天気も、風
はあるものの雪はつかず、静かな元旦だった。

 2日は朝から綺麗に晴れて久しぶりに十勝晴れの冬風景を撮ってきた。
深い雪に埋まった畑地は広々とした雪原になり、寒気に澄み渡る空の青と
白い雪が明るく晴れやかな気分をもたらす。