2013/12/28 毛ガニ
春先の鮭鱒漁、夏のサンマ漁そして秋のシシャモ漁と浜は不振だったようだが、冬の毛ガニ漁は好調らしく知り合いや親戚の所から随分届いて、とても小家族で食べられるものではなかった。
流通が未発達だった昔は、毛ガニやウニなどといった高級品扱いの魚介も、豊漁になると小さな町では始末に困ったと聞いていた。
そんなことも、宅配業界が充実している現代ではまさに昔話、有り難く戴いた毛ガニは息子たちの元に送られた。
2013/12/23 雪の山道
そろそろ気嵐の立つ頃だ。山の展望台からの眺めも撮りたいと思い、山道を踏みに行く。
雪の遅い当地では、まだ僅かの積雪だから大げさにスノーシューを持ち出すこともない。2日も歩くと獣道のように踏み跡が出来た。
2013/12/18 まだ居る
驚いたことに、ハクチョウがまだ居る。あれから約一月、飛び去っていく群を幾つか見たし、一カ所では姿が見えなくなっていたから、居なくなったものと思っていた。
少しだが雪が降って冬の気配も強まった今日、もう一カ所確認していた畑に行くと甲高い鳴き声と薄く積もった雪の上を歩く姿がある。
大丈夫なのか?今は溶けていく雪だが、まもなく根雪になって餌も探せなくなる。
2013/12/10 無用者
思い立って「無用者の系譜」(唐木順三氏著)を読んでいる。「身を用なき者に思いなして・・・」、というあたりが無用者という概念になるだろうか。 そういえば自分も仕事を離れ、無用者の一人か?などと思ったりしながらざっと読み進める。
一遍上人、芭蕉等々、取り上げられた人物たちの境地は想像も及ばないが、無用者であると自覚することは、孤立感・閉塞感を伴いながらもある種の解放に繋がるだろう。
もちろん、解放されることが幸福であるという保証はないし、むしろ社会からドロップアウトして物心両面での軋轢に押し潰される者の方が多かった筈だ。
時代によって無用者という在り方も様々な形を取るだろうが、先の見えぬ人間にあって、既存のものに背を向けた無用者こそ新たな価値感の発見者になるのかもしれない。
2013/12/05 渡り
今朝、一群れのハクチョウがきれいなv字を描いて日高山脈の方向へ飛んでいったのを見た。先月、幾度か撮ってきた中に居た鳥たちだろうか。
つかの間の滞在地を後にして羽ばたく彼らに感傷もないだろう、懸命にその旅を続けるのみだ。
2013/11/23 渡り鳥の滞在
すっかり見通しの良くなった平野部を走っていると刈り取りの終わったデントコーン畑に白いものが点々と見える。
ハクチョウの群だった。広い畑地の何カ所かに別れて羽を休めている。旅の途中、日高山脈を超える前に一息ついたというところだろうか。中にはまだグレーの羽をした幼鳥も混じっている。
デントコーンの実が絶好の餌になって休憩地と定めたのか、時折数羽が付近を探索するように飛び立ち、また降りてくる。
実はこの辺りのデントコーン畑は、いつもタンチョウの餌場になっていて、案の定近くに数羽のタンチョウも居た。
今年は暖かい晩秋なのか、彼等の滞在は意外に長くなっている。家の漬物が酸っぱくなってしまったと妻が嘆いていたが、案外共通する原因なのかもしれない。
2013/11/15 ホシガラス
いつもの山道がその光景を変えている。紅葉が終わったこの季節は、裸になった木々の幹や枝が立ち並ぶばかりだ。
忙しく散った枯れ葉が風に吹かれて、場所によっては道路を塞ぐように積もっていたりもする。
こんな時期は鳥がよく見える。先日も休んでいたすぐ脇の木に見慣れない鳥が止まったのだが、カメラを取り出すうちに去ってしまった。
それから、なるべくカメラをぶら下げて歩くことにした。立派なレンズは持っていないから、運に恵まれた時だけでも、との思いだ。
3日後、頂上付近を歩いているとあの鳥が目の前に出てきた。近づいても逃げず、手持ちのレンズでも十分な距離の枝に止まってくれている。
図鑑で調べても判然としないので、鳥に詳しい知り合いに画像を送って見てもらったところ、高山帯に住むホシガラスだという。郊外の低山で見かけるのは珍しい鳥なのだそうだ。
2013/11/10 秋の海
山の展望台から海を眺めると、明るい光が注ぐ中にシシャモを曳く船が幾つか浮かんでいる。
どうやら今年のシシャモは不漁のようで、時々浜の方から選別を頼まれる妻の出番も極端に減った。
資源の減少は早くから心配されていた。シシャモの生息域は非常に限定的で、管理しやすい筈なのだが漁業者の経済的な要請もあってなかなか効果的にいかない。
海が変わっている、と地球温暖化に繋がる異常な水温を心配する議論もある。こればかりは軽々に言えないが、生業とする者たちにとっては深刻な問題に違いない。
穏やかな青海原にゆっくりと網を曳く白い船の動き、目に映る長閑な光景にも、どこかで知里幸恵という少女の嘆きが重なってくるように思えてならない。
2013/11/02 グーグル
インターネットを席捲しているグーグルという企業の詳細をレポートしたものを読んでいて、何ともいえない奇妙な思いに捕らわれた。
「邪悪になるな」というのがこの会社のモットーというべき言葉らしいのだが、何が邪悪なのか良く分からない。某社のような金儲けだけが目的の会社になるな、ということも含むようだが、目くそ鼻くその類でしかない。
イラク戦争で米政府は、大量破壊兵器を所有する悪としてイラクを攻撃した。米政府とグーグルがイコールだというつもりはないが、善悪というのはそもそも相対的なものだ。
ユーザーの一人としては、文字通り「邪悪になるな」というモットーを守ってほしいと思うばかりだ。彼らの持つ情報は使い方によってはネットユーザーを裸にするのだから。
2013/10/25 ヒグマ
今年も道内各地でヒグマの目撃情報が伝えられている。やはり人里近くに出没する傾向にあるのか、気になるところだ。
今、晴れた日によく歩いている山道も所々にヒグマの糞がある。新しいものではないが、彼等の居場所を歩いているという恐怖心が拭えない。
2013/10/17 初雪
思ったほどの風雨ではなかったものの、台風26号は季節外れの置き土産を残していった。
前日霙が降っているのは見ていたが、今日車を出してみると日陰では雪が残り夏タイヤでは心許ない所もあるほどだ。(正式に初雪と記録されたようだ)
なによりも山の雪、前山までが白くなっている。紅葉がぼつぼつ始まった矢先の雪はここ10年記憶に無い。
2013/10/15 札幌へ
所用があって札幌へ車を走らせることになり、せっかくだから、と数年前に開通した道東自動車道を走ってみた。
高山はないが山地を抜ける道路は秋も深まって、幾重にも連なる山腹のほとんどを黄葉が覆っている。雨ということもあって落ち着いたたたずまいの秋色を堪能してきた。
2013/10/03 へびのたいまつ
久しぶりに真っ赤になったこの実を見た。「蛇の松明」と表記した方が分かりやすいだろうか、コウライテンナンショウの実をこう呼ぶ。
山道を歩いていて突然目に入ってきた真紅の実、何年ぶりかの再会を果たした気分になって早速レンズを向ける。
ここ2年くらい目にしていなかっただろうか、つやつやと輝くような明るい赤色は目映いほどだが、有り難くもない名を頂戴したように、薄暗いところで見ると不気味でもある。
2013/09/28 マタタビの実
恥ずかしい話だが、マタタビの実がオレンジ色に熟すのだと始めて知った。散歩がてらに歩く山道でヤマブドウなどと一緒に観察していて、先日赤くなった実が混じり始めたことに気づいた。
今までは通りすがり程度に眺めているだけで、コクワと同じく緑色のまま熟すのだと思い込んでいた。
2013/09/21 星空に
写真を編集しながら先日の小旅行を思い返すと、ホテルの窓から眺めた満天の星空が脳裏に甦る。
自分は何処に生きているのか、その基準すら分からない中で朧気に感じられる何かがあった。
子供の頃、よく夜空を眺めていたものだった。学生の頃も太平洋のただ中で眺めていた。
宇宙の運行と地上の自分と比較しようもない距離感を思うことは決して悪い気分ではなかった。想像力の内にある悠久、それもまた人のなせる業。
2013/09/17 サロマ湖からコムケ湖
ホテルは連泊にしていた。カメラバッグだけを積んで紋別へ北上する。道々サロマ湖のアッケシソウ群生地、コムケ湖という小さな湖の原生花園に寄る積もりだ。
台風一過の絵に描いたような晴天、風は吹いているが晴天のドライブはやはり気持ちがいい。
まずは、サロマ湖のキムアネップ崎というところで無難にアッケシソウを撮り、そのまま紋別方面へ向かう。
途中コムケ湖に寄ったのだが、アッケシソウを探してオホーツク海の汀線ぎりぎりを走り抜けたことは、ハラハラしながらも後々の語りぐさになりそうな面白い体験だった。
紋別もオホーツクタワーなど期待に違わない見所は十分あった。それでもちょっとした寄り道が旅することに添える味わいは捨てがたい。
2013/09/16 アッケシソウを見に行く
妻の希望もあって、サロマ方面へ2泊3日の小旅行に出かけた。ホテルを予約していたから台風の接近は分かっていても変更するわけにはいかない。幸い、台風の影響は夕方から夜にかけてとの予報だから、道中はそれほどひどくないだろうと家を出た。
能取湖に着いたのが3時前、有り難いことに雨は小降り程度で、眺めるだけのつもりだったが撮影もできそうだった。
初めて見るアッケシソウは本当に赤かった。絵や写真で眺めて赤っぽい草としか思っていなかったのは完全に思い違いだった。
時期にはまだ早いということだったが、むしろ緑から赤への変化が比べられて自分には良かったし、雨模様ながらじっくりと撮影もできて上々の初日だ。
2013/09/08 秋の実り
足慣らしのつもりで里山を歩き回っている。その道道にも次第に花の姿が少なくなって来ているのが分かる。北海道の花の季節は短い、三月からこの九月までの半年しかないのだ。
その一方でヤマブドウやコクワ、マタタビなどの木の実が目についてくる。妻と二人、山道を歩きながらヤマブドウの色づきを眺めている。
2013/08/28 PCトラブル
僅かとはいえ、大事な役割を当てていた予備のXPマシンが突然動かなくなった。電源を入れてもカーソルが点滅するだけでいっこうに動こうとしない。ネットで症状を調べてみると、復旧にはややこしい作業が必要らしいと分かった。
サイトの運営に使うMS社のHP作成ソフトを入れていたから少々焦った(Win7には対応しないソフト)。結局2、3日考えた末にいよいよHTMLは自ら記述することにした。
この春先からWin7用のソフト導入も考えたのだが、少しずつ切り替えていって、最終的には自分で記述することにしようと決めていた。要するに、サボりかげんだったその作業を早めるだけのことだ。何が背中を押してくれるか分からない。
2013/08/23 ツリガネニンジン
少し天気が続いて、この数日は久しぶりに歩き回っている。ツリガネニンジンが短い間に続々と立ち上がって、ヤマハギと共に秋の野を演出している。
2013/08/15 涼しい夏
冷夏とまでは言わないが、盆になっても日本各地で伝えられる猛暑が別世界のことのようだ。
それでもようやく今日になって夏らしい暑さ、日差しが戻った感じだ。しばらく持てばいいと思うのだが、明日からまた雨模様らしい。気温もさることながら、十勝は夏の日照が少ない。
2013/08/07 若者の貧困
現代の若者が置かれている貧困問題のルポを読んでみた(電子本)。リーマンショック以降の派遣切りなど、ワーキングプアといわれる実態を描いている。
格差社会、残酷なまでに派遣労働者と正規雇用の差異が浮き彫りにされる状況、そしてまた、ヘッジファンドが多量の貨幣をかき集める一方で、その日の暮らしに事欠く人々も居るということは、決して健全な社会とはいえないだろう。
競争という言葉で格差が生じることを是とする立場もあるだろうが、そう考えることはおそらく人間の有り様を歪めていく。労働力の再生産が行われないということは、その社会に未来がないというのに等しい。
学校での虐めが大きな話題になったが、この社会自体が既にそうした状況を生み出しているのだと改めて思わされた。
2013/07/30 雨の日々
もう10日くらいになるだろうか、本州などの猛暑が報じられるのに、こっちはさして気温も上がらない日々が続く。
2013/07/24 電子本
収納に困って近頃は本を買うことを控えていたのだが、タブレット端末を購入して電子本を読んでいる。
思った以上に読みやすいし、購入しやすい。なにより何冊もの本を手軽に持ち歩けるのは有り難い。
2013/07/19 夏の繁み
さすがにこの時期になると草木の繁みが深い。クルマユリを探し歩く林の中も自分の背よりも高い草が目だってきている。
2013/07/16 落花
ハマナスが終わり、いつもの海岸はエゾフウロの季節。歩き回れば零れ落ちたハマナスに混じってエゾフウロの花びらもある。
散り際を引き合いに出される桜ばかりではなく、花の営みに落花はつきもの。その後に次代の種子が紡がれていくのだから、それは単に世代交代の一場面ということだ。
2013/07/08 釧路へ
先日、用事があって釧路へ行ってきた。道すがらにエゾカンゾウとエゾスカシユリが群生する海岸を目にした。
ハマナスやセンダイハギもあって、いかにも北海道らしい季節感の中のドライブを楽しめたのだった。
2013/07/03 ハマナス
幾日か撮り歩いていて、ふと啄木の歌にハマナスを詠んだものがあったことを思いだした。
確か「一握の砂」だ、函館時代の作だろうか。漂泊の日々に真っ赤なハマナスを眺めて居た自分を思ったのだろう。
2013/06/28 梅酒の出来
昨年つけ込んだものはなかなかの出来だった。1年寝かせて、夏の間には飲んでしまうのだが、口に合わない市販の物から見れば満足度は高い。
問題は糖分の割合で、酸味の立った味にしようと何年か試行錯誤してきて、ようやく満足できる感じになった。
汗をかいた夏の日の終わり、火照った身体を夜風に当てながら飲めば強烈な梅の香りが涼やかだ。
2013/06/19 花の香
妻が摘んできたスズランが部屋で香っている。
考えてみれば、花の香りには関心もなく、どの花がどんな香りなのか確かめたこともない。
ただ、このスズランとミズバショウとハマナスだけは良く知っている。この三種はその場に立つだけでそれと分かる強い香りを持っているのだ。
その一方、逆の意味で香りに関心を持った花がある。クロユリ、坂本直行さんの著書で触れられていたので自ら嗅いでみた。
なるほど悪臭といえる香りで、これはスズランなどのように強く香ったら相当に嫌われるだろう。
2013/06/14 子鹿
いつものようにハクサンチドリを捜しスズランを撮っていると、突然視界に異様なものが入って来て身構える。
慄然とした身体の反応は本能の故だろうか、それは動物なのだった。一瞬の後に身体の緊張は解ける、一頭の子鹿が動けないといった風情で木の根元にうずくまっている。
(どうした?)
近くにいるのに動こうともしない、こちらを向いた頭のかすかな動きでせわしい呼吸が分かる。生まれたばかりだろうか、こんな小さな鹿は見たことがない。
その場を離れて一時間ほど後で行ってみたが、もうその姿はなかった。動けない動物はカラスやキツネに襲われる筈、自力で動けるようになったのだろう。褥になって倒れたスズランを眺めてほっとした。
2013/06/08 初夏の林
若葉が枯れ枝を包むように拡がって木々は幹だけを黒々と見せている。オオバナノエンレイソウも盛りを過ぎて明らかに季節が変わったと感じられる。
いつしか林の主役はシラネアオイへと移り、そうこうするうちにマイヅルソウ、クルマバソウ、ツマトリソウなどの初夏の小花やスズランの葉が林床を緑で被う。
時雨れるようなエゾハルゼミの鳴き声を耳にし若葉を目にして、花々に誘われる虫たちと一緒に歩き回る。
2013/06/03 我が家のシラネアオイ
実生のシラネアオイが我が家の庭で見事な花をつけている。数年前から種を採取してきた花たちが、思い描いた通りこんもりとした一群になった。
2013/05/25 地球に腰掛けて
ようやく賑わいを見せ始めたエンレイソウの咲く林を歩き回る。そこにいろいろな感動はあるのだが、写すという作業をして再現できたという思いにはほど遠い。
撮影に飽きればそこに座り込んで、まだ見通しのいい木々の佇まいとその間で風に揺れる白い花を眺めている。見上げれば雲を浮かべた青空が拡がって春の気配が満ちている。
時折は鳥の鳴き声も聞こえてきて申し分の無い空間なのだが、撮影に屈託した思いを抱えると居心地の悪さを覚えたりもする。
天地の運行とその上に在るつまらぬ人情の軋み、漱石先生を読んでみようか、などと妙な言い訳を考えていた。
2013/05/18 遅い春
オオバナノエンレイソウが盛りを迎える時期なのに、まだいつもの林床には開花しているものがチラホラ程度だ。
寒い日が続いたのは確かだが、これほどの遅れになるとは思わなかった。この分だと盛りは来週、例年より1週間ほど遅れた感じだ。
2013/05/10 エゾイチゲ
小さな花だ。早春の3花も小さな花の部類だが、それらより更に一回りは小さい。
タカノハが1カ所だけ知っているこの花が咲く場所は、坂本直行さんが開拓した農地に隣接する林だ。
別名ヒロハヒメイチゲ、「私の草木漫筆」に紹介されたヒメイチゲのことかもしれない、と想像を巡らせてみた。
2013/05/04 狼藉者
同好の士といっても、傍若無人な振る舞いには嫌悪感だけが湧く。
カタクリを撮りに行った時のことだ。一人のじいさんが群生するカタクリの一角で身体を横たえて撮影している。もちろん数十という花がその身体の下敷きになっている。
タカノハは、自然が好き花が好き、という人間は信用しない、こんな輩が多いからだ。好きだから何をしてもいいということは無いだろう。
むしろ都会の一隅で日々仕事に追われるおじさんたちの方がよほど自然に優しい、と以前から思っている。皮肉な逆説をまだまだ放棄するつもりになれない。
2013/04/30 連休の雪
無くは無い、そう思いながらも庭を白くしていく春の雪に、ちょうど盛りを迎えている花々の嘆きが聞こえてきそうだった。
思い立って近くの草地へ行ってみると案の定咲き揃いかけていたエゾエンゴサクは雪の下になっている。
一時(いっとき)しおたれても、またすぐに立ち直るのだから心配したものでもないのだが、やはり痛々しいものに見える。
2013/04/22 春の雪
前日に降った霙混じりの雪はそれほどの量では無かったけれど、やはり3花たちは萎れていた。
それでも回復した天気に雪融けの早い日向では、閉じていたガク片を開き初めているものもある。
弱そうに見えてもしたたかに子孫を紡ぎ出す早春の小花たち、このくらいでは参らない。
2013/04/16 3花の季節
フクジュソウを撮り歩いていると、突然のようにアズマイチゲやエゾエンゴサク、キバナノアマナが咲き出したのに気付く。
自分は熱心な観察人ではないから、枯れ草の間から立ち上がってくる若芽を探しはしない、そろそろ咲く頃だと思うばかりだ。
2013/04/06 ヤチブキの異変
フクジュソウと並んで雪融けと同時に姿を見せるヤチブキ(エゾノリュウキンカ)、幾度か足を運んでいるのだが今年は様子がおかしい。
早いときは2月の雪の中でも見たことがあるのに、今年はさっぱり見えてこなかった。ようやく花を見たのが数日前、今日こそとばかり行ってみたのだが、花数の少なさに驚いてしまった。
小さな流れを丹念に辿って見たが、例年のように流れを埋め尽くすような賑わいは無い。遠い間隔で花が点々と見えているに過ぎない。
年によって咲きっぷりに変化があるのは当然だけれど、もしかしたら隣接するカラマツ林の間伐が影響しているのか、とも考えた。
2013/03/31 フクジュソウの輝き
しばらく強い風が吹いて、外に出ることも少なかった。その間に雪融けも進んで、数日前にはフキノトウもいくつか目にした。
ようやく天気に恵まれた今日、まだ雪の残る河畔の土手を歩いて、日当たりの良い木の根方に幾つかフクジュソウを見つけた。
いつものように春の日に輝くフクジュソウを眺め、ホッとする自分が居る。おかしなもので、この地に在る仲間のような気がしている。
欠けていくものがあればこそ、だろうか、つかの間自分の目に映る時々の風景も貴重に思える。
2013/03/24 残雪
なかなか雪融けが進まないと思っていたら、幾度か雨になって目に見えて積雪が減ってきた。
それでも、3月半ばにはフクジュソウが見られる年もあることを考えると、この春は遅い。
2013/03/16 想像を楽しむ
アザラシ観察の帰り道、妙なことに気付いた。植林されたカラマツ林が続く中に樹皮が剥かれて裸になった立木がある。
知っている関係機関に写真を送って見てもらったら、虫に食われたのだろう、とのことだった。
ただ、その食い跡に長方形に抉られた部分があって、それを見た誰かが、クマゲラは四角な穴を開けるらしいけど、と言ったという。
調べてみると確かにクマゲラはそんな突き方をするようだ。この町では半世紀前に一件だけクマゲラの確認例があると資料で見た記憶がある。
海岸沿いに5qほど続く防風林の一隅、クマゲラの生息を想像してみるのも楽しいことだった。
2013/03/08 アザラシの居る風景
スキーに通うこともなくなると専らスノーシューで歩き回る。今年はアザラシの観察に何日も通った。
黄金道路の岩礁地帯を外れてポツンと存在する小さな岩場。ここは暗礁が点在して漁船がやって来ることもなく、断崖になった海岸のために人も近づかない。
40キロほど離れたエリモ岬のアザラシは有名だが、平坦な海岸になったこの辺りに居ることを知る人は少ないだろう。
遠く釧路へと続く海岸線を眺めながら、小さな岩場に生息するアザラシたちの来し方を思ってみた。
2013/02/26 春の気配
木の根明き或いは雪根開き、と言うそうだ。この季節になると雪に埋もれた大地にも微かに季節の変化が目に入ってくる。
その代表的なものがこの現象だ。樹間をスノーシューで歩き回ると雪の感触も違ってきているのが分かるし、木の根部分の雪が明らかに窪んで来ている。
2013/02/21 別れ
このスキー場辺りでは初めて見るタンチョウだった。十勝晴れの空を南を指して飛んでいく。強くなった日差しを浴びて低空をよぎる優雅な姿がくっきり見えた。
実はこの少し前、帯広市内に入院中だった或る友人の訃報が届いていた。
大学の後輩でもあり、生活も仕事場も共にした若い頃から、35年間暮らしてきたこの地でもっとも身近に在った一人だ。
一緒にいた妻が、○○さんがお別れを言いに来たのでは、そんな風に口にする。ごつい男で優美なタンチョウに重なる姿ではないが、つまらぬ権威におもねることのない泰然とした風格は、冬空を飛ぶタンチョウに重ねてもいい。
本当に俺のところに来てくれたのか?いや、そう思うことにしよう、とにもかくにも深い印象を残していった人物だ。
2013/02/14 晴耕雨読といっても
自由の身になって以来、多くの友人たちに晴耕雨読なんですね、といわれ自分でもその気になっていた部分もあった。
しかし、お天道様はそうそう人間の思うようにばかりはしてくれない。 晴・晴・晴と続くとさすがに家に籠もりたくなる、雨・雨・雨と続けば身体を動かしたくなる。
2013/02/08 雪焼け
或る日鏡を眺めて驚いた、見事に黒くなった自分の顔。スキー通いの雪焼け、と直ぐに思い当たったのだが、同時に疑問も浮かぶ。
週に2、3回だから、土日に通った頃と同程度の筈、今までこんなに焼けたことはないぞ、と。
だが、一瞬浮かんだ疑問はすぐに氷解する。時間を制約されない今、スキーに行くのは良く晴れた日ばかりなのだ。
2013/02/03 HTMLについて
気にもしないでいたのだが、便宜的に使っていたHP作成ソフトの更新を検討する内に、HTMLの仕様が厳格なものと知った。
同時に自分のサイトがそれほど作成ソフトに依存していないことから、直接記述することにしようと決めた。
ネットで原則的な記述を薦める様々なサイトを見つけ、目下勉強中なのだがなかなか面白い。
規範というものは、一見すると人間を束縛するようだが、実はそれがあることによって想像力を駆り立てる面が有る。
2013/01/27 庭の鳥
何年になるだろうか、鳥の餌台を作った我が家の庭をすっかり野鳥が覚えたようだ。
スズメ、シジュウカラ、ゴジュウカラ、アカゲラ、ヒヨドリ、常連も少しずつ増えてきてなかなかの賑わいだ。
2013/01/22 山々
この数日はとりわけ空が澄んで、日高山脈がその姿をくっきりと見せている。
目に染みるような青空に浮かぶ白い稜線は、夢の中の光景といいたいほどだ。スキー場に向かう朝、その眺望を求めて雪の平原を走り回っていた。
2013/01/16 スキー
早々に膝を傷めて昨シーズンを棒に振ったスキー、今シーズンは正月明けから通っている。好きな時に行ける自由、ささやかな贅沢を満喫している。
2013/01/08 干渉
正月明けにやってきた強い寒波の間、早起きをして何日か気嵐を撮っていた。
今シーズンは山からの俯瞰も含めて5カ所で狙ってみた。一昨年あたり
から気嵐という自然現象の全体像を見たいと考えているのだ。
五里霧中という言葉があるように、霧中ではその全体像が分からない。 もうもうと海上に立ちこめる幻想的な光景もいいけれど、好奇心も無視で きない。
海上に伸びていく白い霧の帯、それが遠くから見た気嵐の姿だった。もちろん直線的な海岸線を持つ当地でのことで、入り江に流れ込む河川があ ればそれは別の姿を取るだろう。
気嵐の正体は地上の冷気だ。静かに流れ出した冷気が比較的暖かい海水に触れることで霧を生じさせる。
夏にこの町を被う海霧とは逆に、地上のものが海に霧をもたらす。規模
は小さいがこれも海陸の交流ということだ。
2013/01/04 寒気
随分と風の強い正月3が日だった。外に出る気にもなれず昼から酒を飲んでテレビを見る、まあ正月らしいといえば正月らしい時を過ごした。