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  メモ帖−'14

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14/12/28 気嵐を撮りに

 早朝、思い立ってアザラシが居る例の海岸へ出かけた。アザラシ観察ではなく気嵐を横から眺めようと思ってのことだ。

 冬場は、1キロほど除雪の入らない道筋か林を抜けないと出られない海岸だが、今は雪が少なくて近くまで車で行けそうだった。

 川筋を伝って海へ流れ出した寒気が見せる気嵐という現象、思うように撮れない恨みから、山に登ったり、立ちこめる渚に行ったり、試行錯誤を繰り返している。

 結局の所、今日も思い描いていたような気嵐の眺めではなくて、あれこれと次の手立てを考えながら帰ることになった。

 

14/12/23 安くなったガソリンと

 ガソリンが安くならんとグチをこぼしていたのだが、ここに来て値下げが続いている。原油価格市場は暴落といえるほどに下がっているということだ。

 ところで、派遣切り、若者の就職難、ブラック企業、今年はそうした事柄が気になって改めて幾冊か読んで見た。
 これほどに労働者を酷使する、というより痛めつけている現場があることに憂鬱になると同時に、そうでなければ企業というものが存続出来ないとすれば社会はどうなっていくのか、という思いに囚われる。

 ある本の著者は、ブラック企業は反社会的であるとまで言っているが、精神までも痛めつけて社会復帰を困難にしてしまう実態はまさしくその通りだ。結果として失職した人々は生活保護費など、公的な扶助に頼らざるを得ないのだから。

 ただでさえ少子化が問題視される中で若者が置かれた状況がこんな風では、更に人口減少に拍車がかかる。垂れ流しされた貨幣はどこをさまよっているのやら・・・

 

14/12/14 ノスリ?

 妻の呼ぶ声で階下に行くと、大きな鳥が庭の物干し竿に止まっている。すぐにカメラを持ち出してレンズを向けた。

 羽色からトンビではないと判断できるが、あいにく鳥には不案内で嘴の形状から猛禽類だというくらいしか分からない。
 餌台をおいているからスズメやシジュウカラはいつもいるが、これは珍客だ。

 カラスよりやや大き目か、綺麗に整ったグレーの羽、落ち着いた様子で辺りを見渡す姿はなかなかの気品を感じさせる。

 撮影した姿を手元の図鑑で調べて、ノスリではなかろうか、というのが妻との結論だった。

 

14/12/08 オオワシの群

 楽古川河畔の木にオオワシが止まっているのが見えた。対岸に車を乗り入れて撮影がてらしばらく観察していた。

 以前にもオジロワシやオオワシを見かけていた場所だが、群と言っていい数が朝の狩りをしているようだった。

 川の流れを睨むだけでなく、飛び立ち舞い戻るもの、獲物を樹上で啄んでいるらしきもの、ざっと7羽ほどが確認できた。

 つぶさに観察している身ではないから確たる事はいえないが、35年ほど前の当地の記録を見ても、これだけまとまった数が一カ所で観察された例はないようだ。

 

14/12/04 雪が早い

 二日前に降った雪がうっすらと平原を被い、根雪になりそうな予感がする。昨年は特別雪の少ない冬だった、ハクチョウはそのことを見越して長逗留したのだろう。

 ハクチョウの姿を見かけない代わりに、タンチョウを時折撮っている。こちらは定着しているから、一定の場所を探せばまずその姿を見つけることが出来る。

 わずかずつ、この辺りのタンチョウは増えていると思う。数年前に生息調査に参加したことがあったが、最近になって当時より確実に多い数を目にした。

 

14/11/27 訃報

 この数日、身近な人の訃報が続いた。

 一人はすぐ近くに住むおじさんで、時折我が家に顔を出して妻や義母との茶飲みを楽しんでいた。
 当地で一番といえる漁師の親方だった人で、あまり他人と交わらない生活ぶりながら、我が家に来れば結構長居もしていた。

 もう一人は、信州の叔母だ。小さい頃は殆ど顔を合わせることもなかったが、30年ほど前にわたしの両親と共に北海道に来た時、一緒に道東を旅して回った。
 それ以来、毎年リンゴを送ってくれて、妻と生まれたばかりの子ども達のことも何かと気に掛けてもらっていた。

 鬼籍に入るのも無理からぬ年齢にあった二人だ、という理性的な思いの一方で、惜しむ気持ちもまた拭えない。

 

14/11/18 ハクチョウが居ない

 先月の末頃に見かけて以降、ハクチョウの姿が全くない。昨シーズンは多数の群が年明けまで長く滞在したのだったが、一年後には完全に逆転した様相になっている。

 どうやら、今年は当地を中継地としなかったようだ。北へ、南へと渡る彼等の生活にもそれだけ大きな変化があるということか。
 寒暖或いは雪を予知するのか?渡りのシステムは知らないが、その優れた感覚には感心するばかりだ。

 それにつけても人間というのは難しいものだ、例えば円安・株高に狂奔するなど、感覚を研ぎ澄ませる前に自ら混乱を巻き起こしている。

 

14/11/11 晩秋

 木々がすっかい葉を落とし、牧草も次第に枯れ色に変わってくる。この時期、特に曇天の日などは、既に冬を思わせる寒々とした光景が広がる。
 それは、いっそ雪景色になればと思えるような荒涼としたもので、青い空がなければ、色を失った世界にあるかのようだ。

 

14/11/05 風が吹けば

 数日強風が続いて久しぶりに山を散歩してみると、木々は綺麗に葉を落として剥き出しの枝がハリネズミのように青空に突きだしている。

 紅葉の終わりを狙ったかのように吹き、葉を散らせていった風、出来すぎのような展開で山はすっかり冬の姿になった。

 

14/10/25 ハクチョウ

 今年は冬が早いのだろうか、紅葉を撮ろうと平野部を走っていると、通りかかった草地にハクチョウの群がいた。

 柏の紅葉が進み、カエデ類も赤味を増してきたこの時期にハクチョウが渡ってきたのは記憶に無い。自分が気づかないでいただけだろうか。

 

14/10/20 紅葉に

 深い色だと思う、カエデの類いもナラ類もえもいわれぬ色を見せてくれる。一年の終わりになぜこうした現象を起こすのか、定説はないようだが当然植物の側には意味がある筈だ。

 この季節、車を走らせていると、陽光に透かされて届く赤茶色の柏の色づきに包まれる時がある。

 秋という季節が最も心の深いところに感じられるその時、迷い人のように日常から遠く離れた心境に陥っている。

 不思議な心の動きは嫌悪する性格のものではなくて、懐かしいような気分もあったりする。上手くいえないが、自然に対する根源的な自分の意識だろうか。

 

14/10/15 時の流れ

 陽光に輝く柏の葉が目について、車を止めカメラを取り出す。いつも走る幹線といっていい道道(北海道管理の道路)でのことだ。

 車を降りてふと走ってきた方向を見ると、200メートルほど向こう、ちょうど坂になっている中程を大きな獣が横切っている。

 熊?!、ちょっと待てよ、あの坂の向こう側でランナーを追い越してきたばかりだ、もうあのあたりに差し掛かるだろう、と思う内にその姿が坂の頂上に現れた。熊が横切った場所から20メートル程向こうだ。

 見ていると、ランナーは何事もなく坂を下り、こちらに向かってくる。 際どいところで交錯した熊と人、ゆっくり近づいてきたその人に声をかけようかとも思ったが、言葉は浮かばなかった。

 

14/10/07 山の雪

 今朝は冷え込んだ。いつものように車を走らせていると、日高山脈には雪がやって来たようで、中央部からピリカヌプリ辺りまで白いものが見えている。

 

14/10/02 熊の足跡

 山の散歩中に熊の足跡を見つけた。先日の雨でできた水たまり周辺に幾つかくっきりと泥で描かれた足跡がある(舗装路の部分)。

 住宅地に近い小山とはいえ日高山脈に連なっていく山で、以前から糞は良く目にしていたから彼等の活動範囲であることは分かっている。

 昨日も来ていたからこの足跡は昨夜のものだろう、穏やかな気分ではないが、鈴をつけ声を出しながら歩けば鉢合わせはないだろう。

 

14/09/28 円安

 原油はだぶついているらしいが、為替相場で円安が進行してさっぱりガソリンが安くならない。

 1ドル100円を超えてあれよあれよという間に110円、ここに来てマスコミも少し円安を論じ始めた。

 シンゾ−君の円安−インフレ誘導策がいよいよ功を奏し始めたのか?冗談の一つも言いたくなる気分だ。

 

14/09/23 竹久夢二の絵

 帯広の美術館に竹久夢二の絵が展示されていて、妻が見に行くというので先日一緒に行って来た。

 題して「大正ロマン昭和モダン展」。絵のことは良く分からないから、ざっと見てまわる。鎖国を解いて欧風を推し進めてきた日本で、大衆文化が花開いたと言われる大正時代。

 不思議に懐かしいような気分がしていた。夢二の美人画や「宵待草」「花嫁人形」という歌を生み出したこの時代の叙情性は、戦後生まれで田舎育ちの自分にも伝えられていたのだろうか。

 時代と一口に言っても、その時々に生きる人間の視点には像を結ばない。それ以前に何故その時に生を受けたのかも分からないのだ。個々の事象に拘泥することこそが、人間の営為なのかと考えていた。

 

14/09/20 荒れた森の復活研究

 ある大学の准教授が隣町で講演をするというので参加してみた。知り合いからのお誘いだったが、荒れた森の再生ということで、個人的な興味も覚えたのだ。

 荒れた森の復活を、笹刈りから始めたという講師自身の体験を聞いていると、笹を始末したことで劇的な変貌を遂げた、当地のオオバナノエンレイソウ群生地と重なる。本来自生していた花々が笹が繁茂することで埋もれてしまう。

 この辺り(南十勝地域)では早春の花々が自生するカシワやミズナラなどの雑木林を結構見かけるが、林床に笹が蔓延っている所には咲かないと思って間違いない。

 話はそれたが、笹は毎年秋に根切りしていて3年ほどで絶やすことができるとのことだった。
 笹の繁茂が荒れた森(山)の一つの表れだとすれば、問題はその原因なのだが、あいにくの不勉強で詳しいことは良く知らない。

 

14/09/08 リンドウがいい

 今年のリンドウは勢いがいいようだ。自生を確認している数カ所を見て回ると、殆どの場所で昨年よりは株数も着けた花数も多い。

 自分が一喜一憂したところで大勢に影響は無いと分かっていても、やはりカメラを握る手に力が入る。

 

14/08/31 秋晴れ

 晴れの日が訪れると、さすがに秋と思わせる空が現れる。初秋の花を撮り歩く中、澄んできた大気に広がりを見せ始めた平原風景もまた、季節の変わり目を告げているようだ。

 

14/08/21 私的な労働

 思いがけない所からコンクリート板を提供するといわれて、車庫の改良に取りかかった。床を剥き出しにしたままの車庫で、雪融け時に酷く履き物を汚してしまうのが気になっていたからだ。

 鶴嘴を振るって地面を掘り、掘った土砂を庭の片隅に運んで又掘る。単純作業は嫌いではないから、ゆっくり時間を掛けて30センチほど掘り下げた。

 夏のことで、少し動けば汗が流れ腰も痛むが、厭う気持ちは湧いてこない。むしろ汗にまみれて身体を動かすことが快いと思うほどだ。

 それにつけても、ブラックといわれるような企業で働く現代の若者の消耗が気に掛かる。批判されながらとはいえ、それは社会的に認知されてしまっているように見える。残業代廃止、などと大真面目に議論しているのだから。

 

14/08/10 ベジタリアン風に

 決して野菜好きではない自分が、呆れるほど野菜を口にしている夏。

 妻が始めた家庭菜園から収穫してくるもの、知人から頂くトマトなどが常に食卓にあって、「耳がかゆい」などと冗談を言い合う毎日だ。

 

14/08/02 トマトを頂く

 夏は暑いくらいがいいと思っているのだが、本州の酷暑というべき状況はとても想像できない。

 ともかく、当地としては暑い日が続く最中、例の師匠が電話をくれた。「トマトが赤くなってる、採りにお出で」と。

 直行さんが開墾した場所に近い師匠の牧場に行くと、ハウスの中でミニトマトが鈴なりだ。艶やかに赤い実を結んだそれは、触れただけでこぼれ落ちるほどだ。

 どっさり頂いたトマトは、生食はもちろんソースにもしようと思う。根気さえあれば、ピザにもパスタにも使える好みのソースが出来る。

 

14/07/25 望風林にて

 信州の姪が一家で遊びに来たので、町内のファームイン「望風林」を借りてやっていた。ちょうど東京からの来客もあったことから、この日の夕食をバーベキューにしようということになった。

 広大な牧草地の一角にある「望風林」は、山小屋風の外観と木の香がするカラマツ材の室内空間が洒落ている。居住性も良く宿泊や自炊の設備も充実しているが、この季節、広々とした前庭でのバーベキューは格別だった。

 夏休みで釧路から来ていた親戚の小学一年生もすっかりご機嫌の様子で姪の赤ちゃんと遊んでいる。
 80才過ぎの婆さんから生後半年くらいの赤ん坊まで、ほぼ4世代に渡る総勢10人が食と時空を堪能した。

 こんな風なのだな、と思う。今回はたまたま姪一家の日程と客人の日程が重なったことがきっかけだが、ちょっとしたことで出会う筈も無い人が知り合うことになる。

 *望風林については当サイトからリンクを張っています。

 

14/07/21 夏の薮

 クルマユリが咲き始めて、いつもの林に通っている。ぐずついた天気が続くが、仄暗い林内で撮る花だから雨風さえなければ構わない。

 ただし、丈高く草花が生い茂り、虫も賑わうこの時期に歩き回るのは、スズメバチへの恐怖感から羽音に緊張したり、蜘蛛の巣を顔に引っかけて閉口したりするのがつきものだ。

 

14/07/16 エゾフウロ

 親父の命日になる。ちょうどその日と同じ場所に行き、同じ花を撮ってきた。

 思い出、という言い方は嫌いだ。時々の心の動きは当人のものでしかないし、その当人ですら、断片となった記憶を再構築しているに過ぎないのだ。
 それをことさら語ってみたところで詮無いことだ、そんなことがあった、というだけでいいだろう。

 幾つかの花に、それぞれ思い浮かぶ人が居る。自分なりの一つの記憶術のように。

 

14/07/07 ヤマルリトラノオ

 散歩の途中、斜面に青い花を見つけた。遠目に姿形を眺めてヤマルリトラノオだと判断できる。ここで見るのは初めてだが、やはり山道の岩場に咲いている。

 歩き慣れた場所、そう高くもない崖だ、と甘く見たのが間違いだった。登ってみると完全な岩場、しかも風化して脆い角は足元を確保しづらくて、思った以上に難儀な撮影になった。

 

14/06/30 旅行

 4日間、札幌から支笏湖へ家族でドライブ旅行。札幌では久しぶりに家族全員が揃った。

 有り難いことに、子供たちもそれぞれ一人前になって運転手も案内役も務めてくれた。

 

14/06/22 彼を知り、己を知れば

 楽しみしていたサッカーのワールドカップがたけなわだ。それなりに期待していた日本代表のゲームにこの大会の奥深さを思う。

 いろいろな要因はあるだろうが、代表選手の一人がインタビューで興味深いことを言っていた。
 日本らしいサッカーというけれど、それをさせてくれないのが戦いじゃないですか、というのだ。

 至極当然、相手がいるのに自分たちの思い通りになるわけが無い。それにどう対応するのかが問題なのに、それは語られてこなかった。

 子供たちがやっていた少年スポーツの指導段階から、それは欠けている様に感じていた。相手に対し、どのように自分の技術と体力を使うのか、という判断力や思考力も必要な筈。

 

14/06/18 アングルファインダー

 夏草の中を探すのは諦めて、注文していた新しいアングルファインダーが届いた。

 無くした物は5年以上は使っただろうか、接合部が緩くなって外れやすくなっていたのは確かだ。買い換えの時期と言えばその通りだが、使った物には愛着があって惜しむ気持は残る。

 

14/06/12 雨の中

 雨が続きそうだという予報通り、一週間になろうとしている。あの猛暑はなんだったのか、極端に変わる気候に呆然とするばかりだ。

 それでもいちばん花が賑わう時、我満できずに合羽を着てハクサンチドリとスズランを見て回った。

 雨の中でも咲いている、カメラが濡れるのを気にしながらもスズランの短い季節を逃すまいと結局3日間通って撮った。

 廃れていく前に花を撮ることはできたのだが、林の中でアングルファインダーを無くしてしまったのは痛かった。

 

14/06/03 猛暑

 管内の音更町で37.8度、これは6月の北海道最高気温を更新する記録だそうだ。

 今日の猛暑記録ベスト10は、すべて北海道だったというのだから恐れ入る。ただし、当地は数日前に暑さのピークは過ぎたし、海岸だから30度まではいかない。

 

14/05/31 暑い

 暖かいどころじゃなくて、まるで夏のような暑い日が続いている。

 部屋の窓を開け放っていると、スズメバチが侵入してきた。外でも見かけて気になっていたのだが、活動が早まっている。

 その一方で、エゾノハナシノブを撮りにいってもカラスの巣作りの気配が無い、そっちはそっちであまりの暑さに繁殖期を逸したか?

 

14/05/21 冷夏?

 エルニーニョ現象が発生したようだという報道を、山道を辿りながら思いだし、考えていた。

 北海道の気象としては、5月までは暖かいが冷夏になる傾向だという。確かに5月に入って暖かい日が続き、花が早くなっている印象だ。

 今朝もオオバナノエンレイソウとシラネアオイを撮ってきたのだが、2つの花が競うように花の盛りを迎えていた。例年だと、シラネアオイはまだ先の筈なのだが・・・

 

14/05/19 久々に山の散歩

 もう初夏の気配だ。山を歩きながら、聞こえてきたエゾハルゼミの鳴き声にそう思う。

 5月に入って花が早い、いつもならこの頃からオオバナノエンレイソウが勢いを持ち始めるのだが、今年はもう盛りを迎えている。

 

14/05/08 早春の花々に

 短い時間に過ぎていき、記録できない花々を数えてみた。ミズバショウにザゼンソウ、ヒメイチゲ、エゾイチゲ、スミレ、多分まだある。

 目に留められない多くの事物、というよりも目に留めることの方が遙かに少ない人間の活動時間。

 

14/04/28 春野を歩く

 ここ数年、4月といえばフクジュソウに始まる早春の花々を探して、気に入った場所をうろついている。

 河畔林の土手を歩けば、残っていた雪も日に日に消えていき、その重みが無くなった枯れ草や枯れ葉もふんわりとほぐれてくる。
 冬枯れた木々の枝からはシジュウカラの忙しそうな鳴き声が聞こえてくる。川に魚を求めるのか、時にはタンチョウの姿も見かける。

 フクジュソウ、アズマイチゲ、キバナノアマナ、エゾエンゴサク、カタクリと続く花々の移り変わりを眺めるうちに、この4月も末になった。

 変わらないと言えば変わらない日々に違いないが、花の数や咲く場所に多少の変化は感じ取れるし、雪で折れた木もあった。

 

14/04/20 お誘い

 ヤチブキを撮りに行こうと支度を始めた朝、山菜採りの師匠から電話が入った。山へ行こうという有り難いお誘いだ、もちろんギョウジャニンニク採り。

 約束の時間までにヤチブキを撮ることもできそうだ、一時間ほどヤチブキの撮影に集中してから合流した。

 師匠らしく、川を渡って取り付き、まだ雪の残る沢を伝っての山菜採りだ。たっぷり汗をかいて急斜面を這い回り、春の恵を頂く。

 ヤチブキもその茎葉を少し摘んできた、ギョウジャニンニクも十分に採れた。季節のものを口にする、それは単なる儀式ではなく、その地にあることを実感することだ。

 

14/04/08 熊の足跡

 フクジュソウが咲けばヤチブキも咲き出す筈、フクジュソウを撮り歩く合間に様子を見ようとまだ雪の残る林に入っていく。

 道路から1キロほど林を通り抜けるのだが、雪の深さを確かめながら歩きだしてすぐ、雪上に熊の足跡を見つけた。今年は雪が少なかったせいか、目覚めも早いのだろう。

 穏やかな心境にはなれなかった、おそるおそる林を抜けて様子だけ眺めてきた。花はまだわずか、後1週間くらいは先になりそうだ。

 

14/04/04 春の大雨

 「雨か雪かは関係なく、一年の降水量はそんなに変わらないもんだ」誰かが言っていたことを思い出す。

 朝から雨、それもいい勢いで降り続いている。確かに2月くらいまでは極端に雪の少ない冬だった。

 それが3月に入って一転し、まとまった雪と雨が続いた。そして今日の雨を加えれば一冬分の降水に見合うように思える。

 

14/03/29 フクジュソウを探す

 遅い雪があったために、まだ雪は深い。それでもこの数日続いた春の陽気で大分雪解けが進み、日向では枯れ草が姿を見せ始めている。

 そろそろフクジュソウも姿を見せ始める頃だろうと出かけた。車を止めて様子を見る、川沿いの道はまだほとんど雪に埋もれているが、長靴なら大丈夫なまでに浅くなっている。

 しばらく行くとわずかに顔を出した木の根元に点々と黄色いものが見えてくる。やはり顔を出しているのだ。

 

14/03/19 雪、雨そして春

 この1週間、めまぐるしく天候が変わった。大雪、かと思えば数日後には時ならぬ雨、そして強風。

 そんな合間にも、晴れた日には間違いなく春を実感できる日差しが降り注ぐ。久しぶりに行った山の散歩でも、凄い勢いで雪が融けているのが分かる。雪だまりの端ではひっきりなしに雫が滴り落ちていた。

 

14/03/05 記憶という不思議

 ネットでたまたま或るサラブレッドの名を見つけて記事を読んでいると、鮮やかに一つのシーンが蘇ってきた。

 無心で走る2頭の競走馬、勝負を度外視したかのように疾走する2頭の前に、他の馬は視界から消えていた。
 流れていく背景の緑で素晴らしいスピードを感じるが、それよりもゆったりとさえ見える首の上げ下げに現れた連続した運動が心地良いのだ、そして凄い場面を目にしているという感動もそのまま再現される。

 そうして脳裏に浮かんだ過去のシーンに耽っていると、記憶というものの不思議な働きに改めて思い至る。
 自分の或る部分に眠っていたものが、突然意識の表面に飛び出して展開する、そんな印象だった。意識して引っ張り出したのではない、しかももう40年も前のことで、今まで一度も思い出すことのなかったシーンだ。

 これも人間が持つ一つの機能なのだろう、体験というのは積分されていくものではないような気がする。様々な記憶は意識の底に沈められて現れるものもあれば、そのままで終わるものもある、取りあえずそう解釈しておこうか。

 

14/02/28 壊れる

 大雪の後だから踏み跡も埋まっただろう、そう思ってスノーシューを抱えていつもの山に入る。

 案の定、踏み跡は新雪に窪みを残しているだけの状態だ。この時期は湿雪だから金具に着いて歩きにくい上に、妙に踵部分が頼りない感じを覚える。

 戻ってから点検すると、千切れてしまっている部分もあり想像以上にひどい状態だ。他に大きく裂けた部分もあって、これが違和感を感じた原因と分かる。

 3シーズン使ったのだから当たり前といえばそれまでだが、安物とはいえ、慣れ親しんだものだけに惜しいという気分も消えない。

 

14/02/21 忌日

 昨年亡くなった後輩の命日になる今日、親しかった仲間数人で飲み会。 故人へのそれぞれの想いが交錯して、朧気にも彼の姿が立体化するようだった。

 

14/02/16 大雪

 早朝から出かけなくてはならない予定が入っていた。こんな日に、とぼやきたくなるほど昨夜からの雪はひどいことになっている。車を出すのに汗まみれで格闘してからの出発だ。

 車を走らせても吹雪いているから、ホワイトアウトという感じで視界が極めて悪い。町内会の用務で同乗したご婦人たちが、吹きだまりにタイヤを取られるたびに悲鳴を上げる道中もあった。

 雪がないと言っていた仇を討たれたようなものだな、と用事を済ませた面々が苦笑いを交わす。

 

14/02/10 首都圏の雪

 こちらでは雪の少ない冬だ、と思って過ごしているのに、首都圏では記録的な大雪だと報じられている。

 皮肉なものだ、と思いながらテレビを眺めている内に地域性とか風土といった言葉が浮かんで来る。自然との葛藤で形成されたそうしたものも、希薄になったと見える現代だが・・・。

 

14/01/28 雪

 久しぶりに雪、ある程度まとまった量になりそうだという予報の通り、30センチくらいは積もった。

 それでもオープンが待たれる近間のスキー場ではまだ足りなかったらしく、オープンは見送られたと或る友人が知らせてきた。

 

14/01/23 冬の散歩

 雪がなくて近間のスキー場もオープンしないので、専ら夏頃から続けている小山の散歩にいそしんでいる。小さいながらも山は山で、住宅街から見れば雪も残っているから少しは冬に居る気分にもなる。

 暮れからほとんど雪は増えていないから、自分とエゾシカたちがつけた獣道はそのまま健在だ。それを辿って30分ほどの上り、撮影と下りを入れて2時間程度だから午前中の散歩にちょうど良い。

 時折増えすぎたエゾシカが歩き回っているのと小鳥が木々を飛び回る姿を目にするが、この時期はほとんど動くものもなくて冬枯れの木立が無愛想に迎える。

 裏に回れば楽古岳を正面に望み、逆の登り口方向に太平洋が見渡せる。行き帰りに、海と山を眺めながらお茶を啜るのが楽しみの一つでもある。

 

14/01/11 空振り

 ここ何日か気嵐を撮りに早起きしているのだが、思うように当たらない。もちろん、闇雲に日の出に行けばいいというのでは無く、冷え込んだ晴天の朝を選んで出かけている。

 今までの何年かは、3回に2回くらいはお目にかかれたのだが、今年は出かけた4日とも空振りだ。

 風が強い日もあったが、どうも冷え込みがさほどではないような気がする。−10℃以下の朝も草木を飾る霧氷があまり見られない。

 もしかしたら、温度計などに反映される数字とは別の要素もあるのかもしれない、と思ったりしながら暖かめの冬を過ごしている。

 

14/01/05 雪が少ない

 年も明けたのに、ほとんど雪がない。いちおう年末に降った雪が地表を被ってはいるのだが、人家の周りはほとんど溶けて、道路はカラカラだ。

 松の内にのんびり昼酒を飲みながら、小鳥が遊ぶ庭を眺めていても剥き出しになった土が目について、どこか冬の気配が伝わってこない。

 日本海方面では大雪だと報じられているが、別世界のようだ。元々十勝は冬型の気圧配置に晴れ上がる所だが、今年は特にその傾向が顕著になっている。