エピローグ






 ある宗教では、破壊の神は、創造の神でもあるという。
 一見矛盾しているようだが、考えてみればそうでもない。
 始まりがあれば、終わりもある。そして何かが終われば、何かが始まる。終わりも始まりも、破壊も創造も、裏表になる物事の一表現に過ぎないのかもしれない。そう考えることは別に矛盾でもなんでもなく、むしろ自然な思考だとアッシアは思う。
 そんなことをなんとなく思い浮かべながら、破壊と創造の神の彫像を見るような気持ちで、彼は黒猫を見た。終わりと始まりとが、同居する黒猫。
 黒猫は、幾分緊張しているようにも見えるが、実際のところは夜の暗闇のためによくわからなかった。猫は、いまだ草に残る、夕方に降った雨を嫌って、一段高い石の上に座っている。

 そして、彼らの前には、エマ=フロックハート教師が立っていた。
 フィールドワーク最後の夜。アッシアと黒猫は、話があると言われ、エマ教師に夜の散歩に誘われた。
 そして、今、エマ教師は核心の話をしようとしているところだった。

「……地下室で会った男が、去り際に言ったんです」
 エマ教師が口を開いた。自分でも信じられない、という調子が声にも表情にもよく現れていた。
「『レイレン=デインについて知りたければ、猫に聞け。それもレイレンだ』と……。いったいどういうことなのか、私にはわかりません。けれど、アッシア教師ならば、何かご存知なのでは――ないですか?」
 エマ教師の視線は、真っ直ぐだった。何を確信しているわけでもないだろうが、その真っ直ぐさが眩しくて、アッシアは思わず目を伏せた。本当のことを言っても良いものか。判断がつきかねて黒猫を見たが、黒猫には特に動きはない。ただどこか虚空を見たまま、考え事をしているように見えた。
 だが、黒猫がどうしてエマ教師に何も伝えようとしないのかは気になるところだが、エマ教師にこの黒猫がレイレンであることを話しても、事態が悪い方向へ進むとは考えにくかった。
 だから、アッシアは高いところから飛び降りるようなつもりで、告白した。今まで黙っていてすみません。
「彼――この黒猫は、魔術によって姿を変えられていますが、レイレン=デインなんです」
 自分の口から出た言葉が、どれほど突拍子も無いことかもアッシアは自覚していたが、それが真実なのだから仕方がない。
「さあ、クロさん――、いえ、レイレンさん。貴方から、説明してあげてください」
 アッシアがそう促しても、黒猫は俯き、長いこと黙ったままでいた。エマ教師はと言えば、何も反論をすることなく、ただ黒猫を食い入るように見詰めていた。

 そして。
 先に言葉を発したのは、エマ教師だった。

「……レイレン、なの?」

 声をかけられても、黒猫は暫くのあいだ言葉を発しなかったが、ようやく。

「――6年ぶりだな」

 その黒猫の言葉を聞いた瞬間、エマ教師は息を短く吸い込み、白い両手で鼻と目元を押さえた。そしてうねる感情の波を押さえるように、3回、呼吸をした。
 そして、彼女が呟く。
「……信じられません」
 やはり、とアッシアは思った。知り合いが猫になっているなどと、土台がいきなり信じられる類の話ではないのだ。
 しかし、続けられたエマ教師の言葉は、実に意外なものだった。
「猫になったこと、猫が喋ること、そんなことよりも。この黒猫に――彼に、私は、わたしは……」


 レイレンを感じます――。

 言葉と同時、エマ教師のブラウンの瞳から、大粒の涙が零れる。零れた涙は、誰が受け止めるよりもさきに、拭うよりもさきに、滑らかな頬にひとすじの痕をつくって、草むらに落ちた。
 雨が降った後のせいか、虫の声は僅かだった。近くにある小川の静かなせせらぎの音だけが沈黙を嫌うかのように響いている。深藍の幕を背景に、星が古代の光を絶え間なく投げかけ続けていた。