エピローグ (あるいはインタールード)
ジーク=ギネットという騎士は、自分を凡人だと規定している。
騎士としての自己規律で自らを常々律し、それなりに剣の腕を日々磨きあげ、そこそこの才覚を持っているが、彼は彼自身を凡人だと思っている。愚人ではないが、天才才人の類でもない。
凡人だから、成功ばかりではない。もちろん失敗もする。
華やかな時期もあれば、不遇の時期もある。
それはまるで日々の朝夜の移ろいや、四季の移り変わりに似ている。
避けられないものであると同時に、必ず終わるものであるからだ。
明けない夜はない。終わらない冬はない。
うずくまっていても、夜は過ぎる。
けれどうずくまったままでは、朝の到来はわからないし、逆にそのまま夜に押しつぶされてしまうこともある。
だから、夜に耐える何かを、人は見つけるべきだと、彼――ジーク=ギネットは思っている。何かはなんでもいい。夢でもいい、ほのかな希望でもいいし、守るべき大切な人でもいい。憩う陽だまりでも、歯を食いしばるだけでも、逃げ場でもごまかしの方法でもいい。
ただ、その夜に蓄えた何かで、また次に来る夜を、超えることができるように。
そんなことを、ジークは考えている。
今、ジーク=ギネットは、岩場を走っている。
その前を黒いローブの魔術師が走り、さらにその前には何故か黒猫が。黒いローブの魔術師は、ジークのかつての主君でもある。名をアッシア=デグランといい、故あって今はアッシア=ウィーズと姓を変えている。まだ年若いかつての主君は、足は早いが、うつむきがちな表情は沈鬱で、顔色は悪い。何かを――自分の過去を、また思い出してでもいるのだろうか。
弾む呼吸と、脈打つ心拍。
額ににじんだ汗をひと吹きし、ジークはひとつの小さな決心をした。
声をはげまして、彼は呼びかける。
「アッシア様。お話があります」
そして、ふたりは速度を落とし、立ち止まった。
「なんだい、ジーク。騎士隊が攻撃を受けているみたいだ、急がないと――」
アッシアが言った。先頭を行っていた黒猫は、迷うようなそぶりで一瞬だけ立ち止まったが、結局ふたりを置いて先にいってしまった。
それを目端で見送りながら、ジークは懐に手を入れ、あるものを取り出した。
「お話と、それと……。お渡ししておくものが――あります」
しゃらり、とそれの鎖が音を立てる。
ジークが取り出したものは、彫刻の入った銀のロケットだった。
■□■
「じゃあここへは、妹とその友達の女の子と、子供3人で一緒に来たってわけかい」
白外套の女性のその云い様に、赤毛の少年が抗議する。
「子供というのは酷いですよ、ジャクリーヌさん」
「あはは。ごめんよ、適当な言葉がなくてさ。なんなら、健全な青少年たちとでも言いなおそうかい?」
かなわないな、と赤毛の少年――パットは吹き出した。
先ほどジャクリーヌと名乗った白外套の女性と共に、パットはザードリックの街道を歩いている。まだジャクリーヌの「職場みたいなところ」に向かっている途中だ。封鎖されたザードリックの街は、相変わらず剣呑な喧騒に包まれている。
「無理やり連れてこられて、この街封鎖の事態。おまけに殴られて。正直、参っていますよ」
パットはそう言って赤毛をいじる。本人もその気はないのだが、言葉がついつい愚痴になる。少年の横を歩くジャクリーヌは、
「まあ起っちまったことは、仕様がないさ。過去に戻れるわけでもなし、手の施しようがないね」
「わかってはいるんですけどね。こう面倒ごとが続くと、文句でも呟かないとやりきれない」ぶつぶつと、パットが呟く。
「面倒ごとの星の下に生まれたと思えば、ちょっとは諦めがつくんじゃないかい?」
「他人事だと思って。冷たいなあ」
冗談さ、とジャクリーヌはからっと笑う。快活な女性だ。
「まあでも、世間で言うように、こぼれちまったミルクは元には戻らないよ。諦めは肝心さ」
「僕が望んでいるのは、ただの平穏な暮らしなんですけどね」
それがなんと難しいことか、とパットは大袈裟に首を振る。それなら、とジャクリーヌが言う。
「ミルクを零した土地に、麦の種でもまいてみたらどうだい。結構、いいもんができるかも知れないよ」
「こぼれたミルクが栄養になって、良い麦ができるってことですか」
「そう、むくむくと麦が育つ」
「むくむくと、たくさん――ですか」
「むくむく、たんまり、だよ。それで新しいミルクがまた買える」
ははっ、とパットは笑いを零す。
「前向きですねぇ」
「喩え話さ。何事も考え方次第、諦めないことが大事っていう話だよ」
「さっきと言っていること、違いません?」
そうぉ?
ジャクリーヌはとぼけるように首を傾げてみせた。
しかし彼女は歩みを止めない。
パットも並んで歩き続ける。
いや、街道にいる人たちすべてが、歩き続けている。
どこかを目指して。
道は、望んでも望まなくても、どんなときでも、続いている。
<続く>
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