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ヤイユーカラパーク VOL35 2000.12.28
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ワイア―棒とヒョウタンの記憶

1999年10月上旬、ブラジル最大の都市、サンパウロ市の一角にある先住民労働センター編集室で先住民シャバンチ族のカメラマン、セレワフ(24)は撮影した映像の編集作業に追われていた。「来年は俺の村に来て、シャバンチの歌や踊りをみにきてくれ。そして俺はお前にシャバンチの言葉を教えてやる」

昨年のブラジル先住民フェスティバルで意気投合し、親友となったビデオカメラマン、セレワフと再会の約束を果たしに私は1年ぶりのブラジルに飛んだ。


ブラジル先住民の記録を撮り続ける彼の生活の場はサンパウロから北西に700キロ。ブラジル中西部のサングラドーロ先住民居留地。標高約1000メートル、熱帯サバンナの乾燥した平原が広がる。

今年6月から7月にかけて彼の村サングラドーロで13年ぶりの儀式[ワイア]が開催された。

セレワフは8才の男の子を頭に4人の子の父親である。妻のホジーナは看護婦の資格をもつ。

儀式に参加しながらビデオカメラで撮影するかたわら、二人の兄と共に狩人として重要な役を担っている。儀式の司祭を務めるはずだったが、村のサッカー試合で喧嘩をして役を下ろされた。しかし私には幸いし、彼と一緒に撮影ができ、ワイアについて詳しい説明を聞くことができた。

彼らはポルトガル語も話すことができる。今回もエリーザ・オオツカさんに通訳をお願いした。

父親のセレプセ(65)は儀式の進行を取り仕切り、私を家族の一員のように迎えてくれ、取材の許可を長老はじめ村人に私に替わってお願いしてくれた。子供時代キリスト教の寄宿舎でヨーロッパ式の教育を受けた経験があり、ポルトガル語を流暢に話す。

シャバンチ族は結婚すると男は妻の家に入る習慣となっている母系社会である。

私はセレワフの兄セレワイフの家にお世話になることにした。セレワフの家は親類縁者で満員だった。セレワイフは結婚後、奥さんの村に入ったが気に入らず、ふるさとに帰ってきた出戻りである。12才を頭に3人の娘と奥さんの5人暮らしである。

シャバンチは皆レスラーのような体格で堂々としている。狩猟採集が伝統的生活スタイルだが、定住化により、農耕も重要な生活の糧となってきた。最近は村を出て政府の職員、軍人(セレワイフ)や運転手、電気技術者などの職業を持つ人もいるが、ほとんどの人々は第一次、二次、三次産業の職に就き現金収入を得るといった経済システムからは除外されている。近くにはキリスト教会があり、イタリア人や日系人の神父がいて、教会内には小学校が設置してある。

サングラドーロ村は、58戸、人口約500人。椰子の葉でふいた屋根を持つ円形のマッシュルームの形をした家が広場を中心に円を描いて並んでいる。至る所にマンゴの木がある。残念ながらこの時期は実を付けていなかった。


6月26日にワイアは始まっていた。

7月14日。日の出の6時前には修行は始まる。100人余りの少年たちは棒とヒョウタンのグループに別れている。

棒組は悪霊を追い払う棒を胸に抱いて「ハハハー、ハハハッハー。ハハハー」と声を出し足踏みを続ける。

一方、水を呼ぶというヒョウタンを持った少年たちはシャンシャンとヒョウタンを鳴らし広場をぐるぐると回る。

今日も長い一日が始まった。この修行が始まって既に19日目。毎日、毎日同じ修行が行われている。最低気温は10度以下に下がることも珍しくない。この修行の意味をシャバンチ文化の研究者で前回、1988年のワイアで司祭を務めたルーリオンはこう説明する。「ワイアはシャバンチ語で清らかになるという意味で様々な儀式のなかで最も重要なもの。少年たちを鍛え、様々な困難に立ち向かえる精神力を身につける男のための修行だ」

修行を続ける少年たちに上半身を真赤に塗った大人たちが走って近寄ってきた。

番人と呼ばれる彼らは、大きく手を振り足を地面に踏みつけながら少年たちを叱咤激励する役目である。番人は300メートルほど離れた[男の家]から走って来る。交代で少年たちの修行を見張る。サボっている子供は番人に足を踏まれるので、なかなか気を抜くことができない。番人たち大人にとっても苦行である。

「我々にとっても辛い儀式だ。地面に足を叩き付けて苦労している。これがワイア」と汗が額からしたたり落ちる。

側を二人の番人が全力で走り抜ける。この村では二つの血縁グループに分かれており、それぞれライバルとして体力を競い、切磋琢磨する。

ブラジル先住民のなかでも勇猛な民と知られ、シャバンチの男は強い者が尊敬される。

10時を過ぎると気温がいっきに上昇する。炎天下、30度はゆうに越えている。

セレワフの父親セレプセが修行の輪の中に入ってきた。

「エー、エッエーエー、エッエー」と甲高い声が村中に響き出す。

少年たちに水を持ってきてくれ、と女たちに知らせる合図だという。

少女たちが水を入れたペットボトルをもって広場の様子を少し離れた場所でうかがう。

番人たちが交代する隙をねらって、自分の兄弟や従兄弟に飲ます水を持って走り出す。それを見た番人は全力で走って水を取り上げようと阻止する。

セレプセの孫娘のビセンサも家の中から水を持ち出し広場に向かって走り出した。

1回目は成功するが、2回目は番人に取り上げられてしまった。

真上から照りつける太陽の下でしばらく少女たちと番人たちの攻防が続く。

母親たちは息子たちのことが心配で、修行の様子を家のまえに座って見守る。

ワイアは男の秘密なので、母親は広場に近寄ることはできない。

12時を過ぎると昼休みとなりようやく食事を取ることとなる。食事は1日に1度だけ。少年たちの体力は徐々に衰えていく。疲れ果てて地面に横たわったまま寝てしまう少年たちもいる。

陽が西に傾き始めると修行の締めくくりの儀式が厳かに行われる。

長老たち、番人たち、セレワフたち狩人の集団と年功順に一列となって男の家から広場に入場してきた。

一人の老人が小走りに男の家に戻り、今日の獲物をもってくる。狩人たちが足踏みをして獲物を持った老人を出迎える。老人は片手に矢を持ち肩から獲物を提げている。

少年たちが修行している間に狩人は森に入っていたのだ。ワイアの狩りも絶対に部外者には秘密にされる。野豚、アルマジロ、鳥、鹿などその日に獲れた獲物が広場に集まった男たちに見せられた後、村を一回りする。

獲物は広場中央のマンゴの大木の下で長老たちに捧げられる。

ワイアの儀式期間中に獲れた獲物は神聖で、長老たちだけが食べることができる。

獲物を担いできた老人が持っていた矢は彼らが信仰するダイミテの神のシンボルで生産、豊穣の神様である。

人々は夢を重視する。修行で夢をみることができる人間を育てることもワイアの目的である。唯一の神であるダイミテに雨乞いをし農産物の豊作を願ったり、狩りや黒い髪の毛の子供を望んでシャバンチの人々は祈りを捧げるという。


ワイア21日目。朝からセレプセ親子がいつもと違う様子でセレワイフの家に集まってきた。今日はヒョウタンを壊す儀式が行われる。ワイアでは二つのグループに分けられる。インペとイラーナと呼ばれ、今年はインペのワイア、前回はイラーナ、その前はインペと1回ごとに変わる。

今日はインペ組とイラーナ組の闘いの日である。

イラーナ組の男がヒョウタンを持って少年たちが待つ広場に入ってきた。ヒョウタンには水が入っていて、飲ませてはならない水を少年の一人に与える。それを阻止しようとインペ組の男がヒョウタンを取り上げ地面に叩き付け壊してしまう。二人の争いが全体に広がっていき、至る所で少年たちを除いて男たちの喧嘩が始まる。

喧嘩が公認される日で、日ごろの恨みを晴らすため、儀式を通り越し本当の喧嘩になってしまう。

女たちは息子や夫の身を案じて、泣き出してしまう。遠くで争う男たちを見守るしかない。男たちは[男の家]でかなり派手な喧嘩をしたらしい。

夕方になって戻ってきたセレワイフ、セレワフ兄弟は喧嘩の話で興奮状態がなかなか収まらなかった。セレワイフの母親ペッライリエは息子たちが無事に帰って来たことで安心したのかマンジョーカの木の根をすり下ろした粉で薄焼きのパンを焼き、孫たちを呼んでごちそうした。

おばあちゃんの作るおやつに子供たちは大喜びで、男たちの闘いがおわり、家の中がいつになく和む。夜、少年たちは外で寝る。

雷の使者になるため修行するマヌエル(15)は「雷の使者になりたいが自分がどんな力を持っているかまだ分からない」といって地面に敷いた毛布に倒れ込んだ。


一夜明けた。真っ赤な朝焼けだ。

二人の少年が棒を持って修行を始めた。

太陽が真上に上がり、今日もセレプセの声が響いている。

年少の子供たちは「おじいさん、ワイアはいつ終わるの」とか「疲れたもうやめた」と言い始めた。

セレプセは頭を撫で「まだ続くよ。落ち着きなさい」「君はまだ太っている。修行が足りない」「君はやせてきた。頑張っているね」と子供たちを激励して回る。

カメラに向かってセレプセは「ワイアはシャバンチ男子の苦行。昔のとおりにやっている。ワイアで苦労すると病気を直せたり、夢をみて未来を予測する人間になれる」と話す。

セレワフがビデオカメラで取材を始めた。

15年に1度の儀式を記録し、自分の文化を後世に残すのが彼のライフワークである。

息子たちもワイアに参加している。


ワイア27日目。広場での修行は今日で終わりなので、夜明け前からたくさんの少年たちが気合を入れて修行を始めた。

明日からはいよいよワイアの仕上の段階を迎えることになる。

夕方になって、雷雲が空を覆い、乾季にしては珍しい夕立になった。

炎天下の修行を終えた少年たちを祝福するかのような雨だった。


明日からの準備が始まった。

おじいさんたちは木の皮で紐を作っている。女たちが広場で枯草を集め焚き火の準備をし、焚き火をしてパンを焼き始めた。

明日の儀式で使うマンジョーカの固いパンだ。

森から切り出した木で少年たちの寝場所に風よけを作る。


一夜が明け、少年たちは頭に羽飾りをつけている。

ヒョウタン組が長老の指示を受け、村を一回りする。女たちは家の前で行列を見守る。

おばあさんはこれから起こることを心配して泣きだしてしまった。

セレプセが大声を出して指揮をとっている。

おじいさんを先頭に行列は進む。

村を一回りした少年たちに昨日焼いたパンが投げられ、落とさないように受け取る。

その後少年たちが森へ向かい走り出す。

番人たちが足踏みをして気合いを入れる。

森の中の川に着いた少年たちが一斉にパンを水に付けるが、番人たちは川の水を汚して少年たちの邪魔をする。

一方、棒組は椰子の葉を採って広場に戻ってきた。ひょうたん組が寝る仮小屋の材料だ。

広場では長老たちがこれからのことについて相談を始めた。

気絶の儀式を明日に延期するかどうかの判断がつかないらしい。天候が良くないのだろうか。

結局、昔やったように今日やることで話はまとまった。


広場の隅に建てられた仮小屋ではヒョウタン組が集められ、棒組の気絶の儀式を見られないように閉じ込められていた。

村一番の人気者のセレスチーノじいさんが気絶の仕方を少年たちに披露する

ひょうきんな仕種に子供たちから笑い声があがった。

そのうちに天候が回復してきた。

セレプセとセレワフ親子が孫や子供にボディペイントを始めた。二人とも子供たちを心配しているのがその表情から分かる。

羽飾りをつけて準備は整った。

1ヶ月間の汚れを落とし、羽飾りをつけた少年たちは美しく変身した。

[ワイア]とはシャバンチ語で[清らかになる]という意味が初めて理解できた。

少年たちは気絶を前に極度に緊張している。

セレプセは孫の手を引いて子供たちに指示を出している。

「早くしなさい。番人が待っているよ」

「きちんと場所につきなさい」

広場では少年たちが膝をついて手を前に組んで待機するなか、番人たちが[男の家]から広場に入場してきた。

準備が整い長老たちが気絶のデモンストレーションをやって見せた。

突然番人たちが少年たちの後ろを走り始めた。叫び声と悲鳴が混じりあい、同時に少年たちが気絶していった。

いったい何が起こったのだろうか。

あちこちで泣き声が聞こえる。

気絶した少年たちに水が掛けられている。

広場はパニックに陥っている。

気絶したのは年長の少年がほとんどだった。

10分ほどが経過すると意識を回復しだし、一人二人と立ち上がっていき、今日の気絶の儀式は終了した。

気絶のために何かの毒薬が使われたと後になって教えられた。

儀式を終えた棒組の少年たちは緊張から開放されて昼寝している。

横になっている少年に話を聞いてみた。

「気絶するのを待っていたけど僕は気絶はしなかった。怖かったけど思ったほどではなかった。ワイアは好きだよ、もっとやりたい」と屈託がない。明日はヒョウタン組の気絶が待っている。


ワイアは男の秘密で女は参加できないことになっていたが、今日は様子が違う。

森のなかでは女たちが墨で身体を黒く塗っている。首に白い羽をつけ、手には紐をもっている。

これから始まるひょうたん組の気絶の儀式に参加し、少年たちの親代わりとして、気絶する少年たちの面倒をみる役目だという。

広場は少年たちが一列に並び儀式の開始を待っていた。

森の中から女たちが走って来て、少年一人ひとりの後ろに付き添い、首に縄をかけた。

[男の家]から狩人や番人たちがゆっくりと広場に入場してきた。全員が手に毒薬を握っているようにみえるが、毒薬は一部が持っていて誰の手にあるか分からない。

番人たちは少年の前を一列になり横向きになってステップを踏み出した。

いよいよ気絶の儀式が始まろうとした時、セレプセともう一人の長老が気絶の仕方をもう一度おさらいした。

手を上にあげ、小刻みに10メートル前に進んだところで地面に倒れ込む。


少年たちがヒョウタンを振り出した。

少年たちが前に走り出し、後ろから女たちが遅れないようについていった。

少年たちが地面に倒れ込んだと同時に毒薬が撒かれ、一瞬にして気絶した。

私もビデオカメラをもって少年たちの後を追った。毒を少し吸ったようで、頭がじんじんする。

昨日と同じように水を持った親たちが駆け寄り泣きながら少年たちの頭から水を掛けている。

セレプセの末っ子、カシアーノが気絶した。

セレプセが息子の肩に手を置いて泣き声をあげている。母親のペッライリエが必死に水を掛けている。

兄のセレワフがビデオカメラを持ったまま弟の意識の回復する時をじっと待っている。セレワフも目に涙を浮かべている。

首には縄が掛けられたままだ。上半身は呼吸で少し揺れているが、なかなか意識は戻らない。回りでぽつぽつと起き上がっていく少年がでてきた。しばらくしてカシアーノも意識を取り戻し、立ち上がった。

首に縄をつけたまま、身体を黒く塗った親代わりの女に付き添われ、今日の寝場所に戻っていった。50年前までは、ワイアは3ヶ月行われ、死人もでた。そして遺体は神聖なものとして食べていたという。

現在その風習は無い。

儀式は夜も続いた。シャバンチの人々が信仰する神ダイミテを大切に扱うことを教え込まれる。ダイミテの魂が宿るのがティーペと呼ばれる矢で、先に白い羽毛が飾ってある

[男の家]に父親やおじいさんに連れられティーペを取りにいく。

広場に戻ってきた少年たちは一晩をこのダイミテと外で過ごすことになる。

10人のグループに分かれて焚き火で暖を取る。両手でダイミテを抱えて座る。

例のごとく番人たちが足踏みをしながら監視にくる。ダイミテを粗末に扱っていると取り上げられ、これまでの修行が台無しになってしまう。寝るときは二股の木に掛けて寝る。


この夜、一人の長老が急死した。ほかの村から来たセレプセの叔父さんだった。

孫の手を引いてティーペをもって走って広場に戻った時に心臓発作を起こし、そのまま帰らぬ人となってしまった。

彼の村では毒殺されたという噂が広まって、遺体を運んだジープのタイヤがずたずたに引き裂かれてしまった。

セレプテはさすがに落ち込んでしまい、しばらくは元気がなかった。

あくる日は半日、喪に服すことになった。


ダイミテと一夜を過ごした少年たちにはまだ炎天下の修行が待っていた。

ティーペを手にした少年たちは一列に並びゆっくりゆっくり広場中央を目ざす。5メートル進んでは元に戻り10メートル進んでは元に戻る。この修行を半日行い、今日はおしまい。

昨日、気絶したセレプセの末っ子、カシアーノに感想を聞いた。

「長い間気絶していたように感じた。今はとても疲れている。寝場所に戻ってきたけれど、眠れたのは夜になってからだった。父親のセレプセの泣き声は聞こえなかった。夢をみることはできなかった」

ワイアは早く終わって欲しいかと聞くと、ただ笑って答えなかった


この日の夜はセレワイフやセレワフら狩人たちは村の外の草原で一晩中、笛を吹いた。直径10センチほどの筒状の笛で低音のボー、ボー、ボーとなる無気味な笛の音だった。

家の中では女たちが笛の音を気味悪そうに聞いていた。


あくる朝、役目を終えたダイミテ神のシンボル、ティーペが集められ、少年たちは数百メートル離れた森の中を流れる川に向かった。

川には、なぜか[ワニのカボチャ]とよぶ一抱えもあるカボチャが浮かべてあり、それを持って広場まで走って戻ってくるのだ。

大小あるが大きいのは10キロはあるものだ。少年たちは息を切らして走らされる。

よく次々と試練を考案するものだと感心する。

次は蛇の皮を付けた矢を放ち、拾った者が超能力を得る。狩人たちが叫び声をあげながら少年たちから見えないように家の屋根越しに矢を放ち、それを拾うというゲームを行った。ゲームを終えた少年たちは広場に戻り、番人たちの足踏みのポーズで儀式の終了を告げられる。これで広場の儀式は終了した。


少年たち、狩人、番人、長老たちが揃って一列になり広場を後にした。

小さな子供は肩車されている。

朝日を浴びて[男の家]の広場に向かって歩き出した。皆の表情が晴々として輝いてみえる。苦しい1ヶ月の修行が終わった。

森の一角を切り開いた男の広場では40才前後の男たち30人ほどが輪になって座り、ヒョウタンを振りながら歌いだした。

初めて聞く歌に少年たちはじっと聞き入っている。

修行を終えた少年たちを祝福した。

午後、少年たちは身体を赤く塗り、頭に羽飾りを付けた。セレワフの二人の子供、ジエゴとシャイアニもおじいさんに赤く塗ってもらい嬉しそうだ。

私は、狩人たちが森の中でボディペイントを施している様子を撮影にでかけた。

「お前も赤く塗ってやる」とココナッツの実をかみ砕き、その油分と唾をウルクンと呼ぶ木の実を練り固めた塗料に「ペッ、ペッ」と吐きかけて溶かしながら上半身に塗っていく。

すべての男たちがシャバンチの正装を終えた。


広場から歌とヒョウタンのシャンシャンという音が聞こえている。

少年たちが輪の一番外側で、歌を歌っているグループが中で輪を作っている。

森の中から番人たちが入場してきた。

少年たちの前で足踏みしながら100人の少年たちの前を通り過ぎていく。

ワイアが終ったことで、役が一ランク上がることになる。

少年たちの年長組は狩人に、狩人は番人、番人は歌を歌う組にと昇級した。

いままで狩人だったセレワイフ、セレワフ兄弟は番人となった。

ここは番人の権威を少年たちに見せる場面である。少年たちを睨みつけ、時には足を踏みつけていく。

年長の少年たちもワイアを経験した自信がその表情からみてとれる。

踏めるもんなら踏んでみろ、と言わんばかりに片足を前に出して、まっすぐ正面を向いたままだ。瞬きもしない。


歓喜の歌声とヒョウタン、番人たちの足音が森に響いた。

森の儀式が終わり、陽が西に傾いた。男たちは村の広場に戻り、全員で一つの輪をつくり、ヒョウタンの音に合わせ、歌を歌い出した。

女たちは家の中に引き籠もって出てこない。

完全に陽が落ちた。

少年たちが家から小麦粉で焼いたパンケーキを持ってきた。

ヒョウタンを持って歌った大人たちが車座になった中央にそのパンケーキが山積みにされた。歌のお礼だ。

セレワフの子供たちもにこにこしながらケーキを持ってきた。夕焼けが微かに残る広場は和やかな雰囲気に包まれていた。

次の日も同じ儀式が行われ、ワイアの儀式は終了した。


トラックで1時間走ったところに小さな湖がある。

湖の東側は森林、西側は牧場地帯。ここはシャバンチ族居留地と白人の入植地との境界線上だという。


1950年代最初のポルトガル人とシャバンチとの接触が始まった。

1950年代60年代から牧場の開発が行われ、80年までの間にヨーロッパ系の人口は60年に33万人から80年には117万人に増加、一方シャバンチの人口は伝染病などで激減した。80年に入り、開発に対して抵抗運動が起こり、ここサングラドーロ居留地が確定したのは1988年になる。

抵抗運動をリードしたのは今の長老たちである。


現在、マトグロッソ州には7つの居留地がありシャバンチの総人口は約9000人となっている。

若いリーダーのひとり、ルーリオン(38)は現状を語ってくれた。

「白人との接触が増え、ワイアもだんだん変化した。昔はもっと荘厳な儀式だった。仕方のないことだが、現実は私たちを囲み出している。自分たちの文化を守るために現実とのバランスをとるのも必要だ。シャバンチの文化が生き延びていくために白人の文化の良い面を吸収していく」

友人のカメラマン、セレワフ(24)は「シャバンチ文化を映像に残して将来、自分がシャバンチの文化を救ったと言われる仕事をしたい」と話す。

父親のセレプセ(65)は「息子たちはシャバンチとして生きてほしい。髪の毛は長くして耳飾りをつけ白人のまねはするな」と言い、自分のお父さんがこの村を作ったこと、キリスト教文化が広まり、ワイアが一時消えようとしたことなど、村の歴史を話してくれた。


村を離れる前日、セレワフ兄弟3人と釣りをした。

湖ではバス科のトゥクナレやピラニアが釣れた。大きめの針に刺した牛肉の筋に食らいついてきた。ルアーで釣った私には魚は見向きもしなかった。焚き火を囲んで魚を頬張り、下ネタの冗談を言い合って笑い転げた。

おかしさと別れの寂しさが交じり涙が止まらなかった。

満天の星が落ちてきそうな夢と現実が交錯した夜だった。

<終わり>