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ヤイユーカラパーク VOL36 2001.04.30
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第8回鹿狩りキャンプ

毎年、「捕獲許可」を申請してから一ヶ月以上経ってから環境庁から「許可証」が届く、というパターンで推移してきたので、気持ちは焦りながらも書類が作れず、2月になってやっと申請書類一式を揃えて道庁・野生生物室へ提出……と思ったら、なんと今年から監督官庁が北海道に替っていました。管轄の釧路支庁へ連絡すると「申請書類の様式等が変更になってます」ということで、送ってもらった書類一式に記入のうえ、返信。「2週間程度で許可が出ます……」と、担当者の言ではありましたが、1週間後には本当に許可証が届いた! "規制緩和"の実際を、初めて体験した次第です。

ということで、手獲り3頭、銃器使用6頭、合計9頭の捕獲をめざして、今季鹿狩りキャンプに出発しました。


今回の鹿狩り、最大の特徴(?)は、「好天気」。快晴が続く温暖な3日間、例年の参加者から時おり出る「Mさんがいればこうはならなかったのでは……」の声が、遠く神奈川辺りまで聞こえないことを念じている私でした。

もう一つ、地元釧路で鹿の食性やその有効利用について研究している二人の女性獣医の参加。「研究のための個体が手に入らなくて……」悩んでいたのが、獲りたての鹿の肉や内臓を手にして、「仕事が出来ます!!」と感激していました。そして、協力してくれた――若い女性ですから当然ですが――ハンター(あえて名前は挙げません)に助けられて、各部位の内臓や肉、血液を採集して、大いに働いていました。

初日の昼下がり、事務局車と山下車が上徹別福祉会館に到着。いつもなら一面に雪か氷が広がっている会館前が、巨大な水溜り。「ほんとに、暖かかったんだー!」

それでも予ての計画どおり"サウナ"を作るべく、水溜りに雪を敷き詰めて準備にかかります。骨組みに断熱シートをかぶせ、その上を毛布類で包みました。昨夏のキャンプで作ったサウナより数等本格的です。そしてその隣にティピー。これは"脱衣場"と山下さん。到着する参加者も加わって、準備は万端となりました。


やがて、18名の参加者がほぼ揃って「夕食前に一風呂を……」と、ガスバーナーで石を焼きはじめます。薪も合わせて燃やし、懸命に熱するのですが、なかなか熱くなりません。吹き出すガスの炎に一瞬赤く変わった石の表面も、炎を離すと色が戻ってしまいます。「ムムム……こりゃあ、駄目かな?」と言いながら、それでもサウナ・テントの中に運び込みました。

「どれ、どれ……」と中にもぐり込む人びと。ジャンパーなどを着たままです。真ん中に積まれた焼き石(?)を囲んで待つことしばし……。汗など出てきません。「駄目だ!」早々に私は脱け出しました。

外はすでに薄暗く、気温は下がってきていました。石を焼いても、冷える速度のほうが早いのです。「冬のサウナは、難しい」……。10人以上もテントの中で頑張っていましたが、やがて全員が出てきました。「汗は出なかったけど、暖かかったョ」……それは、100%、人いきれでしょう。

サウナの失敗は忘れ、賑やかな食事が始まりました。そして、酒宴で夜はふけていきました……。


2日目の朝から、二手に分かれた"追い込み班"がハンター・山下、ハンター・桜井、それぞれに従って雪原に散開……と、言葉にすればカッコいいのですが、予想外の暖気にゆるんだ雪面は「埋まる!」…… スキーは問題なく、スノーシューは歩きにくく、カンジキはカンジキごと埋まってしまいます。もちろん"つぼ足"など問題外でした。先に行ったハンターを追って、よたよたと雪原をさ迷う人びと。まあ、"散開"という形にはなっていましたが……。

程なく、銃声。「やった!」と駆け寄る追い込み班……というわけにはいきません。それでも、あえぎあえぎ、ハンター・山下のし止めた鹿に集まりました。川下の方からも、銃声が聞こえました。ハンター・桜井の銃声です。「向こうも、やってるな」……。

早速、解体。大型のメス鹿でした。交代しながら、手際よく解体。内蔵を調べる獣医さん。「胃の内容物を見たい」ということで、四つの胃を開いて調べます。これは我々も初めての体験です。その匂いに閉口しながらも、第一胃の中身の多さには驚かされました。"反芻"のことなどを聞きながら、美味い肉と内臓を切り分けるというこれまでの解体に、幾分かの学究的要素の加わった作業をすることが出来た私たちでした。

桜井班では、オス・メス2頭がし止められ、解体作業も終わって両班が合流し、会館に戻りました。昼食後のうたた寝のあと、「山向こうまで行って、もう1頭し止めてくるかな……」のハンター・山下の声に、「行きます!」「行きます!」と賑やかな反応。結局ほとんどのメンバーが出かけた後、残ったメンバーは夕食用の肉の切り分けにかかりました。獣医さん用に、各部位の検体採集は桜井さん。

やがて夕闇がせまる頃、さらに賑やかに山班が帰ってきました。「やりました……!」ハンター・山下の面目躍如です。山越えしてメス鹿1頭の捕獲。雪の中の鹿追いは、さぞ疲れたことでしょう……。

阿寒町の温泉に足を伸ばし、「極楽、極楽……」の後、鹿肉パーティーとなります。4頭の猟果を治めての夕食は、殊のほか美味だったのは当然です。村上さんと森君(初体験だったのですが)の三線が響き、ユッケの美味さに酒がすすみ、幸せな夜でした。


最終日。朝食後、昨夜から我々の疑問だったシカの反芻の仕組みについて、獣医さんから講義を受けます。分かったようで分からないながら、「フム、フム、そうだったか……!」と、一同納得。「シカはもう十分」ということで、全員で精肉づくりにかかります。もも肉・ロース・バラ肉を切り分けて、皆なが持って帰れるように分けました。人数が少なかったせいもあり、それぞれが結構な量を持ち帰りました。

雪原に出かけて、カムイノミ。温かい陽射しの中で、阿寒の神々とシカを下ろしてくれた神に感謝、感謝でした。阿寒湖畔から差し入れを届けてくれた栄子さん、釧路から駆けつけて台所を受け持ってくれた千枝子さんにも、感謝です。

会館の清掃を終え、別れの言葉を交わしながら、それぞれが帰途につきました。ほんとうに、最後まで好天気に恵まれたキャンプでした。

後日談

帰札後のある日、キャンプ報告のために"反芻"について確認しておこうと、まず『広辞苑』をひらく。<【反芻胃】反芻する動物の胃。ふつう四室に分れ、食物は第一室にいったん貯えられ、第二室から再び口に戻され、反芻ののち第三室に入り、腸へ移る。>………あれっ? 講義では「第一胃に貯えられた食物が口に戻り、その後第一胃か第二胃へ移る」と聞いたように思うんだが……?

そこで『小学館/世界原色百科事典』にあたる。<【反芻】……第一胃は瘤胃といい、なかに種々の細菌が共生して繊維を分解する。第二胃(蜂巣胃)は内壁にハチの巣のような仕切りがあり、ここで食物がまるめられて、口へもどされ、次いで第三胃(重弁胃)にはいり、細かく砕かれて第四胃(皺胃)に送られ消化される。第四胃が本当の胃で、第一から第三までの胃は食道が拡張したものである。……>………フムフム、やっぱり講義で聞いたのとは違うなぁ……。

以上のコピーを講師に送ったところ、早速返信メールが。

「……さて、反芻についてですが、御指摘のとおりあの場でお話した中で間違っていた部分がありました。………あの時は偉そうにしゃべってしまって、すみませんでした。言い訳をさせて頂ければ、あの時のシカの胃の中を見た限りでは1胃と2胃の間はかなり狭かったので、シカは上記のような反芻の形態とは多少違っているのかもしれませんね。なんてね……」そして、詳しく知りたいならば……とホームページを紹介してくれました。興味のある人は、開いてみてください。http://www.isop.ne.jp/atrui/ushi/mhaku3.html

鹿狩りキャンプに参加して

岡本 匡代(釧路)

エゾシカを対象にした研究を開始する準備が整ったのに猟期内には個体が得られず、悶々としていたところに見つけた記事がきっかけで参加しました。

今回得られた四つの個体のおかげで仕事を始めることが出来ます。

心底楽しめる2泊3日をありがとうございました。

来年の鹿狩りキャンプにも参加させていただきます。3月の個体と、楽しい酒を期待して!

荻原 弥生(釧路)

念願のシカ猟に、やっと同行することができました。おいしいものをたくさん食べて、山の中をザクザク歩いて、ちゃんとシカにも会えたし、大・大・大満足です。

このキャンプのことを教えてくれた岡本さんに感謝!

皆さんにも大変お世話になりました。ありがとうございました。

くまがい りな(兵庫県三田市・5才)

いちばんたのしかったこと。

1、氷のうえをあるいたこと。

2、ゆきだるまをつくったこと。

3、しかがりへいったこと。

   ◎とってもたのしかった

    まあまあたのしかった

    あんまりたのしくなかった

    ぜんぜんたのしくなかった

くまがい なおき(兵庫県三田市・8才)

しかがりで、いきはズボズボ、かえりもズボってふかいあなで、かえりにくかったです。

かみさまをまつる時、おさけをはじめてのんだので、もどしそうになりました。

しかのないぞうはとてもきもちわるかったけど、あかちゃんを見られてまんぞくです。

熊谷 純一(兵庫県三田市/札幌)

縁あって春・夏のキャンプに参加させていただいて、話を聞かせていただいたり、会報ニュースを拝見させていただいたりして、ぜひ一度は参加させていただきたいと思っていたところ、三年越しで希望がかない、好天にも恵まれて、楽しく過ごせました。

実際は、子供二人の世話が思いのほか負担で、計良さんはじめ皆様方のご協力あってのことと、感謝しております。

少し幼さすぎるのではと思いつつ、いい体験をさせてやりたいとの考えで、思い切って参加させていただきましたが、二人の様子では、親の思惑は何処か、とても不安な気もします。

ま、それはそれとして、無事最後まで過ごせましたので、満足すべきなんでしょう。私も息子も、解体・仕分けにも参加させていただきましたので、帰って、肉も何とか料理できる、と思います。

どうもありがとうございました。

床田 和隆(苫小牧)

毎年参加していた鹿狩りを昨年はパスして、二年振りとなりました。

今年もハンターの山下さん、桜井さんのおかげで鹿肉を食べることができ、感謝です。

重たい雪に足をとられながら歩いた後の心地良い筋肉疲労、温泉、ビール、ワイン(このワインが悪かった)、最高でした。(最後の朝の二日酔いを除けば)

今年も雪が多く、山杖(エクンネクワ)を作った狩りは不可能でした。雪が少なければ、来年はライフルを使わず、し止めたいものです。

長岡 伸一(札幌)

2度目の参加だったが、科学者の視点を持つ女性2人の参入によって、去年の解体体験を予想外に深めることができたことを、まず感謝したい。

去年、横浜の平田さんは膀胱を回収し忘れたことを大変に悔やんでいた。油を入れて保存する丈夫な袋になる、と計良さんも言う。鹿笛を作ったら楽しいだろう、と僕はその後『アイヌの民具』を読んで知った。だから、今年の僕のテーマは、「食い意地ばかりでなく内臓も有効活用を!」だった。名ハンター山下さんが1頭目を倒した現場に僕はスノーシューでやっと追いついて、まず聞いた、膀胱はどこ? 中に液体があふれていて重そうな袋がある。早速切り裂いてみたら、それは胎盤だった。中から産まれる前の汚れない赤ちゃんが出てきた。僕は神妙な気分に襲われて背筋が伸びた。鹿狩りを国が許可する時代背景には、アイヌ文化再評価の機運とともに、有害獣の駆除というもう一つの冷徹な計画もある。お腹に子がいるメスを撃つのは最も効果的なわけである。だから、この子を有効活用しないとバチが当たるのでは、と僕は考えたのだが、結局、雪の中に母の毛皮とともに埋葬して手を合わせた。昔、本業のテレビ番組の取材で幌延を訪ねた時、ある酪農家が、ロシアのロマノフという品種の羊を飼っていて、ゴルバチョフのかぶっている帽子に使われる高級な毛皮がとれる品種だ、特に最高級なのは、産まれる前の子羊の毛皮だ、教えてくれたことを思い出した。鹿の胎児をアイヌ民族はどう有効活用したのか、伝承や文献をぜひ知りたい!

平島 邦生(札幌)

今回は意図的にカメラ一式を家に置いてきた。ポケットカメラだけというのは本当に楽だった。いつもは写真を撮るばかりだった解体作業もしっかりやらせてもらって、鹿の骨格を大分覚えた。

地元から参加の二人の研究熱心のおかげで、肉ばかりではなく、臓器の細かいところまで観察することができて、ラッキーだったと思う。

2、3才の2頭のメスからは、それぞれオス・メス1頭づつの胎児を確認できた。

また、反芻胃の仕組みも講義してもらって、良く理解した。

新しい出会いと、年に一度ここで会うだけの出会いと、今年もまた多いに楽しんだ。

三線の音色も楽しかったし、子供の参加も嬉しかった。

ちーやん、智子さん、おいしい食事をありがとう。

村上 健司(千葉県・柏市)

ソフトランディングさせると言っていた日本経済も、ハードランディングどころではなく、クラッシュの様相を呈してきています。なかなか未来への夢や希望が持ちにくい世の中になってきていると思います。

そんな中で個人でできることは、実に限られています。しかし、それを少しでも掘り起こすことができないだろうかという思いから勉強してきた、「地域通貨」と呼ばれる自分たちのお金が、日本各地で試みられるようになりました。地域から日本が変わっていく、そんな可能性もわずかながら見えてきたように思います。

さて、今回五年連続五回目の鹿狩に参加させていただきました。1年ぶりにお会いできた人、初めてお会いした人、様々な人たちからいろんな考え方、物の見方を学ぶことができました。そのことはお金に置き換えることはできませんが、いつの日か巡り巡って皆様にお返しできる日もあると思います(これこそが近代的なお金の起源!)。それまでは、私の心の中で財産として大切にたくわえておきます。

それにしても、道具って大切ですねー。年1回しか使わないとしたら、スキーよりもスノーシューの方がいいんですかね? 三線ももっと練習します。おいしい鹿や料理、ありがとうございました。

森 政信(札幌)

昨年のレバ刺の味が忘れられず、また参加してしまいました。レバ刺はもちろん、肉をたらふく食べました。

今年は昨年以上に、興味のあることや勉強になることがたくさんあって、とても楽しい時間を過ごせました。

鹿についても、徐々に詳しくなってきたような気がします。

また、たくさんの人や自然にふれ合うことができて、また一つ視野が広がったような気がしました。

今回は鹿の皮ももらったので、いろいろと活用してみたいです。いろいろとお世話になり、ありがとうございました。

森 隆子(札幌)

今回で2度目の参加です。天候に恵まれていたので幸運でした。

鹿狩りの案内が届くと、石や棒やロープで狩りの道具を作って参加しようと、あれこれ考えてみるのですが、はるか遠くで逃げ足の早い鹿をつかまえるものを考えつくのは、かなりムリがありそうな気もします。

天気が良かったので、狩りは(というよりは、現場まで行っただけですけど)とても楽でした。午後の狩りは、山を登って歩いたのでかなりハードでしたが、山歩きの好きな私には楽しい時間でした。来年は山スキーにシールも持ってきます。

狩りをして、解体を見て、その日の夜にその肉をいただくという体験は、私が食糧として食べている肉が、生きてる動物を殺して、それを肉にして、料理して食べている……命をいただいているということが実感できる、とてもいい経験になりました。小学生が2人参加していましたが、こわがったりいやがったりせずに、しっかり見て、食べているので、すごくいいなあ〜と思いました。

貧血の私はレバーが好きですが、生で食べるのはここでだけです。わさび醤油で食べていて、プリプリした歯ごたえと甘みのある味は、生エビのおいしいのを食べた時と同じような味でした。ほんとにおいしかったです。

また来年も参加します。

渡邊 禮一(江別)

今年も元気で鹿狩キャンプに参加できました。感謝、感謝。好天に恵まれた3日間、4頭の鹿がとれ、2頭の解体を手伝え、解体については一通り習得できたものと考えております。

骨抜きと整形はまだ勉強が足りないと思い、再度参加したいと考えています。

今年は多くの人が骨抜きにいどみ、それなりの体験ができ、良かったと思います。来年はもう少し上手になるよう、お手伝いをしたいと考えています。

沢山の食事を用意してくれた計良・上野両夫人と、獲物を提供してくれた阿寒の地に感謝しつつ、帰途につくこととします。