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ヤイユーカラパーク VOL37 2001.08.30
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おもな内容

ごまめの歯ぎしり

夏の嵐……か?

一見無関係に思われる幾つかの"出来事"が絡み合い、有機的につながって、まことに滑稽な状況を作り出した。外野席の観客にとっては、なんとも愉快な日々が続いたのである。

問題は、ウタリ協会(本部)が平沼宛には抗議文を送ったが、鈴木には抗議しなかったのみならず、「差別の意図はなかった云々」の鈴木の電話による釈明を受けた―とされている―ウタリ協会理事長が、その言をもって善しとしたことから起こった。

その直後の同協会総務部会―だと聞いている―は、理事長の説明(あるいは報告?)を善しとせず紛糾したらしい。また、同協会日高支部連合会を中心に、静内真歌のシャクシャイン像の前で抗議集会をひらき、その様子が各社によって報道された。それは鈴木・平沼への抗議であるとともに、鈴木の走狗に成り下った感のある協会理事長への抗議声明でもあった。

8月6日に開かれた同協会理事会は、『一部の理事は「笹村理事長らのこうした対応は不適切で、協会内部の不信を買い、アイヌ民族の代表の資格はない」と主張し、笹村理事長のほか、飯田昭市、阿部一司の両副理事長、江戸市郎常務理事の解任を求める動議を緊急提出。出席した理事二十七人の過半数の十八人が賛成し、可決された』(北海道新聞/8,6夕刊)。そしてその日の理事会は、新理事長に秋田春蔵氏を、『新たな副理事長に秋辺得平、椎久忠市、上武やす子の各理事を互選し、常務理事は当面空席とした』(北海道新聞/8,7朝刊)となったのである。

その8月7日、北海道新聞朝刊の一面トップは、『政府代表団にアイヌ民族/国連の差別撤廃会議/道ウタリ協会が人選』だった。『政府は六日、八月末から南アフリカのダーバンで開かれる国連の「反人種主義・差別撤廃世界会議」へ派遣する政府代表団にアイヌ民族を加える方針を固めた。アイヌ民族を取り巻く問題が国際的にも広く知られていることから、政府としての取り組み姿勢を示すために必要と判断した。アイヌ民族が、政府代表の一員として国際会議に参加するのは初めて』と、解説入りの記事だった。

そしてその日の夕刊には、『国連の差別撤廃世界会議/アイヌ民族参加 白紙に/外務省』の記事。理由は、『これまでの政府と同協会の協議では、六日の理事会で解任された前副理事長を代表団入りさせる手はずだったが、解任に伴って協会側が別の候補者に代えた。/政府側は、当初の候補者のこれまでの活動などを評価したうえで調整を進めてきた経緯から、急な変更は難しいと判断、ウタリ協会に対して七日午前、「今回の計画は白紙に戻す」と通知した。云々……』(北海道新聞/8,7夕刊)

当然ウタリ協会はこれに抗議し、白紙撤回の撤回を求めるが、外務省がこれに応じることはない……だろう。協会は―当初からの方針通りということだが―秋辺得平副理事長をダーバンでの会議にNGO(あるいは先住民)として代表派遣し、ロビー活動もおこなうことになる。


政府はこの会議に、アイヌを代表団に加えて参加したかったのである。

会議を主催する「国連・人種差別撤廃委員会」が、1997年と1999年に提出された日本からの「定期報告書」を検討した結果として2001年3月20日に採択した『最終所見』を読む限り、今回のダーバン会議において日本政府が"辛い立場"に立たされることは明らかである。

「最終所見」中の、直接アイヌに触れた部分だけを抜書きすると……。


B.肯定的な側面

4.〜(2)

1997年の「アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及及び啓発に関する法律」

   5.

委員会は、アイヌ民族(Ainu people)を独特の文化を享受する権利を持つ少数民族(a minority people)であると認定した、最近の判決を関心を持って注目する。

C.懸念事項および勧告

   9.

憲法第98条が締約国によって批准された諸条約が国内法の一部である旨を規定しているにもかかわらず、「あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約」の規定が、国内裁判所によってほとんど援用されていないことについて、委員会は懸念をもって注目する。(後略)

  13.

委員会は、高い地位にある公務員による差別的な性格を有する発言、および、とくに、条約第4条(C)の違反の結果として、当局がとる行政上または法律上措置がとられていないこと、ならびに、当該行為が人種差別を扇動し助長する意図がある場合にのみ処罰され得るという解釈に懸念を持って注目する。締約国は、かかる事件の再発を防止するための適切な措置をとること、とくに、公務員、法執行官および行政官に対し、条約第7条に従い、人種差別につながる偏見と闘う目的で適切な訓練を行うよう要請される。

  17.

委員会は、締約国が先住民であるアイヌの権利をより一層促進するための措置をとるよう勧告する。この点に関し、委員会は、とくに土地権の承認および保護、ならびにその喪失に対する原状回復および賠償を求める、先住民の権利に関する「一般的な性格を有する勧告」(第51会期)に締約国の注意を喚起する。また、締約国に対して、先住民および種族民に関するILO第169号条約を批准し、またはそれを指針として用いるよう要請する。

  22.

委員会は、締約国が次回の報告書に、ジェンダーならびに民族的およびおよび種族的集団ごとの社会・経済的データ、およびジェンダー関連の人種差別(性的搾取および性的暴力を含む)を防止するためにとった措置に関する情報を含めるよう勧告する。

  23.

また、締約国が次回の報告書において次のものがもたらした影響に関する一層の情報を提供するよう求める。
2)1997年の「アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及及び啓発に関する法律」

(翻訳:反差別国際運動日本委員会)


以上の項目に答えなければならない日本政府には、ダーバンの会議で外務省の作った"作文"を読み上げてくれるアイヌが必要だった。日本国は"それなりに"アイヌの人権のために努力を積み重ねているのだと、証言してくれるアイヌがいれば、今回は切り抜けられるはずだったのだ。だから、「アイヌなら誰でもいい」という訳にはいかなかった。以心伝心の"お味方アイヌ"の人選は、ウタリ協会やほかのアイヌとはまったく関係のない所で決められていたのである。

その人物が、謂わば政治取引めいた不祥事のために協会副理事長を解任されたのである。鈴木発言に端を発したウタリ協会幹部交代事件の最大の被害者は、外務省だったに違いない。名目上は「ウタリ協会代表」と位置付けていた人間に代わって登場した「ウタリ協会代表」に、政府代表席から発言させることは金輪際できないのだ。ましてその人物が、今回の事件の引き金となった"鈴木・平沼発言"に対して、総理大臣宛も含めて抗議・質問状を出した秋辺得平とあっては……!

かくして外務省は、理由にも言い訳にもならない"理由"を盾に、その陰に逃げ込んだということになる。もっとも、この程度の恥であれば、外務省には掃いて捨てるほど溜まっているんだから……という見方もある。

ともあれ、最初の人選から白紙撤回に到る経緯と結論について、ウタリ協会は抗議を続けている。外務省(=国)に対しはっきり「No」と言って対立する立場を宣言したのは、北海道ウタリ協会の歴史上初めてのことであろう。画期的なこの出来事の顛末を、しっかり見届ける必要がある。

歴史上初めてといえば、任期途中の理事長・副理事長解任ということも、協会史上初めてである。これまで、良く言えば"中庸・平穏"な道を、辛言すれば"事なかれ主義"を選んできた同協会の進む道が、今後いくらかでも方向転換をするきっかけになればと期待するのは、私だけではないだろう。

もちろん懸念はある。解任された笹村前理事長の談話「(解任の背景として)アイヌ民族施設の整備をめぐり、帯広や静内が誘致しており、理事たちの間で競争意識が高まっていることや、倫理面で厳しくした私の運営に不満があったのではないか」(北海道新聞/8,8朝刊)の、"倫理面で厳しくした私の運営"は噴飯物だが、前段は核心を衝いているだろう。国が投げたパイの切れ端をめぐる争奪戦が、鈴木発言対応を好機として爆発したのである。1996年総会での理事長交代劇―『森』ニュース/16号に"クーデター"と私は書いた―と同根の出来事だったのだ。藪の中の闘いは、まだまだ続くだろう。

「一民族とは国民のこと」と強弁し、ウタリ協会には「もう少し新執行部には勉強してもらいたい」と開き直った鈴木発言も報道された(北海道新聞/8,25朝刊)。この闘いも完遂してもらいたい、と思う。

「よそ様のすることは、よそ様のこと」と、長老たちはよく口にした。無闇に他人を批判するものではない、という助言だった。しかし、あまりにも傍若無人な今様"お味方アイヌ"や"お味方学者"、"お味方市民運動家"の徘徊には、正直もうウンザリである。コップの中の嵐に過ぎないかも知れないが、そのあとに幾分かの曙光が見えないものかと期待する。