春に10キロを走れたので、つい、その気になって『千歳・日航国際マラソン』のハーフに応募する。しかし、昨夜は体調を考えて中止を決めた。ところが、販売店には代配を頼んでおいたのに、いつもの習慣で早朝に目が覚めてしまう。……そして考える。参加料もすでに振込んであるし、せめて、参加賞のタオルと、完走記念のTシャツも欲しい……!制限時間は3時間ある。雨の中を20キロも走るなんて滅多にない……。よし、行こう。
コースは大半が林道。しかし、火山灰のせいか水溜まりがなくて走りやすい。雨に濡れる木の葉。自然のままに流れる川。「あ〜、来て良かった」……関西からツアーで参加した74歳の男性は、海外も含め、各地のレースに出場している。「……退屈だから」と、CDを聞きながら走る若い女性は今回が初出場。伴走者と一緒に快調に飛ばす視覚障害者も3組程いる。それぞれに話かけながら、僕も15キロまではキロ7分のイーブンペース。
からだの変調は急激にきた。長い下り坂の終わった所で、突然、重りをつけられたように脚が重たくなる。呼吸の乱れはない。少しペースを落として様子をみる。しかし、最後の給水所で立止まったのが決定的だった。走っているのに前に進んで行かない。≪フルマラソン40キロ地点(つまり、残り2.195キロ)≫の表示板の所でついに歩いた。その脇を、30分早くスタートしたフルマラソンの選手が猛スピードで走り抜けて行く。
2時間40分。目標タイムに10分遅れてゴールする。今にもつりそうになる脚を、ストレッチで直し、提供されたスポーツ飲料をがぶ飲みする。
……翌日は休刊日。その翌朝は台風の影響で土砂降りの雨。しかし、筋肉痛を心配した脚が驚くほど軽い。半信半疑で走りだすと、雨にあたった自分の顔が笑っている。「やった〜!」思わず出たガッツポーズ。顔に降りそそぐシャワーのような雨。21.0975キロメートル。完走の喜びが降る。
満月が沈まぬうちに、朝日が昇る。星は瞬く間に姿を消す。……忘れかけていた記憶の断片が、突然、ひとつながりのものとして意識されたのは、そんな秋の日の、朝の出来事。
18歳の夏。初めての一人旅を北海道で過ごす。ある夜、河原に野宿して、寝転んだ瞬間、一瞬にして再び身を起こす。何が起こったのかは分らない。首すじに恐怖心だけが張付いている。……やがて、何時までも消え去らない恐怖心に怯えながら、空を見上げる。……と、そこには、絵に描いたような天の川が流れ、満天を埋めつくした星が、キラキラとまたたきながら、僕に向かって降りかかってくる。
僕の通った中学校は隅田川に面していて、大川開きには毎年校庭にさじきを組み、花火見物の父兄に提供されていた。しかし、「生徒を女給に使っている」と、新聞で叩かれて中止になる。その翌年、僕は仲間と企んで屋上に忍び込み、花火見物をする。ところが、次々と目の前に打ち上げられる花火を見ているうちに、突然泣きだしてしまう。自分でも訳が分らず、ただ、仲間に泣き顔を見られたくない一心でひとり走って家に帰った。
1945年3月10日、東京大空襲。……母は僕を背負い、兄と姉たちの手を引き、燃えさかる炎に追われて橋の上に避難する。2歳半の僕に、その時の状況の記憶はなく、「背負われたお前が覚えている訳がない」と、言われた言葉を信じる。しかし、それでもなお、確かに自分のこの目で見たひとつの≪記憶≫が残っている。……キラキラと金色に輝きながら、空から舞い降りてくる火の粉。……その美しさを、鮮明な映像として≪記憶≫している。
……妖怪たちが跋こする暗闇を、訳も分らずに逃げ回る。川に土左衛門が浮かび、焼けこげた死体は群れなして転っている。……追いつめられた僕は、いつも虚空に飛び出していく。……日々、同じ夢を見て、夜ごと寝小便を繰返していた頃の写真は本当に暗い顔をしている。
阪神淡路大震災以来、日本でもその名を知られるようになった≪トラウマ≫、≪PTSD(心的外傷後ストレス障害)≫。その事実に自分で気づくのに、半世紀を越える年月を必要とした。……長い時間だった。
13話を書いて「僕の戦後がやっと終わった」。と、そう考えた矢先、朝刊の大見出しに腰を抜かす。……日常的にテレビをあまり見ない僕も、この日ばかりは家に戻ってすぐにスイッチを入れる。他国からの侵略を、かつて一度も受けた事のない米国が≪空爆≫された。……瞬時にそう思う。その一方、原発がテロの対象にならなかった事に安堵する。世界は、今日と、今日以後をはっきりと区別して歴史を語ることになるだろう。
第2次世界大戦後も、朝鮮戦争、ヴェトナム戦争、湾岸戦争と、米国が深く関わった戦争が続く。『第3次世界大戦……』。そう考えるのは僕だけの悪夢なのだろうか。日本もすでに≪参戦≫している。……『ショウ・ザ・フラッグ』と、米国に言われて、慌てて自衛隊機に日の丸をくくりつけて飛ばしてしまうこの国の在り方に疑問を感じない訳にいかない。
テロを支持する人々は少ない。しかし、報復の軍事行動でテロは確実に拡大する。
米英の指導者はクリスチャンでもある。誇り高いイスラム世界の人々の反発は、爆弾と共に投下する食糧で抑えられるものではない。「自国さえ良ければよい」という米国の独善的な政策は急速に進んでいる。その事実と今回のテロ事件は無関係ではない。新たなテロを防ぐ為に≪軍事力≫はあまりにも無力だ。「チキン」と呼ばれ、「平和ボケ」と言われても良い、軍事報復で≪恨み≫を増幅し続けるなら、世界はテロの恐怖から逃れられない。
「自由の国アメリカ」でジョン・レノンの『イマジン』が放送自粛のリストに入る。テロへの怒りを、報復戦争に集中させている米国民に『イマジン』は聞かせられないという配慮だろうか。
「思ってみろよ、平和に暮らしているすべての人々のことを……」「思ってみろよ、全世界をわかちあっているすべての人々のことを……」。私たちひとりひとりの≪想像力≫が、いま、世界を希望につなぎとめる。『IMAGINE……』。
|