3月26日、静内の葛野 辰次郎エカシが、父祖の待つ天上の国へ旅立った。91歳だった。自宅から病院へ移って間もなく、眠るように逝ったという。
葛野エカシとは、1973年『ヤイユーカラ・アイヌ民族学会』が創立されて以来のお付き合いになる。学会の総会や大会に、その頃はまだたくさん元気なエカシやフチがいる中で、いつも控えめで静かなエカシという印象だった。隣に(というより、少しうしろに)いて、いつも笑顔の絶えないツル・フチとのカップルは、一緒にいるとほんとうに心が和む存在で、温かい気持ちになることができた。
そのツル・フチと一緒にカムイノミに来てもらった最後は、1988年春、日高町三岩に巨大なクチャ(仮小屋)を作った際のチセ・ノミだった。なかなか終わらないクチャの完成を、迫ってくる夕闇を気にしながら待ち、予定より大幅に遅れたにもかかわらず、気持ちよく祭司をつとめてくれたエカシと、その背中に寄り添うように座って細々と気を配るツル・フチの姿が忘れられない。それから1年もしないうちに、フチが亡くなられたのではなかったろうか……。
1991年10月、静内町農屋の双川河原に建てたクチャのチセ・ノミに来てもらったのが、エカシにお願いした最後のカムイノミになった。このクチャ作りは、『ヤイユーカラ・アイヌ民族学会』の事業として行い、翌92年1月にこのクチャをベース・キャンプにして「鹿狩り」を行なった。静内のハンター、寅尾さんの後について雪の山中を歩き回り、結局猟果はゼロだったが、『ヤイユーカラ・アイヌ民族学会』はこの“第8回自然生活の知恵を学ぶ集い”を最後に、以後『ヤイユーカラの森』に活動を移すことになった。
思い返すと、上記のカムイノミはどちらも、私たちの今日にとって大きな節目となっていたことがわかる。葛野エカシの優しさと、儀礼における凛とした厳しさが、『森』を見守り、育ててくれたのである。
その後も、折に触れてエカシを訪ねてはいた。いつも突然飛び込んでいっては座り込み、話し込む私たちに、エカシはいつも優しく、「オレは、口が悪いから」と言いながらの独演会は、楽しかった。
98年11月、アユトン・クレナクとともにエカシを訪ねた。風邪気味なので30分位……と始めた対話は、どちらの話も尽きずに、結局2時間に及んだ。最後に、太陽の話から盛り上がったエカシの「チュプカワ カムイラン……♪」というウポポまで聞くことができたのである。
そして去年の冬、「外来宗教とアイヌ社会稿」のために、エカシの話を聞きに訪ねたのが、最後だった。「ナマンダブ(南無阿弥陀仏)」が「ラムシンキ(心が疲れた)」と聞こえたと、お経との出会いを話してくれたのだった。「ヤイトパレして(気をつけて)帰れよー」の声が耳に残る。
私にとっては、「最後のエカシ」だった。
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