バックナンバー タイトル

バックナンバー
連載
ヤイユーカラパーク VOL42 2002.10.30
ヤイユーカラ バックナンバーへ戻る
おもな内容へ戻る
おもな内容

行ってきました ファーストネーション

『生まれて初めての海外』

櫻井 亜樹子

最初は旅行に行ける、海外に行ける、というただそれだけで今回の参加を決めました。しかし、この旅で私は様々な体験をし、様々な事を知りました。

まず一番初めに感動したこと。それはあの星空です。アルビンの家の裏手で見たあの星空は、まさしく“満天の星”と呼ぶにふさわしいものでした。そしてその空を見上げれば流れ星。いつまでも飽きることのないものでした。あの感動は忘れがたいものになりました。

このカナダの旅はあっという間のものでした。しかし毎日のひとつひとつの時の流れは、実にゆっくりと優しく過ぎていったような気がします。アルビンの家のベランダから、あの美しい空と川と木々をただひたすら見続けていても、退屈と思わないあの感じ。予定通りの時間で動くことがないのに、その待ち時間すら暇だと思わないあの感じ。実に不思議な感覚です。それがカナダでした。

そのアルビンの家にはたくさんの人たちが集います。その中には日本の人もいました。実際あんなにも日本の人に出会えるとは思いませんでした。彼らは皆一様に何かの夢や目標に向かって一生懸命で、輝いて見えました。私も負けずにそうありたいと感じました。

そして今回、先住民族の方たちと出会い、そして彼らの生活に少しの間でしたが触れることができ、大変貴重な時間を過ごしました。今まで先住民族の様々な問題のことは、多少ではあるものの知っていたつもりでいました。が、今回その現実を目の当りにして大きな衝撃を受けました。サンピークスで見た、かつてプロテクションセンターがあったであろうその場所、そしてその残がい。それらを見ている彼らの表情、そして涙。それらは本当に衝撃的なものでした。また、アーサーの家で見たあのビデオ。見ていて自分の顔が歪んでいくのがわかりました。その内容はとても現実に起きていることとは思えず、恐怖と怒りを感じます。

今回それらの体験を経て、自分は今まで何も知らなかったということを思い知らされました。人から聞いただけでなく、その上で実際に自分の目で見て耳で聞き、そして体で感じて体験することができ、今まで知らなかったたくさんのことを知ったこの事実こそが、この旅の私の収穫でした。何も知らなければそれに対して何の興味も関心も無い。でもそれを知ることにより、その物事を今まで知り得なかったいろいろな角度から見る事ができるようになることを教えられた気がします。

最後に、この旅を共にした方々、そして旅先で出会った方々、それら全てに感謝する気持ちでいっぱいです。みなさん本当にありがとうございました。またいつかお会い出来る日を楽しみにしています。


……おまけ……

今回のカナダの旅。天候には恵まれていたと思いませんか? 出発前は雨具の心配をしながらも、その用意をせずに旅立った私。しかし一時的に雨が降ったことはあったにしろ、予定にたいした影響もなかったように思います。

事前に計良さんから頂いていた日程予定の用紙に、『天気については美穂さん、よろしく』との記述が。その頃美穂のことをまだ何も知らなかった私は、この一文が気になっていました。そして私が考えついた結論は、「きっとこの私と同い年の美穂さんって人は、気象庁にでもお勤めの人なのだろう」。

でも実際は違っていたんですね! しかし今回は汚名返上では……?

美穂、ありがとう!


『カナダ ファーストネーションの旅』 2002.8.11〜2002.8.20

櫻井 直樹

8月11日

せっかちな輝ちゃんに合わせ、7時30分、ミカちゃんの車で計良さんの家経由千歳空港着。案の定出発までの時間をもてあます事になり、ビール腹になりトイレ通い。

羽田からリムジンバスで重い荷物を持ち成田へ移動し、全日空のカウンターで無事内地組と合流し、あわただしく出国手続をし成田を出発。

ビール〜酒〜ウィスキー〜ワイン〜夕食〜朝食〜コーヒーでサンフランシスコ到着。長い行列のイミグレーションを通り、アラスカ・エアラインの搭乗手続をしてアメリカのビールで乾杯。

アラスカ・エアラインでバンクーバーに到着すると、奇蹟的にアルビンが時間通り迎えにきていた。

赤ん坊だったバットマットを連れて、根本といつしょに鹿狩キャンプで会って以来なのだが、まったく変わらぬ笑顔で迎えてくれた。松井さんやデービットたちも迎えてくれ、レンタカーを借り、スーパーで食料等を買い込み隣のレストランで夕食(量がやたら多く食べきれない)、アルビンの家まで約5時間のドライブでした。

到着のあとささやかな?酒盛りで、時差のため長い長い1日は暮れていきました。

8月12日

ピースキャンプへ向かう。2人の人が、美しい自然と先祖からの土地を守る為に頑張っていた。ピースキャンプなど無くても、先祖からの土地が永遠に彼らだけのものでありますように願わずにはいられませんでした。

フィッシュキャンプではボボが待っていてくれた。ベニが面白い様に網にかかる。1匹捌いたが、どじって指を切ってしまった。カムイノミをして、彼らの権利を守ることと、フィッシュキャンプの大漁と、旅行の安全を祈った。

今夜の夕食はベニのチャンチャンとベニの粕汁で、インディアンの皆様にも大好評で大盛り上がりでしたが、風邪をひいた為熱が出て、その後の記憶がありません。

8月13日

風邪の為、終日寝ていました。

夕方モニーに体温計を借りて計ると37.5度。昨夜よりだいぶ気分が良いので、昨夜はもっと高かったはずです。モニーが熱冷ましのハーブティーを作ってくれたのをのむ。また2人のインディアンのおばちゃんがヒーリングで風邪を追い出してくれた。カナダで風邪をひいたために、絶対出来ないような体験をさせてもらった。彼女たちの手が異常に熱かったのを鮮明におぼえています。

風邪薬と高血圧の薬を一度に飲んだ為フラフラになり、その後の記憶がありません。

8月14日

リルワットのアルビンの所から、セクウェップムゥのアーサーの所へ移動です。

セクウェップムゥは禁酒だそうです(詐欺だ)。車3台に分乗して出発です。カナダの雄大な景色を眺めながらの快適なドライブです。

途中のレストランで最後のビールを飲みながら、メニューの中の一番小さなステーキを

たのむが食べきれない。スーパーで買い物のついでにコーラを飲む。馬に飲ませるような

大きな紙コップで、とても飲みきれるものではない。それで値段は70円である。日本の物価の高さは異常です。

アーサーの家に到着。お互いを紹介して、おいしいリンゴジュースでわびしく夕食。ホームスティの家へ移動し、その家でパソコンを借り、ローマ字のみのメールを我が家に送りベッドにもぐりこむが、しらふの為なかなか眠れない。

8月15日

サンピークス・リゾートに向かう。巨大なスキーがほぼ出来上がっていた。

こんな大きな物が、先祖からの猟や採集の地に無断で作られたのではたまったものではない。怒りがこみ上げると同時に、微力ながら何かできることはないかと真剣に思った。

警官の護衛?つきで、壊されたプロテクションセンターの跡や、めげずに建てている新しいプロテクションセンターの建築現場を見て、美しいセクウェップムゥの景色を眺めながら、今日も酒抜きかとアルビンにぼやくと、なんとザックからウィスキーを取り出した。

アルビンは禁酒を知っていて、こっそり夜中に飲むために持ってきていた。ラッパ飲み。うまさが腹にしみる。

夕食後わけのわからない建築の話を聞く。アルビンが明日朝3時にサーモンキャンプへ帰るというのでお別れをして、ホームスティの家のベッドへもぐり込むが、寝られない。

8月16日

朝集合場所へ行くと、なんと3時に帰るはずのアルビンが居るではないか。やはりアルビンタイムは正確であった。

サーモン・アームズへ向かい昼食をご馳走になった。うまかった。そこのお婆ちゃんの作った民芸品を見せてもらう。なかなか手のこんだ良い物である。みんなで買ってきた。

サケを突きに川へいく。サケはたくさん居るのだが、なかなか突きやすい浅い所へは寄ってこない。今日はダメだと、あっさりあきらめる。

昔の冬の住居を見にいく。半地下式の、なかなか暖かそうな建物であった。

お婆ちゃんにお礼を言ってアーサーの所へ戻る途中、アルビンが車で、今度は本当に帰る所であった。アルビンタイムはさすがにたいしたものである。

夕食はレストランでビールでも飲みながらということになり、甘い中華料理もビールがあればおいしく感じる。ベッドにもぐりこみ、今日はバタンキューであった。

8月17日

バンクーバーへ移動の日です。正装したアーサーやビバリーと、ティーピーの前で写真を撮り、ビバリーたちと別れを惜しみマニュエル家をあとにする。

カムループスの博物館を見学する。アーサーのガソリンスタンドでお兄さんが働いているという職員の、親切な案内でいろいろ見てまわる。アーサーと落ち合い中華レストランで夕食を取り、一路バンクーバーへ向かう。11時ホテル着。アーサーと別れ、ビールを飲みベッドのなかへ。

8月18日

ホテルで朝食後、歩いてギャスタウンの先住民の店へ行く。タニアさんたちが待っていてくれた。さすが展示してある本物の作品は迫力がちがう。近くでお土産をあさりホテルへ。

午後からUBCの人類学博物館へ行く。なかなか見ごたえのある博物館でした。

帰り道、松井さんの案内でパスタを食べに行く。なかなか美味かった。

ホテルで床田さんの撮ったビデオをみる。カナダ最後の夜、チョットだけ飲みに出る。

8月19,20日

朝4時に起きて、5時空港向けホテル出発。大変お世話になった松井さんに別れを告げ、

アラスカ・エアラインでサンフランシスコへ。サンフランシスコ空港で搭乗手続をすませ、

免税店でお土産をあさり飛行機のなかへ。ビール〜ウィスキー〜日本酒〜ワイン〜昼食〜

軽食〜コーヒーで、台風の為約40分遅れで成田到着。入国手続後あわただしく綿引さんに別れを告げリムジンバスで羽田へ。ミホちゃんに別れを告げ、ガラガラの飛行機で午後8時千歳到着。ミカちゃんの車で9時30分、無事我が家へ帰着しました。


瞬く間に過ぎた、楽しく充実した10日間でした。

多くの方にご迷惑をおかけし、また大変お世話になりました。有難う御座います。


『カナダ・ファーストネーションの旅』

島ア 匡也

僕はカナダにはこれで2回目ですが、今回訪れたリルワットネーションとセクウェップムゥは初めて訪れました。二つの場所の景色はとても最高で、僕はとても感動しました。

サーモンキャンプでは鮭トバを乾燥させており、とても美味しそうだったので食べてみたかったです。また、網に大きな鮭がかかったので、その鮭をチャンチャン焼きにして食べたら、とても美味しかったです。

サーモンキャンプをやった場所でカムイノミをやりました。僕はカムイノミというものをやったことがなく、最初は戸惑いましたが、隣の人の動作を見ながら真似しました。カムイノミを経験してみると、動作がすごく簡単だったし、またとても覚えやすくて良かったと思うし、生まれてから初めてのカムイノミに参加できたことが一番の印象に残りました。

サンピークスという場所を訪れました。そこに大きなスキー場が建設されていたので、とてもびっくりしました。そこで食べた食事がとても美味しいと感じたのは、みんなで食べたからではなく、あのきれいな大自然の中で食事をしたから美味しいと感じたのではないかと、僕は思いました。

サーモンが跳ね上がるところを僕は見たことがなかったので、見れて良かったです。

ブリティッシュコロンビア大学博物館では、いろいろな素晴らしい作品があり良かったです。また、博物館ショップではジュエリー、版画、ノースウエスト・コーストのアーティストによる彫刻をはじめ、アート、文化、歴史、先住民に関する書籍も揃っていたので、数多くある博物館の中でもいい所であると思いました。

今回のカナダ・ファーストネーションを訪ねる旅は、いろいろなことを学び、先住民との交流も深めることができたので、僕にとってこの10日間の旅はとても充実し、良かったです。また同じところを旅したいです。


『カナダ』

高橋 美穂

カナダは大きかった。何もかも。山や川や森や湖などの景色は写真のフレームには到底納まりきらず、いろいろ見たこと、聞いたこと、感じたこと、教えてもらったこと、自ら考えたことも気持ちに納まりきらない。旅の途中で、そんな私にぴったりの言葉をくれた人がいた。『メモリー不足』まさにそんな感じ。

カナダから帰ってきてこうして感想文を書いていても、まだ消化できずにいる。とてもカナダの旅を総括することはできそうにない。8泊10日という時間は短いようで、すごくいろんなことを教わり、考える、濃い時間だったと思う。しかも、たくさんの事柄のまだ一部分しか分かっていない自分がいる。

一番、消化できずにいることは「サンピークス」についてだと思う。セクウェップムゥに移動した次の日にサンピークスに連れて行ってもらった。実際に現地に着くまでは想像もつかなかったけど、そこは思っていた以上に開発が進んでいて、大きなスキーリゾートになっていた。まだ、たくさんの木があるにもかかわらず別荘地として売りに出されている土地。そして「SOLD」の文字。きっと、きれいな森であっただろう場所にできているゴルフコース。そして、連なるリフト。すでにそこでの生活をはじめている人がいる。片や、その土地を大切に思い守りたいと思っている人たちがいる。どちらも悪くないように思う。別荘の所有者は、セクウェップムゥの伝統的領域を侵すことを承知で購入したわけではないと思うから。大半が「知らなかった」のだと思う。開発反対の声に、土地購入者は穏やかな気持ちではいられないだろう。そうすれば、当然、セクウェップムゥの人たちに対しては風当たりが強くなる。でも、本来の原因を作ったのは「伝統的領域と知っていたにもかかわらず」リースを許可し、開発し、売り出した人たち。すごく、複雑。そう思うと割り切れない気持ちが募った。

そして、もう一つ、気持ちが落ち着かないことがある。「SUTIKALH」のこれからについて。「SUTIKALH」はカナダに着いて最初にお世話になったアルビン宅から、フレーザー川に向かう途中に寄ったとても美しいところ。見渡せば、緑の山々が続いていて、足元には赤いベリーがあちこちにある。ここもスキーリゾート開発の候補地になっている。「サンピークス」と違う点はまだ開発がされていないということだ。ここのキャンプを訪れて話を伺った。その時は、もし将来ここがスキーリゾートになってしまったらどんな景色になるのか、想像もつかなかった。でも「サンピークス」を見てしまった今、はっきりとその景色がわかってしまう。今ある木は切り払われリフトが敷かれる、ベリーも見られなくなる、流れていた川もなくなり、別荘が立ち並び、巨大ホテルが建設され、そして人工物で覆われた山になる。

豊かな森なのに、きれいな川なのに、一回失ったら取り戻せないのに。開発をしたがっているナンシー・グレンさんは住民の大半が反対すれば、スキーリゾートにしないと約束をしたと聞いた。でも、冬季五輪でバンクーバーが開催地に決定したら、約束があっても開発される可能性が高いとも聞いた。今まではそんなこと気にもしていなかったのに、今ではバンクーバーが冬季五輪で開催地に選ばれなければいいのにと思ってしまっている。


いろいろ書いたけど、実はカナダは初めて。どんなところなのか、具体的なイメージを持てないまま、気がついたらアルビンの家にいたという感じだった。まず、うれしい驚きだったのがその星の多さ。こんなに星をたくさん見たのは初めてかもしれない。そして、朝起きて「窓の外見てみなよ」と言われて気がついた、大きなゆったりとした流れの川とその向こうの山の景色。すごいところに家があると思った。ここでは時間がゆっくり流れる。日が暮れるのも遅いし、時間を気にして行動しているようにはあまり見えない。すぐに時間や日にちの感覚がなくなって、気持ちの赴くままにのんびりすごすことができた。毎晩、入れ替わり立ち代りお客さんが来る。とても、一人一人の名前を覚えることができない。それでも、たどたどしい英語でなんとか話をしてにぎやかにすごした。歌も聞かせていただいた。それもいろんな方の。みんな素敵だった。誰かに聞かせたい歌や自分が歌いたい歌があることはすごく素敵なことだと思った。

素敵といえば、セクウェップムゥ・ネーションでホームステイをさせていただいたサラさんも素敵な人。サラさんは長老のうちの一人だ。サラさんの朝は「busy!busy!」で始まる。畑の世話をしたり、朝食の準備をしたりですごく忙しい。でも、その合間を縫っていろいろと話を聞かせてくれる。どこに行っても言われるが、サラさんにも、初日の朝に「あなた、料理はしないの?」というようなことを聞かれた。……すでに何もできないことがばれてしまったらしい。サラさんは、そうとわかったら、いろいろと私に教えてくれた。すぐにできる、誰でもできる卵料理(それが何かは内緒)。ベーコンを焼いた後の油をとっておくこと、それを使うと美味しいあるものができるらしい。毎朝、楽しかった。多分、私の伝えたいことは半分も伝えられなかったと思うし、サラさんの話もどのくらい理解できていたかは疑問だ。でも、最後の日に言った「また、いつか、ここに戻ってきたいと思っている」という英語だけはちゃんと伝わったと思う。サラさんが顔にさらにしわができちゃうわっていうようなジェスチャーをしたから。また、ぜひお会いしたい。これからもずっと、元気でいてほしいと思う。

本当にここに書ききれなかったことのほうが多いくらい、いろんなことがあった。その一つ一つが私にとって刺激となり、癒しとなった。


最後に今回、このような機会に恵まれたことに本当に感謝しています。いろいろなことを改めて教わりました。また、多くの方にお会いできたことを嬉しく思います。皆さんにお会いできて良かった。それから、一緒に参加してくださった皆さんにも、計良さんにも、お世話になりました。皆さんが温かくいつも迎えてくださるから、本当にのびのびと(し過ぎ?!)過ごせました。ありがとうございました。『自分にできること』を考えながら、この機会で知ったこと、感じたことを大切に育てていけたらと思っています。 


『旅を終えて』

三上 伸

私にとって今回の『ヤイユーカラの森』の旅行は、夢を見ているような旅でした。

成田空港を出発し、サンフランシスコ、バンクーバーに着き、初めてのアルビンさん、松井さんやたくさんの人の出迎えを受け、とても嬉しかった。それからアルビンの車に乗りリルワットに向かう途中、夜ではあったがアルビンが車を止めて、車の灯りで色々なところを見せてくれた。私にとっては、見るもの見るもの、素晴らしい所ばかりでした。

いよいよアルビンの家に着き、皆さんが出迎えてくれて、これもびっくり。アルビンの奥さんも、私達を優しく、楽しく出迎えてくれた。

リルワットネーションでの野外活動、交流は、私にとっては大変勉強になりました。サーモン・キャンプ……川でのサケの捕り方も見せてもらい、驚くばかりでした。

それからセクウェップムゥネーションへの移動。アーサーとビバリーの家に着き、皆と握手。食事の後アーサーや皆の話を聞き、私にとってはショックを受ける話もありました。

翌朝、交流と野外活動。彼らの先祖の建物や使用した物なども見て歩き、とても勉強になりました。

一番気になる、先住民の土地をスキー場にするということに対しては、私も日本人として強く反対の気持ちをもちました。

皆さんのお世話になって楽しく旅をし、家に帰ってから家族にいろいろな話をしました。


『ファインダーに映ったカナダファーストネーション』

床田 和隆

これまでのカナダは漠然とした自然豊かな国との印象が私の頭のどこか植えついていたが、今度の旅でそれが一掃された。人権に関しても同様で先住民に対するカナダ政府の政策はまさにジェノサイド=民族根絶政策が「白人」が植民地とした300年前と変らない

ことがはっきりと見えた。

みんなと一緒に見たサンピークスリゾートでの逮捕シーン。ビデオに映っていた警官が

唐辛子スプレーを使った時の表情は忘れられない。どこかで見たような警官の表情。まさ

に南アフリカの反アパルトヘイトのデモ隊に向けて発砲する兵士の顔とそっくりでぞっと

する。人を人と思わない冷血動物の目つきだった。

旅の前半に訪れたリルワットネーション。雪を頂くカッフマーリーの山。カッフマーリ

とは風の谷という。谷間を流れる川のほとりに建つ旧友アルビン宅でロザリン・サムさんから聞いたリルワットの森林伐採に反対する運動の歴史は最高の授業だった。生きた歴史を学ぶとはこのことをいう。

さらにアルビンの案内で訪ねた男二人が守るシュティカ。シュティカとは彼らの言葉で「冬の魂」という意味。そこにはゲスト用のログハウス一軒と二人のねぐら用のテントが二つあった。最初に目に入ったのは小屋の上にたなびく三本の旗だった。先住民の存在感あふれる男二人と旗三本は、見事に森の番人としてそこに存在していた。静かにしかも確固としてだ。当日は30℃近い気温だったが、冬には胸まで雪が積もるという。小屋から見上げる頂きの向こうにスキー場開発が計画されている。「全ての人々はきれいな水と空気が必要だ。それを守るためにここに住んでいる」と一人は語り「ここが俺の家だから」と一人はカメラに向かって話した。間もなく厳寒の冬を迎える。雪の中、二つの「冬の魂」は厳として森を守っていく。カメラを手に冬のシュティカを訪れたいと思っている。

そしてサンピークス問題である。巨大開発が進むサンピークスキーリゾートは東京に本社がある日本ケーブルが1992年に土地を購入して以来先住民の伝統領土が一変した山岳地帯である。標高約2000メートルのトッド山を中心とした山々が連なる動植物の豊かな森であった。

カナダ西海岸の玄関都市バンクーバーから東北に車で6時間の内陸部。サケが溯上の時期を迎えたトンプソン川のほとりに家を持つビバリー、アーサー・マニュエルさん夫妻宅で盛大な歓迎を受けた翌日に、私たちは問題のサンピークススキーリゾートに入った。

リゾートに入ったと同時にパトカーが監視しだした。

パトカーをバックにアーサーはカメラに向かった。「ここは伝統的な先住民の領土です。後ろにいるパトカーが私たちの反対運動にたいする嫌がらせです」

すでに何本かのリフトとロッジなどが立ち並ぶリゾート地で、夏でもリフトは稼動しゲ

レンデでは観光客が無邪気にゴルフの打ちっぱなしをやっていた。ボールが飛んでいく先にはリスらしき動物が走り回っていた。

別荘分譲が進む建設現場では「ここは昔から野いちご、薬草が採れ、ムースや鹿の猟場として私たちが利用している地域です」とインタビューに答えた。

ポリスマンがあまりに露骨にしつこく私たちをビデオカメラで撮影するので、私もポリスマンの横で彼を撮影した。サングラスをかけた彼は作り笑いで「ハーイ!」と私のカメラに向かって話しかけてきた。

「どこから来たんだ?」

「日本?日本のどこだ?」と尋問する。

今度はこちらが尋問した。

「撮影した映像はどうするんだ?」

「どうして撮影するかって?君たちと同じ理由だ」

「違う。(嫌がらせではない)これはテレビ用だ」

「日本に持って帰るのか?」

「そうだ」

「ニュース用か?」

「そうだ」

ポリスマンは鼻をすすった。

使えるインタビューだった。

ちなみにトッド山の名前の由来はこの地にヨーロッパから天然痘を持ち込んだ人物の名前である。この病気により住民の七割が死亡した。

サンピークス社は開発に何ら違法性は無いと開き直っている。カナダ憲法に照らしても歴史的にも先住民領土であることは明らかである。

ここ10数年間つねに疑問に思う。リゾートは誰のためで何の目的で作られるのか。そしてその結果どうなったか。日本でのリゾート開発は飽和状態のようだ。日本で終りを告げたはずのリゾート開発がカナダに飛び火した。

非暴力の環境保護運動に対して、連邦警察は唐辛子スプレーを使用し若者を逮捕するビデオ映像を見た。私たちはその現実に言葉を失った。

森のなかで長老の一人サラは「悲しい、悪はこの地から去れ!」と叫び涙を流した。私のカメラのファインダーにはその涙は焼きついたままだ。

何度もサンピークス社によって破壊された環境保護の拠点、プロテクションセンターの再建が森の中、湖のほとりで始まっていた。若者が丸太の皮むきを私たちに見せてくれた。その力強さに皆で拍手を送った。

老若男女がこの環境保護運動に身を投じている。サンピークス社は開発に反対するのは一部の先住民だとうそぶく。それこそ「リゾート開発」の恩恵を受けるのは一部の暇人だけである。そして儲けは一部の人間に集中する仕組みになっている。

今回の旅は、8年前にメキシコ、チアパス州の先住民が「いいかげんにしろ。もうたくさんだ!」と500年にわたる人権無視、経済搾取、先住民族虐殺の歴史に反旗を揚げたことを思い起こさせる。サンピークス社にとってはたかだか10年の問題だが、アーサーたちにとってはコロンブスの「アメリカ大陸発見」以来500年の問題なのである。

8年前のメキシコの風景とカナダの風景がファインダーの中で重なって見える。


<追記>

感想文を書いた後、サンピークス社に質問状を送ってみました。

---BC州政府がサンピークス社に賃貸契約した土地の法的根拠は?

この問いに対して次のような回答が返ってきました。要約すると、開発を始めるにあたっては「全く問題は無く」土地を取得した。翌年1993年に、先住民を含む地元社会にマスタープランを「呈示」し開発に着手した。また、開発地は「先住民居留地と承認されたことは無かった」と弁明してきました。

これはアーサー・マニュエルさんたちが主張するカナダ憲法、カナダ最高裁判決が示す先住民の権利を、全く考慮していない一方的な判断で開発が行われていることを認めることになった重要な回答です。開発計画を呈示しただけで工事に着手したことも、サンピークス社は認める回答になりました。質問はしてみるもんですね。

詳しくは松井健一さんの解説とともにヤイユーカラの森のニュースに掲載されていますのでよく読んでください。


『カナダ・ファーストネーションを訪ねる旅』

山下 輝昭

リルワットも4度目となると、何か自分の所に帰る様な感じがしてなりません。今回は、初めて海外に出る彩ちゃんもいます。ちょっと心配。が、心配なのは自分だったりして。いつも空港でひっかかるからなぁ……(アタリ)。

バンクーバーからリルワットへ車で移動し、3年ぶりのアルビン宅へ。3年ぶりという気がしませんが、子供が一人増えていて実感しました。やっぱり3年経っていたのだ。アルビン宅では、いつもの様に盛大な歓迎を受け? それにこたえて三上さんの歌声。ちょっと「カッコイイ」かな?

サーモンキャンプでは、ボボ、相変らず元気に酔っていて、私達を迎えてくれました。しかしボボ、ちょっと年をとったな。まわりから「お前もだ」という声が。前回も今回も、ボボとはゆっくり酒を飲む時間がなく、ちょっと残念。ボボに『ばくる』と書いてある扇子を渡しサケをもらってきた。ちょっと受けねらいだったか。

夕食のサケチャンチャン焼き。作っても作っても追いつかない。よほどおいしかったのでしょう。何せ、直樹さんの奥さんの手づくりミソを持っていきましたからね。おいしいはずです。

アルビン宅での3日間は、とても天気がよく楽しく過ごさせていただきました。ミホちゃん、お天気ありがとう。

さて、次の交流場所セクウェップムゥネーションへ車で移動。今回はレンタカーを使い、楽しく「ドライブ気分」。は、オレだけか。みんなは前夜のつかれが出てグッスリ。それにしても天気が良い。あらためて、ミホちゃんありがとう。

セクウェップムゥでは、アーサー宅でホームパーティ。奥さんのビバリーは前に札幌で会ったこともあり、楽しみにしてきました。ここでも大変な歓迎ぶりで、皆さん沢山の料理を作っていただき感謝。

アーサーの案内で、スキーリゾートやプロテクション・センターが壊された跡。ここは先住民が大事にしている場所だということを、リゾートに来る人達は分かっていないだろう。そんな現実とアーサー達はたたかって、自分達の大切な自然を守ろうと活動しています。私達も応援しなければ。

色々な所へ案内していただき、ビバリー宅を後にしてバンクーバーへ。ハイウェイを何時間もひた走り、いくら車好きの山下さんもヘトヘトです。同乗の皆さまはハードなスケジュールに疲れ、またもグッスリ。

バンクーバーでは少し自由時間も取れ、彩ちゃん、両親を残し一人ショッピングへ。と、皆それぞれ楽しんだ様です。(ヨカッタ、ヨカッタ)

今回皆さんハードな旅にもかかわらず、とても陽気に元気に頑張ってくれました。この交流で何かを感じ、行動してくれれば、仲間達がどんどん増えるでしょう。次回の交流まで、皆さん頑張って行動しましょう。皆さん、楽しい旅をありがとう。


『3年ぶりのリルワット』

山下 淑子

3年ぶりにリルワットネーションを訪ねました。アルビン家の小さな子供たち―ウィノナもアルビン・ジュニアも、ちょっとだけお姉さん、お兄さんになりました。赤ちゃんがもう一人増えたからです。その女の子は、大きくなったらバンドを統率しそうなくらい堂々とした赤ちゃんぷりでした。さすがジョジーナのお孫さんです。どの子も皆、のびのびと育っていて、久々に親戚の子供に会うような懐かしさを感じました。(お年玉をあげなくて済むのはなにより)

ホームスティ中に、桜井さんが熱を出し、モニカは先人から伝わる熱冷ましのハーブティーを作ってくれました。ハーブの効能を学んだり、庭に野菜やベリーを植えたり、自然の恵みをとても大切にしています。壁にはカードを貼って、自分たちの言葉を学んでいました。夫婦が前向きに努力する姿を子供たちが見て、その子もまたこの美しい自然を大切にする心を持って子育てして行く。とても素敵な財産を受け継ぐのでしょう。いつまでも美しいリルワットネーションであって欲しいです。


計良智子さんに「テンキ草のカゴを作っているおばさんに会えるかも」と、出国する前に写真を見せてもらいました。ですから、セクウェップムゥネーションに行くのが楽しみでした。

今年の2月、登別の知里さんに小さなテンキ草の小物入れの作り方を教えていただいていたので、カナダの「テンキ草のカゴ」はどのように作るのか興味がありました。そこで会ったデロリスさんは、何年か前から伝統のカゴ作りにチャレンジしてきた女性です。どの作品も美しく、特に弟さんを亡くされた後、何ヶ月も掛けて作った大きなカゴは、作っていて悲しみを癒されたそうです。

カゴの素材が松の葉だったのにはビックリしました。日本の3倍以上もある松の葉なら、カゴ作りもできるでしょう。コイリングという作り方は、知里さんから教わったのとほとんど同じでした。テンキ(カゴ)にする材料は、いろんな国の先住民でそれぞれ違っているようです。トウモロコシの皮、松の葉、バナナの葉、そして「テンキ草」。身の回りにある植物を使って美しいカゴを作ります。自然に戻る素材なので、使ってはまた作り、自然に戻す。先人のエコロジーの考え方はすばらしいと思います。

アーサー夫婦の民族衣装は、とても素敵でした。服を全部裏返しにして、作り方をメモしたい気分です。特にブーツ型のモカシンは足にフィットしていて、型紙が欲しいなぁと思いました。もちろん我家の鹿のなめし皮で作る為にです。

小さなビーズを縫い付けて行くのは、とても根気のいる仕事です。私がアイヌ刺繍を始めて感じたように、時間が掛る仕事だけれど、作っている時はとても愛情に満ちた気分になれると思います。鹿の皮に丁寧で美しい飾りが施され、大事にされているところを鹿たちが山から見ているので、安心して私達に命を分けてくれるのだと思います。

今回の旅では、とてもたくさんの人に会い、貴重な話を聞く事ができました。実際に会って聞く話は、真実と力強さがありました。まるで古代の人のメッセージを、今聞いているかのように。

カナダの先住民の皆さんが、私たちを心よく招き入れてくれた事にとても感謝しています。この遠く離れた先住民の絆の糸が、長く長く繋がって行く事を願っています。

通訳をしてくださった松井さんには、今回もお世話になりました。何でもかんでも通訳させられて、たいへん疲れたのでは。松井さんやアルビンとお土産に持ってきた「鹿のソーセージ」は、空港で没収されてしまいました。とても残念。いつか必ず一口食べてもらいましょう。

<<旅のおまけ @>>

アーサーのガソリンスタンドの横にはベンチ付きの芝生があり、お客さんがスタンドで買った物を食べる事ができるスペースとなってます。そこで電気炊飯器ごと車に積んで来てお昼ごはんを食べているアジア系のグループを目撃。普通、ごはんはおにぎりにしたり、別の容器に詰めて出掛けるけど、「電気コードを引っこ抜いて、炊飯器ごと車に!」この裏ワザ、使わせてもらいましょう。

<<旅のおまけ A>>

今回もアレを踏んでしまいました。スウェットロッジ跡で皆さんが手をつないで厳粛なお祈りを聞いている時に、実は私、ちょっと上の空でした。その後です。今回はムースのお土産。でも前回の例があったので、くつの底のミゾが浅いのをはいて来ました。拭き取り易かった。もし、サンダルをはいて踏んだら、感触が伝わる分ショックだろうなぁ……。

皆さんも気を付けましょう。本当によくある話ですから。


『初めての海外旅行』

山下 彩

海外へ行くのは今回が初めてで、飛行機や治安の事など色々な不安がありましたが、実際行ってみると、カナダはとてもいい所でした。

大きな自然が素晴らしく、8月11日から3日間ホームスティしたアルビンの家も、そんな自然の中にありました。アルビン一家は、初対面の私でもこころよく迎えてくれました。家の前にはきれいな川があり、足をひたしてみたり、ながめてみたり、とてもリラックスできました。また、犬や鶏や猫などが一緒に暮らしていて、とてものどかな光景でした。

ここはいつまでもそのままの自然でいられたらいいなと思います。昔から自然を守ってきた先住民のおかげで、こんなにきれいな景色を満喫することができました。また、そこに育つ子供たちも、豊かな自然に囲まれて、とても良い環境にいると思います。ビルやマンションに囲まれている子供たちが増えている中、先住民の方々はとても大切な事を与え、また教えてくれているのではないでしょうか。

8月14日から3日間は、セクウェップムゥで、アイリーンという長老さんの家に泊まりました。アイリーンは優しいおばあちゃんで、毎朝パンと目玉焼きとコーヒーを作ってくれたり、英語が中々わからない私にも、わかりやすいように気を使って接してくれました。そのアイリーンが、先住民たちが行なっている運動によって逮捕された事があると知った時は、とても悲しい気持ちになりました。

人は育った環境によって様々な存在になっていきますが、通じあうという事はこんなにも難しいものなのでしょうか。同じ民族同士や親しい者同士でも争い事は必ずあります。しかしそれ以上に、異なる民族との衝突は、長い時間をかけて解決していかなければならない、難しい問題だと思いました。今回の旅で、いかに自分が独りよがりで狭い世界にいたかを実感しました。


『「カナダの旅」感想メモ』

綿引 弘文

1,繋がっていた「ヤイユーカラの森」との細い縁

中学2年生と訪ねた「ヤイユーカラの森」(=1993年)。そこで計良光範さんから受けた歓待と、不思議な感動。その後は、「“森"ニュースレター」の細い繋がりだけが、続いていました。しかし、そのほとんどは、こちらから発信することのない、受け身の、読者としてのみの関係。

「“森"ニュースレター」の先鋭な問題意識と、闊達な雰囲気のキャンプ記事。それらは、教えられることばかりで(=敬意)、自分自身の日常感覚とは、中々結ばれていかないのでした。そんな中で、97年春の「リルワットの旅」は、参加申込みをしながら学校の事情でやむなくキャンセル。今回の「カナダの旅」企画には、再び心を動かされ、幸い学校の了解も得られて、参加が実現、貴重な学びの機会を与えられたことになりました。


2,“観光"ではない、“ファーストネーションとの出会いの旅"

日ごろは全くの出不精。観光旅行は苦手なタイプです。観光地に出かけても、それは外から眺めるだけのこと。そこには出会いの実感(=学びの実感)が、ありません。しかし、この“カナダ・ファーストネーションとの出会いの旅"には、固有名詞を持った具体があり人があります。魅力的な企画でした。

では、自分は何を学びに行くのか。そう自問した時の、何という頼りなさ(=空虚さ)。訪問する、@リルワット(=アルビン家)も、Aセクウェップムゥ(=アーサー・ビバリー夫妻)も、私との関係性はまったくのゼロ。また、そこでの争点が、サケの漁業権や土地問題とあっては、“政治オンチ"の私の、手に負えない世界。「私のカナダの旅」になるためには、これではどうにもなりません。

ガイドブックを広げても、カナダ概説書を斜め読みしても、さっぱりピントが合ってこない。唯一面白いと感じたのは、NHK「素晴らしき地球の旅/カヌー・大いなる航海――カナダ先住民・魂の旅路」(=97年11月放映)。これは、バンクーバー島の“トライバル・ジャーニー"を取材したもの。海洋先住民の各部族が、かつてのカヌー文化を復活させて、“民族の旅"に参加する。その過程で、カヌー文化の復活と伝承とが図られ、参加するメンバーに結束が生まれ、若いメンバーが経験をつんで育っていく。そこに、「ヤイユーカラの森」に共通する問題意識とセンスを感じました。これなら私にも学べる。そう思いました。


3,寄宿学校で民族言語を失ったアルビン

アルビンの家。毎日のように、新しい顔が現われて、いったい誰が誰やら(=@名前と、Aアルビンとの関係が覚えられない)。

そんな中で、8/13(火)夜は、「スキーリゾート反対運動」の話がありました。話をしてくれたリーダーは、豊かな体躯の先住民女性。前夜には、何人かと一緒に火を囲んで太鼓と歌を披露していた方です。この日は、クマの毛皮の敷物を持参。50代前半とか。夕方から、何をするでもなく、イスにゆったりと腰掛けていました。

そして、桜井直樹さんが風邪で伏せっていたのに対して、もう1人の女性(=メディスンマン)と一緒になって“治療(=祈り)"までしてくれていた。その方が、運動の女性リーダーだったとは!

また、アルビンのそばにて、じっと耳を傾けていた男性もまた、リーダーの1人で、魚類の生態や種類に詳しいといいます(=アルビンの紹介)。ご自分では“フィッシュ・ドクター"と語っていました。

“ミッショナリー・スクール(=寄宿学校)"の話が出たのは、この「スキーリゾート反対運動」の話が終わっての、雑談の中だったかと思います。松井健一さんが、寄宿学校での虐待が問題になっていることを話してくれました。そこから、民族言語の保持の問題に、話は展開。

私のノートには、こうあります。

・30〜40代、@寄宿学校に入った子供と、A寄宿学校に入らなかった子供と。

・@寄宿学校に入った子供は母語を喪失、A寄宿学校に入らなかった子供は母語を保持。

・現在、民族言語復興運動(※アルビン=45歳)。


これには、驚きました。日本では、アイヌ語の保持者として有名な萱野茂さんが、1926年生まれで76歳。アイヌ語を母語として自在に話せるのは、萱野茂さんの世代としては稀だといいます。それに対して、カナダ先住民では、今なお、民族言語を自在に駆使できる人たちが、30〜40代に沢山いるということ。そして、その民族言語の保持の有無が、寄宿学校という存在によって決定されたということ。そして、それは、つい30〜40年前のことであり、まさに現在の問題(=現代社会の中核を担う世代の問題)であるということ。ここには何か考えるべき問題がある。そう感じました。

民族言語の復興運動が起きているようです。アルビンも、モニカ夫人と共にこれに参加。部屋のあちこちに貼ってあったカード。それが、民族言語学習のための単語カードだということでした。


4,“エイメン!"――セクウェップムゥの「祈りの言葉」に聞こえた言葉――

「カナダの旅」4日目(8/14)は、セクウェップムゥへ。アルビン運転の車で、トンプソン川に沿った道を下っていきます。アルビンの隣の席には三浦克巳さん(広島大学総合科学部=カルガリー大学への1年間の交換留学中)。克巳さんが通訳をしてくれたので、アルビンとも少し会話が出来ました。

セクウェップムゥでは、数軒の家庭に分散してのホームステイ。中心は、アーサー・ビバリー夫妻の家でした。初日の夜は、ここに一族が集合しての歓迎パーティー。長老を中心とした、この一族の結束ぶり。それは先住民の特色なのかと思いながら、ふと見やると、階段の壁に十字架が懸かっていました。

先住民とキリスト教信仰の問題。これは、翌日のスキーリゾート地巡検の際にも感じたことでした。監視キャンプでの昼食や遺跡での“祈りの言葉"の中に、“エイメン!"という力強い言葉が聞こえました。ハッとさせられた一瞬でした。現代文明による自然破壊に対して、先住民がキリスト教信仰を武器に抵抗しているかのような、不思議な印象を受けました。


5,寄宿学校は“誘拐"同然の、酷い同化政策(=UBC民族学博物館にて)

セクウェップムゥの先住民博物館(8/17)に展示された、寄宿学校の卒業写真群。翌日のUBC民族博物館には、寄宿学校による同化政策の特設展示コーナーがありました。そこでの話は、耳を疑うもの。「寄宿学校とは、“誘拐"同然に先住民の子供を連れ去ってきて、キリスト教化する同化政策事業」「連れ去られてきた子供たちは、2度と家に戻ることができなかった」――。

私は、アルビンの寄宿学校体験を基準に考えていたので、この話は予想外の内容。計良さんによると、この問題について10年程前にBBC制作のビデオができているとのこと。また、同じような事例がオーストラリア・アボリジニにもあり、“奪われた世代"と呼ばれ、大きな社会問題になっているという話でした。

「政府の同化政策とキリスト教団との利害が一致した」――。酷い話です。


6,「ヤイユーカラの森」の皆さんに深く感謝

思えば不思議な旅でした。計良さん以外には面識のない私を、皆さんが温かく受け入れてくださったことに、ただただ感謝するのみ。皆さんの機敏な行動力や豊かな知識に感心するばかりで、こちらはさっぱり体が動かなかったことを反省しています。

高橋美穂さんには、初日の羽田からお世話になりっぱなし。写真もたくさん撮っていただきました。旅の一行に若いメンバーがいるのはいいものですね。桜井亜樹子さんは、高橋さんと名コンビ。一時体調を崩されたお父さんを何くれとなく優しくサポート。山下彩さんは、教職希望ということで、学校の仕事について色々とお話することができました。ビバリー家での歌が素晴らしかった。バンクーバーのホテルで同室になった島崎匡也さんは、カナダ訪問2回目。遅くまで日記をつけている様子に感心しました。

山下ご夫妻には、アルビン家での食事を全面的に依存(=有難うございました)。サンフランシスコ空港でのシカ肉没収事件は、“残念"の一語。渡辺禮一さんは該博な知識の持ち主。腕輪やらアイヌ民族衣装やらを作ってくれる女性応援団が何人もいるご様子(=羨ましい)。桜井直樹さんの、サケを捌く鮮やかな手並みにも目を瞠りました(=コンピュータに強いのにも驚いた)。大きなビデオカメラを抱えた床田和隆さんの、フットワークの軽いこと。さすがにプロカメラマンは身のこなしが違いますね。気さくな三上伸さんとは、話しているだけで楽しい気分にさせられてしまいます(=乗馬姿がカッコよかった)。そして、リーダー計良光範さんは、キャパシティの広い“教師"の風貌。「これが“ヤイユーカラ"です」「自分でサバイバルしてくださいね」と、折々に声をかけていただきました。

「カナダの旅」を終えて、「“カナダ先住民に学ぶ"とはどういうことなのか」と、自問を続けています。先日、今泉吉晴『子どもに愛されたナチュラリスト・シートン』(福音館書店/2002年7月刊)を、手にしました。その中に、「アメリカの開拓を、自然と野生動物と先住民の側から見るという、先駆者シートン」という一節がありました。

私は、小学校教師です。学級の子供たちと一緒に、シートンを通して、カナダやアメリカの先住民について学ぶことが、できるのかもしれません。