今回の旅をビデオ収録していた床田さんが、帰国後その編集作業中にサンピークスリゾート社に質問状を出しました。それに対する回答と、回答に対する松井さんの解説を、“その後の報告”として掲載します。(編集)
サンピークスリゾート社 御中(2002,10,4)
前略
サンピークスリゾート開発についてお尋ねします。
私はフリージャーナリストで、現在サンピークスリゾートに関する先住民の土地問 題について取材中です。
すでに御存知の通り、御社の開発に反対する先住民の逮捕者が50人以上にのぼっています。
歴史的な経過からすると、サンピークスを含む地域は先住民居留地から州有地となったとの条約などの法的根拠がみあたりません。またカナダ憲法と連邦最高裁の判例では
先住民の歴史的な土地に対しての権利を認めています。
BC州政府が御社に賃貸した土地の法的根拠を示していいただければと思います。
また、「先住民側と土地問題について話し合う」とした1996年の合意について、その結果について。
以上二点についてお尋ねします。
1週間経過しても御返答のない場合は、この件に関して御社は「ノーコメント」として解釈いたします。
御多忙中とは存じますが御返答をお待ちしています。
床 田 和 隆 様(2002,10,10)
Sun Peaks Resort Corporation 花 野 健 二
拝復 時下ますますご清祥のこととお慶び申しあげます。
さて、10月4日付けe-mailでのご質問に対して下記のとおり回答申しあげます。
1.B.C.州政府が弊社に賃貸した土地の法的根拠について
本件の経緯を申しあげますと、1992年4月に、当時Mt. Tod と呼ばれていたスキー場が事業不振で買い手を捜していました。弊社は、購入にあたってスキー場周辺の土地所有および各種の権利関係について綿密な調査を行いましたが、スキー場開発に対する法的問題は存在しませんでした。
買収後の1993年に、スキー場開発に関する公聴会を地元で開催し、マスタープランを地元地域社会、先住民部族に呈示した後で、国有地の管理を行っているB.C.州とスキー場開発の基本契約を締結しました。その後スキー場の整備に着手し、スキー場としての設備を徐々に整えてきました。
一方、1996年3月に、地元先住民3部族は、スキー場を含む極めて広大な土地が先住民固有の所有地であるとして、Neskonlith Douglas Specific Claim (居留地としての権利の存在確認)の申立を連邦政府に行いました。これに対して連邦政府は、対象の一帯は、先住民の居留地として承認された事実が無いとの判断をしたうえで、この申立を1998年9月に、公式に却下しました。B.C.州内では、条約による先住民居留地の認定がなされている地域もありますが、サンピ?クス一帯については、そのような条約は無いとの判定がされたものです。
2.「先住民側と土地問題について話し合う」とした1996年の合意について
1996年の合意について、同年にそのような合意がなされたことはありません。多分、1997年1月に調印されたProtocol Agreementのことをお尋ねかと思います。弊社は、地元先住民の全部族(申立を行った3部族を含む地域の8部族)と、スキー場の開発にあたり地域社会の経済的な発展のために、相互尊敬・信頼に基づき協力しあうことを文書で合意しました。1998年2月に行われたサンピークスリゾートのビレッヂのオープニングセレモニーには、各部族の代表者も祝賀のために参集し、合意書に沿った開発を再確認しましたが、残念なことに、その後まもなくして、現在反対運動を行っている部族が一方的に合意から脱退する旨を通告してきました。そのためProtocol Agreementに基づく正常な話し合いの場が損なわれることになりました。
以上がご質問に対する回答です。なお、あわせて現状について若干述べさせていただきます。
昨今、地元先住民の各部族の中で、ごく一部の人たちが戦闘的な反対運動を行っているのは大変残念なことです。一方的な反対運動には、2001年3月に開催されたSnow Job 2001(音楽フェスティバル)開催反対運動、リゾートに通じる公道の違法閉鎖、ビレッヂ内での挑発行為、スノーモービルを楽しんでいる人達への嫌がらせ、工事への銃撃による威嚇、2001年秋には、スキー場内および、周辺地区(国有地内)に違法にキャンプを設置するなどが挙げられます。これらのキャンプは、もちろん生活の場であったことはまったくありません。裁判所の退去命令が出てから急遽、生活用具を運び込み、生活の場を演出するなど、宣伝効果を狙ったものとしか思えません。
反対運動を行っている部族の首長が、Shuswap Nation Tribal Councilの議長の職を兼ねていたことが本件の事態の解決を複雑なものとしていましたが、このような戦闘的な反対運動は、Shuswap Nationを構成する他の友好的な各部族の支持を失い、今年になってその職を失っています。
サンピークスリゾートの開発は、1993年に地元地域社会、先住民に事前に図り、国有地を管理するB.C.州政府との開発契約で承認されたマスタープランに、既に織り込まれており、それ以上に、新たに開発区域を拡げるものでは決してありません。また、サンピークスリゾートに対して、一方的な反対運動を行っているのは、一部族の中の限られた少数の人たちで、他の部族とは良好な関係が保たれており、エリア内で各種の共同事業も行われています。たとえば、ビレッヂ内では、先住民の協力を得た薬草園の開設、先住民の文化や民芸品を紹介・販売する店舗の運営など、来訪客が先住民文化への理解を深めることに役立つ事業をはじめ、本年からは不動産事業においても共同開発プロジェクトが開始されるなど、1997年に調印された合意の精神が活かされています。
カナダ憲法と連邦最高裁の判例(Delgamuukw decision)では、Aboriginal title(先住民の生活上の様々な権利。Claimとは異なる性格のものであることにご留意ください。)の存在を認めるとともに、このtitleの存在を証明する手法を述べています。この中で、Aboriginal titleは、連邦政府と先住民の間でのみ処理されること、そのためには両者は法廷ではなく、話し合い・交渉により解決するように求めています。
弊社では、先住民のAboriginal titleについて、一日も早く解決に向かうよう、一貫して連邦政府およびB.C.州政府に対して、先住民との合意を得るように求めてきており、今後もその努力を続けていきたいと考えています。
松井 健一さんの解説(2002,10,12)
床田さん、「回答」を転送していただきありがとうございました。興味深く読みました。まず一番印象に残ったのは、花野氏が条約やAboriginal titleについて誤解しているのにもかかわらず、床田さんに講義をしている点です。
下に何点かぼくが気づいたところを書き留めてみました。
1)「B.C.州内では、条約による先住民居留地の認定がなされている地域もありますが、サンピークス一帯については、そのような条約は無いとの判定がされたものです。」
Specific Claimは、条約とは関係がありません。クレームは未だUBCICを通して進行中で(他の幾つかのBC州の先住民族を含む)す。BC州の先住民族で、現在州と連邦を交えて調整中の条約交渉をしているグループが多数ありますが、これに参加しない先住民族のグループの大部分がクレームに参加しています。また、条約は、居留地を「認定」するというものではありません。さらにもう一点、連邦政府が1996年のクレームを却下したのは、条約がないからではなくて、他の先住民族の場合と同様、クレームをこなす金銭的余裕と意志がないからです。
2) Aboriginal titleは、日本の法律専門家の間で、先住民族の原権と訳されます。これは、一定の領土内での先住民族の、先住者としての権利、また憲法上認められる先住民族の権利(これには生活上の権利も含む)をさすものです。花野氏は、「連邦政府と先住民の間でのみ処理されること、そのためには両者は法廷ではなく、話し合い・交渉により解決するように求めています」と言っていますが、話し合いは、第三者であるサンピークス社も含まれます。これは最近ハイダ族の判決で、州の裁判所も明確にしました。「法廷ではなく」、という箇所はデルガムークゥの判決文の中にありますが、この意味は、裁判長が、極めてコスト高の訴訟は先住民族に負担があまりにもかかりすぎるため、政治的に解決されるべきだと示唆したところです。しかしその際、連邦と先住民族「のみ」という箇所はありません。
3)「スキー場周辺の土地所有および各種の権利関係について綿密な調査を行いましたが、スキー場開発に対する法的問題は存在しませんでした。」
これは眉唾物だと思います。もし綿密な調査を行っていたのならば、なぜ後のトラブルを回避できなかったのか。安易な調査だったとしか思えません。
4)「マスタープランを地元地域社会、先住民部族に呈示した後で、国有地の管理を行っているB.C.州とスキー場開発の基本契約を締結しました。」
どこの「部族」の代表に呈示したか分かりませんが、ただ差し出して見せただけでは何の正当化にもならないと思います。これは結局、1996年まで先住民族の存在を認識しなかったということの裏付けにもなります。
5)「戦闘的な反対運動」とか、「挑発行為」、「スノーモービルを楽しんでいる人への嫌がらせ」、「工事への銃撃による威嚇」などと言った言葉を花野氏は使っていますが、これらは運動の性格を過激に見せることで、反対運動を牽制するサンピークスの戦略のようです。経営者のダーシー・アレキサンダー氏も、ウェブサイトのなかで同じような事を言っています。特に運動が極めて少数の、特にマニュエル家中心のものであることを強調しています。しかし、全国レベルの先住民族の組織Assembly of First Nationsや様々な先住民族の団体、支援団体(例えばUBCIC, Red Wire, Aboriginal Rights Coalition, etc.)が支持しています。
道路封鎖や、プロテクションセンター設置、など様々な直接的抗議行動は、北米では60年代から先住民族だけでなくさまざまな団体等によって行われてきました。たとえばキング牧師が先導した公民権運動は、当時道路の交通をとめマーチを続け、バスを借りてフリーダムライド、シットイン、など様々な抗議運動を展開しました。また、環境保護団体は、開発地を占拠して破壊活動をくい止めようとしたり、カナダ各地の先住民族も道路を封鎖したりして自らの権利を多くの人々に知らせてきました。
われわれは、キング牧師の市民不服従とマルコム・エックスの「過激」的な運動の違いが分かるように、運動を「戦闘的」な運動と呼ぶとき極めて注意する必要があると思います。反対運動を抑圧してきたサンピークスのやり方こそ「戦闘的」、「破壊的」で、生産的でないと思います。
花野氏はアーサーがShuswap Tribal CouncilのChairmanからおろされた件について触れていますが、これは内部の亀裂を利用した非常に不公平な問題の解決方法だと思います。サンピークスがどこまで関与しているかは分かりませんが。
最後に、プロテクションセンターが「生活の場所であったことはまったくありません」という箇所ですが、ここはぼくが最も残念に思う箇所です。日本的に「生活の場所」を定義して、先住民族の権利を云々しようとする過ちは、我々先祖が何度も犯してきた間違いであり、偏見であると思います。まったくないと、何故花野氏が断定できるのか。これを聞いただけでも彼が、そしてサンピークス社が、先住民族の文化や権利に理解がなく、偏見に満ちていることを露見したことになります。以上、ご参考になれば。
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