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ヤイユーカラパーク VOL42 2002.10.30
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食いものノート/4

自他楽写真館 平島邦生

レシピ 07

やあ諸君、断食にトライした感想はいかがだろう。朝の目覚めが良くなったり、身が軽く感じられるようであれば成功である。さて、今日のレシピを見て「もう、いい加減にしてくれ,ウンザリだ」と、ノートを投げ出したくなった諸君は多いだろう。「親父料理術」をうたいながら、およそ料理とは関係のないことばかりやらされてきたのであるから、

諸君が怒るのには正当な理由がある。しかし、腹を立てていっとき空腹を忘れるのも錯覚というものだ。今日は最後に美味しいものがいっぱい食べられる構成になっているから、寝転がりながらでも気楽に付き合って呉れたまえ。


賢明な諸君はすでにお気づきのように、その「理由」は簡単である。つまり、料理を作れない男は『料理をしたことがない』、ただそれだけの事である。まあまあ、怒らないでくれ、ここは大切なポイントなのだから。本来のテーマは「男が料理をしないで生きられたのは何故か。その生態学的理由」。……である。

ちょうど三十年前の1972年、戦後二十八年を経てグアム島で発見された元日本兵・横井庄一さんと、その二年後にルバング島から救出された小野田寛郎さんを覚えているだろうか。赤紙一枚で召集された一兵卒の横井さんは、ぼろぼろの着衣と、おびえた目つきで呆然と立ちつくす姿が印象的だった。一方の小野田さんは陸軍少尉。軍服姿で背嚢を背負い、左手に銃を捧げ、背筋をピンと伸ばして敬礼する姿には異様な迫力があった。

‘64年の東京オリンピック。’70年の大阪万博を経て高度経済成長に浮かれるこの国に、突然、出現した第二次世界大戦の亡霊。当時、拙者はミーハー的興味で二人の報道を小さな記事まで探して読んでいる。


横井さんは仲間と別れてから十五年間同じ洞穴で暮らす。昼間は洞穴に潜み、暗くなってから近くの川でエビやカニを捕り、でんでん虫やガマガエルを捕まえて食べた。マンゴや芋、ヤシの実など、島の食材は豊かだ。火が必要な時は砲弾の破片で石を叩いておこす。しかし、発見を恐れてあまり使わないようにしたという。もとは服職人だというから器用な人だったのだろう。マンゴの葉を叩いたもので上着やズボンも作っている。

一方、陸軍中野学校出身の小野田さんは投降(?)直前まで仲間がいたこともあり「残置諜者」として、常に拠点を移動しながら戦闘態勢を整えていた。「米軍の占領後も命ある限り島にとどまり、諜報活動を続けよ」との上官命令に従い、「任務を遂行するために必要最小限のものを食べた」と報告している。鶏や作物や塩を民家などから調達し、バナナも食べた。「何が一番欲しかったか」と問われて、「まず食料。そして火と切れもの(刃物)」と答えている。火はガラスにのせた水滴をレンズに使っておこしている。

二人とも、日本に暮らしていれば料理をすることなどなかっただろう。ただ、生き延びるために自ら料理をした。横井さんは帰国後、「是非お世話をしたい」と名乗り出た献身的な女性と結婚する。後に「耐乏生活研究家」という肩書きでグラビアに載った横井さんの前には奥さんの手作り料理が並んでいる。小野田さんは日本の喧騒を逃れ、帰国後間もなく南米に移住する。


生きるためには喰わなくてはならない。喰うために生きるのはちと寂しいが、生きるために喰うのは生物の必然である。自分で作らなければ、代わりに作ってくれる人が必要だ。子どものころなら『お母さん』だが、男の場合、結婚によって『奥さん』に引継がれるのが一般的だ。女房。家内。かみさん。嫁さん。うちの奴。まあ、どう呼ぼうと拙者がとやかく言う問題ではない。

ファーストフードやコンビニ弁当の普及も食生活に大きな変化をもたらした。

「デパ地下」には、お袋の味からイタリアンまで何でも揃っている。調理器具を一切もたずに暮らす人も増えているという。その一方、男のための料理教室も盛んだ。こちらは、亭主の定年退職後、一日三度のご飯支度を何かと面倒くさがるようになった奥さんによって、初めて「食の自立」に目覚めた男たちの世界でもある。

女は正直である。そして男も「けなげ」である。女は「その、必要があったから」料理を作って、食べさせ、男を職場に送り出した。男は「その、必要が生じたので」自ら料理を作るようになる。……ともに、正しい判断である。

実習の手引き その3

さて実習に入ろう。『男の料理』には、肉の塊やまるごと一匹の立派な魚料理が紹介されることは前にも書いた。そして、これも男の性(?)なのか道具に凝る人も多い。拙者もそのタイプなのだが、入門編には無用なのでいずれ機会があったら書くことにしよう。刺身包丁や出刃包丁を揃えるのも良いが、自分で刃物が砥げなければ使い物にはならない。切れない刃物は怪我のもとだ。家にあるステンレス包丁だって小野田さんの「切れもの」よりは良く切れるだろう。


「料理を作る時、一番重宝するものは何か……」。拙者の場合それは「味のもと」である。誤解を避けるために説明しておくが、拙者も化学調味料は一切使わない。気持ち悪くて使えないという非科学的な理由と、食べると気持ちが悪くなるという即物的な理由による。

『味の素』は商標登録された商品名で、当然、拙者はその作り方を知らない。昔は、蛇を材料にして作っているという噂も流れたが、言わば流言蜚語の類のようだ。特許に根ざした独占的商品に対するやっかみもあったのだろう。化学調味料と言えば『味の素』。赤いフタの小ビンを漬物や味噌汁にパッパッと振るのは、食事の儀式のようだった。


調味料の基本はやはり塩だろう。それでも、塩だけでは味気がないと感じるのが現代人の本音でもある。そこで「味のもと」が活躍する。拙者の「味のもと」は、ただのカツオだしである。濃い目にとったカツオだしを冷凍保存しておき必要に応じて調味料とする。すでに実践している方も多いと思うが、これと塩、醤油があれば晩飯の仕度ぐらいはすぐにできる。味噌汁のだしはもちろん、野菜の煮つけや、炒め物にも使える。お蕎麦が急に食べたくなっても、少量の日本酒と適量の醤油に濃い目に溶いた「味のもと」を加えてひと煮立ちさせれば「そばつゆ」ができる。日本酒を使うのはだしの生臭さを消すためで、甘みのある麺つゆが好きならみりんを使えば良い。みりんがなければ酒に砂糖を少し加えてもいい。煮込みうどんなら水の量をふやして塩と醤油で味を調えればOKだ。

ちょっと削った「味のもと」に醤油と水を少し加えて「チン」すれば天つゆになり、山菜の季節には重宝する。料理で余った鶏皮やベーコン等を加え、好きな野菜を放り込むだけでスープも作れる。和風に仕上げたければ昆布を入れてもいい。「味のもと」は、最初から昆布を加えて作っても良いのだが、多様な利用方法を考えるとカツオだけのほうが使いやすい。


だしをとる方法には家伝もあれば秘伝もある。特に和食の世界はうるさい。「美味しんぼ」に登場する美食倶楽部の亭主・海原雄山は、だしの味ひとつで料理人をあててしまう。しかし、「そこは、親父料理術だ!」その点は思い切りアバウトで行こう。

カツオ節は、手間さえいとわなければ直前にカツオ節削りで削るのが一番美味しい、削った断片を食べ比べてみればすぐに分かる。しかし、それを実践できる人は少ないだろう。

パック詰めの削り節にもいろいろある。「花かつを」は薄く削られていて、揉んでおひたし等にふりかけるには良いが、だしはあまり取れない。不活性ガスを充填して袋を膨らませてあるが正味量はせいぜい50グラムぐらいのものだ。だしをとるなら厚めに削った混合削り節が値段も安く実用的である。

沸騰した湯に一握りの削り節をいれ、箸でさっとまわして火を止める。そのまま約五分おいてボール等に濾す。削り節だけをもとの鍋に戻して再び水を加えて(二回目は水を吸わないので最初の半分)火をつけ、今度は沸騰直前に火を止め(沸騰させるとアクが出て臭みが増すので留意したい)やはり五分おいて二番だしをとる。それを一番だしと合わせて冷凍したものを拙者は勝手に「味のもと」と呼んでいる。大きめのタッパーなどで板状にして凍らせておけば簡単に割れて使いやすい。水の量やカツオ節の量でだしの濃さは当然違ってくるが、二、三回やれば大体の目安は出る。濃ければ少なめに、薄ければ多めに使えば済むことであまり気にすることもない。残った削り節は同じ手順を繰り返して三番だしをとり、これはそのまま味噌汁などに使う。さらに残った削り節を干して乾煎りし、ふりかけなども作れるが、面倒なので拙者はやらない。

残りはコンポストに入れてEM菌を混ぜ、あとは畑の肥やしになる。

実習の手引き その4

やっと料理本らしいタイトルになった。豆腐を取り上げたのは、拙者が豆腐好きだという理由以外には何の意味もない。豆腐か納豆、鯵かサンマの干物があれば満足だった拙者を父は安上がりだと笑った。あるいは喜んでいたのかも知れないが……。

夏の冷奴。冬の湯豆腐。もしこの国から豆腐屋さんが消えてしまったら、拙者の人生はなんと味気のないものになるだろう。八百屋さん、魚屋さんが次々とスーパーやコンビニに吸収されるなかで、豆腐屋さんも後継者難に悩まされている。早朝からの厳しい労働に耐えられる人間も少なくなつたのだろう。豆腐を食べるなら、探し回ってでも豆腐屋さんで買いたい。スーパーの目玉商品になっている充填豆腐とはまったく味が違う。その違いが分からないのなら、それはそれで幸せとも言えるのだが……。


前号の終わりに、料理に必要な技術はそれほど多くないと書いた。食材を、焼く、煮る、揚げるなどして一定の過程を経たものが料理である。さらに、生のままで食べる判断も料理になる。「冷奴」とは豆腐の刺身であり、葱や生姜を薬味に添えれば伝統的な和食の一品になる。好みのトッピングを工夫してドレッシングをかければサラダにもなり、湯で暖めれば湯豆腐。油を引いたフライパンで焼いた豆腐ステーキに、炒めたキノコや野菜をのせれば豪華な一品料理になる。煮豆腐やあんかけ豆腐も、常備した「味のもと」があれば、アッという間に作れる。油がはねないように豆腐に粉をまぶして揚げ、天つゆに大根おろしを添えて食べると実に旨い。他にも、豆腐チャンプル,マーボー豆腐、etc,etc,……。

豆腐料理だけで何冊もの本が出版されるぐらいだからその食べ方も限りがない。これも繰り返しになるが、料理を難しく考えることはない。素材を眺めながらどうやって喰おうかと思案するのは楽しいものだ。「たとえ一度で思ったようにできなくても、二度、三度とやれば必ずできるようになる」。師匠の言葉はいつも心強い。


自分で作ったものが「美味しい」と思えたときほどの幸せはない。作って楽しく、食べて美味しく、幸せを味わえる。次回もまた楽しみである。

<次号へ続く>