前号で報告した8月の「カナダ/ファーストネーションを訪ねる旅」(2002,8,11〜8,20)で訪れたB.C州で、8月14日〜17日をネスコンリス・バンドで一緒に過ごしたアーサー・マニュエルが、11月13日、日本へやってきました。札幌から床田さんと共に羽田経由で成田へ飛び―床田さんはビデオカメラと三脚、私はなんとか刷り上がったセクウェップムゥの紹介リーフレットの束を抱えて―今回急遽結成した『セクウェップムゥを招く実行委員会』の小林純子さん(先住民族の10年市民連絡会)・井上誠さん(ピースボート)と落ち合って待ちます。到着が遅れて、長い待ち時間の後現れたアーサー、松井健一さんとは3ヶ月ぶりの再会でした。大男のリー・ロイ・ヨーとは、初対面です。渋滞のなか、空腹を抱えて池袋までバス。ホテルにチェックインしてから中華飯店で夕食となり、やっと一息。アーサーとの最後の食事も、中華だったっけ……。
翌14日朝、以前に2年間ほど日本で暮らしたことがあるというリー・ロイは、夜明けに起き出して築地までタクシーを飛ばし、“刺身"を食べてきたと言う。「おいしかった!」そうです。
午後、「日本環境法律家連盟」とのミーティング。床田さんが制作したビデオ・ドキュメント『魂の涙―カナダ先住民が問うリゾート開発』を見た後、アーサー、リー・ロイから、サンピークス・リゾート社とB.C州政府が行なっている開発行為=環境破壊の実態と、反対する先住民に対する圧力について報告されました。日本企業の海外での違法(としか思えない)行為に、国内法がどう関わっていけるのか……大きな課題です。
夜は中野のアイヌ料理店「レラ・チセ」で、交流会。アイヌの参加はあまり多くありませんでしたが、多彩なメンバーが集まりました。カナダツアーの参加メンバー美穂さんが横浜から駆けつけ、ブラジルから帰国した沖縄女性みどりさんや東京在住の旧友も含めて、まことに賑やかでありました。
11月15日。午前中は、「近くに住んでいる」というみどりさんの案内で浅草を歩きました。私自身も久し振りの浅草。ホルモンの煮込みが美味かった。
午後、参議院議員会館で中村敦夫議員と面談。アーサーの「国会議員と会い、話したい」という希望を実現しようと手を尽くしたのですが、我々の人脈では(いわゆる“有力議員"との面会は)なかなか困難でした。幸い小林さんがコンタクトした中村議員が快く受け入れてくれ、30分間の対話が実現したのです。政治団体『みどりの会議』を主宰し、環境を守り平和を作る運動を牽引している中村議員とは、「時間がもったいないから」と英語での対話となり、時間一杯話しこむことができました。「民間企業の商行為に対して、日本の政治(家)に何が出来るのか、調べさせてください」と言ってくれ、最後に「サムライ写真をどうぞ」と、木枯らし紋次郎のブロマイドをプレゼントされて、一同は部屋を出ました。
続いて同じ会館の中で、民主党の新議員ツルネン・マルティ氏とも30分の面談をもちました。やはり英語での対話になり、中村議員同様「何が出来るか、調べてみます」ということで終わりました。正義の存否や動機がどうであれ、鈴木宗男のような圧力行為と同様にみなされる働きかけを軽々に行なうわけにはいかないのは当然ですが、お二人が日本企業の“暴力"をどれだけ周囲に伝えてくれるのかが問題です。
ともあれ、権力や権威との付き合いがなく、好みでもないメンバーが訪れた“議員会館"から離れて、一様に大きな深呼吸をした私たちでありました。
夜、ピースボートの呼びかけでの「セミナー」。少人数の集まりでした。
11月16日。午後明治学院での講演会があるアーサーたちと別れて、床田さんと私はひと足先に帰札、私は札幌での宿舎になる「札幌芸術の森」ロッジの受け入れ準備。安くて広く、使い勝手のよい“アトリエ・ロッジ"は、私の自宅の向かいにあり、何かと便利なのです。
千歳空港へ出迎えた床田さんの車でアーサー、リー・ロイ、松井さんが我家に着いたのは、22時。ゲートの閉まる23時までにありあわせのもので空腹を満たし、ロッジにもぐり込んで札幌第一夜は終わりました。
11月17日。ゆっくり起き出したロッジ組が我家で朝食を食べているところへ、東京から小林さんが到着。アーサーがメールの受信やら発信やらをやっている内に時間になり、市内の会場へ。「カナダ先住民族と開発―日本企業の暴挙を放置していいのか?」と題された報告・講演会は、参加者数50数名でした。打ち合わせなしの本番でしたが、学生グループ「Nスター・ネット」のメンバーが作った横断幕を飾り、受付をまかせ、彼らの力で無事集会を終えることができました。大画面でビデオを映してくれたOさんにも、感謝。
夜は、ロッジでバーベキュー・パーティ。集まった『ヤイユーカラの森』カナダ訪問団の調理による、“鮭チャンチャン焼き"“焼鹿肉"“鹿肉ユッケ"、智子さんの“チェプ・オハウ"“ラタスケプ"などなど、いつもながらの『森』キャンプ食で、飽食の夜でした。
11月18日。支笏湖を通って二風谷へ。二風谷ではアイヌ文化博物館で貝沢耕一さんと落ち合い、休館中にもかかわらず館内の展示について説明を受けながらゆっくりと一巡。博物館前のチセで、女性たちがキナ編み作業をやっている中へ入り、賑やかに交歓することもできました。その後二風谷ダム、ナショナルトラスト“チコロナイ"を案内してもらいました。貝沢さん宅で懇談してから、名物ラーメンを食べ、二風谷をあとに。
千歳空港で帰京する小林さんを降ろし、久し振りに早めの就寝。「どこかで、右ハンドル・左走行をやってみたい」と言っていたアーサーの希望に添えなかったのが、残念です。
11月19日。午前中、北海道ウタリ協会とアイヌ文化振興・研究推進機構事務局―実行委員会は、財団の「国際交流」の助成も受けていたので―へ表敬訪問。そして千歳空港で慌しい昼食の後、成田へ向けて飛び立って行きました。まだまだ話したいことがあったような、話は充分できたような、そんな気分でしたが、ま、そう遠くないうちに、再会の時がくるのでしょう。
スクウェルクウェックウェルトを訪ね、セクウェップムゥを招き、「なぜ彼らと私たちの結びつきが大切に思われるのだろう?」と考えます。それは、第1に「同じような歴史を背負った兄弟だから」、第2に「彼らを苦しめているのが日本企業であり、我々が日本人である責任から」という当然の理由があります。さらに最近考えるもう一つの理由に、「彼らが自らの領土を守ることが出来れば、アイヌの領土権の回復にもつながる」ということがあります。
1982年のカナダ憲法(第35条1項)と1997年のデルガムク判決は、スクウェルクウェックウェルトがセクウェップムゥの人びとの“伝統的領土"であることを示しています。
それはアイヌにとっての「イヲル」が、自らの“伝統的領土"であることと重なります。日本国が「アイヌの伝統的生活空間」と称して「イオル再生」構想なるものをでっちあげようとしているいま、「イオル=領土」という認識を―少なくともアイヌは―持つべきであろうと考えるのです。イオルの再生とは、領土の再生でなければならないと。
世界の先住民(族)が苦闘のなかで階段を一段一段上っている姿を見たとき、自らがその一段を上ろうとしないならば、何のための“交流"であり、“連帯"なのか。アイヌが「民族」を自称するためには、為さねばならないことが数多くあるでしょう。その一つとして、私にはカナダのリルワット・ネーションにおける『シュティカ』や、スクウェルクウェックウェルトでの『サンピークス・リゾート』の闘いに共闘することがあります。長老アイリーンやサラの「この土地はインディアンの土地だ!」という悲痛な叫びを聞きながら、「この土地はアイヌの土地だ!」と叫ぶことなく逝ったエカシ、フチの悔しさを思わずにはいられません。
それがカナダ・インディアンの長く苦しい闘いを、可能な限り共に闘わねばならないと思う所以なのです。『セクウェップムゥを招く実行委員会』は、役割を終えて解散しました。けれども、その支援活動は『カナダ先住民族基金』として継続されます。来日へ向けて寄せられた支援カンパのうち多くが、『ヤイユーカラの森』のメンバーによるものでした。1月末に、事務局の小林さんから「プロテクションセンター」活動費として20万円を送金することができました。有難うございました。そして、これからもよろしくお願いいたします。
東京でのある日、昼食に入った池袋北口の“庄や"で、それぞれがランチ・メニューから選んで注文しました。アーサーが選んだのは、「鍋カツカレー」。運ばれてきたのは、アーサーの顔より大きな鉄鍋に盛られたカツカレー!「全部は食べられない……」と言いながら食べ始めたアーサーでしたが………カツが消え、カレーがなくなり、残ったご飯に醤油をまぶして―醤油大好き人間なのです―食べ続けます。すでに食べ終えた私たちが見守るなか、にこにこしながらマイペースで食べ続けるアーサー。改めてメニューを見直すと、「“鍋カツカレー"完食した方には3000円の食事券進呈」とあります。「アーサー、全部食べたら50ドルのクーポンをもらえるぞ!」「ハハハ、そんなこと言ったって、無理だよ……」と謙遜(?)しながらも、休みなく……。店員さんも出てきて、「がんばって!」訊くと、五人分のご飯が入っているそうだ。しかし………やがて、鍋は空っぽになりました。
見事獲得した3000円の食事券は、アーサーが持ち帰りました。カンループスかバンクーバーに“庄や"チェーン店ができるといいのですが……。
そのアーサー。アルコールを飲まない彼が注文する飲み物は“ダイエット・コーラ"です。いやはや……!
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