1999年9月、パペーテ(タヒチ)の第8回NFIP会議から3年4ヶ月、トンガの首都ヌクアロファで第9回会議が開かれました。まずは、吾夢さんのレポート(?)を……。
私がフィジーから帰ってきて早4年。久々にPCRCのメンバーと会えるのを楽しみにしつつ、フィジー経由でトンガに向かいました。
4年振りのフィジーの空港は随分立派になっていて、あの耐えられないほど暑かった入国審査所にエアコンが装備されていて、ちょっぴり寂しくなりました。
トンガに着くと、なっが〜い入国審査の後やっと入国。
トンガに着いてのびっくりした事を並べそうになりましたが、きりが無いので簡潔にまとめると、「山と信号機の無い国」ってとこでしょうか。南太平洋はフィジーとタヒチしか知らない私にとっては、カルチャーショックいっぱいでした。
[PCRCのメンバーと……]
兎にも角にも、会議よりも(?)ロペティーをはじめ懐かしい面々との再会を楽しみに来たので、知ってる顔を見つけると嬉しくて抱き合って、その場その場では盛り上がってみたものの、なんとほとんどのメンバーがPCRCをやめたり任期を終えたりしていて、参加者としてこの会議に来ていたのにはビックリ!……だからまたちょっと寂しい気分になったりして。
もちろん、絶対会えると思ってお土産まで買ってきたのに会えなかったってのも、考えてもみなかったので、がっかり。
こんな感じで始まった私のNFIP……先行き不安です。
[さぁ!3年振りのNFIP始まりです!]
私もNFIPに参加するのはこれで3回目(前回のタヒチはスタッフとしてでしたが)となります。3回目にもなり、自分の中身の変わらなさにもビックリですが、NFIPはあの長いようであっという間なんだけど予定がぎっしり詰まった感じが、いい意味での定番なのに、
なんだかテンポ良く会議の予定が終っていくのです。
私の知っている限り、こんなに発表会みたいな会議は過去に無かったような気がします。もっと勝手に発言したりスローガン掲げて叫んでみたり、そんなのを期待していたのに……。
まぁ、私の勝手な思い込みかもしれませんが、全くもってこじんまりとまとまったNFIPでした。
……こんなんだから3日目にして、私脱水症状で貧血っぽくなっちまいましたよ。とほほ。
[Youthの快挙!]
今回、はっきり言ってしまえば私は“ユース”のために来たようなもの。
毎日夕食後は若者だけが集まって、NFIPの運動の中で若い輩だけで何か出来ることはないかというようなミーティングをしたわけです。
実はこのユースの集まりも、私がはじめて参加したフィジーのNFIP以来、毎回「なんかやろう」「連絡を取り続けよう」と言いつつも実現したことがなく、NFIPの長老たちにも認められず、なかなかうまくいかなかったのですが、なんと今回は実を結ぶことができたのです! というのも、若い参加者が多かったことと、インターネットの進んだ今だからだと思います。あ!あと、最後のパーティで皆で歌をうたったのが効いたのかも……。
日本で若いひとが集まるNGOとしては、ピースボートが一番先に私の中ではピンときたし、今回通訳をしてくれたポールもピースボートのスタッフなので、その繋がりを利用しながらうまく広げていけば、ユースでNFIP会議をひらくのも夢ではなさそうですね。
PCRCのスタッフとして若いボランティアが事務所に常駐しており、ユースネットワークも本格的に動けるようになりそうです。
━━ 募集 ! ━━
この場を借りて助けを求む!! 誰か、太平洋各地から殺到するたくさんの英文のメールを、さくさく翻訳してくれる方! NFIPに興味があったり、若いNGOに興味がある方は、すぐに連絡ください。……いや、まじで……。<shiku@jcom.home.ne.jpへ吾夢宛で>
[で、結局のところ……]
今回の会議での収穫は、ユースネットワークができたということでしょうか。次回のNFIPはサモアになりましたが、そのときに私は27歳になってるってことで、「ユース!ユース!」と騒いでもいられないのではないかと少々心配になりつつ、そのときにはまた、ユースのネットワークが一回りも二回りも大きくなっていればいいなぁと思います。
……果たして私に出来ることはなんぞやと思いつつ、日々パソコンを売っております。相変わらず難しい文章の書けない私ですみません。また今度どこに行くかはわかりませんが、そのときはそのときで、よろしく哀愁!!
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