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ヤイユーカラパーク VOL44 2003.06.21
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第10回鹿狩りキャンプ

絶好の天気に恵まれた3日間、コンディションは最高でした。

阿寒へ向けてのドライブ中、日勝峠や十勝で幾つかのシカの群れを見、「こりゃあ、今年はいいゾー!」と気分は盛り上がります。今回は参加者数が少なく、全9名の少数精鋭ですから、捕獲許可数の8頭を仕留めると(!)、一人一頭を背負って帰ることになります。この時には、これがまったくの「捕らぬシカの皮算用」になろうとは、陽光浴びて車を飛ばす我々には知る由もありませんでした。

前後して到着したハンター山下も、「いやー、ずいぶんシカを見たなぁ」と。ハンター桜井が土壇場で仕事が片付かず、今回は唯一のハンターですから、責任を感じているのでしょう。まずはビールを飲みながら、メンバーの到着を待つ我々でした。


その夜と翌早朝駆けつけた人びとと宿舎を出て、いつもの猟場で1回目の追い込み猟です。下流で待つハンターに向かって、追い込み班が堅雪の雪原を沢沿いに歩きはじめました。

「シカがいない!!」……毎年、数の多少はありながらシカの姿を見ることができる林の中に、今年は一頭のシカも見えません。何本かの鹿道に足跡を見るだけで、シカの気配さえ感じられぬまま追い込み班は歩き続け、ハンターに合流しました。もちろん、一発の銃声も聞くことはできなかったのです。例年シカが群居している山陰に回った山下さんが、「いない……」と戻ってきました。……「昼飯食って、出直そう」。宿舎へ帰る私たちでした。

近年増設されている“シカ除けフェンス”と“有害獣駆除”の地元ハンターを避けて、シカがこれまでと違う移動路を通るようになったという話を聞いてはいましたが、これほど極端に姿を消してしまうとは思いませんでした。ふと、悪い予感が……。

午後、遅れて東京から参加したHさんも加わり、上流の山中に入ります。シカの姿を求めて雪原を歩き、歩き……。シカを追うというより、シカを探して歩く山下さんの後を必死で追いかけました。“ハンター追いかけ猟”を2時間ほど。スノーシュー履いた私の足腰は、悲鳴をあげていました。

「疲れた人は、先に帰っていいよ」の山下さんの声に、屈強な(?)3人の男性を残して、他のメンバーは下山。もちろん私も―運転手がいなくてはネー。

宿舎へ戻り、温泉へ。別れ際の山下さんの一言「ジンギスカンでも用意しておいたほうがいいかもしれないよ」が耳に残り、智子さんと相談の上で買い物もすることにしました。何しろ、今晩はシカ肉を食べることになっているので、他の食材はないのです。温泉で入浴組を降ろして、阿寒町まで走り、味付ジンギスカンを仕入れました。晩飯は、大丈夫だ。

温泉まで戻って、私もカラスの行水。あがったところへ携帯電話、「シカが捕れました!」「ひぇー!」。それでも「肉買う前に捕ってくれよー」と、悪態つく余裕もできました。ハンター山下、たいしたもんだ、やっぱり。

宿舎で待つこと暫し、解体したシカをかかえて精鋭4名が帰ってきました。「坊主だったなんてことになったら、桜井さんに何て言われるか。“オレがいないと、シカは捕れっこないサ”なんて、言われ放題は眼に見えるからナー」と山下さん。孤独なハンターのプレッシャーは、相当なものがあったようです。

大型の獲物をみんなで手分けして精肉にし、シカ肉の饗宴がはじまりました。肝臓・心臓・舌が美味い、ロースのユッケも美味い、焼肉も……。“鹿狩りキャンプで富良野ジンギスカンを食べる羽目にならず、よかった。ホントに!”

阿寒湖畔から訪れたAさん夫妻も一緒に、村上さんの三線に酔い、美酒に酔い、夜が更けていきました。


翌朝、気分を一新して出かけたハンティングも、ついにシカを見ることなく終りました。昨日の一頭は、私たちへの神の贈り物だったようです。

温かい陽光のもと、カムイノミをおこない、昼食を食べて今年の鹿狩りは終わりました。獲物が大きかったので、みんなのお土産もそれなりの重さがありました。ま、ヨカッタ、ヨカッタですが、来年は根本的に考えなければなりません。

阿寒湖畔へ向かう車が「国立公園」の看板を過ぎた途端、道路の両側にシカたちが現われました。のんびりと草を食べている姿に、すっかり打ちのめされた私たちです。知床には大量のシカが定住し始めたとも聞き、彼らの学習能力がはるかに私たちのそれを上回っていることを思い知らされたキャンプになりました。

鹿狩りキャンプ感想文

平田 篤史(横浜市)

タンパカ ヘルクワンノ シネ ユク ネヤッカ

アウク クス. ユカッテカムイ. シリコロカムイ

カムイ ウタラ ソンノ ク ヤイライケ

セコロ ク ヤイヌ.

宮嶋 努(札幌市)

鹿狩りを初めて体験しました。

追いかけまわっている時は、時間がたつにつれ、本当に捕まえられるのかという不安にかられましたが、捕獲の時は一瞬にして訪れました。

あっという間の出来事で、その後の解体は、肉を取り出してゆく感じで手際よく行なわれてゆきました。何となく人類の歴史を感じました。

捕まえるところから、食べるまでの一連のプロセスを通じ、何かうまく言葉では言い表せませんが、生きてるって感じがしました。普段から、肉がパワーの素と、特別な物として考えていたせいかもしれません。また、獲物を追いまわしている事から、男性の本能が目覚めてきていたからなのかもしれません。

とにかく、機会あって貴重な体験をする事が出来た事、感謝しております。この度はありがとうございました。していた。

宮嶋 文絵(札幌市)

私が普段肉を食べるのと引換えに、その肉となった動物の命をもらっています。でも、私は直接動物を殺して解体したことがありませんので、その動物がどのように殺されて食用になるのかの過程がわかりません。

やっぱり肉を食べて生きているからには、そういう普段は誰かがやってくれている部分を知っておかないといけない気がしてきて、この鹿狩りに参加しました。

実際には私が温泉につかっている時に鹿が獲れましたので、解体の様子を見ることはできませんでしたが、肉の筋をとったり膜をはがしたりはすることができました。

それから、普段は絶対食べない生レバーや心臓まで食べました。鹿肉は、思ったより臭みがなく、焼肉やロースのユッケもおいしかったし、何より心臓がおいしかったです。

今回の鹿はメスで、お腹に赤ちゃんがいたとのことですが、そのことも含めて、たくさんの命をもらって私は生きているのだと強く感じました。多数の犠牲の上に自分の生活は成り立っているということを忘れずに、食物を粗末にしないで、感謝して生きていこうと思います。

村上 健司(千葉県・柏市)

7年連続7目。今年も無事参加し、鹿を食べることができました。今回は2目午前中に一頭も獲れず、久し振りに鹿肉のない鹿狩りになるかと危惧されましたが、山下さん達の狩続行組のおかげで、無事一頭を確保し、様々な鹿肉料理を楽しむことができました。鹿以外の料理も毎年おいしく、年に一度の楽しみになっています。ありがとうございました。

閑話休題。丁度鹿狩りの直前、戦争が始まってしまいました。戦争直前まで、あれだけの反戦のうねりが世界中をかけめぐったのは、本当に久し振りのことであったにもかかわらず、いとも簡単に開戦の火ぶたは切られてしまいました。

直前の反戦デモには、普段平和運動や環境問題にはあまり関心のない人達も多く参加していたようで、私の三線仲間も何人か出ていました。素直に「戦争は嫌だ」という気持ちを表現する人が増えてきたことは、そのこと自体とても良いことだと思います。

しかし、同時に無力感を覚えることも確かです。私は、どうしても職業柄、お金との関連で物事をとらえるくせがあります。そういった視点で、この戦争をとらえ直すと、どうなるでしょうか。

戦争の当事国であるアメリカ合衆国は、双子の赤字と言われるように、貿易赤字とともに国家財政も(日本ほどではありませんが)火の車です。しかしながら、戦争には巨額のお金がかかります。その戦費をどこから調達しているのか、それが重要な問題です。なぜなら、その元を断ち切ることで、やりたくても戦争ができなくなる可能性があるからです。

国の赤字を補てんする方法は、国債を発行することです。米国債といわれると、あまり身近ではなく、私には関係ないと思う人も多いかもしれませんが、日本国内が運用難と言われる中、日本からは巨額のお金がアメリカへと流れています。その元となるお金は、私たちが銀行に預けているお金であったり、保険会社に払っている保険料であったりする訳です。そういったお金は、いわば死んだお金であり、使い方をすべて預け先にまかせてしまうことになるのです。ですから、銀行のディスクロジャー誌等に目を通し、米国債を保有しているようなら、売るように要求し、断られたら口座を解約するといった方法は有効であると思います。だって、戦争は反対だけど一方で戦費を提供しているなんて、盗人に追い銭みたいなもんでしょう。

そもそも、ものを買ったり、お金を預けたりという行為は、投票行動です。平等に一人一票ではありませんが、票の少ない人でも多くの人が行動すれば、影響を及ぼすことができるでしょう。マクドナルドやコカ・コーラ社、P&G社はブッシュ政権に貢金をしています。買わないことは誰にでもできることです。

ブッシュ自身が9.11「100のトマホークで、10ドルのテントを吹き飛ばす意味があるか?」と言っていたアフガンに続き、ほとんど冗談のような理由で始まった今回の戦争について、以上私が考えたことです。鹿とは関係がなくてスミマセン。

平島 邦生(札幌)

阿寒に近づいても鹿の姿を見かけない。翌日いつもの場所に入っても鹿の気配が感じられない。例年より随分と奥まで歩いた。場所を変えて午後も歩き回ったがやはり姿が無い。「今夜はジンギスカンか」と冗談を言いながらも、責任感の強いハンター山下さんはさらに奥まで行くと言う。ボランティア三人を残して残りは温泉に!

四時ごろ、林道の雪の上に熊の親子の新しい足跡を発見。さらに二十分後、急に車を降りた山下さんがすばやく一発撃つ。斜面に鹿が横とびに跳ねたのが見えた。今年ほど、カムイノミに祀られた一頭の鹿がいとおしく思えたことはない。

山本 倫子(札幌市)

鹿おいしかったです。食料を手に入れることがこんなにも難しいとは……。昔の人はたいへんだったんですね。その分夕食が、とてもおいしく感じました。

今回「鹿追いキャンプ」に参加すると、周りの知人に自慢して回っていました。皆、本心かはわかりませんが、「いいな」というのがほとんど。今度は、他の人も誘って参加します。

『ヤイユーカラの森』ばんざーい。