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ヤイユーカラパーク VOL45 2003.12.28
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おもな内容

新刊・旧刊

『マヤ先住民族 自治と自決をめざすプロジェクト』
       IMD-MJPグァテマラプロジェクトチーム編 (現代企画社/2003,5)

国民の大多数が先住民族であるにもかかわらず、16世紀に侵略してきたスペイン人によって奴隷とされ、19世紀初頭の独立によってもその状態は変わらず、幾度かの軍政と民政の変転のなか、繰り返されてきたジェノサイドに耐えて生き延びてきたグァテマラのマヤ民族……。私たちのグァテマラ先住民族についての知識は、その程度のものだろう。1992年、リゴベルタ・メンチュウがノーベル平和賞を受賞し日本を訪れた際に、一時的に注目を集めたグァテマラ先住民族への関心も、長くは続かなかった。一部の中南米に関心のある人びとや世界の先住民族に興味をもつ人びと以外に、グァテマラという国やそこに生きる人びとを考えることはなかったといえる。

本書は、IMADR(反差別国際運動)グァテマラプロジェクトチームがグァテマラの青年組織MJP(平和をめざす青年運動)とともに、1998年からはじめた『マヤ先住民族のエンパワメントのための教育プロジェクト』の、5年間の活動報告である。しかし「本書は、単なるプロジェクト報告書ではありません。チームメンバー自身がプロジェクトに関連するさまざまな問題について、それぞれの専門分野や関心領域に引き付けて調査し、学んできたことをまとめたものです。それは、プロジェクトを実際に運営する中でマヤの青年たちと私たち日本のチームが格闘してきた足跡の記録でもあります」(はしがき)とあるように、その内容は多彩であり、密度が濃い。

第T部……プロジェクト活動の軌跡と、プロジェクトチームが直面した問題・課題。

第U部……先住民族の自決を中心とした権利保障をめぐって、いま世界的に論議され課題となっている問題の論考と資料。

第V部……内戦後、グァテマラ政府とURNG(グァテマラ民族革命連合)の間で結ばれた「先住民族のアイデンティティと権利に関する合意」(1995年締結)の履行状況と、グァテマラ先住民族が抱えている諸問題。

第W部……今後、プロジェクト活動の柱にもなる、コミュニティラジオ局作りについて。

これらの各項に載せられた17の論文・報告を読むことで、私たちはグァテマラや中南米のみならず、世界の先住民族の現状と問題についても知らされ、考えさせられる。それは、自治と自決、土地・資源・知識の権利、脱植民地、開発、教育、女性への複合差別、そしてグローバリゼーションとの闘いという、いま世界中の先住民族が共通して抱えている諸課題である。各論者が書斎での論考ではなく、文字通り“格闘”の結果として獲得し展開している論旨は、説得力と普遍性をもって私たちをその中に引き込んでいくのだ。

とくに私は、アイヌの問題を考えながら本書を読み進まざるを得ない。1869年、生存の基盤である大地を「無主の地」として国に没収され、さらに居住地さえ「官有第三種地」として奪われたアイヌは、狩猟・漁労・採集を法によって規制・禁止されたことと合わせて、世界中で最も短期間でコミュニティを失った先住民族といえるだろう。アイヌにとって最大の悲劇は、このコミュニティの崩壊と喪失だったと、私は考えている。現在、ほかの人びととの格差はありながらも市民としての権利が保障されているとはいえ、失われたアイデンティティを取り戻し、民族の再生を実現する道のりは遠いと言わざるを得ない

その最大の原因がコミュニティの喪失であり、国に「先住民族のアイデンティティと権利に関する合意」を求めていく基盤が、いまのアイヌにはないことである

だから、先住民族コミュニティの保全と発展、エンパワメントのために、グァテマラプロジェクトチームが教育への支援活動を続け、コミュニティラジオ創設という事業を支援していこうという方針は、得心がいく。本書中にもある「なぜグァテマラなのか?」「なぜローカルレベルなのか?」という問いかけが、繰り返しプロジェクトチームのなかで行なわれたであろう。そしてNGO、とくに「北」のNGOのなすべき役割についても論議され、検証されたであろう。そこから生み出された論考と問題提起を、グァテマラへの最大の援助国である日本の市民は、真摯に受け止めなければならないと思う。

                                              <月刊『ヒューマンライツ』2003,11月号にも掲載>


『アイヌが生きる河』 北川 大 著(樹花舎/2003,11)

1989年春、8月に開催される『世界先住民族会議』(全国規模で展開された『ピープルズ・プラン・21世紀』の一部として北海道で開催)の準備を進めていた事務局に、オートバイにまたがった青年が現われた。それがカメラマン志望の北川 大君で、さっそく会議の全行程の写真撮影を引き受けてもらった。現在も残されている膨大な数のスチール写真の記録は、彼の撮影によるものである

この時から始まった大君との付合いは、既に10年を越えた。1998年、『森』のニューヨーク・アイヌコレクションを訪ねる旅では、案内役をつとめてももらった。その彼が本書に取り掛かった当初から、何度か相談にも乗りながら5年が過ぎた。私たちにとっても、楽しみであり、課題でもある本書の刊行である。

だから、本書の書評を書くのは私の任ではない。書中私たち夫婦が登場するシーンまであっては、“紹介”さえ、冷静にはできないのだから。

それでも尚ここに書かずにはおれないのは、多くの人に本書を読んで欲しいからである。多くの人――多くの“日本人”に……。

『自分が日本人だと日常で意識する人はそう多くないだろう。ところが、ちょっとしたきっかけで、日本人であることがその人を支えるようになる。ごく普通の人でも、あるときから、あるいはあるときだけ、日本人の誇りに幻惑される。無意識に、ときに激しく、非日本人的な存在を区別したり、差別したり、排除したりして、自分の存在確認をしたいときがある。日本人であるとは、非日本人的な存在の誰かに対して、特別な自分を意識する装置に過ぎないのに、自然なものだと感じるのはなぜか。日本人として生まれた以上、誰もそれを奪えない(と信じている)からだ。<あとがき>』

彼が何故アイヌに惹かれ、二風谷に入りたいと思ったのか。先輩ジャーナリストに「住めば二風谷を基準にしてアイヌを見るようになる。アイヌが住民の大半を占める二風谷は他の地域と比べると特別なのだ、例外を基準にしては駄目だ」と助言を受けながらも、一時期二風谷に住み、例外といわれる地域の中で普遍を感じさせるアイヌ、貝沢 正を知って魅かれていく。その道程が興味深い。

少年期、転居して暮らした北海道ではじめて出来た友達を、ある時周囲の声に合わせて「アイヌ!」と罵った彼。アイヌの意味も分からず罵倒したことで、その友達を失った記憶……。彼がアイヌに惹かれていく根底には、その記憶があったのだろう。そして、成長して訪ねた北海道で、二風谷で、出会った多くのアイヌが彼の心象に残したものは……。