小田島 隆幸(小樽)
まちにまった山菜採りキャンプに参加できて、かなり気合い入りました。
生活館で、去年いっぱい山菜のことを教えてくれたみんながいて、かなりテンションがたかぶってきました。
一日目の夜の料理はいろんな山菜で、すっごくおいしかった。
二日目、浦河で山に入り、去年行った場所だったので、速攻。行者ニンニクのいっぱい茂っている場所に行き、汗だくになって子供達と一緒にたらふく採り、満足しました。
昼はあいにくの雨でしたが、橋の下でのランチでしたので、ゆっくり食べることができました。
夜は天ぷらがいっぱい出てきたので、酒と一緒に食べ、飲みすぎて、翌朝はやっぱり頭痛がはげしかったです……。
次回は、酒はほどほどにします。
小田島 幸司(13才・小樽)
<1日目>
静内について、有勢内生活館についたがだれもいなかったからつりに行った。しかし、海に大りょうの油が流れてて魚がつれなかった。生活館にもどった。だけど、すぐに風呂屋に行った。
風呂からあがってしばらくビリヤードをした。ビリヤードがおわって、すぐに帰った。
生活館にもどったら、すぐ夕食だった。夕食食べてしばらくしてから、バスの中で寝た。
<2日目>
バスの中ではねむられなかったから、生活館で寝た。
生活館で朝食を食べたあと、山菜をとりに行った。しかし、あとからついたから、皆といっしょに山菜がとれなかった。
山菜をとりおわって、まっすぐ川に行った。昼食を食べた。
生活館にもどって少ししたら、風呂屋に行った。風呂からあがってビリヤードをした。時間があったから、もう一回した。
ビリヤードがおわってからアイスを買って、生活館にかえって、夕食食べてすぐに寝た。
小田島 幸平(12才・小樽)
山菜を採る時に、ささがじゃまになる。ささにさわると、ダニがいっぱいつく。
ぼくは、ギョウジャニンニクをいっぱいとった。
夜、ぼくはおきた(さむいから)。ストーブが止まってることに気づいた。お父さんがいない! お父さんをさがした。お父さんはバスでねてた。きのう幸司に、バスの中でねたらこごえ死ぬぞといったのに……お父さんはバスでねてた。
ぼくがお父さんを部屋につれてった。ぼくもやっとねれるとおもったときに、ふとんをとられた。ぼくはお父さんから、ふとんをとりかえした。
つぎは、青太郎がなきはじめた(夜なき)。夜なきがおわって、やっとねれた。
おきたら、お父さんにアッパーをくらった。ねぞうがわるい?……こんなことがあった……。
小田島 海渡(10才・小樽)
いっぱいさんさい(コゴミ)をとって、うれしかった。
よってないのに、車の上のまどをあけて、たのしかった。
よもぎをとって、もってかえってたべてみたら、おいしかった。
越田 清和(札幌)
“山菜が呼んでいる”
今年で2回目の参加。去年初めて山菜採りに参加した時は、ただ「雑草」が生えているとしか思わなかったけれど、今年は違いました。3つの山菜(何かは秘密)だけは何とか覚えていたので、それが目に入ってきました。「おお、山菜が俺を呼んでいる」と、充実した気持ちになりました。
二日目、雨の中、橋の下でとった昼食も、バーベキューから天ぷら、最後はなぜか塩ラーメンというメニューでなかなか味わい深いものでした。最終日も雨のため、外での活動はできませんでしたが、それでも充分に春を満喫した気持ちになりました。
キャンプが終わってから、計良さんたちと一緒に浦河へ行き、ゴローさん(堀 敏一さん)の五百羅漢展を見てきました。ずらりと五〇〇の羅漢像が並んでいるのは、やはり壮観です。圧倒されました。
よい春を迎えることができました。
澤野 林太郎(札幌)
死んだじいさんが、よく山に私を連れていった。
わらび、きのこ、たらんぼ。
久しぶりに、死んだじいさんにあったような気がした。
伝えていかなければならない知恵がある。
澤野 青太郎の母(札幌)
もっと沢山採っておけばよかったのに……と、後悔の思いでいっぱいです。ついつい、えんりょしてしまいました……。
山菜を採るのははじめての経験です。食べるものがそこらじゅうに生えているということ自体、新鮮なことで、山菜をポキポキ折る度に「へっへっへ……ただメシだ〜」と、顔がニヤけてしまいました。
採り方さえ気をつければ、来年もその次ぎの年も、またその次ぎの年も、ずっとずっと同じところから生えてくるという話を聞いて、山と仲良く暮らすって豊かだな……と、幸せな気持ちになりました。
自分でとったものを食べるのが楽しみです!
鳥居 文子(江別)
われわれの祖先は昔々、みんなキャンプ生活をしていた。
石とか動物の骨とか木なんかを道具として、男は獲物をとりに出かけたのであろう。
女たちは子育てしながら、そんな男たちの帰りを待つ。
時には獲物がなにもないこともある。「なによ、この甲斐性なし! 子供たちがひもじいといって泣いてるよ」とかいい放ちながら、芋虫などをさがしに行く女たち。女、子供が芋虫つまんでいるそばで、空きッ腹をかかえ、じっと星空を眺める男たち。
ヤイユーカラのキャンプは違う。魅力は男たちの活躍ぶりである。
これを知ったら女たちが押しかけても困るので、あまり宣伝しないことにする。
摘んできたばかりの山菜が、何種類もの料理になって、テーブルに所狭しと並べられる。
私は、体が緑色に染まるかと思うほどだった。
河原での焼肉、ホッキのバター焼き。その昔とは大違いのメニュー。やっぱりこの味わい、この雰囲気、知らせてあげなくっちゃネ。
渡邉 禮一(江別)
天気予報は前半晴天、後半雨と、キャンプには心配な中、春の山菜キャンプは行なわれた。
初日は晴の午後、夕食の食材確保のため静内の山に入って、行者ニンニク・谷地蕗・ハンゴンソウ・二輪草・ヨブスマ草・コゴミ等沢山採取し、明日以降に備えた。
二日目は雨の心配をしながら、一路浦河の山へ。昼までにそれぞれ思い思いの山野草を手に、カムイ橋の「キッチン山下」に向かう。橋に近づく頃には雨も降りだしたが、まずは一安心。昼食の準備の間に小田島さん一家と葉ワサビ(クレソン)を探しに行ったが、不発に終わった。夕食の天ぷらの材料にヨモギを採って、昼食に参加した。
「キッチン山下」では、いつもの"鹿の焼肉""鳥の首肉""北寄貝のバター焼"等、おいしい料理に舌ヅツミを打った。
三日目はあいにくの雨で海での遊びは中止になったが、浦河で五郎さんの五百羅漢の完成記念展を希望者は見学することにして、解散することになった。
今年の日高の春は、雪融けが早い割には遅く、山菜の成長が遅いようだったが、それでも芽吹き時にはそれぞれが芽を出していた。一気に旬を迎えそうな予感をさせる気配を感じつつ、日高路を後にした。
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