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ヤイユーカラパーク VOL47 2005.03.20
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おもな内容

2004 春のキャンプ/その2

      
支笏湖

2004年12月、カナダBC州の友人たちが札幌と東京にやってきました。8月にカナダを訪れたメンバーはもちろん再会を喜び、歓迎しましたが、札幌でも東京でも、初めて彼らと出会った人びとも一緒に、楽しい時間を過ごすことができました。

今回の来日メンバーは、リルワット・ネーションからロザリン・サム、ジョジーナ・ネルソン、アルビン・ネルソンの3名、セクウェップムゥ・ネーションからはアイリーン・ビリー、スカヒーシュ・マニュエルの2名、合計5名のツアーでした。

      

賑やかに過ぎていった1週間の旅の報告を……。

到着前

8月、私たちがカナダから帰国した直後から、セクウェップムゥ・ネーションではサンピークス・リゾートを巡ってさまざまな動きがありました(『森』ニュース48号)。そのなかで、当初来日を予定していたジャニス・ビリーが来られなくなり、5名分の航空券の手配をはじめましたが、それがなかなか進まない……。

赤字財政がはっきりしているので、バンクーバーでチケットを購入した方が安いと、ジョジーナに頼んで手配をしてもらっていたのですが、どうもうまくいかない。アルビン家の寄宿人樹央君とメールやファックスのやり取りが続いた結果、ピースボートの井上さんに現地での手配を依頼し、確保することができました。樹央君、井上さん、ジャパングレースに感謝です。

それにしても、樹央君が事前に帰国したため彼らがちゃんとチケットを手にしているのかどうかが分からず、「本当に来るのかぁ〜?」という不安は、最後まで消えませんでした。海外から客を迎えるときは、いつもそうなのですが……。ともあれ、12月2日夜、我が家に先乗りしていた樹央君、山下さんと、2台の車で千歳へ向かったのでした。凍結路面が、ほんとうに怖かった!

12月2日(木)

20:05到着予定が、30分以上遅れている。空港で合流した床田さんも一緒に待っていると、やっと姿を現した。1、2、3……全員いた! 2台に分乗して、札幌へ。

我が家にアルビンと樹央君、島崎家にアイリーンとスカヒーシュ、小林家にロザリンとジョジーナがホームスティ。それぞれ夜食を食べて、寝る。前日昼にバンクーバーを発って、時差もあるので皆疲れているだろう。アルビンが幾らも飲まないうちに寝てしまったくらいだから……。

12月3日(金)

12/3集会

『いまカナダで起きていること――開発と闘う先住民』

3軒のホームスティ先はすべて南区の端で、車で15〜20分で行き来できる距離にある。初日は遅い朝食のあと、さらに南にある「札幌市アイヌ文化交流センター」(小金湯)に出かけた。展示室や屋外施設を見た後、隣りにある温泉へ。ジョジーナは以前来たときに体験しているから心配ないけれど他の女性はどうかなぁと思っていたところ、皆な殊の外気に入ったようで、アイリーンなどは翌日も入りに行ったほどで一安心。

その間、樹央君は吉田三千代さんの英会話教室で臨時講師、スカヒーシュは国際大学の吉田三千代教室でレクチャーと、それぞれのスケジュールをこなした。

東京からの小林純子さん(先住民族の10年市民連絡会)も到着して、夕方"エルプラザ"へ。18:30〜21:00、集会『いまカナダで起きていること――開発と闘う先住民』。リルワットのピースキャンプ「シュティカ」と、サンピークスで起きていることと、それぞれの闘いを中心に報告を受けた。40名(名簿記載)以上が集り、濃い中身になったと思う。大きなバナーを作り、機械操作を担当し、受付を引き受けてくれたP・Bサッポロセンターの若者たちに感謝。

12月4日(土)

「森を歩きたい」と、午前中はそれぞれのスティ先近くを散策。まだ雪が少ないので、どこを歩くにも不自由がない。スカヒーシュは三千代さんと円山登山、アルビンと樹央君は"芸術の森"下の川岸を歩き回っていたようだ。午後からは、女性中心に市内でショッピング。

12/4集会

『先住民・文化の夕べ』

夜は前夜と同じ会場で『先住民・文化の夕べ――アイヌとカナダ・ネイティブの交流』。15名の「札幌ウポポ保存会」による歌と踊り、ゲストによるドラム・ソングの間に、彼らのスピーチ――文化伝承をテーマとした――が入るという、多彩な内容になった。30名(名簿記載)の参加者も楽しんでもらえただろう。室蘭から駆けつけて、機械操作を引き受けてくれた広瀬さんに感謝。夜、雪が降りだした。







12月5日(日)

シーズン最初の大雪で、道路は大変な状況。気温が高いので、余計に悪条件だ。

朝雪かきをして、11:00頃に全員集合。「圧雪だから、山越えして支笏湖経由が楽だろう」と、白老・アイヌ民族博物館目ざして2台の車が出発した。念のため、無線を持って……。ラジオの道路情報では、あちこちの通行止めが報じられていた。

支笏湖(ポロピナイ)までは、順調だった。新雪の林や路面は、美しい。湖畔で一服、写真撮影を済ませて苫小牧へ。湖畔の道を半ばまで行ったところで通行止め、「この先、雪崩で木が倒れ、通れません」……やむなくUターン。「恵庭に抜けて、そこから高速に入ろう」と無線で打ち合わせ、札幌近くの山道に入る。これも問題なく抜け、高速入口まで来たときにラジオの道路情報、「恵庭からの上り、下りともに通行止めです」……!!

「国道を白老に向かっても、何時着くか分からんなぁ〜」「5時までには、帰ってなけりゃならないし……」「戻るか?」「そうしよう」。国道へ出て、札幌を目ざす。

いやはや、国道は恐るべき渋滞だった! 気温が高いので、圧雪がグチャグチャ。深い轍。巨大なそろばん道路。吹雪……。最悪である。大揺れの車内で、ひたすら耐える。途中コンビニでトイレ休み、札幌に入ったところで新しくできた巨大ショッピングセンターで1時間のフリータイム。我が家へたどり着いたのは、16:00過ぎだった。冬のオフロード・ドライブ――国道だったが――は、コタエル……! 自宅に電話をかけたアルビンが、「リルワットも今日は雪だって」……どこも大変だ。

芸森パーティ

芸術の森/パーティ

"芸術の森"アトリエで準備にかかる。17:30から、フェアウエルパーティだ。

3軒の台所から持ち寄った料理と、ハンター桜井・山下組の鹿肉料理、鮭料理で豪華バイキングのパーティが始まる。大雪を掻き分けて――と言うほどではないが――人びとが集ってきた。20坪程のアトリエに、人が溢れている。3〜40人も入ったのではないだろうか? いつもながらの『森』風パーティとはいえ、壮観だった。雪もやみ、気温が下がって、美しい雪景色が窓の外に広がっていた……見ていた人がいたかどうかは、定かでない。



12月6日(月)

早朝から道路、空港の情報を確かめつつ、出発準備。前日は飛行機はまったく飛ばず、道路はほぼ不通状態だったので、札幌出発の予定時間が転々としたのである。が、それぞれ何とか正常に戻っているようだ。

7時前から、アトリエの撤去作業。泊り込んだ人びとが多くいたので、片づけや搬出が順調に進んでホッとする。我が家への人と荷物の集合も順調。9:00過ぎに、千歳へ向けて出発した。

昨日とはうって変わった道路状況で、難なく空港到着。おまけに出発が遅れているため、時間はたっぷりあった。それでも昼食は搭乗待合室で、それぞれ好みの弁当を……北海道最後の食事は、弁当だった。北海道のスタッフ、通訳、協力者の皆さん、お疲れさまでした。

14:00過ぎに羽田空港到着、早い便で着いていた樹央君、岡本依子さん(先住民族の10年市民連絡会)と合流してリムジンバスで池袋へ。予約していたホテルにたどり着いたところ、6名の予約が3名しかチャージされていない!しかも満室! コンピューターの入力ミスということで、すぐ近くのホテルに6名分を確保してくれた。いやぁ、よかった〜!

その夜は赤坂の環境コンサルティング会社"クレアン"で、社員対象のレクチャー。ホテルに戻ると、以前リルワットに寄宿していた真司君(ロディオ・ライダー)と尚史君がやって来た。真司君は小金井市の実家から、尚史君は名古屋から車で来たという。アルビンやジョジーナ――とりわけジョジーナに会いに来たのだ。私の部屋で遅くまで飲み、しゃべった。皆にとって嬉しい再会の夜だった……。

12月7日(火)

明大

明治学院大学

ホテル近くの"デニーズ"でブランチ。昨夜遅くに帰っていった樹央君・真司君・尚史君と、赤坂で別れた純子さん、依子さんも合流して、電車で戸塚へ向かう。この後毎朝、"デニーズ"でのブランチから一日が始まるようになった。

午後は明治学院・戸塚キャンパスの辻教室で授業を行なった。大教室に一杯の学生を前に、話すメンバーも力が入り、通訳する樹央君はそれ以上に……。カナダの先住民を苦境に追い込んでいるのが日本企業だということを初めて知った若者たちが、これから世界をどう見、考え、行動していくのかは分からないが、彼らのなかに蒔かれた一つの種になれば幸いだ。辻信一先生とアシストしてくれた小形恵さんに感謝。


P・B

ピースボート・センター

そのまま高田馬場へ移動し、"ピースボートセンターとうきょう"での集会「カナダ・先住の民の歴史と文化」へ。

クルーズ中アルビン宅にホームスティしたことがある人やスタッフも含めて、会場一杯に集った人びと。1995年1月、厳寒のなか行なわれた第2回鹿狩り(『森』ニュース11号)にアルビンを連れてやって来た根本さんも駆けつけてくれた。思えば、当時UBCに留学中の根本さんが引き合わせてくれた縁で、今日のカナダ先住民との友情が育まれてきたのだ。この10年を思うと、感無量である。

集会後池袋まで戻り、ホテル近くの居酒屋に集った。懐かしい顔や新しい顔……美味い酒だった。

12月8日(水)

朝ロビーへ降りると、アルビンと樹央君が散歩から帰ってきた。昨夜アルビンの部屋に泊まった樹央君は、いびきで寝られず、ジョジーナの部屋に避難したという。札幌の我が家でも同じ被害で1階の居間に逃げ出しているのだから、よくよく寝床に恵まれていない。それにしても、モニーはいつもどうやって眠っているのだろう?

ブランチ後、浅草へ向かう。足の弱いアイリーンとロザリンは、尚史君の車で移動。専用車(軽とはいえ)とお抱え運転手に、アイリーンはご機嫌だ。横浜から元橋夫妻と、真司君のお母さんも来てくれて、一緒に浅草へ。雷門で落ち合ってから、三々五々仲見世や境内へ……。

「何か食べて……」と思うが、一行14名が飛び込んで食事できるような店は難しい。八重洲まで行って、そこで考えようと移動する。いつもながら、東京は階段の上下に往生だ。"アイヌ文化交流センター"に着くと、もう動くのが億劫になる。皆がイオマンテのドキュメント(民族映像プロダクション制作)に見入っている間に、弁当と寿司の手配をし、夕食は東京のホカ弁とにぎり寿司になった。いかにも団体旅行だなぁ。

交流センター

「拡大するリゾート開発から民族文化を守るために」

18:30から集会「拡大するリゾート開発から民族文化を守るために」。首都圏のアイヌを含め、30名が参加。先住民族や環境問題、企業の海外進出などに関心をもったり、活動をしている多様な人びとが集ったのは、今後に向けて心強いものを感じた。

その後の二次会も、大いに盛り上がった。私個人が会いたいと思っていた人が何人も来てくれたのも嬉しかったし、ゲストのそれぞれにも心に残るものがあっただろうと思う。

ホテルへ帰ると、フロントでジョジーナが何かやっている。訊くと、樹央君のために部屋を取るというのだ。あわてて私が支払いをしたが、いかにもジョジーナである。これで、最後の夜を樹央君はゆったりと眠れることになった。

12月9日(木)

荷作りをして1階に降ろし、ブランチ。私はさすがに食欲をそそられるメニューがなくなったが、皆は結構毎回満足しているようだ。とくにアルビンの食欲は……。今回はファミレス侮るべからず、と認識を新たにいたしました。

リムジンバスで成田空港。搭乗手続き、荷物預けを済ませて抱き合ってから、出国口へ消えていく5名。しばらくのお別れです。樹央君、尚史君と蕎麦を食べ、車で帰る彼らとも別れて国内線ターミナルへ。17:30発のバンクーバー行きの前に、私は千歳へ向かいました。

東京でのすべてを仕切った純子さん、通訳以外にアイリーンの世話係を引き受けてくれた依子さん、今回で通訳としての力を大いに伸ばした(はず)樹央君、軽自動車で名古屋から駆けつけてくれた尚史君、仕事を休んで同行してくれた真司君、そして功・美穂夫妻……本当に有難うございました!

 

さらに各地から、会場で、このためにカンパを寄せてくださった皆さんにも、感謝です。


今回のツアーが、彼らの伝統的領土を守る闘いにどれだけの力になったかは分かりません。けれども集会や交流会に参加した日本人の多くに、カナダで起きていることを透かして日本を考える、ひとつのきっかけを提供したことは確かだと思います。本当にそれが"確か"なのかどうかを、今後の活動で検証していかなければなりませんが……。

 
浅草

浅草寺で